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第101話 中二病の卒業

 ショッピングモールで美咲の膝で寝ていたのは、睡眠というよりも失神の延長だった。鳥男に無様に敗北した結果だ。一方で保健室で休む現在はと言うと、ここ最近の能力が覚醒しない悩みによる夜更かしと不眠の分の反動が大波となってナツキを襲ってきていた。

 家では夕華に何を言われてもナポレオンはショートスリーパーだったなどと言い訳して目にくまができたことも放置していたのだが。たしかに睡眠不足はナツキの身体に蓄積されていたのだ。


 それを証明するかのごとく、結局ナツキは保健室のベッドで放課後まで寝てしまっていた。氷嚢を当てているので寝返りが打てず寝苦しかったことには違いなかったがそれを上回る疲労と睡魔。

 能力が覚醒しない劣等感や、夕華にこれからも心配をかけてしまうような生き方を自分は選び続けるであろうこと、また、自分が能力者になった場合に夕華に気味悪がられるのではないかという危惧。精神的な疲労だけでも三重苦である。それに加えて、珍しいことにナツキは手ひどく敵にやられた。現状無能力者でしかないナツキにとってその身ひとつで能力者たちと戦う生活は決して楽なものではない。


 眠りは深く、身体は泥のようにベッドに沈む。頬にできた裂傷の痛みも全身の打撲の痛みも全て飲み込むように、夢すら見ないほどに深い眠り。心と体の不調や悩みを取り除こうとする生物としての防衛機制。

 保健室の掛け時計の長針がひと回り、ふた回り……。さらに何周もして。テスト返しの合間を縫って夕華が時折ナツキの様子を見に来るも、眠りに落ちたナツキは目を覚まさない。溶けた氷嚢を新しいものに交換したのも、掛け布団代わりにしていた薄いタオルケットをかけ直してあげたのも、額に浮かんだ汗の粒をふき取ったのも、すべて夕華だ。

 そんな愛ある細やかな気遣いにいつもなら飛び起きて夕華に礼を言うナツキも、ぐっすりと眠ったまま。それほどまでにナツキにかかっている負担は大きなものだということだ。


 最終的にナツキが目を覚ましたのは、夕方の六時。いつもなら洗濯物の片づけや夕飯の準備を始めている時間である。登校してきたのがギリギリ午前だったことを踏まえると優に六時間以上寝ていたことになる。いくらテスト返しや通知表配布、校内大掃除に時間がかかると言っても、今日は部活動もないので生徒たちは残らず下校していた。教職員も怒涛の一学期が終わり、仕事もひと段落ついて早々に帰宅したものも多い。学校に残っているのは残業している一部の教員とナツキだけになっていた。


 いつも通りならこの時刻まだ夕華は学校にいる。だったら急いで下校しなければならない。はやく夕食の準備をして仕事で疲れた夕華を迎え入れる支度をしなければ……。

 勇んでベッドを這い出て、枕元に畳んで置いていた学ランとマフラーをひったくり纏おうとしたとき、足元がふらついて思わず床に手をついてしまった。自分が思っている以上にどうやら身体にガタがきているらしい。

 そのとき、学ランを引っ張った拍子に何やらヒラヒラと紙が舞い落ちてくることに気が付く。それは一枚のメモだった。おそらく学ランやマフラーに挟んであったのだろう。



『今日は仕事がはやく片付いたので夕飯は私が作っておきます』



 見間違えるはずがない。筆跡が夕華のものであるとナツキは瞬時に見抜く。

 実際に夕華の仕事がはやく片付いたわけではない。三年生のために地元の高校の入試傾向や偏差値のデータを集めたり、保護者会の準備をしたり、夏休みの各部活動によるグラウンド使用のローテーションを組んだり。そうした事務仕事は夕華のような新人教員に押し付けられる。夕華自身悪しき慣習だとは思いつつも生徒たちのことを想うとむしろ自分から手を挙げるほどに積極的だった。

 でも今日だけは。先輩教員たちには弟が体調を崩したから早退きしたいとでっち上げた話を伝えてあったのだ。本当は夕華に兄弟なんていないのに。


 静かな保健室でひっそりとそのメモを読んだナツキの目から一筋の光が流れ落ちる。ゴシゴシと袖で目元をこする。最近は心が軋むような日々で、もやもやとしていた。でも、夕華の果てのない優しさに思いを馳せると、そんな(もや)がたちまちに霧散していくのを感じた。


 荷物をまとめ保健室を出て、下校する。

 帰り路、結局学校には睡眠をしに行くだけになってしまったな、と自嘲気味に笑う。七月ともなると日が長い。午後六時を過ぎているのにまだ陽は落ちていなかった。


 夜と夕方の狭間。オレンジとネイビーの絵具を灰色の空にぶちまけて、かき混ぜたような黄昏時。まるで今の自分みたいだ。

 能力者になりたいのか、なりたくないのか。異能バトルを続けたいのか、やめたいのか。理想の自分でありたい。夕華を悲しませたくない。裏表の関係にある何もかもが、丸ごときっと自分なのだろう。今の空みたいに両方の気持ちが綯交ぜになって両立している。


 心なしか歩調がゆっくりになった。もう少しこの空を眺めながら歩いていたい。学校から自宅までの見慣れた通学路を外れて遠回りして、公園で遊ぶ子供たちの騒ぐ声に耳を澄ましてみたり、時々ふと立ち止まって空を見上げてみたり。


 中二とは、思春期とは、そういうものなのだろう。時に矛盾する気持ちを抱えて。時に最短の道なんて行かないで。時に知らない誰かの声を聞いて。

 心はいつもぐちゃぐちゃだ。だけど同時に、どんな形にもなれる可能性を秘めている。暗い気持ちになる日もあるだろう。つい最近の自分がそうであったように。でもその暗澹たる闇夜のような心の黒は虚無の黒じゃない。可能性という全部の色をかき混ぜた結果の黒だ。未来の選択肢という名の黒。



「ナツキ、おかえりなさい」



 いきなり声をかけられて、ナツキは名前を呼ばれたというのにどこか他人の事のようだった。それからほんの数秒。ああ、自分のことか、と立ち止まって振り返る。沈み行く夕陽が逆光となって真っ赤に照らした。

 振り返った先にいたのは買い物袋を提げた夕華だった。袋の上部から長ネギや大根が顔を覗かせていてスーパーに行ってきたことが察せられる。先に学校を出て、夕食の材料を買いに行っていたのだろう。その時間差によって偶然二人の帰りが一緒になった。ナツキは手を突き出して言った。



「持つ」


「ええ。ありがとう」



 それから二人は特に会話もなく歩いた。しばらくすると公園に出る。公園と言っても遊具があるようないわゆる子供の遊び場ではない。サッカーコートほどのため池を囲うようにランニングコースが整備されていて、さらにその外側では植林や花壇などさながら植物園の様相を呈しているのだ。地域住民の憩いの広場という役割である。池の水質が良いのかカワセミのような珍しい鳥がしばしば訪れるのでこの辺はバードウォッチングを趣味にしている人も少なくないようだ。


 街の大通りと住宅街の間を遮るようにこの池が位置しているので、帰宅するにはどうしてもここを通らざるを得なかった。交通量の多い大通りの騒音が住宅街にまで及ばないようにと配慮された都市計画である。花壇の多さは駅前と同様で、もしかしたら市長か誰かにそうした趣味を持った人物がいるのかもしれない。


 また、他の道よりも街路灯が多いこともこの公園の特徴のひとつだろう。前述の通り池の外周はランニングコースになっているので、深夜のジョギングやウォーキングも行いやすいようになっている。

 そしてその街路灯がチカチカと点滅してからボワアと点灯するのを二人は歩きながら無言で見上げていた。視界の端に夕華の横顔が見える。一旦気が付くと一層気になってしまうもので、完全に夕華の方を向き見惚れてしまっていた。


 ナツキは買い物袋を握る手に力を込める。

 理想とか、憧れとか、恐怖とか、自分らしさとか。思春期なりに中二病なりにたくさん考えた。これからどうすればいいのか目一杯に悩んだ。その上で、変わらず根底にあるものを再確認する。



(やっぱり、夕華さんが悲しむところは見たくないな)



 この人は他の何を犠牲にしてでも自分を助けてくれるし思いやってくれる。そんなかけがえのない人を蔑ろにしてまで自分の胸にある自己実現やアイデンティティは大切なのだろうか。しばらくゆっくり歩いて冷静に考えて、わかった。自分が本当に大事にしなけれないけないのは何なのかを。


 これっきりにしよう。能力者に憧れるのは。



(後でナナさんにも連絡をしよう。俺はもう星詠機関(アステリズム)を抜けると。そもそも、能力なんて持っていない俺のような一般人が異能バトルしようというのが間違いだったんだ)



 そう、一般人。普通上等。もう異端でありたいという願いも捨てる。異端であろうとした結果としてこの人を傷つけたり悲しませたりしたら本末転倒なのだから、と夕華の方を見つめながら自分に言い聞かせる。

 

 中二病の卒業。それは誰にだっていつかは訪れる。本気で思いを書き殴ったノートが黒歴史として葬り去られる瞬間。現実を直視して、かつて抱いた理想を諦めて、地に足をつけて本当に大切なものを見失わないようにする。子供と大人の狭間から抜け出して大人になるのだ。


 これで全部解決した。能力者は愛する相手に気味悪がられる? だったら能力者になんてならない。能力者と戦ったら死の危険がある? だったら能力者とは戦わない。普通でいいのだ。無能でいいのだ。その代わり、一番大事なものだけは取りこぼさないように。


 ナツキが黄昏ながらそんなことを考えたその瞬間。



 ドゴンッッ!!



「夕華さん!!」



 買い物袋を投げ捨て咄嗟にジャンプし夕華を抱きかかえるようにしながら地面に転がる。風を切る轟音で身体が即反応した。砂埃が晴れるのを待つ。さっきまで二人が立っていたところに、くの字に折れ曲がった街路灯が逆さまで刺さっている。



(まさか、飛んできたのか……!?)



 長いランニングコースの直線部分、ナツキと夕華が歩いていた進行方向のその先に、人影があった。距離があるので判別はつかないが、たぶん二名。



「ダリア、能力はもっと丁寧に使え。クリムゾン皇帝陛下はユウカ・ソラカワという女性を無傷で連れてこいとおっしゃっていたんだぞ?」


「じゃ、じゃあキリルくんがやってみなよ! 引力と斥力を操るのってすっごい頭使うし制御大変なんだよ!」



 否応なく、ナツキは異能の世界に巻き込まれていく。

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