これが、はじまりのいっぽ
「みなさーん!ご飯ができましたよ!」
「おなかぺこぺこー」
「今日はなんだろうな。こないだ狩ったオオワシがいたなぁ」
「オオヘビ肉の照り焼きです!」
今朝のジェイソンと同じ状態で、トーマとドレアスがひっくり返っているのをサイロンはただ見ていた。
「今日はたくさんお肉が増えましたからね……っ、冬に向けて燻製も作りましょう!先に保管していたお肉はどんどん使わないと!」
食卓に並べる肉はできるだけ野生動物の肉にしようと言っていたのに。ジェイソンとサイロンのどちらか、もしくは二人が結託してまた洞窟に取りに行っていたに違いない。減ったと思えばまだオオヘビやらオオサソリの肉が残っているのはそのせいだ。煙が目にしみる……と言いながらドレアスは涙をこぼす。泣くほど食べたくないらしい。
「あれはトリ肉あれはトリ肉」
トーマは絶対に目を開けまいと踏ん張っていた。
「好き嫌いはよくないのだよ、トーマくん、ドレアスくん」
「好き嫌いの問題じゃねぇよ!」
叫んで目が逸らされている間に、サイロンはドレアスの皿に素早く照り焼きの特大カットをどんと乗せた。それはそれはいい笑顔で。
静かな夜だった。数人は起きて見張りをしているが、誰かが一人起きても水を飲みに行ったか用を足しに行っているくらいにしか思わない。だから、誰かが城内に侵入していても、気にも留めない。
「……恩を仇で返す前に、本を戻しなさい」
そういった気配に敏感なものを除いての話だが。
「!? ト、トーマ様っ!? いえ、これは、寝付けなくて……本でも、読もうかと」
「この部屋は片付けたはずなのでこんなに本が散乱していた記憶はないのですが……」
城内は元から開かない部屋を除けばほとんどの部屋は解放されている。この書庫も例に漏れない。
丸腰とはいえ、ベネットの信頼を裏切る輩には容赦しない。剣こそは抜かないが、吹きさらしの窓から漏れる月明かりに照らされる顔は半分だけ浮かび上がりその一睨みで男は地べたに額を擦り付ける勢いで這いつくばった。
「……ッ!お許しください……! どうか、私一人が判断しただけなのです。他の民たちは、ベネット様を……皆さまを信じています! 私も、例外ではありません。心から……信じております」
伏せられた顔からは表情も読み取れず、言葉や口ぶりでならなんとでも誤魔化せる。わざと足音を立てて、始めから見ていたドレアスもその男の後ろに立った。立ち止まったことで男の肩は一度大きく跳ねあがり、震え始める。
「しかし……私は、これは好機だと……」
「ほう……?」
引き絞られた喉から発する、振動する声。呼吸の乱れ方が尋常ではなく、自分たちを騙そうとしている疑いは霧散し始めていた。
「私の、妻と娘は……奴隷としてヒトの国へ連れて行かれました。奴隷となった女がどういう扱いを受けるかは存じております……どんな姿になっても、私の家族なのです。昼間に見たベネット様の移動魔術が私にも使えれば、救い出せるのではないかと……」
あぁだめだ、『こういう話』はだめなのだ。弱いところを針で何度も刺されている錯覚を起こす。自分たちがわずかでも踏み入れた奴隷という存在の領域、これから転生を繰り返したとしても決して忘れられないあの世界。ドレアスもベネットに救われなければ女として奴隷市場で値段をつけられ同じ道を辿っただろう。
大きなため息をじっくり時間をかけて吐き出して、ドレアスは男の首根っこを掴み無理やり立ち上がらせる。
「水臭いな、そんな理由なら早く言ってくれりゃ良かったのに」
汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔に、トーマはちょっと引い……顔を歪めた。
「移動魔術はベネット様と……腹立たしいですがあの魔導師にしか使えません。今からあなたがどう頑張っても、すぐに使える代物ではないのです」
アオイにはそもそも頼りたくないし、ベネットを危険なことに巻き込みたくはない。しかし自分たちだけでは力不足にも程がある。行きつく先は、結局同じなのだ。
「私にも! 今までの転生の経験から魔術の知識はあります! 今も多少は使えます!」
「多少ではだめなのですよ」
彼の言う『多少』より魔術を研究しているトーマですら辿り着けないところにあの二人はいる。自分は、未だに魔術の教本の中にいるのだ。閉じ方も、抜け出し方も分からないまま。
「それに、そんな痩せっぽちの体でどう救い出すんだい」
「それ……は……」
自分たちは、まだ一歩も踏み出していない。動かない足をよしとして、どこから抜け出そうというのか。
何に贖い、何を正そうとし、何を背負うのだ。この背中は、あまりにも軽すぎる。
「ヒトが多いほどここの発展は進みます。奥様と娘さんだけではなく……一気に連れてこようじゃないですか」
それが、他者の威光を笠に着た上での虚栄心だということには目をつむった。
夜が明け、あのあと寝床に戻った男は結局眠れなかったのか目の下にクマをこさえていた。
朝食の配給を終え、作業に移る前に招集をかける。
昨夜のいきさつを語れば、難民たちは涙を浮かべながら肩を震わせる。各々、家族や身近な存在が奴隷にされたものもいるだろう。
「承諾して頂けますか、ベネット様」
始終、その顔から微笑みを外していたベネットの顔は険しい。話を聞いている間中、きっと悩んだであろう、悲しんだであろう。問いかけを投げたトーマはその返事を分かりきっていたけれど、魔王になることを決意したベネット自身の指示を欲した。
「……危ないことは、しないでください。私も行きたいですが、足手まといになってしまうだけなので……ごめんなさい」
「ベネット様が謝ることではありません! 本当は、私一人で行くはずでした……これ以上、ご迷惑をお掛けしてはいけないと思って……」
涙を浮かべながら男はまた深々と頭を下げる。自分たち以外にも、こうして妻と娘を助けてほしいと周りに請うたのだろう。だがそれに助力するものなどいなかったはずだ。奴隷とは、国が認めた存在。奴隷を売るのは豪商、買うのは、貴族なのだ。そして国は、戦場にすら奴隷を連れて行く。すなわち、奴隷を取り戻そうとしたり、奴隷という存在を反対することは国家への反逆に他ならない。
「いいんです、だって、家族は大事ですから」
ベネットがようやく浮かべた微笑みに、男は崩れ落ちて言葉にならない嗚咽を溢すばかり。礼を言いたくても、言葉が思うように出てこない。それでもよいと、許すようにベネットは彼の背を撫でる。
「あなたにも同行して頂きますよ、魔導師」
「わかった」
「……随分、あっさりと……」
「あの時は出てくるのすげー遅かったのに……」
招集をかけたときはいなかったくせに、その姿はいつのまにか難民たちの後ろに溶け込んでいた。いいや、溶け込もうにもできるはずがない。その風貌はもちろんのこと、アオイたった一人だけが、あまりにも殺気だっていたからだ。もちろん、それに気付いていたのはごくごくわずか。
「俺だって元々、人助けのためにここへ来たんだもの……奴隷なんて存在、あっていいはずないんだよ」
「アオイ、ちょっとこわい……」
ジェイソンですら、ドレアスを盾にするように隠れる。今なら、風すら彼を恐れて避けて通るだろう。
あまりにも抑揚のない声色が、トーマたちの警戒を強くする。アオイへの、警戒ではない。
彼が、これから成すであろう行動に対して、胸騒ぎが止まらないのだ。






