第10話 中二病と男の娘
「ククッ、まさかこの俺が夕華さん以外の人と待ち合わせをするなんてな。しかし俺は凡人と違ってきちんと予習をしている。主人公が同性の友人と遊びに行く描写もアニメや漫画では決して少なくな……い……」
「黄昏くーん」
女の子が笑いながら手を振ってこちらに走ってくる。人違いか? それとも午前八時という集合時間ゆえにまだ頭が寝ぼけているのか? いや、今たしかに黄昏と言っていた。
(俺を黄昏暁の真名で呼ぶ人間などそう多くない。ということはまさか……)
「おはよう黄昏くん。ごめんね、ちょっと髪がうまくまとまらなくて。遅くなっちゃった」
「い、いや、俺もついさっき来たところだ」
「そっかぁ、良かったあ。待たせたらどうしようかと思ったよ」
会話の流れからしてこの人物が待ち合わせしていた英雄であることはなんとなく察しが付く。しかし、そのファッションは普段の学ラン姿しか知らないナツキにとっては想像を絶するものだった。
すべすべとした太ももをあられもなく露出したホットパンツに、爽やかな白と青のボーダーのノースリーブシャツ、おまけにボブヘアの先を二つに分けて後ろで結び短いツインにしている。黄色や水色といったペールトーンのヘアピンで前髪を留めていてくりっとした二重の目がよく見える。いつもなら髪で隠れている白いうなじが朝の陽ざしに照らされて眩しい。
「じゃあ行こっか。せっかく朝早く集まったんだからいっぱい頑張ろうね。おー」
「お、おー」
元気よく腕を上げる英雄にナツキもつい合わせてしまった。ノースリーブ故、腕を上げると腋がモロに見えてしまい、同性であるにも拘らずナツキは思わず本能的に目を逸らす。これを直視した場合、自分の中の何か大切な箍が崩壊してしまう、と。
ナツキたちがテスト勉強の場所として選んだのはファミレスだった。今日は土曜日。常識的に考えて混雑することが予想されるが、それを見越しての午前八時集合だ。朝食がてら軽く何か注文しながらガラガラの店内で問題集やノートを開く。尤もナツキは特にテストのために対策するようなことはないので、英雄に質問されるのを待つという形式なのだが。
ナツキの私服はいたって「らしい」ものであった。涼しげな英雄に比して非常に暑苦しい。というのも、ローブのような服で全身を覆っているのだ。シャツやパンツが普通の男子中学生のような爽やかでスポーティーなものであるわけがない。眼帯やマフラーは相変わらずで、どこかのアニメで見たような黒いローブコートはマフラーよりも長く、膝裏にまで届いている。背中に剣を背負うだけでコスプレイヤーと勘違いされかねないほどだ。
ドリンクバーを注文した二人はそれぞれメロンソーダとホットのブラックコーヒーを注いできた。言うまでもなく前者が英雄で後者がナツキである。
「ねえねえ、問題集だとここの問題はこの公式を使ってるんだけど、その前の単元で出てきたこっちの公式を応用したら早く解けないかな?」
「さすが英雄は鋭いな。今回のテスト範囲は一見すると代数学と幾何学という二つの異なる単元を取り扱っているが、根底にある知識は共通しているんだ。だから相互に応用し合うことでいくつかの工程を省略することが可能になる。ククッ、ユークリッド様様だな」
このように、向かい合わせに座った二人は時に設問の話をし、時に雑談し、時にパフェを注文し、時間を過ごした。……もっぱらパフェを食べたのは英雄であって胸やけしたナツキは早々にギブアップしたのだが。
懸命に苦手な数学と格闘する英雄をナツキはコーヒーをすすりながら眺めていた。同じ学校に通い彼の学ラン姿を毎日見ている自分は男子だということを知っているが、店員や他の客たちは女子に見えているのだろうな、などと考えて。
(ちょっと待て、ということは俺たちはデートしているように見えているとでも言うのか?)
そもそも異性と二人きりになること自体、ナツキはあまり経験がない。唯一の肉親である姉のハルカを除けば夕華だけだ。それすら、うっかり学校外で他の生徒に見られたらマズいという理由で家などのプライベートな空間だけ。こうしてパブリックな場所で女子と一緒にいるというのは思春期のナツキにとって心臓に悪くもあり、嬉しくもあり。
(って、俺は何を考えているんだ! 英雄は男だ。同性だ。ただの友達だ。いいか黄昏暁、見かけに騙されるな。太陽も星も動いちゃいないんだ。コペルニクスを信じろ)
「? 黄昏くんどうかした? ボクの顔をじっと見つめて……」
「いやなんでもないぞ。邪魔して済まないな」
「なんだか少し混んできたね」
「そうだな。もう十二時半か。昼食時ともなると個人客より家族客やカップル客が多くなるからな」
自分で言っておいて、言い終えたナツキは「カップル客」という言葉に照れた。周囲から見れば自分もそっち側なのだと理解してしまって。そして話題を逸らすように英雄に呼びかけた。
「もう四時間以上も経つし今日は一旦切り上げるか? 別の場所に行ってもいいが」
「うん。たしかにちょっと疲れちゃった。えへへ、でも集中してると四時間も一瞬だね。黄昏くんと一緒にいるからかな」
指を絡めてもじもじするな!! と内心叫びながらナツキはコーヒーの残りを一気に飲み干して伝票を掴み立ち上がった。この笑顔になら一万でも十万でも払ってやる、と意味不明に男気が暴走していることにも気が付けないまま。
「と、とりあえず支払いしてくる! 英雄は先に出ててもいいぞ」
「ううん。あのね、黄昏くんのおかげでこの間あいつらから今までのトモダチ料が返ってきたんだよ。今日のことだけじゃなくて今までのことも含めてお礼したいから、ボクに払わせてくれないかな」
「気持ちは嬉しいが……。だからって俺が英雄にこの場を全額任せるのは金をたかっていたあいつらと大差ないんじゃないか?」
「でも黄昏くんのことだから今だって自分が全部払おうなんて考えてたんじゃないの? 黄昏くんに払わせちゃってるボクもあの不良たちと大差ないって思う?」
「ぐぬ……。思わんな。たしかに」
すっかり言いくるめられて肩をすくめた。こういうとき人間関係があまり広くないナツキは弱い。
自己犠牲をしている気はないのだが、自分がなんとかすることで事態が恙なく進行するのならそれで構わないと思ってしまう。もっと集団生活に揉まれていればそんな考え方はキリのない破滅的なものだと理解できるだろう。だが普段は自由な格好をして不良や教師にも臆さず傍若無人に過ごしているナツキは、逆に身内としてラインの内側にいる者のためなら多少の無理も無茶もする。このラインが一般人よりも狭い分、顕著にそうした行動が現れてしまう。
「でしょ? それはなんでだと思う?」
「……わからん」
英雄も立ち上がり、伝票を掴んでいるナツキの手に被せるように自身の手を乗せて軽く握った。
「それはね、ボクと黄昏くんが本当の友達だからだよ」
正面から真っすぐに、ナツキの眼帯をしていない方の黒い瞳を見つめた。
この後、店を出るまで二人に会話はなかった。だが二人は言葉を交わすことなくある一つの想いを共有した。それは今この瞬間に自分たちは対等な関係になったということである。友達、という関係に。
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