けっきょく、なぞのまま
全員がいた。ベネットも、トーマたちも。そしてジェイソンの前には、アオイ。
思わず通常通りの怒りを出してしまったが、アオイの反応が分からない。しんとしているが、これはどっちなのだ。唖然としているのか、正体が見破られたことへの算段を立てているのか。表情が全く見えないことも相まって、警戒心から自然と体が戦闘態勢に入り、剣を握る。
「…………あはははは!やだぁ、血なんか飲んでないよ」
体をのけぞらせ、腹を抱えてアオイは大笑いしていた。
「ベネットみたいに食事がちょっとでいい種族もいるでしょ、多分俺もそんなんだよ」
『ふんふん、やっぱり』などと言いながらジェイソンは一人で鼻高々に頷いている。床が揺れそうな重みを乗せた歩きで背後に迫ったドレアスは、ジェイソンの耳を引っ張りながら部屋の端に引きずっていった。
「おっ前なぁ……っ」
「だってぇ」
真っ赤になった耳をさすって涙目になりながらジェイソンは喚く。それをドレアスは何度も額にベチベチと指を弾かせていた。頭を叩くよりは優しくなったかもしれないが、指一本の攻撃の音が、あまりに力強い。そして煙が出始めている。これはそろそろ火でもおこせるんじゃないか……とトーマは好奇心からゴクリと唾をのみ込んだ。
「俺が被り物してるのが気になる?」
「気になる!」
まっすぐ腕を高く上げてジェイソンは興味津々と主張している瞳を輝かせて挙手している。
「……顔を隠さずに生活したことがあって、そのとき……すれ違う女の子女の人がどんどんメロメロになっちゃって……」
「アホくさ」
「オレたち男だからだいじょうぶ」
ドレアスは聞くんじゃなかった、と呆れ、ベネットは苦笑いしかできなかった。
「前世が女性の男の子も、前世が男性で男勝りだった女の人も……」
「もうやめてくれ」
聞くに堪えない、とでも言うようにドレアスはその手で頭蓋骨の口当たりを覆った。意味はないかもしれないが。
「やっぱりやめる……オレ、ベネットひとすじ……」
こいつはメロメロになるとかいう話を信じて、更にはそれが自分にも適応されてしまうと思い込んだのだろうか、と目を座らせてしまった。
「そっかぁ~、ジェイソンは一途だねぇ」
「えへへ」
「甘い!甘いですよジェイソン!!」
ジェイソンはアオイに頭を撫でられながら顔を綻ばせる。それはもう口元が緩みきってデレデレに。甘えっ子体質のジェイソンに、甘やかし上手なアオイの相性は良すぎるのだ。本人たちは良くても、周囲が困る。
「はぁ……アオイとジェイソン両方いるとアホになりそう」
「同感です」
「二人とも頭がー、かたーいっ!」
ぽこん、と軽すぎるゲンコツは十倍になってジェイソンの頭部に襲い掛かる。『ヒェン……』とか細い悲鳴をもらしながらウサギのように震えて縮こまってしまった。
「まぁ、吸血鬼じゃない証拠は見せられるよ。外に出て腕か足を出せばいい?」
日光に弱い、ただそれがどういう意味なのかは各々の解釈で異なっていた。日に当たることで何が起こるかまでは誰も知り得ない。体が動かなくなるのか、火傷でも負うのか、日光が毒となり体を蝕むのか。
「そんなの魔術でなんとでも……いや、魔法ですら防げなかったから、太陽の光が欠点だったのか……」
天変地異も思いのままと言われる魔法の力を手にしていながら、弱点を持つ種族の謎は深まる一方だった。アオイの言葉から察するに、おそらく本人も自身の種族を分かっていないのかもしれない。もしくは、意図的に隠しているのか。或いは語り継がれている伝説そのものに偽りが混ぜられているのか。
「かしこいかしこい」
「馬鹿にされている……」
悩みそのものを小馬鹿にされているような素振りに、トーマは思わず拳を握りしめた。
「疑うのもめんどくなってきた……あたしはベネット様が心安らかに過ごせるなら何でもいいんだ。あたしらの知らないとこで……泣いてたなんて」
「……そうですね」
吸血鬼という話題をすでに忘れていそうなジェイソンはベネットとアオイを連れて調理場に向かっていた。たまに、彼が羨ましいと思う。一度考え始めれば、それは蜘蛛の巣のようにいつでも頭の中に張り付いてしまうのだ。悩むことより目の前の楽しいことに目を向けられるジェイソンが、たまに小憎らしくなるときもある。
「あの何をしても無駄そうな自称魔導師に時間を費やすより、有意義なことをしましょう。まずジェイソンに魔術の基礎を叩き込みます」
「ははっ、じゃああたしはジェイソンが居眠りしないように見張ってようかな」
取り繕った笑い顔はやはりぎこちなかった。自分たちが奴隷となったのは自業自得、因果応報によるところだと認めることは出来る。だからこそ悔い改め、贖わなければならない。自らの罪を忘れてはいけない。
でも、それをベネットが背負うことは間違っている。本当に背負わなければならないのは自分たちなのに。
それは、自分たちの前世の行いがベネットを苦しめていることと同義なのだ。
「みなさーん!お昼ご飯にしましょう」
「はーい」
「おい、声裏返ってんぞ」
一瞬、ジェイソンが隣にいるのかと思ってドレアスはギョッとした。しかし隣にいたのは自分の記憶通り、トーマであった。そしてちょっと引いた。
「今となっては懐かしく思えますね、ほんの数年前くらいなのに……カニだと思って食べた……オオサソリのスープ……」
「おい今更蒸し返すな」
ブルリと二の腕に鳥肌が立ってしまった。言わなければ忘れたままでいられたのにと恨みがましい顔つきで睨む。
「今日は鹿肉にトマトスープか」
「ベネットのトマトスープ大好き」
「そしてイネ……」
少し広めの平皿に盛られたのは鹿肉のソテーと、黄色いパサパサした細長い粒。
「アオイのやつ自分で食わねーくせにイネ出してくるよな。しかもまずい」
今ここにいないアオイは「ちょっと外出てくるね」といつものように城を出ていった。手ぶらで帰ってくるのがほとんどであるのだが、麻袋を持ってきたと思えば中身がイネ。次の日もイネ。そして毎回どうしてか、種類が違うのだ。やたらと粒が大きかったり、黒っぽいような紫のような色のときもあれば、真っ白でゴマのように小さいときもあった。種類は違えど、感想はいつも同じく『まずい』の一言で済まされている。
「味ついてるのおいしかった」
出してくるイネは大体が蒸した直後のものが多く、ベネットがアレンジを加えて卵を絡めたりバターと塩こしょうで和えたりしなければ見るだけで食欲が萎えるほど、いつもいつもなぜかイネばかり出てきた。しかもアオイは感想まで求めてくるので、それにはトーマがこれまた律儀にどこがどう不味いだの、この種類のイネは水で浸け置きすればベチャベチャして美味しくないだの説明をする。そして次の日はまた別のイネが食卓に出されるのだ。
「地方によってはイネが主食のところもありますからね。私はパン派ですが」
「パンも焼きました……おやつ用だったんですが」
「食べます」
さすがにベネットも、皆がイネをまずそうに食べているのは見ていて分かっていたしアオイの厚意?も無下にできず食事に出し続けていたが、少し可哀想になりこうしてパンも仕込んでいることもある。それでも彼らは出されたものを残すことは無かった。たまに食べられないものがあったとしても、ジェイソンの皿に乗せておけば平らげてくれるのだ。
「おかずパン、っていってアオイさんからおかずを挟んでみるのはって言われたんです。この鹿肉を唐揚げにして、野菜とパンに挟めてソースをかけてみたんですが……」
パンはパン、おかずはおかず、スープはスープとして別々に食べるという意識が強かったため、目の前に出された皿に乗る食べ物には違和感があり、また新鮮でもあった。その一噛みで複数の食材を味わえる、という魅力に口内がジュワリと潤う。
バクリ、とかぶりつけば反対側から肉とソースがはみ出して皿に滴り落ちた。噛みきれなかった野菜が上下で挟んでいるパンの間から抜け落ちてしまう。本来ならば手でパン、スプーンでメインディッシュという食事の概念すらも覆されているというのに顎が止まらない。
「うっ……おいしい……」
「こりゃうまい!狩りの携帯食にいいな」
「アオイさんがオベントウだって言ってました」
確かに、これならば紙で包んで出先にも持って行ける。出来立ての温かいままを食べられないのは勿体ないが、工夫次第で冷めてもおいしさを保てるかもしれない。
一瞬で平らげてしまったが満腹感に感嘆の息がもれた。
「たとえあいつの発案でも……ベネット様が作って下さったのなら……なんでもおいしいです」
「……彼は本当に不思議な知識を持っているね」
涼しい顔をしているがこのサイロン、口の横にソースを付けたままである。
イネのことはさておき、これは食事における革命だと言っても過言ではない。類似したものはあるにはあるのだ。だがそれは高級料理のコースに用いられるものでパンに組み合わせるのは高級ハムだとかチーズばかり。
たしか、どこかの地域に細長いパンがあったはず。それの真ん中に切り込みを入れて、パンに合う食材をはさめば素手で一度に主食と主菜が摂れる。今度作ってもらおう、とトーマは固く決意したのだった。
その発想はなかった、と思わせる知恵を出すこともあればよく分からないオベントウだとかいう造語を使う。彼はどこから来て、どう生きてきたのか。答えてはくれないのだけれど。
「物知りだよね、あとすっごい頭いい。みてこれ、敵襲コンパスってゆってた」
「敵ってどう判断してるんですかそれ」
また訳の分からない単語を……と聞き慣れない言葉で名付けられたそれは、円形の手の平に乗るほど小さなもの。真ん中に水晶が埋め込まれており、不安定な針がゆらゆらと回っていた。
「ふぅん、真ん中の石が赤く光ったら敵襲のサインなんですかね、ははっ」
敵襲を知らせるのが見張りなしで出来るなら、奇襲に怯えることも減るだろう。しかしそんな便利な道具があればこれまで魔術の研究をしてきた先人たちは苦労しない。いくらあのアオイでも、これほど高度でかつ不可能の領域のものは作れまい、とトーマは一笑した。
「おい光ったぞ」
「エッ」
ふざけて言い放った言葉は、今目の前で現実となっている。透明だった小粒の水晶はギラギラと赤く光りを放ち、ゆらめいていたはずの針は強制的に固定されてしまったかのように一点を指し示している。針の先を目で追ってみれば、椅子に座ってこちらを傍観していたサイロンに向いていた。
「サイロン、そこどいてください」
「…………」
眉間に皺を作ったまま、サイロンはゆっくり立ち上がる。針は動かなかった。一歩、横に足を踏み出し。
――――ドンッ
バランスを崩すほどの大きな揺れ。城がミシリと嫌な音を響かせる。一体どこからの衝撃なのか、自然的なものなのか人為的なものなのか。だが、アオイの作ったこの道具が名の通りの機能を果たしているというならば、後者だろう。
「うっそだろ!?」
「外へ行きます!!」
こんなことがあってなるものか。否、なぜこんなことが起きた。
ただ流れていく日々だったのに、突然現れた異質な異物。それが招くものが本当に未来の大義や救いなのか。
そして何より――、こういう時にどうして、あいつは、アオイは、この場にいないのだ。