10-3
とはいえ無言になってしまった鉄治はちょっと可哀そうだった。
やれやれ、と私は鉄治の隣に座った。鉄治は頭抱えるようにしてうつむいている。
「あのさ、なんの慰めにもならないかもしれないけど、圭之進はむやみやたらと女に手を出す男じゃないから。芽依だって、多分今日はきちんとうちに送って、それでおしまいだと思うよ?」
「そんなことぐらいわかってるよ!」
おおっ?なんだ、手負いの野生動物か、私にまで牙むいてきた。ほら、怖くない! ユパ様この子私がもらっていい?
「心配なのはわかるけど、どうする?それなら鍵探す?」
この別荘広そうだ。外だったらもう日が落ちているから手に負えないけど。
「いや、多分無理だろう。それに探さなくてもいいような気もしている」
どっちなんだよ。
「……あいつ、結構根性悪だな」
「私の友達を悪く言うな」
「友達ならいいんだよ」
鉄治は顔を上げる。でも私を見ない。嫌だな。なんだろう、さっき二人で話していたのを変にかんぐられたのかな。
「芽依から聞いたんだよね。僕と姫宮が喧嘩した話」
「うん」
見たかったなあ。
「姫宮はさ、最初は怒っていたんだ。僕の千代子さんに対する態度がひどすぎるって」
「自覚なかったとしたら、それこそがとてもひどい話だ」
世界仰天ニュース級。
「でも、最後に圭之進が提案したんだ。千代子さんが熊井さんに執着しているなら、いっそ偽装婚して下さい、そのかわり俺が千代子さんと付き合っても怒るのは無しですって」
圭之進……なんと向こう見ずな奴だ。
鉄治にまでその話を持ちかけていたのか。よく決定済み事項として私に通達されなかったなあ。
「僕としては、最高の提案だよね」
だろうね……。
私はいまさらな気分で鉄治の話を聞いていた。
「僕は千代子さんのことも嫌いなわけじゃない。芽依を手放さずに済んで、しかも千代子さんも僕のそばにいるなんて、最高だなあって、うん……最高。……でも最悪」
「OKしたんじゃないの?」
「しなかったよ?」
アリクイが蟻塚を見て素通りするみたいなものではないか、どうした鉄治、おなかいっぱいなのか。
「でも、そうしたら姫宮が千代子さんを手に入れるのも時間の問題だって思ってさ。千代子さんは律儀だから僕のそばにいるだろう。でも僕が千代子さんの気持ちを手にすることは絶対なくなるだろうって予想した」
「そんなもんかな」
「そんなものだよ」
そうか。
しかし、私の気持ちなど、わりと鉄治には大した事でもなかろうに。降水確率10パーセントの日の傘くらいな立場だ。
「私のことをそんなに気を使ってくれるとは思わなかった」
「気を使う、というか」
鉄治の声がぼそぼそと小さくなる、なんだ、聞こえねえよ。私が少しつめると鉄治はぎょっとしたように離れた。
「……あまりそばによらないでくれるかな」
鉄治が低い声で言った。いいかげんにしろ。
「そうですか、それはすみません」
気なんて全然使ってないじゃんか。私が傷つく言葉をぽんぽん投げつけてきて。
私は立ち上がった。だめだなあ、最近圭之進に優しくされていたから、ストレス耐性が弱くなっているかも。カレシは優しい人がタイプでーす、とか言ってみたい!
「じゃ、私は上に行ってます」
「わあ、まって」
私の背に鉄治が飛びついてきた。肩をつかまれる。
「だから言ったじゃないか。千代子さんを嫌いなわけじゃないって!」
「やかましい、態度が伴ってない!」
「中途半端に態度に出したら止められないから」
「嫌いじゃない、ってのは普通の友好関係だ。態度に出さなくてどうする、日常生活が営めないだろうが」
「本当は好き!好きなんだって。大好き!」
頭に血が上った。
「いいかげんなことばっかり」
私は振り返りざま拳を固めて鉄治の顔面に叩き込もうとした。それを片手で止められて、腰を腕で抱きとめられる。無理やりもう一度ソファに座らされた。
私の両脇に手を突いて鉄治は腰をかがめた。そのままものすごく近い場所で私を見る。
「だよね、そう思うよね。僕もそう思うよ」
「何が!」
「急に一番好きなんて言っても信じられないよねってこと」
「お前が芽依を一番好きな事ぐらい、五年前から知っているわい」
「僕が好きなのは、千代子さんだって」
「なに?」
「偽装婚して、君が姫宮と付き合えば、芽依は離れていかない。万々歳だ、でもそうしたら君の気持ちは確実に姫宮に傾く」
「それが嫌なのは子どもっぽい独占欲だと思うけど」
「芽依が姫宮を好きになってもいいから、千代子さんには僕を見ていてもらいたい」
鉄治はまっすぐ私を見ていた。
「……はい?」
「それが、先日の姫宮とは若干力任せな話し合いののちの、僕の結論」
私は固めていた拳をとりあえず解いた。
「……好きって……そんないきなり」
しまった口が開きっぱなしだ。
「だから、信じられないだろうなって思ったんだよ。でもあの日から僕は後悔ばっかりだ。なんで今まで千代子さんへの自分の気持ちに気がつきもしなかったんだろうって。千代子さんからは全然連絡ないし、このまま去ってしまったらどうしようとそればかりだった」
「れ、連絡くらい自分からしろよ……」
「千代子さんを好きな自覚が出た瞬間に、自分がやってきたことのひどさがわかったんだ。それなのに連絡なんて出来るわけないだろう」
「じゃ、この海は……」
「芽依が言いだした……でもまさかあいつら帰るとは……」
「……まさか、今、芽依と圭之進が勝手に帰ってへこんでいたのは、芽依を取られたから、というのではなく……」
「君と二人きりになるのが気まずかったからだよ」
なんか。
私は肩の力を抜いた。それを感じ取ったのか、鉄治も少しだけいつもの余裕を伴った笑顔を取り戻す。
「そもそもいきなり水着はないよな、芽依もひどいことをする」
「まあ芽依の水着は最高だけど」
「芽依じゃなくて千代子さんの!」
鉄治は手を伸ばした。私の髪の中に指が差し入れられる。
「ビキニは駄目だよ、千代子さん」
「なに?」
「昔のタイプがいいよ」
「ワンピース?」
まさかスクール水着ではあるまいな。それはそれでマニアックだが。
「いや、百年前のシマシマで、袖と裾があるタイプ」
「アホか」
「ねえ」
鉄治は微笑んだ。これは……。
なんだこの顔は、未だかつて見たことない顔だ。いや、基本的に、ろくでもねえこと考えている方向の笑顔なんだけど、鉄治が何考えているか予想できない。なんかOS、チェンジした?私はアイフォンよりアンドロイドのほうが使いやすいかなって思うんだけど、どうかしらー!
「いきなり好きって言われても信じられないよね」
「あ、あたりまえだ」
「だから僕も、こりゃ長期戦でいくしかないと思ったんだ。うかつに言っても信じてもらえないだろうから。千代子さん、疑り深いし。でも君も無頓着に接してくるからちょっと困ったなあって思って」
「接するって……私は普通に……」
「あのね」
鉄治はふいに顔を近づけた。ちょんと一度だけ唇が触れる。唖然としている私を置いてけぼりで鉄治は楽しそうだ。リアクションに困っているっていうかバカ丸出しになっている私に覆いかぶさるようにして、今度こそ遠慮なくキスしてきた。
入り込んできた舌に奇声を発して奴を突き飛ばさなかったのは、相変わらずの私の無駄な見栄。おかげさまで散々鉄治が私の口の中弄って出ていった時には気絶しそうだったけどな。少なくとも白目だ、し ろ め !
「……ああ、やっぱりなかなか途中で自己制御って難しいなあ。芽依にだって劣情は抱いてたんだから、千代子さんにだってそりゃあるよなあ。しかも千代子さんの場合は、別に倫理に反するわけでもないし。問題ないし。無理やりやって嫌われたら怖いけど、そもそも我慢とか思いやりとか、僕には不似合いだ。大丈夫、嫌われてもまた好きにさせるから。ごめんね、今、抱くわ」
なんかさらさら独り言みたいに、超大丈夫じゃねえこと言ってないか。
「まて、鉄治、私は山本千代子であって熊井芽依じゃない、我に帰れ!」
「知ってる。それと僕も聖人じゃなくて健康な十代男子だから」
「芽依には聖人だったのに!」
「僕は貞操観念は固いんだよー。前は芽依と出来なきゃ別に誰ともしたくなかったし、今は千代子さんと出来るならそれで完璧」
圧し掛かられてソファに頭が付いた。
やばい、芽依に置いていかれた鉄治を眺めて、『アタイの気持ちを思い知れ、ざまぁ』とか思って内心にやにやしている場合じゃなかった。一目散に私も逃げ出すべきであった。私のバカ!
「ちょっとまて!」
「ごめん無理」
でも鉄治は手を止めた。そしてかすかに微笑んで私の目の奥を覗き込む。
「……でも本当に嫌ならしないよ。五年ひどいことしたから、五年くらいひどいことされてもかまわない」
私が鉄治を拒むのはひどいこと扱いかよ!
「千代子さんが一番好きだよ。信じてくれなくてもいい。時間をかけて信じてもらうから。でも」
鉄治はふっと弱気を見せた。
「でも、千代子さんに信じてもらえないのとてもつらい」
繰り返しで申し訳ないが。
…………やっぱり私は鉄治の弱音にすごーく弱いのだ。




