きっと、なんとかなる(表紙有)
「み、んな……?どこ」
ぷつりと音が切れたのか、切れる音がしたのか、その直後のことだった。
空は血よりも赤く、大地は赤と黒のまだら。
呻き、目を開けることもかなわず地べたに縫いつけられるもの、呆然とあたりを見回すもの。
少女は、後者だ。
「兄さま……」
自らの左手を見る。こびりついた黒い焦げ。
それに似た黒は地面にも刻まれ……それらは、ヒトの形に似ていた。
おびただしい影が、広い大地に焦げ付いている。血のにおいはしなかった。
ただ、一度嗅いでしまうと忘れられない、ヒトの肉が焼けるにおいだと気付き内臓が引き攣る。
少女は、自らの左手の甲を見る。はっきりと、真っ黒く。
それは、ヒトの手の形をしていたのだ。
少女が呼ぶ、兄の。
**************
「……あれ?」
暗いのに眩しい。首を振ればそれが交互に襲い掛かる。たまらず自分の手で目を覆った。
「また、死んじゃったんだ」
少女は慣れていた。あぁ、まただ、と。
ゆっくりと体を起こし、周囲を観察する。そして自分の身体を確認する。
「誰も……いないの?」
語り掛けても、返事はない。暗がりにいくつか差し込む細い光のすじを見れば、埃か砂か、キラキラと揺らめいていた。
『廃墟』と言うべきだろうか。どうしてここで目覚めたのだろう。かかっていた毛布や自分に砂は積もっていない。
誰かに運ばれた、というにも寝台らしきこの台には自分の形がはっきりと残っている。石造りの寝台に手をつけば、手の平に砂と埃がびっしりついていた。
どのくらい時間が経ったのだろう。それなのに。
「お腹も空いてない……」
歩き出して扉に向かう。残ったのは、自分の足跡だけだった。
前世は服屋、前前世は建築家、前前前世は農家だった。その前も、そのまた前も、平平凡凡に生きてきた。
ただ、不思議なのはいつのときも長く生きられなかったこと。病気などではない。よっぽど運が悪いのだろうか……若くして事故に遭いすぎるのだ。
あぁ、また19年という短い人生だった……。お兄ちゃん、先立つ妹をお許しください。
――それにしたって、今回は変な転生の仕方をしてしまったものだ。
転生者である自分は死んだあと、いつだって赤ん坊から始まった。そしてある日ふと前世の記憶が蘇る。いつもそうだったのに、この体に覚えがない。この場所にだって。
鏡も水もないから、建物内を歩き回りながら自分の身体に触れていく。15歳くらいの少女、肌は白、髪は紫がかった黒髪……そして、ツノがある。
「羊みたい……獣人かな」
建物はやたらと広く、どれだけ歩いてもひたすら長い廊下と重々しい扉が交互に並ぶだけだった。しかしどの部屋にも、誰もいない。砂や埃だらけで、何十年……それ以上かもしれないけれど、ヒトが住んでいた形跡がまるでない。
自分が死んで何年経っただろう。でも、そんなに時間が経っていないうちに転生できていたら兄に会えるかもしれない。
「転生局に行かなきゃ」
それにはまず外に出なければ。壁伝いに歩き続けて、ようやく一際大きな扉の前に出た。これが外に出る扉であってほしい。
重い扉に体重を掛けて、砂で滑る床に足を踏ん張らせる。ギィ、という音を合図に力いっぱい押した。
扉は開いた、が。しかし――……。
「なに、これ」
外には出れた。こんなに大きな建物だったら周囲に家があるかもしれない。けれど、何もなかったのだ。
砂嵐のせいかと目を凝らして見れば、吹き荒れていた風はおさまった。力の抜けそうな足を叱咤して階段を降りる。ゆっくりだった足は勝手に走り始めていた。
走っても走っても、何もない。ヒトはおろか、家も、草木も、なにも。ただただ広い荒野があるだけ。
けふ、けふと砂埃にむせながらうずくまる。むせただけじゃない涙がぼろぼろと落ちていった。
本当に、自分は一人きりなのだ。
一人には慣れていると思っていた。
これもまた不思議なことに、転生するたびに生まれて間もなく両親と他界してしまうのだ。だから、自分はいつもひとり。前世も、同じだった。同じだったのに、そのときだけは兄がいた。長い長い転生を繰り返し、たったひとり、傍にいてくれた家族。
さみしさが体に染み渡り、寒さを覚える。震える肩を両手で抱きしめた。
自然と体は目覚めた場所に戻り、石造りの寝台の上で三日三晩ずっと泣き続けたのだった。
枯れなかった涙がようやく止まり、感じたのは空腹と喉の渇き。けれどそれはほんの少しだけ。三日経ってそれを感じるなんて。どんな種族に転生したのだろうと、ふと頭を掠めた考えはすぐに引っ込めた。
このままじゃだめだ、と寝台から上体を起こして深呼吸を繰り返す。外を見た様子ではきっと食べ物はおろか、水すら無いだろう。なにか保存食など無いだろうか、もう一度建物内を探すことにした。
大きなお屋敷。そう思っていたけれど、改めて外から見上げやっと理解する。
これは、『城』だ。
けれど城を守る城壁がない。それが必要ないくらいの平和な時代の建造物だったのだろうか。不可解なことはまだ多い。木が一本も見当たらないのは砂漠だからなのかと思っていたのに、地面には石畳の痕跡が残っている。砂に埋まってはいるが、煉瓦やかわらも発見した。
やはり、この城以外にも周囲に建物があり街があったのだ。川のようにえぐれている場所もあり、それはずっと遠くに繋がっていた。それを辿る、ということも考えたがいくら目をこらしても先が見えない。大人しく城内を探索して、何か良い方法を見つけようとため息をこぼすしかなかった。
一階から順に部屋のすべてを開けて調べる。布や家具やらと残ってはいるが、脆くなりすぎて触れただけで崩れてしまったものがほとんどだった。タンスの中や、箱にしまわれていたものはかろうじて無事ではある。質素な部屋、装飾が施された部屋、物置など決して少人数が住んでいたとは思えない。多くのヒトが暮らしていたのだろう。それが、なぜ。
考えても答えは無い。ここに誰が住んでいたのかも、ここがどの国に属するのかも知らないのだから。
三階までのぼり、やっと本に出会うことができた。もしかしたら地図とか、この城に関する歴史とかが書いてある本があるかもしれない。かすれて読めない背表紙を、やさしくなでる。見たことのない文字だった。一冊手に取り、そっと開く。
「……魔術?」
なんてことだ。今まで転生を繰り返してきたけれど、魔術など一度も使ったことがない。あぁ、せめて少しくらい勉強しておくんだったと項垂れる。別の本を取っても、同じように魔術、魔術、そればかりだった。全て目を通そうにもあまりに多すぎる。ここは後回しにしようと次の部屋へ足を進めた。
結局のところ、階段は八階まで続いていた。広い食堂や広間、調理場の名残もあったが使えそうなものは何一つ残っていない。無意識のうちに辿り着いたのか、目の前には書庫の扉があった。水を出したり、食べ物を出せるような魔術はないのだろうか……藁にもすがる思いで、もう一度扉を開く。
やはり文字が読めなかったので、挿絵の多い本を選び読みふけった。なんとなくこういう意味かな?と思う文字と単語を結び付けていくが読めるわけではない。これは使えるのではないか、と思う魔術をいくつか見繕う。
近くにいる動物の目線で周囲を見る魔術、遠くを視る魔術、移動できる魔術。ページをめくるたび、すごい、すごいと繰り返していた気がする。だって、使えないと思っていたから学ばなかった。魔術が使えないから日常に支障をきたすわけでもなかった。
ただ……魔術を使うヒトは、ほんの少し怖いと思っていたのだ。
なぜ、魔術を学ぶのかといえば、戦うためである。街中で衛兵が暴漢に魔術を使ったところを見たことがあった。小さな竜巻を起こして、縄を自在に操り、暴れる男に燃える手を押し付けて黙らせていた光景。ただ、おそろしいと感じた。街を守ることは大事だと分かっている。
だがあんな光景を見てしまえば、魔術の用途がそういうものだと思ってしまった。
けれど、何冊か読んでその考えは変わったのだ。水を操れば洗濯が楽になるとか、自在にものを浮かせてお片付けとか、身近に感じるものが多くこれが思い通りに使えれば楽しそうだなと感じた。
よし、と意気込んだはいいものの、魔術をどうやって発動するのかも知らない。使えるヒトたちは周りに丸い模様が浮かんでいたと、思う。あれはそもそもどうやって出しているのだろう。
本にも、同じような模様があるけど一体どうすれば……何度目か分からないため息に石畳の床の埃がふわりと舞う。解決策も講じられず、ぼんやりと本に描かれた模様を指先でなぞった。その直後。