後編
山路が冬月から電話を受ける10分ほど前。
私立有栖川学院。基本、裕福な家庭のお嬢様が通う女子校である。
政宗の妹である澪華、涼香の妹である神奈が通っている。
2人は中等部にある中庭にあるベンチに腰掛けていた。放課後という事もあって、中庭にはそれなりに生徒がいて、雑談などを行っている。
「……澪華。中学生に、その下着はちょっとどうかと思うのだけど」
神奈は澪華のスマホを覗き込み、注意を促した。
スマホの画面に映されているのはランジェリーを販売しているサイトだった。澪華が見ている下着は、大人向けの物で大事な所は隠さず、穴が空いている状態のものであった。
しかも黒でスケスケである。
勿論、中学生が付けるようなものではない。
「ギャップ萌えと言うのがあると、本に書いてた」
「ええ。その単語は聞いたことがあるのだけど、中学生がその下着を穿くのは、ギャップ萌え云々では無くて、背徳感しかでないと思うのだけど!!」
「背徳感……良いね」
「あ」
神奈が止める事は出来ず、澪華は商品をカゴに入れて決算画面に進んだ。
「……澪華。どんな本を読んでるの」
「『義理の兄を墜とす100の方法~実践編~』」
「その本は、直ぐに廃棄処分する事を勧めたいッ」
神奈は溜息を吐いた。
「澪華は本当に政宗の事が好きね」
「――私は兄さんとずっと一緒に居たいだけ。その方法が、恋人とか、妻とか、だから、私はそれを目指す」
「……仮定の話だけど。政宗が他の女性と結婚したとして。その女性が澪華と政宗が一緒にいていいと言えばどうなの」
「構わない。兄さんと一緒にいられるなら、兄さんのお嫁さんの、奴隷でも、ペットでも、サンドバックになったっていい」
「――それはそれでどうかと思うのだけど!! それじゃあ、逆に引き離されて政宗と会えなくなったら?」
「分からない」
「――分からない?」
「うん。とんな行動に出るか、自分でも、分からない」
顔を横に向けて神奈を見る瞳からは光が落ちていた。
政宗から澪華が自分に対する依存振りを訊いてはいたが、これは重傷……いや重体だと、神奈は感じずにいられなかった。
2人の間に、義理の兄妹以上の何かを感じてはいる。だが、それが何であるかは、神奈は訊いていない。プライバシーに踏み込みすぎていると判断した結果だ。
それは政宗や澪華にしては有難い気遣いである。
まさか正直に『異世界に転移した先の魔王を斃した勇者が俺で、魔王の娘が澪華』なんて言っても信じて貰える可能性はかなり低い。神奈も、言われたとしても信じられるかと言えば無理だ。
澪華のスマホのメールの着信音が鳴る。
「さっきのサイトのコンビニ決算のメール」
「――なら、コンビニに行きましょう」
「駄目。迎えが来るまで、学園内で待機するように指示が来てる。コンビニ決算は数日余裕があるから大丈夫」
「今日は週刊誌の発売日なのッ。気になっている連載中の作品を見たいのッ」
「……・スマホで見れば良い」
「駄目よ。私はまだ子供だからって、スマホで読んだ物は、家の者に回覧履歴をチェックされるの」
「神奈なら幾らでも誤魔化せる」
「――バレた時に怒られるじゃない。涼香姉様に怒られるとキツイのよ」
三大財閥の一つ花京院家は、先祖が異能者を取り込んだことで、何かしらの能力を持つ子供が生まれる事となる。
神奈の姉である涼香は重力を自在に操る。重力操作された状態で、正座&説教のコンボは神奈が苦手とするものの1つであった。
その神奈が持つ異能「0と1の支配」。電子を自由自在に操る事が出来た。神奈がその気になれば、どんなハッカーも破れない強固なセキュリティーを施している所も、自宅に入るような要領で侵入することが出来た。
その為、澪華が言ったように、その気になればスマホで見た回覧履歴を、誤魔化す事は造作も無いことであった。ただし、そんな事に異能を使ったことが知れたら、涼香からのお説教が待っている。
「……なら、私のスマホを貸してあげる」
「私。人のスマホは使えない病なの」
「――大丈夫。神奈がどんな雑誌を見ても気にしない」
「澪華って意地悪よね」
「意地悪じゃない。私は、一応、神奈のボディガード」
涼香のボディガードである萃が、政宗の力を見込んで、アルバイトとして神奈のボディガードをしないかと誘われた事が始まりだ。
兄である政宗が頻繁に家を空ける事が多くなり、結果として澪華と一緒に過ごす時間が激減したことで、精神的に不安定になった澪華が、少し暴走した。
紆余曲折あったものの、同じ学校に通っていた縁もあり、平日は澪華が、休日は政宗と澪華が時々ボディガードをする事に落ち着いた。
勇者であった政宗は言うまでも無いが、魔王令嬢にして女神マティアスが次世代の魔王にと想定していた澪華である。スペックはかなり高い。ただ弱点として、戦闘経験が圧倒的に少ないという所があるが、通常のボディガードをする分には問題無い程度だ。
「実はコンビニで売っているスイーツが食べたいの」
「それじゃ、私が買ってくる」
「澪華が買いに行っている内に、私に何かあったらどうするのよ?」
「学院内は安全」
「分からないわ。澪華が買いに行ってくれてる時に、もし隕石が落ちてきて直撃するかもしれないでしょう」
飛行機に乗った場合に、事故どうこう言い出す人のような事を神奈は言い出した。
「お願い!」
「なんでそんなにコンビニに行きたいの?」
「別にコンビニじゃなくてもいいの。最近、なんでか厳しくて、家と学院の往復だけ。休みの日も家から外に出ることも出来ないッ。籠の中の鳥も、外で飛びたい時もあるのよ」
「……神奈なら、理由分かるんじゃ」
「調べたら分かるけど、……涼香姉様が恐いから無理」
遠い目をしたいう神奈。
補足しておくと、別に涼香と神奈の姉妹仲は悪くは無い。逆に良すぎるぐらいだ。だからこそ、姉の涼香を怒らした場合の怖さは、身を以て知っていると言っても良かった。
だから、自己利益の為に異能を使う事は極力避けていた。
「――しょうがない。学院の前にあるコンビニで良い?」
「ええ。ええ! 構わないわ。ああ、澪華をボディガードにして本当に良かったぁ」
「なんだか複雑」
溜息を吐いた澪華が立ち上がると、続いて神奈も立ち上がる。
有栖川学院の車道を挟んだ目と鼻の先に、二階建てのコンビニがある。一階は普通のコンビニで、二階はイートインコーナーとなっているコンビニだ。
コンビニ内は、有栖川学院の制服を着た生徒の他にも、会社勤めのスーツを着た人達もいる。
「――それじゃ、澪華はコンビニ払いね。私は雑誌コーナーで立ち読みを」
「今更だけど、神奈の立場でコンビニで立ち読みしたら、怒られるんじゃない?」
「……だ、大丈夫、よ。きっと。うん」
自信なさげに視線を彷徨わせながら神奈は言った。
ここまで連れて来た以上、神奈が怒られた場合は、自分も同じように怒られようと覚悟を決めた澪華。
「私から離れないように」
「もちろん」
澪華はまずコンビニに設置されているATMへと向かう。注文したランジェリーは高い為、手持ちの残金では足りないためだ。
後ろについてきていた神奈は、ATMの横にある雑誌コーナー。棚に置かれている青年雑誌を手に取り読み始めた。
ATMから金を下ろす作業は直ぐに終わった。直ぐに移動しようと澪華は考えたが、神奈が真剣に雑誌を読んでいたので、少しだけ待ってあげる殊にした。
しかし、突如として澪華の肌が反応した。それは悪意だ。
魔王令嬢であった澪華は、悪意に敏感だった。それは肌で感じるほどにである。
草臥れたコートを着た男の前に移動した瞬間。
「――ッ、あ」
腹部に痛みが奔る。
澪華の腹部にはサバイバルナイフが1つ刺されていた。
直ぐに澪華は反撃をする。右手を勢い良く繰り出す。死なない程度に手加減した攻撃。
しかし男は少しだけ後ろに下がり、澪華のパンチを回避する。そしてコートの内側からリボルバーを取り出して撃つ。
バン。バン。バン。
破裂音にも似た音が三発分、コンビニの中に響き渡った。
「 …… ッ」
「化物の妹の護衛は、やはり化物か。「S&W M500」で、身体に穴が空くだけなんてな」
澪華は地面に膝を付いた。床には、血がポタポタと落ちる。
「澪華! お前、よくも澪華にっ」
「その目。気に入らないなぁ。花京院涼香の目を思い出して、イライラさせやがる」
銃口が神奈に向く。引き金が引かれ、もう一度、破裂音にも似た音が木霊した。
瞬間。澪華は魔力により強化した掌を射線上に置いた。
掌には穴が空き、血肉が神奈の顔や服に少しかかる。
店内は蜂の巣を突いたような騒ぎになっており、慌ててコンビニから逃げ出して客や店員がいた。
「あ、ぁ、澪、華」
「大、じょう、ぶ。だから、神奈、泣かないで」
痩せ我慢である。
澪華は魔王令嬢であり、父親を超えるほどの圧倒的な魔力を保有しているが、それを放出して使用する事は出来ないで居た。理由は世界が違うからだ。
向こうの世界では女神マティアスの魔法式の元で、魔法を発動することが出来たが、地球は女神マティアスとは別体系のため、異世界の魔法式では地球で使用する事は出来なかった。
ただ魔法式を使用しない肉体強化等は使用できたため、澪華は肉体強化を常に行っていた。
そのため「S&W M500」に撃たれても、身体に弾丸の穴が空く程度で済んだ。そうでなければ、一発でも撃たれた時点で、澪華は死んでいたハズだ。
神奈もただ泣いているだけではなく、スカートのポケットの上に片手を添える。スカートに中に入れると感づかれる可能性がある為だ。神奈の異能を使えば、触った電子機器を頭の中で直接操作する事が出来る。神奈が最初に送ったのは、澪華の兄・政宗へだ。
「おい。妙な真似をするな。どんな丈夫でも、頭をぶち抜かれたら、死ぬよな」
「何も、してないわ」
「お前ら、化物一族は何もしてないようで、何かするだろう」
神奈はスカートのポケットの上から手を放した。送れたのは政宗だけだが。きっと対応してくれると神奈は信じていた。
それよりも神奈は、男の顔を何処かで見た事があった。
「――貴方、見た事あるわ。確か、涼香姉様を誘き出して殺そうとして返り討ちにあった、間抜け、名前は、確か、悪津重護、だったかしら」
データベースにアクセスして見た事があった。
それを聞いてクッククと笑い声をあげる。
「ああ、お前の姉に全てを壊された男だ!」
「自業自得。因果応報よ」
「ああ。そうだな。俺を殺さなかった事で、大事な妹が殺されるんだ。因果は巡るもんだなあ」
「――っ」
「本当にその目ぇ。苛つくな。お前の姉を思い出す」
忌々しげに重護は言う。
ふと、視線を神奈から重体の澪華へと向けた。
「その護衛は大事か」
「――当たり前でしょう」
「そうかそうか。なら、ちょっとした余興をしようぜ」
*********
悪津重護がコンビニに立て籠もり30分が経過した。
立て籠もり案件を扱っている警視庁刑事部特殊犯捜査第1係が臨場し、悪津重護を追っていた特殊犯捜査第5係も招集されていた。
現場は物ものしい雰囲気に包まれている。
「山路さん。遅いですよ」
「これでも早く来た方さ。で、状況は?」
「電話で言ったとおり、人質は一階にいる花京院家のご令嬢と、そのボディガード。二階に取り残された客数名いるようですが、下手に騒がなければ安全だと考えているようです」
「……どうだろうなぁ。悪津は何か要求をしてるのか?」
「花京院涼香を呼んでこいと。それを繰り返しているだけです」
「で、連絡はしたのか」
「まだのようですね。呼ばずに解決できるのなら、したいのでしょう」
「花京院が関わってる、」
山路は足を止めた。
強い殺気を感じた為、振り返った。
こちらに一直線に向かってくる3人組。
花京院涼香。そのボディガードである百鬼萃。そして桐生政宗だ。
周りにいる本来止めるべき警察官達は、威圧感と殺気に飲まれた事で動けずに居た。
「お嬢。落ち着け。まずは冷静になれ」
「無理よ。あの男は、二度も私の大切な人を人質にして、私を誘き出す愚策を打ってきた愚図。今度こそ殺す」
「いや、殺すのはマズいぞ」
「萃。心配しないでいいわ。私の家の専属弁護人はとても優秀だから、愚図の一匹殺した程度なら、無罪を勝ち取ることは可能よ」
「あーーー、政宗も、お嬢を止めてくれ!」
萃から話しを振られた政宗だが、座った目で答える。
「涼香お嬢様。あの男は、レイを傷物にしたヤツです。俺が半分殺します」
「……そうね。貴方にも十二分にする資格があったわ。まずは貴方が半分殺して、私が半分殺す」
「ええ。ありがとうございます」
「いや。2人とも、落ち着いてくれ!!」
萃はなんとか2人を留めようとするが、2人とも止まる気配がまるでない。
なんとか止めようと周りを見回すと、萃と山路の目が合う。合ってしまった。
「刑事さん。ちょっと止めるのを手伝ってくれ」
「若者のエネルギーは圧倒的だなぁ。おじさん、臆しちまうよ。冬月の方はどうだ」
「無理です。花京院の令嬢に手を出して怪我でもさせたら社会的に死にます。あの男子学生の方は――無理ですね」
「だよなぁ」
「いや、刑事さん、諦めずに、本当押し止めてくれ!!」
「しょうがない」
溜息を吐いた山路は、突き進む涼香と政宗の前に立ちはだかる。
「お久し振りです、涼香お嬢様」
「あの阿頼耶識輝夜と懇意にしている刑事――。確か宮永山路、でしたね」
「訂正させて貰えれば、別段懇意にしてませんよ。仕事上、仕方なく付き合いはしてますがね」
輝夜と山路の付き合いは長い。それはまだ輝夜や、「何でも屋」を始める前、まだ阿頼耶識輝夜と名乗る前、まだ何能力も持たないただの女子中学生だった頃からの知り合いである。
だから、それなりに付き合いはしている。
警察では無理な怪異事件などは、どうしても輝夜のような人物の力を借りる必要があるためだ。
「それで――私の前に立ちはだかると言うのなら、容赦しません」
「一応、伝家の宝刀『公務執行妨害』というのが、こっちにはありますが」
「使って見ます?」
柔やかに笑顔でいう涼香。
「ハッハハ、使いませんよ。俺は定年まで刑事を続けるつもりなんです」
「そうですか」
「ただ。万が一、何か事があった場合、責任は取っていただきたい。それさえして貰えるならご随意にどうぞ」
「いいわ。もし何かあった場合は、私が全責任を取りましょう」
その言葉を聞き、山路は道を空けた。
怨みがましそうに萃は山路を見るが、全責任を取ると明言された以上、山路は涼香のしようとする事を止める気はなかった。
下手に止め、後々に上から文句を言われたらたまったものじゃない。
「山路さん。勝手にして良かったんですか? 私達はあくまで遊撃。ヘルプみたいなものですよ」
「特殊1係から文句が来たら、花京院のご令嬢に言うように言っておいてくれ。責任は全部取るって言ったんだから、それぐらいの雑務は熟してくれるさ。それよりも、万が一に備えて悪津が逃がさないようにきちんと周りを整備しておけよ」
「はい。山路さんも働いて下さいよ」
冬月は敬礼して他の場所走り出した。
山路は一度大きく溜息を吐くと、ギリギリまで前へと進み、コンビニ内部を見守ることにする。
涼香、萃、政宗の3人はコンビニへと入った。
店内は普通に電気が付いていて、客がいない事を除けば、いつものコンビニと変わらない。
はレジカウンターに座りおにぎりや弁当、サンドイッチを無造作に食べている。『CHIMERA』の影響もあり、通常状態でもカロリー消費が多くなっていた。
重護は入ってきた涼香を見て獰猛な笑みを浮かべ、レジカウンターから降りた。
「会いたかったぜ、花京院涼香ぁ!」
涼香と重護の視線が合う。
まず先に行動を起こしたのは涼香だった。地面を蹴り、拳に重力の固まりを作り出す。曰く『重力拳』
重護に叩き込もうとしたが、拳は途中で止まる事になる。
涼香と重護の間に、割って入った人物が居たためだ。
「澪華、ちゃん」
「……ぅ……ッ」
澪華はフラついている。ただ、その姿は涼香が知っている姿とは違っていた。
頭から血のように深紅の色をした螺旋状に捻じ曲がった角があり、角膜は白から黒へ変色、瞳は赤色へと変わっている。
「まさか。まさか。澪華ちゃんに『CHIMERA』を飲ませたのッ」
「人聞きが悪いな。自らが飲んだんだぜ。なぁ」
目を真っ赤にして涙を流している神奈は、重護を睨みつつ頷いた。
確かに澪華は『CHIMERA』を自らの意思で服用した。否、それしか選択肢は無かった。「S&W M500」を神奈に突きつけられた状態では、飲むしか無かったのである。
また澪華が飲んだのは、まだ市場に出回ってない新型タイプ。どんな作用があるかも分かっておらず、効果を確かめる為には、澪華に飲ませたのだ。
「ぁ……兄――サン……」
「レイ!」
苦しそうに呻き、フラつく澪華。
「ほぉ、兄妹か。本当なら花京院涼香と闘わせ、殺させようと思ったが……。余興だ! 兄を殺せ!」
「……ッ。にい、サン、ヲ、殺、ス?」
「そうだ! 殺せ!!」
「屑がッ」
涼香は重護を睨み付けるが、それを受けても嘲笑するだけだった。
ふらり、ふらりと、一歩、一歩、澪華は重護に言われるまま、政宗の元に向かっていく
そして政宗の正面に立つと立ち止まる。
「――レイ。お前の好きにしろ。お前になら、殺されるのも、悪くない」
「 、 ッ」
「どうした。何を躊躇っている。さっさと殺せ!」
澪華と政宗の視線が絡み合う。
政宗の目を見た澪華は、魔王城において勇者としての政宗を幻視した。魔王を斃したことに対して喜びはなく、ただただ後悔をしているような目。
父親の血を浴びていたレイリアの前に、膝を付き、泣きながら謝罪を口にする勇者。そんな政宗を前にしてレイリアは一言を告げ、それを政宗は受け入れた。
その事を思い出し、澪華は怒りを覚えた。大事な人を自らの(澪華)手で殺させようとする、『CHIMERA』に含まれる魔物達の意思に対してだ。
「――っさい」
「なに?」
「うるさい。うるさいうるさい!! 私は、魔王ルシファレム・カレンドスターの娘。レイリア・カレンドスター!!! 雑魚の、お前達が、魔王の娘たる私にッ、命令するな!!」
細胞に膨大な魔力を流し込むことで、『CHIMERA』による細胞の変質と意思を抑え込む。
「な、に、がぁぁぁぁああ」
同時に重護は大声を上げた。
重護の身体が膨らみボコボコと音を立てながら変異を始める。
これは『CHIMERA』の最新作の影響である。
最新作の『CHIMERA』は、主従関係を作り、軍隊を形成できるようになっていた。主従は魔術ラインで繋がり、主の思考指示に従うことになる。だから、先ほど涼香が重護に攻撃をした際、澪華は重護を護るように立ちはだかった。
しかし最新作故に実験が完全では無く、まだデメリットが全て明らかになってなかった。
デメリットの1つが、従者にした者が強力な者で意思を無視して反逆してきた場合だ。魔術的ラインを逆に使用する事で、主に対してダメージを与える事ができる。
『CHIMERA』は魔物の血肉や骨を使用して造られている。
世界が違えど、澪華は魔王の娘。魔物達の王の娘。時期、魔王になる予定だった存在。その人物が怒っている。
澪華に投入された『CHIMERA』は畏れ、その原因に怒りを向けた。重護に対してだ。
本来は制禦できるものが、魔王令嬢たる澪華の怒りに反応して、魔物たちの細胞が暴走を始めたのである。
「――ッ。あっ、ァアアアァァァ」
腕はオーガのように膨らみ、頭には角、背中から翼、お尻からは何種類かの尻尾が現れる。
「キサマァァァア。オレ、ニ、なにを、シタァァァァア」
大声を上げ、オーガのような豪腕を澪華に向け、殴りかかろうとした。
涼香は斥力を発生させて、攻撃が澪華へ届かないようにするが、その必要は無かった。
政宗が強い眼差しで睨み付けた。その瞬間、重護の意思に反して、細胞が攻撃を止めた。魔物の細胞が恐怖を感じた為だ。
それは仕方が無いこと。政宗は異世界で数多の魔物を屠り、魔王を斃した勇者。例え世界は異なっていたとしても、魔物としての直感が、ヤヴァイと感じた。
重護は身体を反転させて、おにぎりや弁当を置いてある棚を思いっきり殴り破壊した。
澪華の魔力に反応して暴走する魔物達の細胞は、勇者である政宗の存在を感じ、全ての魔物の意思が逃げの一手を選択した。――本体の重護の意思以外。
今の重護は、制禦の効かない車に乗っている感覚だろう。
コンビニの壁を破壊した重護は、外に出ると背中から生えた翼を広げて皿へ逃げようとする。
「私の勝ちです。今夜の居酒屋で奢って下さいね」
2つの斬撃が重護から生えている翼を刈り取ると、バランスを崩して重護は地面に倒れ込んだ。
冬月の持って居るのは強度に問題がある仕込み刀。翼を2つを斬っただけで、折れてしまった。
いつもの重護なら反撃するだろうが、今は指1つ自分の意思で動かすことが出来ないでいた。身体は冬月を気にすること無く、起き上がり今度は足を使って逃げようとした矢先。
「仕留めきれてないんだ。割り勘さ」
二階建てのコンビニの屋上から、重力を感じさせないように重護の背中に山路は着地した。
重護を中心として波紋状に衝撃波が拡がる。
ダメージは相当あるためか、重護は血を口から吐いた。
「二倍ぐらい生きてるんですから、年下と飲みに行って割り勘ってどうなんですか」
「……お前と飲みに行くと、高い酒ばかり飲むからイヤなんだよ」
「他人の金で飲む酒が美味しいんです」
「阿頼耶識と同じ事を言うな」
「あ、少しは出します。あの女に一緒くたにされるのは、私の人生の汚点となるので止めて下さい」
「ァッァアアアアァア」
背中に乗っている山路を振り払った。
山路は近くに着地する。
「『脚震』を喰らってまだ動けるか」
「あの姿ですから、防御力・体力ともに怪物なのでしょう」
動き、逃げようとする重護は地面へとめり込んだ。
重護の重力が数百倍まで上昇した。涼香の異能の力である。
音を立てながら地面にめり込み、重力は更に増していき、万倍を超え、重力崩壊が起きた。小規模のブラックホールを発生してしまう。
それでも涼香は止めない。萃を攫い、神奈まで危険な目に遭わせて、重護を生かしておくつもりは更々無かった。
「おい、お嬢。止めろ。さすがにマズイ」
「……」
「涼香姉様。おちついて!」
萃と神奈に言われ、涼香は手を下した。
発生した小型ブラックホールは消え去り、残ったのは瀕死となった重護が呻くだけ。
「……政宗。貴方はどうする?」
「いいです。妹を傷つけたアイツは殺しても殺したりませんけど――。今は妹が大事なので」
「そう」
涼香は頷いた。
「兄、さん」
「レイ。大丈夫か」
「――うん。あの薬の効果で、傷は治ったみたい」
手や服を少しだけ捲り刺された部分を見せる。
そこには掠り傷1つ無かった。
「……兄さん。1つ約束して。私より長生きして、私を独りぼっちにさせないで」
「ああ、分かった。――ただ、俺はお前の本当の」
「あの人の事は気にしてない。あの人も、いつか誰かに殺される事は覚悟していた。それがたまたま兄さんだっただけ。兄さんが最後の相手だったから、あの人も逝けたと思う」
「……そうかな」
「うん。だから、あの時の約束と、今の約束。絶対に護って」
「ああ。分かった。『家族』のお前を悲しませるような事はしない」
「ありが、とう、兄、さん」
「レイ!」
「ちょっと疲れたから、眠る――。兄さん、手、繋いでいてくれる?」
「ああ」
「ありが、――……」
お礼を言い切る前に澪華は目を閉じて眠りに落ちた。
澪華が眠ったタイミングで、様子を見ていた神奈は政宗を目の前にして頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「?」
「私がいけないの。我が儘言って、コンビニに行きたいって言ったから、澪華がこんな目に。だから、ごめんなさい!! 今回の事で、貴方や澪華が私のボディガードを辞めたいのなら」
「辞めませんよ。それにきっとレイも。オレ達兄妹は神奈お嬢様を、大切に思ってますからね」
「ッ。あり、ありがとう」
「あ、1つだけ良いですか」
「えっ。ええ。なんでも言って」
「――今回の件を気に病んで、レイに対して余所余所しくせず、今まで通りに接してあげて下さい」
「わっ分かったわ! 澪華は私にとってとても大切な人だもの」
目から涙を流しながら、神奈は首を縦に振った。
警察官たちが慌ただしく動いている。
地中深くに重力で押し込められた重護を引き上げるため、重機が導入された。
その様子を1人の警察官の服を着た男が、スマホで何処かにかけながら、達観した面持ちで見ていた。
「悪津は瀕死の重体のようです。は。新型『CHIMERA』を使用したサンプルが欲しいから、悪津を連れてこい? いやいや無理ですって。絶対に警察が厳重警備の元で護送しますよ。確かにあの監獄に入れられたら俺も手出しは難しいですがね。いや、それでも。わかりました。わかりましたよ。なら、何人か腕利きを寄越して下さい」
ニャルラトホテプと呼ばれている男は、スマホを切ると盛大に溜息を吐いた。
「あー、めんどうくさい。秘密結社になんて入るものじゃないなぁ」
それでも男は、なんとかして重護の身柄を警察から奪取する計画を頭の中で練る。
無茶な難題を言われても、男は従う。
男は死にたくない。天寿を全うしたいという、ただ小さな欲望を持って生きている。
天寿を全うするなら電話先の相手の言うことを忠実に聞いて、ご機嫌を取り、利用価値がある事を示し続ける事が、一番だと思っていた。
「本当、世知辛い世の中だ」
その日の深夜。
悪津重護を護送車は、何者かにより襲撃され、悪津の身柄は奪われることになる。