第102話 無邪気さは残酷さ
二人の少年と少女がこちらに歩いてくる。見た目が子供とはいえ、よもや友好的とは言えまい。街路灯をぶっ放すなど初対面にしては随分なご挨拶だ。まずこちらへ敵対の意思ありと見てよいだろう。地面に転がりながら抱きかかえていた夕華の上体を起こす。
「夕華さん、立てるか? あの変な連中は俺がなんとかするから夕華さんは逃げてくれ」
「足を挫いたみたいで……」
スーツスカートからすらりとのびる夕華の脚を見ると足首が青紫色になっている。夕華を抱えて逃げることもナツキは考えるが、そんなことが可能なのか?
あの少年と少女のうち最低片方、最悪の場合両名が能力者だ。そしてピンポイントに自分たちを狙い撃ったということは通り魔的犯行だとは考えにくい。こちらが機動力を落としては格好の的になるだけだろう。
ならばここは自分が囮になるのがベストな選択ではないのか。相手が能力者であれば、狙いは間違いなく一般人の夕華ではなく星詠機関という公的な肩書を持つ自分。
(夕華さんを巻き込まないように林の奥に運んで……)
いいや、それではダメだ。もし自分が撃破された場合、夕華の身の安全が保証されていない。いきなりあんな即死しかねない攻撃をしてくる連中だ。目撃者を消すという理由で夕華を殺害してもなんらおかしくはない。よって、夕華が自力で動けない以上は囮作戦はボツ。結局、自ら活路を開くほかに道はない。
「夕華さん、ちょっと行ってくる」
「だめよ! またあんなもの投げられたらただじゃ済まないわ。私のことはいいからナツキだけでも逃げなさいっ!」
「……ごめん。それは聞けない」
涙ぐみながら必死に自分を止める夕華の表情に胸が締め付けられる。何より苦しいのは、その涙が自分のために流されていることだ。だからこそ、そんな優しい人をむざむざと見捨てるなんて考えられない。突然あんな超常的な現象を目にして、狂乱するでも恐怖するでもなく自分を置いて逃げろと言える、そんな強くて優しい人。
この人を守るためならいくらでも戦える。力が湧いてくる。膝に手を突き立ち上がる。心も体も疲労や悩みで本調子ではない。今朝方コテンパンにやられた傷の痛みはまだ引かない。それでも。少年少女の正面に躍り出て立ち塞いだ。
「ダリア、あんな男、情報にあったか?」
「うーん……エカチェリーナ様から送られてきたデータにあるのはあっちの女の人だけだよ」
「そうか。だけど任務の邪魔をするなら倒すだけだ。俺が先行するから支援をしてくれ」
「気を付けてね、キリル。あの人なんか妙な空気感を持ってるよ……」
「ククッ、お二人さん。何のつもりで俺を襲ったのか知らないが……。退く気はないんだな」
「うるさいな。邪魔だから死ねよ」
ブロンドのおさげの少女と茶髪の少年の二人組。ナツキの問いかけに返答しながら、茶髪の少年が腰からサバイバルナイフを抜いてこちらに走って来た。ナイフの握り方や走行速度から、明らかにこの少年がただの子供でないことがわかる。
ナツキも応戦するためポケットから陸上のバトンほどの大きさの銀色の筒を取り出した。グッと力をこめて握ったのに反応して筒から折り畳まれていた刃が展開され、一本の日本刀が完成した。
「くらえ!」
少年は走りながら親指をカリッと噛み、数滴の血液をナツキに向かって飛ばしてきた。
(自分の血液をつかって目眩ましか!?)
たしかに足元の砂やコップの水で相手の視線を切らせるという戦術はストリートファイトなどに実在する。その一種かもしれない、と直ちに判断できただけでも上出来だった。真の攻撃はまた別にあるのだという警戒をもたらすからだ。ナツキは血液を避けながらも、少年の動きからは目を離さない。
だが、ナツキの集中は突然の轟音によって途切れることになる。血液がさっきまでナツキの立っていた場所に着地すると、爆発を起こしたのだ。地面には浅く穴が開き、焦げたところから黒煙が上がっている。
幸い夕華のいるところまでは爆風は届いていないようだ。それだけ確認したところで、目前までナイフが迫っていることに気が付く。
距離を詰められすぎた。このまま刀を引き戻して刃で受け止めるのは間に合わない。リーチに差のある武器による戦いは、距離がある間はリーチの長い方が有利である。しかし距離が近くなり懐に入られると小回りの差などによってこの相性が逆転するのだ。いつもナイフを使っているナツキはそれを体感的に理解していた。
機転を利かせたナツキは刀の柄、銀色の筒でナイフを受け止める。実際の日本刀の柄と違ってこちらも金属なので、両断されることなく受け止めることができた。一旦距離を取ることが先決。ナツキは少年の鳩尾目掛けて前蹴りを放ち、少年も直撃を避けるようにバックステップをして間合いの外に出た。
しかし、相手は相手で無策ではない。遠ざかるやいなや再び血液をこちらに向けて数滴飛ばしてきた。外は暗く見づらいが直接触れないようにナツキも大きく地面を蹴り回避する。案の定、地面についた瞬間にその血液はボンッ! と爆発を起こした。大地の破片が爆風に乗ってナツキを襲うので、顔を腕で覆って防ぐ。
(あの少年の手から発せられた液体……おそらく血液が、着弾と同時に爆発した。爆弾や爆発を操る能力なら漫画の定番だ。その場合、当人の意思で爆破をさせるスイッチタイプと、何らかの条件を課すタイプ……経過時間や与えた衝撃によって爆発するタイプと二パターンある。そして今の様子から見るに後者)
ここまでの相手の情報からナツキは脳内の図書館に検索をかけようとした。
今まで中二な自分が影響を受け蓄積してきたあらゆる漫画、ゲーム、ラノベ、アニメ、映画から、爆発系の能力を使うキャラクターが登場する作品をピックアップし、そうしたキャラクターたちに共通する弱点がわかれば能力者の少年への有効な作戦が構築できるはず。中二病のナツキが今まで能力者との戦闘を乗り越えられてきたのは、この他者にはない膨大な情報と経験と妄想ゆえだ。
ところが、ナツキの脳内図書館の本棚はガラガラと音を立てて崩れ始めた。ひとつやふたつではない。まるで図書館全体が倒壊するように……。
つまり、検索結果はエラー。中二病をやめてでも異能バトルから足を洗うとついさっき固く決意してしまったナツキに、もはや中二病としてそうした作品群にアクセスする権限はない。
呆然としたナツキを見て好機だと感じたキリルは腰に巻いたバッグからペットボトルを取り出し、キャップを開いて中身を振りかけた。
夏の日に打ち水をしたように、ピシャリと一筋の水跡が地面にできる。同時、ゴオオォンッと爆音を挙げながらアスファルトをめくりあげて大爆発を起こす。
「グハッ……」
至近距離で爆発を受けたナツキが無事で済むはずがない。爆炎と爆風と爆音を一身に受け、吹き飛ばされた後にゴロゴロと転がり止まる。動かない。
「いや……そんな……ナツキ…………起きてよ、ねえ、ナツキ……ナツキィィィィーーーーー!!!!」
絶叫した夕華は服が汚れることや足が擦り傷だらけになることになど目もくれず腕の力だけで身体全体を引っ張ってナツキの下へと向かった。その進みは当然遅い。地面を両手で押し、やっと精々数センチ。ぐったりと倒れて動かないナツキまでは遥か遠い。
「大人が騒ぐな」
ぴくりとも動かないナツキに向かって地を這いながら懸命に手を伸ばす夕華の首にキリルが手刀をトンと当てると、意識が落ちてぐったりと倒れる。
「ダリア!」
「うん。引力!」
自身の身体とキリルの近くの地面の引力を増し、引っ張られるように瞬時に移動してきたダリアは、倒れている夕華を見下ろす。キリルたちのような子供では、女性とはいえ成人した人間を運ぶの骨が折れる。その点、ダリアが能力を用いて斥力を働かせれば運搬も容易い。
「きっと私が呼ばれたのはこの能力のためだもんね。キリルくんの血を爆弾に変える能力みたいに戦い向きじゃないから……」
「その表現は的確じゃない。いつも言ってるだろう。血を爆弾にするんじゃなくて、空気中の酸素分子、窒素分子、二酸化炭素分子に、水分子を加えC3H5N3O9、つまりニトログリセリンを精製する能力だ。そして強引な分子の結合によって生じた余波で衝撃を与えて起爆させてる。用意する水分子は血じゃなくても、汗でも唾液でも構わないんだ。そのためにペットボトルに水を入れてきたんだから。そもそも爆弾の歴史は火薬の歴史であって、薬学や化学の分野では一八四六年にイタリアで化」
「あ……ええと、ごめん。私勉強が苦手でキリルくんの言ってること一文字もわからないかなぁなんて……」
「要は空気と水分を爆弾に変える能力ってことだ。ほら、空気はいたるところにあるだろう。水分だけ用意するんだよ、俺は」
「そうだね、空気はあるもんね」
ダリアはその場でスーハーと深呼吸をした。それがどこか間抜けに見えてキリルは苦笑をもらす。
「おい、いつまでやってるんだ」
「あ、ごめんごめん! つい楽しくなってきちゃって。この人を浮かせて運べばいいんだよね。斥力! ……あれ? 斥力!」
「どうした?」
「効かない」
「は?」
「この人に私の能力が効かないの」
「お前なぁ……」
不調なのか何だか知らないが、ほとんどこのためだけに自分に同行することを許しているのに、それがうまくいかないのでは戦闘の足手まといであるダリアを連れてきた意味がない。キリルの嘆息にはそんな意味がこめられていた。
皇帝のクリムゾンによる『使える』『使えない』の人材分別のための人選ではあったのだが、一方で実際に二人に協力して物事に臨む姿勢を養ってほしい、助け合って生きてほしいという願いもエカチェリーナにはある。もちろんキリルたちはそんなこと想像もしていないが。
「はぁ。もういい。こいつは俺が担いでいく。おい、せめてこの袋に入れるのを手伝え」
「う、うん……。ごめんなさい……」
キリルが腰に巻いたカバンから取り出したのは寝袋のようなサイズ、材質の袋だった。ジッパーが頭頂部までしまるタイプのものだ。これで隠しながら運ぶことができる。キリルは夕華が入った袋を肩に担いだ。いわゆる俵抱きとか俵担ぎとか言われるやり方だ。
「とりあえず任務完了だな。後は対象者を運んで飛行機に積むだけだ。ダリアも覚えているだろう? 来るときに乗ってきたネバードーン航空と書いてあるやつ」
「うん! 私ヒコーキ初めてでびっくりしちゃったよ!」
「……俺もだ。孤児院はそんなお金に余裕のあるところじゃなかったし、孤児院に行く前は……いや、なんでもない」
「ふふ、言わなくても大丈夫だよ。きっと私も似たようなものだから」
そう言ってダリアがぺろりと服をめくり上げ腹を見せると、そこには無数の鞭の跡があった。傷自体はとうの昔に受けたものなので治っているし痛みはない。だが、止血の間もないほど繰り返された内出血は皮膚に色素沈着を引き起こした。この跡が消えることは一生ないだろう。
驚いたキリルはしかし目を逸らさない。ダリアが言うようにキリルの服の下も大差ないからだ。
「大人はいつもそうだ。能力があるからって勝手に気味悪がって、暴力を振るう。コイツみたいに無能力者のまま大きくなった奴が羨ましいよ。どうせ愛されて育ってきたんだろう」
キリルは倒れているナツキをつま先で軽く小突く。先の爆発で焼け焦げた学ランがジャリ……と音を鳴らして崩れ落ちた。当然、その下の皮膚も火傷を負っている。
「だから、そんな俺たちを救いあげてくれたエカチェリーナ様には絶対に報いないといけない」
「そうだね。ガイコクに行くのは初めてで私とっても怖かったけど、エカチェリーナ様に頼まれた任務だもの。絶対に成功させなくっちゃ」
「ああ。お前はとにかくビビりすぎだ。この無能力者の野郎だって全然大したことなかったじゃないか。軍人である俺たちの敵じゃない」
「うーん……おかしいなぁ。この人からは何だかエカチェリーナ様や皇帝陛下と似た空気感を感じたんだけど……」
「ダリアの勘違いだろう。お前は俺と違って弱っちいからな」
「むー! そんなことないもん! 私の方がまだ勝ち越してるし!」
「よし、じゃあ帰国したら再戦だからな!」
子供らしく騒ぎながらダリアとキリルは夕華を運んで飛行場へと向かった。倒れるナツキは放置して。
元々孤児だった二人にとって、自分たちを救いあげて大事に抱き締めてくれて役目や生きる意味を与えてくれたエカチェリーナは何よりも大切だ。もちろん彼女に託された任務も。だからこそ妨げるナツキのことは害しても構わない。残酷なようだが、まだ幼いダリアとキリルの二人にとってそれは実に明快な論理だった。
無邪気な子供の好奇心は猫を殺す。そんな故事成語を体現するかのごとく、失神しているナツキに対して、普段は心優しいダリアでさえ納得をしてしまったのだ。別にナツキの命などどうなってもいい、と。
事前にダリアたちが人払いをしていたので、通行人がまったく来ない。夏の夜空の下、生ぬるい風に包まれる。放置すればするほど「手遅れ」になってしまう確率は高まってしまう。
合計、四時間。夜が更け、青白い稲光を纏った少年がやって来るまでナツキはそこに放置され続けたのだった。