わるいのは
「これはカニこれはカニこれはカニ……」
ブツブツとトーマはほかほかのスープと対峙している。
「たしかにちょっと似てる」
「これはカニこれはカニこれはカニ……」
同じことをドレアスも言っているが、双方ともにぎゅっと目を瞑ったまま。
「次はオオグモとかどうかな」
「や゛め゛ろ゛ッッッッ!!!」
カッと開いた瞳はうるんでいて、もう一度目を瞑ると一粒の涙が乾いた石畳の上にポトリと落ちた。未だスプーンをスープに入れることすらできていない二人を置いて、ジェイソンとサイロンはもう食べ終わるところであるし、ベネットは渋い顔でオオサソリの肉を噛みしめていた。
「むぅ……初めて食べましたが……なんというか、大味ですね。意外に可食部も少なかったし……爪のところはそのままの方がおいしかったです」
もう少し小さい方が美味しいのかな……という言葉がもれた気がするけどトーマは聞かないふりに徹する。
「ちょっと待て、こんなに勇気を振り絞るのそうそうないぞ」
「ベネット様があーんをしてくれるなら絶対完食できる……」
夜も更け風が冷たくなっているはずなのに、トーマとドレアスは冷や汗を額に滲ませていた。涙を溢しながら。
「おかわり」
以前なら「口にものを入れながら喋らない」と間髪入れずフォークが飛んでくるのに、あり得ないものを見るかのような瞳がジェイソンに向けられる。サイロンはジェイソンの椀に肉をたっぷり入れてスープを盛り付けてやり、自分のおかわりもよそっていた。
「ベネット様は料理がお上手ですね。今度街に行くときは他の調味料を一緒に買いましょう」
「はい!」
結局、二人のスープに入っていた肉だけをジェイソンが食べてやり、少し葉っぱを混ぜたスープにアレンジしたものをやっと飲めた頃にはすでに冷めてしまっていた。サイロンとベネットは互いによく使う調味料について盛り上がり、落ち着いたあたりで明日からの行動を話し合うことにしたのだった。
「これで四人になったということは、明日からは二チームに分かれて行動できますね」
「俺イノシシかシカとってくる」
満腹になるほど食べたというのにドレアスはちょっとげっそりしている。
「ベネット、もっかいオオサソリとってこようか?」
「ジェイソンくんは洞窟に行くんだね、僕も行くよ」
「決まりですね、私はベネット様と待ってます」
「俺ひとりじゃねーかよ!!」
なんのために四人を二組に分けるんだ、とドレアスは怒鳴る。別にこれがトーマの冗談であれば適当に流すのだが、表情を見る限り本気で言っている様子なものだからドレアスは怒ったのだ。
「私はお掃除したり服を作ったりして待っていますね。森だって危険なんですから、トーマさんはドレアスさんと一緒に行ってあげてください」
「くぅっ……わかり、ました……っ」
呆れるというより、蔑む視線を今日だけで何度向けたのか……、ドレアスはもはや言葉を失っていた。
それぞれの予定を決めてそろそろ寝ようと思ったけれど、まだ時間が早いのだろうか、眠くは無かった。サイロンはまだ首に奴隷の枷がついたままだったので、今はベネットが取り外しにかかっている。
「はーーっ、こんなに食ったの、転生してから初めてだぜ」
「おなかいっぱい」
材料はともかく、明日からは普通の肉を食うぞ!とドレアスは意気込んでいた。ジェイソンは少し膨らんだお腹をポンポンと鳴らして叩いている。
「私たちは……運がよかった……あの場に居た他の奴隷たちは欲にまみれた富豪に買い取られたことでしょう……短い期間ではありましたが、奴隷の身に落ちて痛感しましたね」
奴隷になったのは初めてだが、奴隷の末路は知っている。死ぬまで働かされるか、金を持て余した欲深いものたちの餌食となるか。明日は我が身の明日が、自分たちに降りかからなかったのはあまりにも幸運すぎる。
「王国直属の勇者パーティーは……何も救えていなかった」
ベネットに言えずにいる自分たちの前世。なぜ死んだのか、なぜ奴隷になったのか……その答えは全て、自分たちが王国直属の部隊に属していたことに起因するからだ。
「……あの中、きっと魔族の奴隷もいた。オレたちが、魔族って理由だけで焼き払った村の魔族も、きっとどこかに……」
「ただ、王や貴族たちの娯楽のために戦って、独り善がりの勝利を持ち帰って……誰かを不幸にしてたんだな」
勇者の元に集った戦士たちの役割、それは敵対する魔族を倒すことだ。過去、何十もの魔族の小さな集落をいくつも焼き討ちしてきた。当時はそれが正しいと信じていたのだ。抵抗できなくても、反撃できなくても、ただ魔族という存在があったというだけで。
「ベネット様は、魔族であり王である……私たちの前世での敵の魔王が、あんな少女だったら……あんな、少女でも、私たちは……っ」
魔王と呼ばれるものたちも幾度となく屠ってきた。そこらの魔族よりは確かに強く、苦戦を強いられたこともある。しかし自分たちが束になれば、勇者と呼ばれた「あの男」がいれば敗北などあり得なかった。
だからきっと、前世の自分たちがベネットと出会っていれば、躊躇うこともせず剣を振るっただろう。
「……奴隷になって、分かることもあったね……ううん、なったからこそ、分かる」
「贖いきれるものじゃなくても……俺は贖いたい」
「ベネット様は気付いておられないが……衣類を作るときに魔力を消費している、原理も術式も分かりませんが、無意識のうちに発動しています。職人であってもあの短時間でこれほどの衣類を作れるはずがない。前世が建築や農家でもあったなら、あの方は一人で一つの村くらいは開拓できるでしょうね」
ただただ剣を振りかざし、槍で突き刺し、拳で屠るだけの人生だった。自分たちは民に勇気を与えていたのではない。奪う側なのだ。
それが何を今更、贖うなどとおこがましい。許されるような罪ではない。一度きり奴隷になったくらいでは足りないだろう。
……それでも。
「……私は、自らの贖いのために、ベネット様を利用しようとしています」
罪に罪を重ねても……埋め合わせることなど到底かなわないとしても、そして間違いを正しいと思う事で覆い隠すことだとしても。夢を見ずにはいられない。
「ヒトが増えて、導く存在がいればそれは一つの共同体になる。それが大きくなれば集団に、そして街になる。私は……私の抱く夢は、浅はかでしょうか」
「俺はベネット様と出会って今までにない大きな可能性を感じてるぜ。サイロンの言う、理っつーもんを変えられるんじゃないかってな」
「もっとヒトが増えれば、もっと大きくなる。街が大きくなったら、国になる。奴隷も、魔族も差別されない国……ベネットは、きっと上に立ち続けなきゃいけない。きっと……つらい」
誰しもが簡単に頂点に立てるわけではない。しかし、世界にはなるべくしてならなければならない存在が少なからずいるのだ。魔王も然り、そして勇者も然り。
「今までベネット様が平民であったことの方が異常なんだ。魔族として産まれたから目に見える形で魔王の象徴……ツノが生えている。きっと育った環境が違えば、ヒトとして産まれていても王になっていたはずだ」
逃れられない「さだめ」と呼ぶべきか。自分たちが転生を繰り返していても戦うことしかできないように、どの存在にも抗えないもの。そしてそれをいいように利用して、ベネットを巻き込もうとしている。
あの時、救ってくれたのがベネットであったからこその決意でもあるのだ。
「私たちは魔王を倒すために戦い続けてきました。しかし、それは間違っている。本当に倒さなければならないのは……正さねばならないのは、この世の不条理なんです」
「全てを正すことはできない……だが、やれることはあるよな」
「……ベネットも大変だけど、きっとオレたちも大変。オレたちのしてきたことでベネットが苦しむかもしれない……トーマは、それでもやるの?」
決意は固い、しかし憂慮の面も大きい。自分たちの過ちをベネットはどう思うだろう。知ってしまえば、敬遠されるだろうか……いや、それでは甘すぎる。見離されてしまうかもしれない。
「ベネット様には一点の汚れもない、罪なんてなおさらのこと。だからこそ、闇を背負うのは私でいいんです。あの方はどうか……光の中を生きてほしい」
一番の憂慮は、自分たちの過ちをベネットに背負わせてしまう可能性だった。そして深く傷付けるだろう。他人がベネットを傷付けるのは許せない。けれど自分たちはそれを平然と為している。
だから絶対に、あの輝きを、優しさを曇らせてはいけない。自分だけで、いいのだ。
「……お前だけに背負わせたりしねーさ。俺だってもう背負ってる」
「一人だけでがんばっちゃだめだよ」
自分と同じ小さな手のくせに、大きく感じる手は背中からじんわりと熱を広げた。
「……せっかくかっこつけてるのに、台無しにしないでくださいよ。まったく」
それは仲間と呼ぶべきか……否、共犯者というのが、当て嵌まるのだろう。