9-3
大騒ぎの店内から逃げ出した。
芽依は圭之進に担がれてなにやら騒いでいるけどしらん。傘をさす暇もなく、雨の中を走った。。
停めておいた駐車場で、圭之進の車の後部座席に芽依を放り込む。私がその横に乗り込んだ。圭之進があっという間にエンジンかけて鉄治が乗り込むやいなや発進させた。
「四人乗ると狭い車だな」
「文句言われる筋合いはありません」
圭之進の車は年季入った旧タイプの軽だ。四人を乗せて、はあよっこらしょとばかりに動き出す。今にも死にそうなロバをこきつかったような気分になるのはなぜだ。
「出して!」
芽依が怒鳴る。その白磁の頬は今は紅潮していた。多分それは怒りだけじゃなくて。
「芽依、酒くさい!」
「いいじゃない別に!」
「良くないよ。あんなろくでもなさそーな相手と一緒にいてどうするつもりだったの!」
芽依が鉄治並の黒さを持ち合わせているのならともかく、あんな狼連中と一緒じゃあっというまに食い散らかされちゃうよ。あんた自分が人形みたいな美少女だって自覚あんのか。
「まあとにかくうちに帰って落ち着いてから話をしようか」
「うちなんて帰らない!」
はて、鉄治の辞書に譲歩とか、いたわりとかそういった言葉があるとは知らなかった。そしてそれを手の平でたたき返す勢いの芽依。自覚がなくても惚れられているほうは強気だよなあ。
「いや……帰らないって言ったって」
私も圭之進も鉄治もずぶぬれだ。これ早くなんとかしたいんですけど。
「お兄ちゃんとなんて一緒に居たくない!」
全身全霊で否定するような強い言葉。それに私はうまく反応することが出来ない。鉄治のフォローをすべきなのか、芽依を諭すべきか、私は何が言いたいんだろう。
「芽依さん」
運転をしていた圭之進が穏やかに言った。
「お兄さんにそんなこというもんじゃないと思います」
芽依が大きく息を吸い込んだ。そのまま止めてしまう。表情が固くこわばっていた。まるで泣き出す寸前みたいな。
「俺が見てもあの店は普通の高校生が行くような場所じゃないと思います。俺だって一人であそこにいけといわれたらちょっと嫌なくらいです。でもお兄さんは一人で行って来ると言った。芽依さんをすごく大事に思っているからだと思います。そう言う人をそんふうに罵ってはいけない」
「バニラにはわかんないよ!」
芽依はひくっと喉を鳴らす。ていうか、芽依!!名前、名前ー!
芽依が今、うっかり圭之進をバニラと読んでしまったことにじわっと冷や汗をかく。サツキであるはずの私はほとんどそんな風に言わないのに芽依がそんな風に呼んだら怪しくないだろうか。
「確かに俺は門外漢ですけど……」
しかし圭之進は呼ばれ方にはまったく頓着しないで言った。
「……あの、俺どこまで送りましょう。うちでいいですか?」
「だから、私はうちには帰らないもん」
芽依は意固地になっているみたいだ。今まで私達が三人でいて、なにか困った事態になると鉄治が「こうしたらいいんじゃないか」って意見を出して、大体それが適当だったから私達は意見を聞いていた。
でも今鉄治は沈黙してしまったままだ。
「とりあえず、俺のうちのほうが近いですから、そっちに行きます?」
ありがとう圭之進。
圭之進のうちで順番に風呂借りて私と芽依はなんとか人心地を取り戻していた。服をいくつも置きっぱなしだった私は別として、芽依は圭之進の大きなTシャツを着ている。あの奇天烈な萌え萌えTシャツも、芽依が着るとなんかいけている気がする。
一番に風呂に入った圭之進は申し訳無さそうな顔をして、仕事場のほうに行った。
多分、木崎さんのことを思い出したのだ……あ、あのさ、明日もし木崎さんが圭之進の仕事の進行具合に怒り狂っていたら、私もちょっとはフォローする……よ。
廊下の向こうで、鉄治が風呂を借りている水の音がかすかにする。
「芽依」
私はすでに知り尽くしたこのお宅のキッチンから、冷たいお茶を持ってきた。芽依に差し出す。
ソファの上で膝を抱えていた芽依は受け取って、結構な勢いで飲み干した。そうだった酒飲んでたんだっけ。
「なんていうか、私も心配した」
「うん……ごめん」
芽依は小さくため息をついた。
「芽依が今回プチ家出したのさ……鉄治のせいにしていたけど、本当は私のせいなんでしょ?」
私は思い切って切り出してみた。だってどう考えても私が芽依の恋の邪魔をしたことがきっかけな気がする。
圭之進は私を好きになるわ、私は圭之進の家に転がり込むわで。
これで原因じゃなかったらミステリーサークルにだって宇宙人は一人も関わってない。
「千代子ちゃんのせいじゃないよ」
「嘘」
「嘘じゃない」
芽依はちらりと私を見た。
「……私、いつもお兄ちゃんの邪魔しているから」
ようやく確信めいた言葉を話す。
「邪魔?」
「あのね、私とお兄ちゃんって一つしか歳、違わないよね」
そうだなあ、中学生のころなんて確かに双子って言われればそれで済むくらいだった。
「でも、私、小さいころから病気ばっかりしていたから、お母さんって私を気を使ってばっかりだった。お父さんはいないから、お母さんは一人で仕事して私の面倒見て。だからお兄ちゃんは、お母さんにとってもお兄ちゃんだったんだよね」
「……意味がわからない」
「『自分の子供』っていうより、『芽依のお兄ちゃん』。自分のサポートしてくれる人。お兄ちゃん。小学生だったのに、お母さんが忙しかったら毎日病院に来てたりしたんだよ。しかも頼りにならなかったらどうしようもないけど、頼りになるなんてもんじゃないから、中学校の頃なんて、簡単な話ならお兄ちゃんが私の病状聞いたりしていたんだ」
……かわいくねえガキだ、と思うのは私だからであって、おそらく病院の関係者はきっと鉄治のけなげさに感動していたはずだ。二十四時間テレビドキュメンタリー級だ。スタジオ号泣。
「お兄ちゃん、年配の看護師さんから新人看護師さんまで、みんな虜にしていた。男女問わなかったなあ」
魔性の患者家族!
「でも、お兄ちゃん、誰にも甘えたり弱音言ったりしたことなかったんだ。それこそ、お母さんにも」
ぽつり、と言ったそのことと芽依の前の言葉がようやく繋がった。
『……誰かが私のせいで、遠慮するのが嫌なの』
圭之進が私を好きかもと私が告げたときの芽依の言葉。
ずっと芽依は母親独り占めで、かつそれを手放すまいと思っていたはず。でも後ろめたく思っていたのか。
きっと鉄治も誰かに甘えたいだろうに、それを全て自分が奪っているって。
「お兄ちゃんと千代子ちゃんが付き合って私が喜んだのは、ほんとは私のためなの。だってお兄ちゃん、千代子ちゃんにはすっごく甘えていたから」
「はあ!?」
やべえ、声を隠し切れなかった。なに『甘え』って。そんなもん見たことないぞ。甘える鉄治なんて見たら、学校七不思議が完成しちゃうくらいヤバイと思うよ。
「いや、鉄治は別に甘えてないと思うけど……」
「千代子ちゃんは人がいいから」
芽依にあまえんぼさんとサド野郎の差について懇切丁寧に解説すべきか私が悩んでいるあいだに(焼餃子と水餃子的な違いであろうか)、芽依はまた深刻な声を出していた。
「今回、バニラが千代子ちゃんを好きになったことも、それはもちろん私の自業自得だから別に仕方ないと思った。でも、千代子ちゃんは私に気を使ってばっかりで。ねえやっぱり私、人の邪魔しているよね。千代子ちゃんだってバニラ好きなんでしょう?今日一緒に来てもらってすごくわかった。あんな素敵な人いないもん。優しくて頼りがいがあってハンサムで」
まて、奴はさっきまでジェイソンかぶっていたが?
もちろん芽依の好みとしてはあの被り物はハンサムスーツなんだと思うけど……。
「千代子ちゃん、遠慮しているんだよね?私がバニラを好きだから」
遠慮していたのは、過去五年間に遡った分じゃー!
「いや、全然。まったく、ありえない。そりゃ圭之進はいい奴だと思うよ?思うけど、ちょっと違うんだって。恋愛として好きとは多分違うんだって」
「私もそのほうが嬉しいから信じたい、でもほんとは違うんでしょう」
「違わない。ていうか、芽依は圭之進を好きなんでしょう?私にこそ遠慮すんな」
「……正直、バニラが千代子ちゃんを好きなんて絶対許さない。別に私がバニラを好きだからじゃなくて、バニラが千代子ちゃんと両想いになるのがなにより嫌。だってお兄ちゃんには幸せになってもらわなきゃ困るんだもん。お兄ちゃんが好きなのは千代子ちゃんだし。千代子ちゃんにはお兄ちゃんを見捨てないでいてもらわないと困る」
あー、そうか。
屈折しまくっていてわかりにくいけど、四回角を曲がったら、一周したのか芽依の気持ちの背中が見えた。
やっぱり芽依の中でも、鉄治>>>>圭之進なんだなあ。それは鉄治の望む恋愛関係なんかじゃなくって家族愛と後ろめたさで構成されているけど。鉄治が聞いたら喜ぶかなあ。
「お兄ちゃんが私にもずっと優しいのが嫌だった。お兄ちゃんが私を嫌いでいてくれたらまだ良かったのに。なんでお兄ちゃんは私にあんなに甘いんだろう。なんなのあの人。あの人の兄妹愛がだんだん重荷になって、それでもううちに帰るのが嫌になってしまったんだ。もうやだ、私にかまわないで自分が幸せになってよ」
兄妹愛じゃないけど、それはとりあえず保留としておく。
「それ鉄治に正直に言えばいい」
「そしたらお兄ちゃん、笑って、『気にしなくていいよ』で終わりだもん」
いや、キスされるくらいのオプションはあるんじゃないかな。
「千代子ちゃん、お願い。私もバニラとつきあったりしないから千代子ちゃんもバニラと付き合わないで。お兄ちゃんと一緒にいて」
なんという無茶苦茶な。
「お兄ちゃんが好きなのは千代子ちゃんだけだから」
「いや、そうでもないよ……?」
と、鈍感な恋敵に指摘。でも芽依は叫ぶ。
「お兄ちゃんには千代子ちゃんと一緒にいて欲しい。私のことなんて気にしないで欲しい。私に気を使うお兄ちゃんなんて、大嫌い!」
むろん、今までの話を聞いていれば、芽依の『嫌い』は、鉄治への気遣いの裏返しと気が付くのだが。
「……ああ、ごめん。話の途中だったんだね」
今、扉を開けた鉄治の耳には、きっと芽依の最後の言葉しか入ってないだろう。
青ざめた鉄治は軽く微笑んで言った。
「ちょっと、煙草でも買ってくるよ」
煙草は二十歳になってから。
 




