れいこくで むじひな さいかい
時を同じくして、建設中である街を囲む外壁の見張り役はあくびをしていた。ぼやけた視界は、何度か瞬きをしてこするとようやく鮮明に映し出される。
たびたび、腹を空かせた魔獣が襲撃することはあった。しかし赤い狼と領主の側近たちの力があればそれは大した危機でもない。
そして今日は、そういう日だったのだろう。遠くから砂煙が上がる。それは移動していて、自然の風が成すものではないことが分かった。
「おい……ありゃなんだ」
別の場所を担当している男が見張り台の梯子を登り床から顔をひょっこり出す。手すりから体を出して下を見れば、街の者たちも異変に気付き砂煙の方向を指差していた。今日に限って、望遠鏡を修理に出してしまったことを悔やむ。
隣の男は腰に下げた望遠鏡を取り出し砂煙の方へと向けた。
「何か見えるか?」
「馬車だな……しかしなぜあんなに速度を出して……!」
彼は身を乗り出してこめかみに一筋の汗を垂らす。歯茎が見えてしまうほど、食いしばる顎は震えていた。
「奴隷狩りだ! 奴隷狩りに馬車が追われている!! ベネット様に早くお伝えするんだ!」
魔導師が開発したと言う、トランシーバーというものは各見張り台に取り付けられていた。水晶を押し込むことで起動でき、城の兵士と連絡が取れるというもの。これのおかげで魔獣にもいち早く対応できたのだ。
「こちら北西の見張り台! 大至急、ベネット様にご連絡を!」
望遠鏡から覗くことしかできない男はただただ、馬車のすぐ後ろを馬で追いかける奴隷狩りたちが追いつかないことを祈るばかりだった。
「トーマさん! 見張り台の方たちから連絡がありました。北西の砂漠でミドラスの……奴隷狩りが、馬車を追いかけているそうです」
「乗っているのは逃げた奴隷か、難民でしょう。私とドレアスで向かいます」
「俺も行くぞ!」
どこから出てきたのか、そしてその剣はどこから持ってきたのか。ユリウスは小さな体にとても似合わない身の丈ほどもある剣を抱えて走り寄る。
「奴隷狩りは傭兵落ちしたやつが多い、危ないから俺もいこう」
「うん、お兄ちゃんがいると頼もしい。移動魔術で馬車は城の前へ、ミドラスの方々はミドラスの国境へ送ります」
奴隷狩りが馬車に追いついてしまえば救出することは難しい、もしくは手遅れになることもある。生きたヒトを商品のように金品に変える彼らが馬車の中のヒトを手にかけることは考えたくはなかった。けれど、絶対にそうしないという可能性が無いというわけではない。
装備を整えて合流したドレアスと共に、砂漠へと移動魔術を展開する。
奴隷狩りの男たちを目に捉えたユリウスとドレアスは同時に飛び出した。馬の鳴き声、男たちが困惑しながらも獲物を逃すまいと叫んでいる。
剣と剣がぶつかり合う音が遠くで聞こえた。ベネットは一歩踏み出し、城内の石畳から足を浮かせて砂を踏む。トーマは馬の手綱を握る御者に呼びかけた。けれど、御者はあまりに怯え切ってトーマの言葉が何一つ耳に入っていない。ただ必死に馬を走らせるしかできなかった。
「ベネット様! このまま移動魔術を展開してください!」
ベネットにも御者がもはや正常な判断ができないことは遠目でも理解できる。
こくりと頷き、馬の走る方向に魔術を展開した。馬も御者も、目の前の砂が突然石畳に変われば驚くだろう。しかし止めることができないほどに加速した馬車は一直線に移動魔術の中へと吸い込まれるようにして消えた。
第一の目的を果たせたことを確認したドレアスはユリウスに撤退の合図を送る。なにも奴隷狩りの命を奪うことが目的ではないのだ。こういうとき、アオイがいたらきっと全員の息の根を止めていただろうな、とドレアスは身震いする。
攻撃を止めて目の前から消えた子供と女に奴隷狩りたちは狼狽えるばかり。あたりを見回しても砂煙で視界は不鮮明だ。ゆえに、突然足元の砂が消えたことは瞬時に理解しようもない。
奴隷狩りたちは叫びながら落ちていった。戦っていないベネットは汗だくで、息も乱れている。ふらつくベネットを抱き止めたのはドレアスだった。
魔術を使うことでこれほど疲労したことはない。この緊迫した空気によるものだろう。ベネットは、命の奪い合いを目の当たりにして息はか細く、全身の筋肉が強ばっていた。
「……お城へ、戻りましょう」
ドレアスにも、ユリウスにもベネットは視線を合わせなかった。いつも微笑みをたたえている姿ばかりを見てきた。その微笑みも、今はすっかり消えてしまっている。
すでに街の民たちは集まり、できうる救護にそれぞれがあたっている。毛布を持ち寄り、水や食料をかき集めて。
城の前へ戻ったベネットたちはやっと馬車の荷がなにであったか理解した。
十人、いや、それよりも多いだろう。あの小さな馬車に詰め込まれるようにして彼らは乗り込んでいたのだ。
「随分衰弱しています。一体どれほど逃げ続けていたんだ……馬もつぶれかけているので、もつかどうか」
兵士の一人がベネットに伝える。馬はその大きな体を横たえて口から泡立った唾液を垂らし、絶え間なく大きな呼吸を繰り返していた。
「移送中に馬車の中にいた彼が手綱を奪ってここまで逃げてきたそうです」
案内された男は、馬車の中にいたものたちとは比べて痩せ切ってはいなかったが、それでも頬はこけ鎖骨は浮かび上がるほど衰弱していることが分かる。たった一枚の雑巾のような布を体に巻いているような馬車の中にいた者たちには、その重さすら辛いであろう首輪を嵌められていた。
やはり彼らは、奴隷だった。
「あなたの勇気に感謝します……頑張ってくれて、ありがとう」
彼にとって、ベネットのその微笑みが、言葉がどれほど救いになっただろう。枯れそうなほど乾いた目元を涙が濡らす。ベネットの小さく真っ白な手を、手綱を握り続けて皮がめくれた両手で握りしめた。
「う、ぐっ……噂で、ここを、聞いて。でも、でもっ、砂漠という、ことしか……分からなくて」
「彼らを助けたのはあなたです、あなたの勇気がここへ導いてくれたんです」
男の手の平の血がついてもベネットは気に留めなかった。力が抜けた男の手から自分の手をするりと抜き出し、震える肩をそっと撫でる。
どれほど過酷だったろう。きっと何日も逃げ続けたのだ、眠ることもせずに。馬も彼も、息絶える前に見つけられたのは本当に奇跡だったと言えよう。
「ドレアス、ジェイソン、彼らに衣類と水を」
「水より白湯がいいね、トーマくん」
来るのが遅い、とトーマはアオイを睨みつける。赤い狼たちも集まり始め、馬を運び出したり水桶を抱えて置いたりとせわしなく動いている。その指示を出しているのは、アラシだった。
「トー……マ……ドレ、アス」
各々が自らにできることを、と走り回る音の中で自らの名前がやけに強く聞こえて二人は立ち止まった。一体誰が、と視線を彷徨わせれば、ぐったりとしている幼い子供を腕に抱いた少女の存在に気付く。
「ジェイソン……あとは、あとは、誰が、いるんだ」
なぜ自分たちの名を、とトーマたちは少女へ近寄った。
「サイロン……リペ……ユリ、ウス。お前たちも、いるのか?」
「まさか、君は」
心臓が跳ねる。恐れているものが目の前にある。この数十年、絶対に口に出さなかった自分たちの過去を、罪を知っている存在が。
「北西の、ゴブリンの集落を覚えて、いるか。焼き払うのは、簡単だった、ゴブリンは弱かった……小さかった。お前たちは、自分が焼いた村に生まれたことが、あるか!!」






