るいせんも まひするほどの さいかい
「子犬がキャンキャン吠えるな」
ぐっと口角が深くなり、隙間から牙が覗く。狼というのは本当にけんかっ早い、それはこの七年間で思い知ったことだが同族でこの仲の悪さはあまりにひどい。
街としてこの地を発展させるにあたり、それぞれにまとめ役を宛がい指示を出す仕組みを整えた。建築、狩猟、料理、備蓄、魔術の研究……急いで集まってもらった中に、もっともここに居てほしかったアオイの姿はなかった。
ファミがミドラスの内情を、サイロンが知り得る限りの他の国の情報を皆に伝える。皆一様に動揺を隠せないようだった。この地も戦争に巻き込まれてしまうのか、と頭を抱えるものもいる。
だからこそ、眉一つ動かさないものだけが異様に目立つのだ。
「……で? オレらは何をすればいい、脆弱なヒト族なんざ一捻りだろう」
一つの国、しかも軍事国家相手の言葉とは思えなかった。
「その傲慢さ……身を滅ぼすぞ。フリードリヒ、貴様だけでミドラスの軍は一つ潰せるだろう。だがな、その後はどうなると思う。ここへヒト族の国家が結託してドラグディムとアラルも攻め込む。貴様は街一つ滅ぼすために戦うのか」
フリードリヒやアラシ抜きでも、他の赤い狼だけでヒト族がいくら束になろうともきっとすぐに蹴散らされるだろう。しかし最後には数の多さがものを言うのだ。
「なぁ、なぜお前は使者なんて名乗ってここへ来たんだ? 狼種でさらに黒となるとオレたち赤毛のように希少で生まれついた力が強いはずだ。一緒にいた他の黒い狼たちとミドラスで高い身分にいただろうが。反乱を起こして軍を黙らせるなんて容易いだろう」
「仲間も……家族も、全てを奪われた。遅すぎたのだ!! 私は国へ戻り、内側から奴らの喉元を掻き切ってくれる」
「ここへ来た理由にはならん。まぁ察しはつく、魔導師を探しに来たってとこか」
ファミは言い返さない。この街の危機を知らせる、ということに偽りはなかった。だが本当は……魔導師の、アオイの力を借りるために来たのだ。
だがここにアオイはいない。皆がアラシに目を向けても、首を横に振るだけだ。アラシが探さない、ということは場所も分からないし遠いところに移動魔術でも使って行ってしまったのだろう。
「ミドラスへ、あなたを戻らせる気はありません。死にに行くという方をみすみす行かせはしません」
「何卒お願い申し上げる! 何卒……っ! 息子の、妻の無念を晴らすため……この命が代償だとしても国に、ジェロシアに一矢報いたいのです!!」
ファミの後悔がいかばかりかと思っても、それは本人にしか分からない。
「……あなたが命を落として復讐をすることを、奥さんや息子さんが喜ぶと思いますか。あなたは、愛した人たちがそう思うと、考えていますか」
「っ、それ、は」
だが彼の妻も息子も、もう生きていない。死者の言葉を語るのはおこがましいだろう、しかしベネットはファミを止めるためにそう語るしかなかった。
「ミドラスの……犬め!!」
「なにっ!」
「キャアッ!?」
言葉を失ったファミを見て、ベネットも息を一つ吐き目蓋を閉じた直後だった。頭上から子供の声が聞こえたと思ったら誰かに後ろへ引っ張られ倒れたのだ。目を開こうにも砂埃が部屋に充満していて、痛みで目の中が勝手に潤む。
「襲撃! 襲撃だ!!」
「は、えっ? 子供か!? エルフの……子供だ!」
叫んでいる兵士自身が、自分が何を言っているのか混乱している様子だった。たしかに、声は子供のものであったはず。そしてその位置から何かが落ちてきたのだ。
ようやく開けた視界には、皆で座っていた大きなテーブルが元の形を留めず八方に飛び散っている。一体どれほどの重さのものが落ちたのか、そうでなければあんな壊れ方はしない。しかし、落下したものが残っているわけでもなかった。
「随分と変わったなぁ、すごいすごい。そんなすごいところに……邪魔をするのは、お前か?」
子供はファミを見下ろす形で転げた椅子に乗り上げている。たしかに、金髪から覗いているのは長く尖った耳。口調は大人のようであって、呂律がまわりきっていない高い声色は違和感があった。
「ドレアス! 捕らえますよ!」
「おう!」
ファミの胸倉をつかもうとしていた子供へ、トーマとドレアスが同時に飛びかかる。
ようやく気付いたが、ベネットを後ろへ引っ張り下敷きになっているのはジェイソンであった。本人はいつものふにゃりとした笑顔を向けるが、ベネットは慌ててジェイソンの上から退く。
ひゅ、と移動する動きが見えないほどの早さで子供は飛びのく。トーマは寸でのところで踏みとどまったがドレアスは勢いがつきすぎてそのままファミの鎧に頭をぶつけていた。
「素早い……っ」
見上げれば子供はなんと、天井の照明の一つにぶら下がっているではないか。身体能力の高いエルフとはいえ、子供がここまで俊敏に動けるものかと尻餅をついて見ているばかりのものたちは開いた口が塞がらなかった。
「え、俺か? もしかして……俺が勘違いしてるのか」
軋む照明に揺られながら、子供は顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「ベネット様!」
トーマが叫んだ瞬間には、すでにベネットの目の前に子供が降り立っている。後ずさる暇も与えないまま、子供はベネットに手を伸ばした。
「ベネット、約束通り戻って来たぞ」
「えっ……? えっと……」
ぎゅっと両手を胸に当てて肩を竦めるしかできなかった。しかし語られた言葉はベネットの名前。そして戻ってきた、と。
「ん? あぁ……こんなナリだしな、分からないか。ユリウスだぞ」
「お兄ちゃん!?」
ユリウスを知らない者たちまで驚いたのは、名前に対してではない。ベネットが兄と呼んだことに驚いたのだ。だって、そう、年齢が明らかに合わないし、種族だってまるで違うではないか、と。
「団長!?」
「まじかよ」
「ちっちゃーい」
トーマに至っては瞬きも忘れて立ち竦んでいる。まさか気絶しているわけじゃないのだろうか、と心配した赤い狼が目の前に手をかざしてやっと我に返った。
「随分早かったのだよ、ユリウス」
「6さいだぞ」
「あれが6歳児の攻撃であっていいものか……」
あの瞬間、頭上から子供の声が聞こえた直後に落ちてきたのは子供自身だった。そして素手であのテーブルをたたき割ったところを数人が見ている。
可愛い口調と、可愛い見目で年齢を告げられても決して頭を撫でる気にはなれない。
「急に襲って悪かったな、ファミ。おまえ何しに来たんだ」
「あなたこそ……」
本来なら、ファミはユリウスと再会できたことに泣いて喜んだのだろう。それよりも驚きの方が大きすぎて涙も引っ込んでしまった。
まさか攻撃されるとは思っていなかったし、6歳のエルフの子供がどうやってここまで来たのか、と。
他国や森林地帯に赴くときは決まってベネットとアオイ、どちらかの移動魔術で行き来していたのだ。荷物に混ざって……ということも考えられたがここ三日は誰も街から出ていない。
「ジェロシアの呪いも消えてたし、記憶も思い出してまっすぐここへ走って来た」
「やべーヤツだ」
「ユリウスぅ、何日かかったの?」
「ジェイソン、突っ込むんじゃありません」
元勇者パーティーの仲間たちは容赦がなかった。
「いやしかし、ジェロシアの呪いが解けるとも考えにくいが……ともかく消えているようで安心しました。あなたを敵に回せば厄介ですからね」
「味方に付ければ何人力になるんだろうな」
「はは、お戯れを……おたわ、むれを」
にんまりとふっくらしたほっぺを持ち上げてユリウスは微笑むが、あれは子供の笑顔などではない。目が、笑っていない。冗談として流そうと思ったファミは言葉が小さくなるにつれて顔が青ざめていった。
そしてファミは、ジェロシアの厄介な呪いを解いたのが魔王であるベネットということも知らない。きっと知ってしまった瞬間に卒倒するだろう。
「俺はヒムリーフとマートリィの国境の村で生まれた、記憶が戻る前にそこら一体は焼かれ、大人はミドラスに連れて行かれた」
この場にいる多くのものたちは同じような境遇のもと、ここに集っている。だがファミから聞かされたミドラスの現状を鑑みれば、連れて行かれたというものたちは奴隷にされたのではなく殺された、と想像するのは簡単だった。
「残された子供や老人だけで生きてきた。記憶が戻ってなぜ襲撃されたかすぐに分かったよ。ダークエルフのスヴァラルだけじゃない、エルフのヒムリーフ、獣人のマートリィも全てが脅かされている」
この七年はとても平和だった。平和であったことがおかしいのだ。
外界から隔絶されたような環境で、日々与えられる無償の施しに甘んじていた。
危機を予感していたものはいたかもしれない。けれどこの穏やかな日々を壊したくないと見て見ぬふりを続けた。
けれど、まだ手遅れではない。
「ジェロシアは絶対にここへ攻め込むぞ。俺の転生がこれほどに早かったのは僥倖といえるだろう。奴の暴虐を終わらせてやる」
やさしい兄の姿しか見てこなかった。いつだっておいしい、おいしいと自分の作った料理を平らげてくれて。どんなに遅くなっても必ず家に帰ってきてくれた。
このヒトは誰だろう、と。その存在を遠く感じる。
子供の姿で、知らない顔で笑って、それでいてどうしようもなく惹かれるのに胸騒ぎばかりが大きくなる。
魔王と勇者は相対する存在だから?
だからこんなに胸の奥がざわつくの?
一層強くなるばかりの胸の痛みを、ただ押し殺すことしかベネットにはできなかった。






