10-2
一日、浜でごろごろしてだらだらして終わった。
日差しが夕方の赤みを帯び始めたころ、私達は撤収作業に移った。鉄治も圭之進も自分の車で来ていたけど、それは別荘に置いてきていたから私達はクーラーバッグとパラソルを丘の上までもっていかなければならなかった。
別荘の鍵を開けるために鉄治と芽依は一足先に向かっていた。私は圭之進と二人、荷物を担いで坂道を歩いている。影が長い。
鉄治と圭之進が一体喧嘩で何を話したのかが気になってならない私は、横の圭之進をちらちら見ていた。なんで私がいないときにやっちまうかなあ、そういうの。
「楽しかったですね」
圭之進はのほほんと言う。
「俺、こういうふうに友達と出かけて遊んだことってあまりないから楽しいです」
「メンバー的に大いに問題あるとは思わないかね」
「芽依ちゃんはいい子ですよ」
「鉄治は?」
圭之進はもちろん口ごもる。
「……実力があって自信もあって、気概もあって、すごい人ですね。尊敬します」
「年下なのに尊敬なの?」
「人間性に年上も年下もないですよ」
「ふーん」
「あの人が千代子さんのことを好きじゃなければ、友達になりたいくらいです」
またぺろっとなんかわけわからないこと言い始めた……。
「あのさあ、圭之進」
私は坂道の途中で立ち止まった。
「あんたこのあいだ、鉄治は女として芽依を好きなんじゃないかって私に聞いたよね。で、私は肯定したでしょう?鉄治が好きなのは芽依。それひっくるめて私は鉄治が好きなの」
「千代子さん嘘つきだなあ」
圭之進はそんな言葉もおっとりしていた。
「ほんとは熊井さんの一番になりたいくせに」
「やかましい」
「俺は、千代子さんを一番にしますよ?」
圭之進の声が。
ぎょっとして私は彼をまじまじと見た。
今までどこ叩いてぎゅっとしてもっしゃもっしゃかきまわしても、ふかふかぬいぐるみたんみたいだった圭之進に、ふいに突き刺された気持ちになる。もしや検針未だったのか?
圭之進が初めて攻撃性に近いような雰囲気をもって私を見ていた。
「いや、まあ、その心意気はありがたいんだけど」
「一つなんか良さげな解決方法があるんです」
「何?」
「千代子さん、熊井さんと結婚するならそれはそれでどうぞ。でも、俺を好きになってくれてもいいんです。そうすれば、熊井さんへの義理も果たせるし、俺が熊井さんに足りない部分を補えます。俺がいれば、しばらくは芽依ちゃんも他を見ないでしょう?熊井さんも幸せ。俺は世間体とか常識とか、そういうものがそんなに重要でない仕事ですから、誰かがそこから抜けるまでは付き合えますよ」
お前、さらっと芽依が自分を好きだということまで、認めやがって……!
圭之進の言葉は、今までの膠着状態をより固定するものだった。もうそれは膠着じゃなくて、ある意味、『安定』。
だが。
「アホか……!そんな非常識な……」
「多角関係って楽しそうですよねー」
「そういう問題じゃない」
「だって熊井さんは、偽装婚でいいって言ったんでしょう?」
圭之進が冗談で言ってるんじゃないって気が付いて、私は背筋がぞくっとした。もちろんそれは怖さとか不快感だったんだけど、でもそれを言う圭之進の、今まで見たことのないその強引さに一瞬惹かれたのかもしれない。圭之進もそんな顔ができるんだ。
そういえば、圭之進は男の人だったっけ。忘れていたぜ失敬失敬。
「俺と一緒に今帰りませんか」
「は?」
「おうちには別に今日帰らなくてもいいんですよね。じゃあ二人でどこか寄って遊んで帰りませんか」
正直言って。
いままでずっと私は圭之進をナメていたわけである。
見た目は強面だが、中身乙女のカワイ子ちゃん、くらいな心持であった。だから彼が鉄治と相対したときも、見た目を単位とするならば、可憐な『姫が』『熊に』一撃ざしゅっ!という心配をしていたんだけど。
穏やかさはそのままで、圭之進は私を圧倒していた。鉄治の鋭い刃物の気配とは又違う、いうなれば重圧。
「俺と帰りましょう、千代子さん」
その言葉のなんたる甘さ。
ほんと丸呑みして、カロリーなんて気にせずぺろっと摂取したいと思った。それなら一番いいではないか、現状維持最高。芽依も圭之進が私を気に入っていることはすでに承知の上で頑張ると言っている。
その展開、誰にとって問題だろう。みんなちょっとずつ傷つくだけで誰も致命傷じゃない。ここまでぐだぐだなら、もうそれでいいじゃん。
…………。
「……なんちゃって」
「え、なにか言いましたか、千代子さん」
私は独り言を呟いてから顔を上げた。つくった拳で圭之進の胸を軽く叩く。
「アホか圭之進。私は鉄治の一番になりたいといったじゃないか」
「それはそれでいいじゃないですか」
「よくない。誰かの唯一無二になりたいと願う私が、誰かを自分の一番にしないなんて、矛盾の極みだろうが」
私はクーラーボックスを持ち直す。
「ありがとう、圭之進。申し出は大変嬉しかった」
「千代子さん」
行くべと歩き始めた私は、すでにその先にたたずんでいる鉄治を見つけた。少し長い髪が海の風に揺れる。
「重いだろうと思って来たんだ」
けれどそう言う鉄治は、珍しく、どこか儚いような顔だった。何かが不安でならないような表情。一瞬で消えたけど、確かに見た。
「あ、ありがとう」
ひょいと私からクーラーボックスを受け取って、坂道を登る鉄治は慌てたようなせわしなさだった。
「千代子さん」
背後で圭之進が笑った。
「前に、気持ちのけりがつくまで待ちますよ、って俺言いましたよね」
「あ、ああ?うん?」
鉄治の背中を見つめていた私は、その声に振り返った。笑っているのに、圭之進の表情はなんだかそうは見えない。
「でも千代子さんの気持ちはもうあの時から決まっていたんですね。俺が待っていたのは、熊井さんの気持ちのけりの方だったんだ」
「は?」
「やっぱりあの人、嫌な奴ですよ」
でも圭之進はそれでも穏やかな声で告げて歩き始めた。私を追い抜く瞬間に消えそうな声で呟いた。
「俺はもう、待たなくてもいいんだろうと思います」
着替えた芽依が庭の鉄治の車から、食料の入ったダンボールを出していた。
二階の客用寝室の窓から私はそれを見ていた。
普通なら、やべえ芽依に重いものなんて持たせられない!と慌てて飛び出していくところだけど、横でしっかり圭之進がフォローしているから、私はなんとなくぼんやり見ていられた。芽依や鉄治に一足遅れて私もお風呂に入ったから、少し疲れたのかもしれない。圭之進は私の後だったけど、シャワーだけだったのかな。
日はすっかり落ちて淡くインクを垂らした水みたいな空気に染まっていた。もうすぐ藍色。
夕飯の支度手伝わなきゃな、と思うけど、一日中日光の下にいたからちょっとだるい。受験生だからこんなことしている場合でもないけど、まあ二日間くらいいか。
あー、気を使っていたけど、ちょっと日に焼けた。
芽依が庭で圭之進に向かって明るく笑っていた。圭之進もさっきの気迫が嘘みたいに、くったくない穏やかな顔だ。
あの二人はあの二人でうまく行くんじゃないかと思うんだけどなあ。穏やかな日々なカップルになりそうなんだけど。
さっき私は、鉄治と私だけの関係を理由に、圭之進の介入を拒んだけど、本当は圭之進を巻き込みたくなかったんだ。そんなのあまりにかっこつけすぎだけど、でも、圭之進はこんな人間関係に巻き込んじゃいかん。でもそれを言うなら芽依だってそうだ。
にこにこしながら芽依は自分のバッグを圭之進の車に放り込んだ。二人が車に乗り込むのが見える。
何してるんだろうと思ったら、圭之進は車を出していた。彼の軽自動車が黄昏の道をライトをつけて消えていった。
あれ、じゃあ鉄治は何してるんだろう。
涼しいワンピースに着替えた私は階段を下りていった。鉄治がダイニングのソファに座って料理の本を開いていた。顔を上げて私に聞く。
「夕飯カレーにしようと思うけど?」
「キャンプっぽくていいと思う」
「タイ風だけど」
「……なんかちょっと違うね……」
普通のでいいじゃん。……ああそうか、きっと香辛料だ。
「ねえ、芽依と圭之進は何か買い物に行ったの?」
「え?別に足りないものはないはずだけど」
「でも今車で出て行ったわよ?」
「なんだろ。芽依が海に忘れ物でもしたのかな」
と、テーブルに置きっぱなしになっていた鉄治の携帯が、そして放置してあったバッグの中で私の携帯が短い音楽を奏でた。二人して顔を見合わせ、それぞれの液晶を開けた。
>>私とけーちゃんは帰ります。じゃあね。お兄ちゃんの車の鍵は隠しました。在り処は明日のお昼くらいにメールで教えてあげます。じゃあね
何?
意味がわからなくってぽかんとした私だけど、察するに同じ文章を受け取った鉄治は血相変えた。慌てて芽依に電話をかける。
鉄治の携帯から能天気な芽依の声が聞こえた。
「芽依!今どこだ!なんで先に帰る」
兄思いの妹と友達思いのけーちゃんだからでーす!と芽依はご機嫌だ。
「ちょっと待て、戻って来い!それが嫌なら僕も帰るから!おい!」
珍しく鉄治は慌てふためいている。まあ(あらゆる意味で)大事な芽依が、気に入らない男と二人きりなんて、鉄治には発狂ものだな。ざまあみろ、たまにはおろおろするがいい。
「二人きりにするな!」
まあ、私と二人になりたくないというのは新ネタだけど。
……そうか、二人になりたくないのか、お前……。
「芽依、車の鍵……!」
芽依はぷつんと電話を切ったらしい。
そして鉄治はへなっと、ソファに座り込んだ。
思い知れ、と内心ニヤついた私は多分ひどい奴。




