第100話 残酷な世界で眩しいあなた
「おい、エカチェリーナ様だ……」
「ああ、綺麗だ、あれこそ戦乙女だな」
「俺たちの勝利の女神様だ……」
兵士たちが口々にエカチェリーナを讃えている。皆観戦に集中していたため来訪に気が付かなかったのだ。
悔しそうな表情でナイフを下げたキリルはエカチェリーナを睨みつけていた。どうして止めたのだ、と言外に述べている。エカチェリーナはフッと穏やかに笑い、剣を鞘に納め、ナイフを握るキリルの手を両手で包んだ。
「きみのその小さな手は大切な人を、そしてこの国の誇りを守るためのものだ。仲間を徒に傷つけるためのものではない」
力なく腕をだらりと下げたキリルは申し訳ありませんと静かに呟き片膝をついてしゃがんだ。上官に対しての儀礼ではなく、王族への儀礼である。そんなキリルの頭を撫でながらエカチェリーナは言った。
「だが、良いナイフ捌きだったぞ。研鑽を積んでいるのがよく伝わってきた。頑張っているな」
「あ、ありがとうございます……」
いつもツンケンしているキリルの照れている顔など初めて見た。アンドレイは思いがけない光景に瞠目する。周囲ではアンドレイの同僚たちが『俺も撫でられてぇ』『羨ましい!』などと騒いでいてうるさい。
「エカチェリーナ様、わ、私はどうでしたか?」
「ああ。ダリアも立派に戦っていたな。もう少し戦い全体を組み立てる戦術眼は鍛えないといけないが、物怖じせずに果敢に戦う姿勢は戦士だったぞ」
「へへ……ありがとうエカチェリーナ様」
ダリアに呼ばれて振り返ったエカチェリーナは目線を合わせるようにしゃがんで同じようにダリアの頭も撫でた。気持ちよさそうに目を細めるダリアの姿に、アンドレイ以外の屈強な軍人兵士たちも癒される。
審判を務めていたアンドレイの上官が駆け寄ってきてエカチェリーナの応対をする。
「エカチェリーナ様! いらっしゃるなら迎えを寄越しましたのに!」
「現場の訓練の視察にいちいち連絡を入れる指揮官がどこにいる?」
「し、しかしですな。あなた様は偉大なるロマノフ王朝の直系姫君であらせられます。もしその御身に何かあったら私は、残り僅かな余生を後悔と羞恥にまみれて生きていかねばなりません」
「ありがとう。その愛国の精神に敬意を。だが、戦場では皆が対等だ。王族だろうと農民だろうと撃たれれば死ぬ。それに違いはない。だから私は少しでも皆と同じでいたいんだ」
まるでつい最近、王族の身分が通用しない相手に叩きのめされでもしたかのようにエカチェリーナは切なそうな顔で呟く。彼女はそれをすぐさま切り替え、軍部を預かる将の顔つきになると、跪いているアンドレイの上官に何やら呟いた。
そして彼はあろうことか自身の名を……アンドレイ・アヴェルチョフ一等兵の名を呼んだのだ。
「わ、私でありますか」
まさか自分に用向きがあるとは思っていなかったので反応が遅れる。しかし上官の命令は絶対。これが軍の鉄則だ。仕方なしに演習場を横切るようにエカチェリーナたちのもとへ急いで向かう。
「昨日ぶりだな。アヴェルチョフ一等兵。今日も励んでいるのだな」
「いえ。さすがに日帰りでアメリカから戻ってきて昨日の今日ですので、上官からは休暇をもらっております」
「でもきみは今こうして演習場に来ている」
それは単に周りがそうしているから合わせただけだ。集団の規範、組織の力学、人間関係論。ともかく、ただでさえ他よりも身体能力やら何やら色々と劣っている自分はあまり悪目立ちをするべきではないと考えただけのこと。かつていじめを経験した自分がようやく学んだ世渡りの術、処世術である。
「今朝登城してきてな。きみが持ち帰ったデータを見て陛下は大層お喜びだったよ」
「ク、クリムゾン皇帝陛下が……」
アンドレイは彼女がクリムゾンに対して複雑な思いを抱いていることを知っているので、苦虫を潰したような表情を見てリアクションに困ってしまう。
そばで話を聞いていたダリアとキリルは『こんな弱っちそうな奴がエカチェリーナ様や皇帝陛下に褒められるほどの活躍をするなんて』と似たような感想を持ち、意外そうな目でアンドレイを見ているが、当のアンドレイはそれに気が付かなかった。
「ついてはダリア、キリル。……言いづらいのだが、お前たちに指令が下りた。陛下直々の指名だ。あの国に潜入するならば幼子の方がよい、とのことだ」
「それは光栄です! 私、頑張ります!」
「潜入、ですか。場所は?」
直々の指名という部分に反応してキャッキャッとダリアは飛び跳ね喜んでいる。その度にブロンドのおさげがぴょこぴょこと揺れた。一方でキリルはクールに任務内容について質問している。二人の対照的な様子にアンドレイは思わず苦笑を漏らした。
「日本。陛下は日本にいるとある人物の身柄を所望している」
「にほん?」
「シベリアの南部にある東の島国で、正式名称は大日本皇国。我らがロシアと同じで国連には与さず、君主制を敷いている大国だ」
ぽかんとしているダリアのキリルが教えるように説明する。学のないアンドレイも『そんな長い正式名称だったのか』とキリルの知識量を感心した。ダリアとキリルのコンビは意外と相性が良いのかもしれない。
「対象者の名前等のデータは後から送信する。今は急いで準備をし出立するよう、陛下は仰せだ」
「はい!」
「了解しました」
「すまない、手伝いに行ってやってくれるか?」
宿舎へと駆けだしたダリアとキリルを追いかけるようにアンドレイの上官もこの場を立ち去った。残されたのはエカチェリーナとアンドレイの二人きり。
「本当は、あんなに小さな子供を戦場に駆り出したくはないんだ」
ぽつりと。自分を責めるようにエカチェリーナが口を開く。
「二人とも捨て子でな……。幼いうちに能力が覚醒してしまって、親からひどい虐待を受けていたらしい。その後は別々の孤児院に引き取られた。そして幸か不幸か、あの子たちの能力は強力だったんだ。だからネバードーン財団の魔の手が伸びた。思想的にも身体的にも子供はいくらでも都合よく育てることができるからな。そこに私が横槍を入れて、強引に軍に誘ったんだ」
「それは、以前話されていたご友人の……」
「ああ。彼女が……バーバラが連れていかれたときには私はまだ世間知らずのお嬢様だったからな。交渉もできない。動かせる人間の数も多くない。王族の姫君など名ばかりで実際は何の力も持たない子供だったんだ。だから私は地位を手に入れた。信頼できる部下たちを得た。自分だけの情報網を得た。最低限、ネバードーン財団などという巨大組織に屈せずにすむくらいにはな。でも……」
「でも?」
「あの二人を見ていると本当に自分の選択が正しかったのか今でも思い悩んで苦しくなる。子供というのは国の宝だ。財産だ。それを勝手に軍に入れて、未来を閉ざすような真似をして……。アンドレイ・アヴェルチョフ一等兵、きみはどう思う? やはり私は間違っていたのかな……」
「……おそれながらエカチェリーナ様。生まれながらにして自由な人間などこの世界に存在しませんよ。親、環境、国籍、言語、肌の色、遺伝子、性別、我々は何一つとして自分で選択できません。あなたが王族としてこの国の未来のために励んでいるように、俺が能力なんてものに覚醒して軍に入れられたように。誰もが与えられた自分らしさの中で足掻いて藻掻いて精一杯生きるしかないんです。世界って残酷なんですよ。……そんな残酷な世界であなたの優しさは眩しいくらいだ」
「そうか、きみは志願兵ではなくて……」
「それ以上は言わないでください。というか、指揮官がそんな申し訳なさそうな顔を下っ端の部下に見せちゃダメですよ。俺は後悔していませんから。まあそれなりに、ここでも楽しくやってますし。それに、俺たちが頑張るとあなたの夢の実現に近づくんでしょう? だったらもうちょい頑張れそうです」
「すまない。そしてありがとう。この間もそうだったな。きみの言葉は私の胸にすっと入ってくる。…………クリムゾンの奴が言っていたことも近い未来では強ち間違いじゃなくなるのかもしれないな……」
「何か言いましたか?」
「いいや。なんでもない。時間を取ってしまってすまなかったな。私が言えた義理ではないのかもしれないが、励めよ。そして死ぬな」
「ええ」
ここに訪れたときよりも晴れやかな表情になったエカチェリーナの言葉は力強く、どんな世界の美人よりもアンドレイには気高く美しく見えた気がした。
昨日も多くの方に読んでいただき、ブックマークをいただき、びっくりしております。
一月一日に百話なのは偶然ですが縁起が良いですね。
今後もよろしくお願いいたします!