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5.兄ジェリスの怒りと母の半生

お待たせいたしました。









 翌日、マリアが朝食に降りたときには、父は既に出掛けたあとだった。


 

 お父様、本当にお忙しいのね

 でも、いつ話して貰えるのかしら?


 お父様が直接話すと仰ったのだから、お母様が話してくれるとは思えないし…………



 その日一日、ずっとそのことばかり考えていたせいで、講義をまったく聞けていなかった。



「お兄様、ちょっといいかしら? 」


 とっくに帰宅して、工房で香水を作っていた兄は、何も言わずに作業を中断してくれた。


「ステファンのことなんだけど……」


「だろうね。父上からは何か聞けたかい?」


 昨晩マリアが、父に突進していったことを既に知っていたらしい。


「いいえ、まだよ。でも、全部話してくれると約束してくださったわ」


「そうか、マリアも少しすれば高等部に入るんだ、早すぎることはないと思ったんだろうな」


「そんなに大変なことだったの? 」


「そうだよ。王室も関わっているからね」


「でも、たとえそうだとしても、私の婚約を私本人に黙っている理由にはならないわ」


「父上も母上も、そしてお祖父様も、とてもつらい思いをしてこられたんだ。子どもの私達に、同じ思いをさせたくないと思うのは間違っているかい? 」


「間違ってはいないけど、でも…………」


「お前の気持ちもわかる。何も知らないうちにお前自身のことが決まっていたんだからな。

 それでも納得してもらいたいんだ。両親もステファンも、お前を蔑ろにしたわけじゃない。むしろ、お前を大切に思ってそうしたわけだから」


「そうかもしれなけど、でも、」


「………マリア、逆にお前に聞きたいことがある」


 苛立っているような兄の声音に、途中で口を閉じる。


「なぜそこまで、ステファンとの婚約話に拘る? 

 婚約自体お前は知らなかったし、既になくなった話だ。当のステファンが仮とはいえ、両親も認めた婚約を断ってきている。お前にとっては何もなかったのと同じだろう? 」


「それはそうだけど、でも私の気持ちが……」


「マリア!」


 とうとう兄が怒った。

 穏やかな兄に怒られるなんて、8歳の時に、兄が作った香水を瓶ごと投げ棄てた時以来だ。


「お兄様? 」


「……大きな声を出してすまない。ただ、もう少しステファンの気持ちも考えてやってくれないか」


「ステファンの気持ち…………」


「そうだ。今更お前に、婚約を望んだ理由と諦めた理由を知られて、あいつが喜ぶと思うかい? 俺にも言わなかったお前との約束を、今更あいつから聞き出すつもりか? お前がスッキリしないからといって? 」



 …………確かにそうよね……私、自分の気持ちしか考えていなかったわ……



「あいつは、俺が呆れるくらい努力してきたんだ

 どうして、あいつが皇太子の第一王子の側近に選ばれたと思う? 同い年の第二王子ではなく、未来の王たる第一王子の側近に抜擢されたのは、あいつがそれだけ優秀で努力家だったからだ

 その努力がお前を振り向かせる為だったなんて、王子達もご存知ないだろうがな」


「だって、私の為だったなんて思いもしなかったのだもの。次期ジェスキア公爵として頑張ってるとばかり思っていたの」


 はぁぁぁ


 兄の溜め息が痛い


「もちろんそれもあっただろうさ。だけどな、12年だぞ? 12年もあいつは精一杯努力してきた。そしてようやく諦めることが出来たんだ

 自分に振り向かないお前への気持ちに、やっとの思いでケリをつけたあいつを、これ以上追いつめないでやれ

 受け入れる気がないのなら、それがお前が出来るせめてもの思いやりだ」


 そう言って作業に戻っていった、兄の背中に礼を言って自室に向かう。



 私、バカだったわ。お兄様の言うとおりよ

 ステファンだって、たったの5歳だったのよ?

 そんな子どもの頃の約束を、律儀に守って大切にしてきた彼を、忘れた私がどうして責められるというの?


 彼がもう忘れたいというのなら、黙って知らない振りをしてあげるのが、私のするべきことよ



 昨日から燻っていた怒りは、熾火すら残さず冷えて消えてしまった。



『ステファンはもうお前を伴侶に望んでいない』


 また、父の言葉がよぎる。



 とても足が重いわ まるで鉛のよう



 自室のベッドに俯せて、また、どうしてこんなに空っぽな気持ちになるのかと考えていると、「公爵がお呼びです」とメイドが知らせに来た。





「マリア…………すまない」


 お父様は私をみるなり、顔を歪ませて謝った。


「お父様、どうして? 」


「……お前、自分がどんな顔をしているかわかっているかい?」


「 ? 」


「いや、いい……………私が間違っていたのか?」


 お父様が私に言うでもなく、ひとり呟いている。


「お父様? 」


「あ、いや。そうだった、全部話す約束だったな」


「ええ。お願いします、お父様」


「そう……だな、まずフレデリカの生まれから話そうか────────


 知っていたつもりが、真実は私の想像以上に酷かった。


 お母様が、国庫横領の大罪を犯し、取り潰しとなった元ロイド侯爵家の生まれであることは知っていた。けれど、お母様のお母様、私のおばあ様をいびり殺されていたことまでは知らなかった


 しかも、おばあ様が存命だった頃から、お母様自身も虐げられていたなんて………籍を抜かれて平民になっていた時期があることも知らなかったわ


 なんてひどい、お母様よく………


 体が震える。


 一歩間違えば、きっと……

 お母様はここにはいらっしゃらなかった

 もちろん私も兄も



 ゼノア公爵家といえば「香水」と云われる、お母様の作る香水。それを、お金目的と憂さ晴らしの為に、足枷までつけて監禁し、お母様に作らせていたと聞いたときには、怒りで涙が出た。


「ロイド家は本当にお母様の家族だったの?」


 あまりのことに信じられなくて、お父様の話を止めてしまった。


「そうだよ。一時のことだったけれど、愛妾だったシルビア様に、元侯爵の心が傾いたことが正妻は許せなかったらしい。正妻の嫉妬が始まりだったんだろう。酷い仕打ちだったそうだよ。

 後継ぎが欲しくて、自分達がシルビア様を妾にしたにもかかわらずね」


「お母様はよく生きてこられたわね」


「そのとおりだ。お母様は凄い人なんだよ? 自分から侯爵家を逃げ出したんだ。そして、香り袋や香水を作って生計をたてていたんだよ。「香り屋」のセイラと一緒にね。

 セイラは、平民の暮らしを知らないフレデリカを助けてくれていたんだ」


「そうだったのね! 私、セイラおばさまを大切にするわ! 」


「ああ。是非そうしてくれ」



 なぜ、セイラおばさまを両親が恩人と呼ぶのか、やっとわかった。


 セイラおばさまがお父様に取り入っただの、公爵家が弱味を握られているんだのと、他の貴族達が私に聞かせてきたことは、全部デタラメだった。



 当然よ! セイラおばさまが、そんなこと絶対にするわけないもの!



「でも、監禁されてしまったのでしょう? どうしてお母様は助かったの? 」


「それを話す為には、私の生まれも聞いて貰う必要があるんだが、まだ聞けるかい? 」


「大丈夫。ちゃんと最後まで聞くわ」


「ダメよ」


「お母様!」「フレド」


 お母様が、お父様の執務室に入ってきた。


「マリア、お父様は明日も早いのよ? もう休ませてあげて。続きは私が話してあげるから」


 気づけば、時計は日付を越えようとしている。


「ごめんなさい、お父様。話してくださってありがとう、もうお休みになって?」


「ふたりともいいのかい?」


「「ええ」」


「ありがとう。マリアにとって大事なことなのにすまない」


「いいのよ、あなた。このところ、あまりお休みになられていないのだから、どうぞご自愛くださいな。マリアもそれでいいわよね? 」


「ええ、もちろんよ」


「そうか、ならわかった、そうさせてもらうよ」


「さぁマリア。お母様のお部屋にいらっしゃい」


「お父様、おやすみなさい」


「ああ、おやすみ。ありがとう」



 本当は、お母様の昔のお話でいっぱいいっぱいだったから、これで良かったのかも


 でもお父様のこれまでが、お母様と同じように悲惨だったら、私、聞いていられるかしら?


 

 お母様の後ろを歩きながら、冷たい汗が滲む手を握りしめた。








次回は父、シオンの半生をマリアが知ります。そして思わぬ出会いが。






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