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バニラとの約束は、七月半ばの日曜日となった。
待ち合わせ場所は道路に面したオープンカフェ。しかし日差しがはんぱない強さなので、私は店の奥のテーブルで待っていた。
ちなみに本日の私は、芽依のオールプロデュースだ。
なんとかして二十歳以上に見せたいと、芽依は試験終了後から研究に没頭していた。ちゃんと大人びて見えるとかいうメイクをだ。私の人生初の化粧は、他人様の他人様の手による他人様のためのものとあいなった。
モテ系OLメイクって……ちょっとまて、サツキは女大学生ではないのか、と私が問うと、少しぐらい背伸びを込みで考えているの、と雑誌から顔も上げずに答えた。もの凄い集中力だ。あまり私、相手にされていない。娘にないがしろにされて悲しい父親の気分だ。
非常に微妙な感じに伸びている髪も、芽依が巻いてくれた。あと服も芽依の見立てだ。これで、
「こ、これがアタシ……?」
くらいイメージ変われば私も棚ボタなのだけど、正直そうでもない。
芽依は綺麗と言ってくれるが、どうにもこうにも私は私だ。芽依のように、ふわふわした砂糖菓子のようにはなれない。芽依が有名パティシエが作る色とりどりの淡いマカロンなら、私は長屋の横でじいさんがつくったカキ氷という感じだ。せめてあずきをオンするべきだ。
まあ、カキ氷だって季節によっちゃあマカロンより良いと選ばれることもあろう!
そんな後ろ向きに自分を鼓舞して芽依の選んだちょっと透け感のあるスカートを翻して私はここまでやって来た。
ちなみに、鉄治には今回の一連の出来事は言ってない。
私にだって鉄治の逆鱗ポイントはわかるのだ。ていうか芽依に関連することすべてが逆鱗だな。そして問題はどんな形であれ、いずればれるという確かな自信。はじけぬバブルが無いように、芽依関係の秘密は必ずいつか鉄治にばれる。
言った方がのちのたたりは少し弱まるのではないかとも思ったが、その代わり言った瞬間にたたりが始まりそうな気がしたのでやめた。
長く細い人生か、短く太い人生か、そんな感じの選択だ……。
問題は先送りにしておこうと思う。
そして芽依も一応この店にいる。私のいるテーブルから少しはなれたところで、さりげない一人客を装っているが。
…………でもかなり目立っている。
芽依は、髪の毛はまとめて帽子の中につっこんで、目がねまでかけてうつむきがちだが、それでももって生まれたその輝きは隠し切れない。少しワット数下げようよ、な。
芽依が気になってならなかった私だったので、その訪れはなんだかひどく急だった。
「遅れてすみません」
話しかけられて顔をあげると、額に浮いた汗を拭っているかの青年がいた。
この炎天下、走ってきたのだろう、落ち着かせようとしているが、息が切れていた。暑い中、きちんとしたスーツ姿だ。上着は手に抱えているし、下のシャツも半そでだが、きちんとネクタイを締めていて、まるで仕事中のようだった。
けれど驚いたのはさの体格の良さだ。背は大きいし、肩幅広いし、どう考えても格闘技とかやっていなかったら嘘だろうと言いたいような見た目だった。顔の写真だけじゃこれはわからないなと、私ははちきれそうな肩の筋肉を見ていた。体格が良い、とかじゃない、良すぎ。
そして大問題なのはヒゲだ。
無精ひげからもうちょっと進んだ状態のヒゲ。ねえこれは山男にのみ許される外見だと思うのだが。
イケメンかといわれたら、微妙な間の後に、うんと答える感じだな。ヒゲでよくわからないというのもあるけど、顔よりもなにもその図体が先にたつ。こんなガタイの男がこっちにやってきたら、それだけでも、何気ないふりをして逃げ出したい気持ちになる。当方グリズリーには知り合いはおりませぬ。
「……バニラ、さん?」
私は彼を見て問う。確かに髪はどこかもっさりしているし、息を切らして焦っているその姿はカッコいいとは言いきれない。でも、なんとなく好感が持てた。
「サツキさん、ですよね?」
彼はにこりとして、空いていた前の椅子に座った。
「はじめまして、じゃないのか……ええと、とりあえず、いつもお世話様です。バニラです」
彼は右手を出して来た。なんだか男同士の邂逅みたいだなあと思いつつ、私はその手を握った。西部劇みたいだ。手が大きい。
「こちらこそ。サツキです」
私達は狭い店内で頭を下げあって、それから椅子に座りなおした。
「あの、お仕事忙しかったんですか?」
「え、そんなことは」
「でも休日なのにスーツ姿なんて」
「あ、休日……そっか今日休日……」
私の言葉に妙にうろたえたバニラは少し申し訳無さそうに言った。
「気を使わせてしまってすみません。あの、仕事は別にそんなに忙しくないんです。今日もちょっとだけやることあったんですけど、あとはもう、はい、大丈夫です!
そうか、仕事が忙しければ戻ってもらうと会見が早々終了して私としては幸せなのだけど。うーん、これは今日はどうなんだろう。どこで、一本締めをして終了にしたらよいのか。どうしたらあとは有るを尽くしていただけるのだ。
実際会ってみたら会ってみたで、何を話したらよくわからない。
そうだ、芽依からこれだけは言っておけと言われたことあったんだっけ、やるべきことは早く済ませておこう。
「あの、バニラさん」
私がそう口を開くとバニラは苦笑いした。
「なんだか、さん、なんて付くと妙な気分です。いつも呼び捨てだから」
「でも目の前にすると、呼び捨てで呼ぶのは気が引けます。だって年上の方だし」
「そんな、ほんの五歳じゃないですか」
いいえ、本当はもっとですよ、未成年エンジョイ中。ということを隠して私はふふふと笑ってみた。
「それよりも、今日お会いしたのは、どうしても会って伝えたいことがあったからなんです」
「伝えたいこと?」
芽依からまるごと覚えてとばかり言い渡された言葉を私は思い出す。
芽依が言いたいのは、病気のときに彼が支えてくれたことに対してのお礼だ。近しい親族にも友人にも、近いからこそいえなかったことを受け止めてもらえたことが本当に嬉しかったのだと彼女は言っていた。
胸が痛くなるようないい話だと思う。
バニラさんのおかげで、私なんとか頑張れました、ありがとう。
芽依の言葉を言おうと思った私だけど。でも。
「いつも……あの……」
私は言葉をきる、そしてまったく違う言葉を組み上げた。
「いつも、あんなに相手してくれてありがとう、パケ代とか大丈夫ですか?」
「……全然平気ですよ」
バニラはなんだそんなこと、と楽しそうに笑った。笑うと少し細い目がさらに細くなって綺麗に弧を描く。その優しい表情はその風体とは裏腹だ。
「大丈夫です。そのくらいはなんとか稼いでますから」
バニラはそういうと私をみつめた。
「それより俺も言いたいことがあったんです」
まさかいきなり告白じゃないだろうな、と私は焦る。
芽依から、サツキとバニラのことを知っておいて、とばかりに、ここしばらく二人のことを学ばされていたのだ。
芽依はさっぱり気がついていないが、バニラは結構サツキを好きだと思うぞ。
それを言ったほうがいいのか悩んでいる間に、当日になってしまったけど。
でもバニラの発言はとても礼儀正しいものだった。
「俺の仕事の相談とかにも乗ってもらえてありがとうございました。俺、ちょうど三年前くらい、仕事のことで凄く悩んでいて、いつ辞めようかって思っていたんです。でもサツキさんがまだ頑張れるよって……自分の方こそ大変なのに、俺を励ましてくれて本当に嬉しかった」
ああ、これは。
私は青ざめた。これは私が聞いていい話ではない。
私は芽依から頼まれた言葉をさっきあえて変えた。だってそもそもアレは芽依がバニラに言うべき言葉なのだ。
彼女がきちんと自分の口でバニラに言うべき感謝だ。お互いにそういう大事な言葉があった。
だから私は言わなかったけど、事情を知るよしもないバニラはその大切な言葉を私に向けて言ってしまった。
芽依がバニラを励ましていたのは間違いない。そして、バニラもそのことものすごく大事に思っているからこそ、早く伝えたかった感謝の言葉なのだろう。
胸が痛む。
私は一瞬言葉をなくしてバニラを見つめてしまった。彼が言うべきなのは私じゃない。どうあっても芽依じゃなきゃいけないのに。
さっそく私はこんなところにのこのこ来てしまった自分に後悔し始めていた。
「私の言葉なんて」
「いいえ、ありがとうございます」
バニラもなんだかいい奴そうで。
私は困惑していた。私ばかりが嘘吐きだ。
「あの、ところでですね。よければここからどこか遊びに行きませんか」
「え?」
「いえ、あの、別にいかがわしいようなところじゃなくて、遊園地とか映画館とか、お買い物があるならお付き合いします」
なんだとう?
私はもう我慢できずに、振り返り気味で芽依を姿を探してしまった。ちょっとまて、そこまで大々的にデートなんて聞いてないけど。
「あの、私」
ちらちらと芽依のほうを見た私は驚愕の事実に遭遇した。
芽依が居ない。
ちょっとまてやと私は内心で大パニックだ。だって芽依がいるからこそ、私はここで……ええっ?
「あ、あのう私ちょっと帰らないと……」
「ああっ、そうですよね。すみませんすみません。サツキさん忙しそうですしね」
「い、いえ、忙しいというわけでもないのですが。いや、今はすごくテンパってますけど」
私は外の光景に目を走らせてようやく見つける。なんかちゃらちゃらした感じの男に腕をつかまれて引きずられるように道路を歩いている彼女を。
だから、ワット数はあれほどさげろと!
「すみません、バニラさん。一瞬だけ待っててもらえますか。はい、一瞬だけ」
「サツキさん?」
驚くバニラを置いて、私は雑踏に飛び出した。