とうぞくたちのらいほう
見張りとして城の最上階から遠くを眺めていた男は、胡坐の状態から素早く立ち上がった。魔導師から渡された望遠鏡を目一杯伸ばし、目に宛がう。獣人で、耳が良いからとこの役割を引き受けた。その耳が拾うのは砂を踏む音。巻き上がる砂の向こうに無数の人影が見えた。それらは徐々にその姿を浮かび上がらせる。
―――まるで血に染まった壁だ。
「盗賊だぁーッ!!」
見るのは初めてだが……見間違えようがない。噂通りだ。大きな体躯、あらゆる武器を腰に下げ、血に染まったように鮮烈な赤い毛並み。
「『赤い狼』が出たぞ!!」
同じ獣人としても『狼』と遭遇することはまずない。なぜなら、それらは世界を放浪しているからだ。盗賊として。ヒト族の軍をもってしても、長きにわたって捕らえることのできない野蛮な集団。
「なんだって?」
「まじかよ……絶対にアオイを連れて……っていねぇ!? あいつほんとなんなんだよ!!」
「ただの盗賊ならまだしも……赤い狼は、まずいですよ」
ミドラスにいたとき、何度もその名を聞いたことがある。実際、お目にかかったことは一度も無かったが。しかしその強さは聞いている。山道で荷を奪い、乗っていたものは一人残らず嬲り殺す。アラルでは何度か捕縛命令が出たと聞いたこともあった。多額の賞金を懸けて、腕に自信のあるものたちがこぞって彼らを追いかけたという。そして、一人も戻ってはこなかった。
「赤い狼のなにがまずいの?」
風のように駆けていったトーマたちに後ろから手を振って見送ったアオイはマテウスに問いかける。
「マーはこのとおり、獣人なのです。獣というからには、種類が分かれているのです。マーは猫種なのです。獣人の中では中の上の能力が生まれつきあります、嗅覚や聴覚、身体能力が長けているといったものなのです。中があるからには上があって……」
ふんふん、と頷きながら周囲を見渡せばマテウスのように獣の耳や尾が服の裾から覗いているものたちがちらほら見える。見慣れていなければ全てが同じように見えるだろうが、よく見れば耳が丸いのと尖っているの、尾がすらりとして毛の薄いものとふさふさと長い毛に覆われているものと違いは見て取れた。
「それが狼?」
「そうなのです! 獅子種や狼種は上の上なのです、そして凶暴……最悪です。狼種は黒毛、赤毛などが希少でありその色が濃いほど、能力も高いのです」
事態を深刻に考えているマテウスとは随分違って、アオイは警戒という色を示さなかった。帳簿を手にして単身、向かっていったあの時の恐ろしさの欠片も持っていない。もしかしたら、赤い狼に奪うだけ奪われて皆殺しにされるかもしれないというのに。
「どいつもこいつも真っ赤な毛並みをしてやがる……」
脅威は眼前まで迫っていた。ミドラスの精鋭部隊に奇襲を掛けられたときでさえ、死への恐怖は感じなかったというのに。
せっかく救った命を、守ると決めた居場所とベネットをこんなことで、己の弱さで失うというのか。少人数……せめて四人くらいなら、なんとかできたかもしれない。けれど彼らは壁を成して迫ってくる。その足取りがやけにゆっくりであることが不気味だ。急いで狩らなくてもいいとでも言いたいのか。
「どこかでベネット様やアオイの魔術が漏えい……したんでしょうね、きっとあいつです」
「ジェロシアか」
「城の魔術書が狙いでしょうか……それ以外に、奪うものなど」
アオイが巨大な移動魔術でも展開してくれて民たちだけでも逃してくれれば……この場にいないということは何か考えがあって残ったのかもしれない。そう願うしかなかった。
重い足が砂に沈む音が止んだ。ただ立ち止まってこちらを見ている。ボサボサの毛は目元も覆い隠し、どんな表情かも伺い知れない。獲物を定めて食らいつく心の用意をしているのか、城を観察してどこから攻めるかを思案しているのか。戦いにおいて、震えを感じたのはこれで二回目だ。アオイのように得体が知れないという恐怖ではない。狩られる獲物の、自分を食い殺そうとしている敵への、震えだ。
赤い壁から何かが近付いてくる。
「なんだ……あいつは……」
「あんな、巨体、見たことない……ドワーフよりも、大きい」
獣人、といっても体躯はヒト族とさして変わらない。むしろ、サイロンの方がヒト族にしてはあまりに大きすぎるのだ。ゆえに、サイロンを超える巨体など見たことがなかった。
赤い狼の一人一人が大柄であるにも関わらず、それらが子供に見えるなんて。
「新たな街ができている……と聞いたが、なんだ、なにもないし始められてもいねぇ」
全身を毛で覆った獣の姿に限りなく近い獣種の狼。尖った口がうっすら開き、発した言葉は聞き取れなかった。
「アオイ、来てない!?」
「あ゛ぁ!?あいつなら城だろ!!」
「えぇ~っ、来てくれないとかひどい!」
遅れて到着したジェイソンはこんな状況でも緊張感に欠けている。強張った体がようやく動いたから、良かったといえるのかもしれないが。
―――一瞬、強烈な風が吹き抜けた。
「わぷっ」
口に入った砂をぺっぺと必死に吐き出すジェイソンを、ドレアスならいつもの調子で怒鳴りながら「そんなの気にすんな」と言うだろう。しかしその怒声は飛んでこなかった。彼女の視線は、城を向いて呆然としていたのだ。
「……今なんか、通ってったよな」
気のせいだと思いたい。だが自分はあの色を見てしまった。風は、『赤色』だった。
「まずい……あちらにはベネット様たちが!!」
「お前は戻れ! トーマ!!」
こちらに注意を引き付けておいて、内部に突入させるとは。あの速さがまったく捉えられず、ドレアスによって気付かされた事実に奥歯を噛みしめる。構えた大剣の柄はミシリと軋んだ。
「チッ……勝手に行きやがった……おい、通せ」
「いやだ」
こいつは恐怖という感情がないのか? と巨体の赤い狼の前に立ちはだかるジェイソンが強く見える。だが、遮っている腕は震えていた。きっと、気を抜けばあいつは泣いてしまうだろう。
盗賊は50人、こちらはたった3人。ミドラスの時と違って、あっちは一人一人の強さが自分たちを越えているはずだ。もう、全滅を覚悟するしかないのか。
「ま、待ってくれ!」
拳に力を込めた直後、向こう側から制止の声が上がった。何に、誰に対する待ってくれなのか判断しかねるが、攻撃に飛び出そうとしていた足を止めるには十分だろう。
「頭目! だから最初に出るのは頭目じゃない方がいいって……」
サイロンと同じくらいの、ヒト族に近い顔立ちをした盗賊の一人が重そうな体を揺らして走って来た。髪で隠れていた顔は風でめくれて、なんとも言い難い……ぱっちり開いた目は垂れて愛らしさがちょっとだけ垣間見える顔の男が息を切らせて巨体の狼の隣に立つ。
「俺達は……確かに盗賊の赤い狼だ。だが、ここへは盗むためでも、危害を加えたいわけでも……」
その言葉にジェイソンは目を爛々と煌めかせながら勢いよく振り返る。しかし簡単に信じてたまるか。戻れ、と指先で合図すると渋々前方に向き直る。
「ならばなんだ、ただ通りすがったとでも? あれほど敵意をあらわにしておいて……」
返答次第ではいつでも振れるように待ち構えていたその大剣を容赦なく振るうのだろう。サイロンの声色は仲間であっても震え上がるほど怒気に満ちていた。
「なんだって? 敵意なんて……」
「その唯一の敵意が、今向こうに走ってったんだがな」
きょとんとした雰囲気はなんとなくジェイソンに似ている。不思議そうな顔をしてたれ目の狼は巨体の狼を見上げる。薄く開いた口からため息を吐いて、鋭い爪は城を指差していた。
「くそっ!」
ここで誰かを城に加勢させるべきか、この話そのものが油断させるためのものであちらが囮か。この赤い狼たちが何をしたいのかが分からない、盗賊らしくただ蹂躙されるだけならこっちだって迷わず戦った。自分たち3人ぽっち、簡単に捻りつぶせるだろうに。
「信じてくれ! 俺らは、ここに種族の違いなく受け入れてくれる領主がいるって聞いて…!!」
「えっ!?」
そしてまた、ジェイソンは嬉しそうにこっちへ勢いよく振り向いたのだった。






