9-2
「芽依!」
圭之進の手を振り払って、私は鉄治の横に急いで向かった。けれど一瞬振り返った鉄治の目がくるなと告げている。
芽依は五、六人の男に囲まれて、ソファに座っていた。これが、世紀末、あのイカれた時代で「これは最後の種籾なんじゃあー」と言いながらよろよろ逃げる老人を追うモヒカンパンクのバイク野郎みたいな連中だったら、私も奇声をあげて有無を言わさずその野郎どもに飛びかったけれど、芽依の周りにいるのはそんな連中じゃなかった。
なんていうか普通の高校生、みたいな男の子達なのだ。小奇麗で育ちだって悪く無さそうだ。顔だってけっこう整っている。芽依と付き合っても別に違和感ないくらいだ。
でもなんだろう、この気持ち悪さは。
「芽依、帰るよ?」
鉄治は彼らに目もくれず、芽依にだけ言葉をかけた。芽依が顔を向ける。
その表情はどこかけぶるように精彩がなかった。桃色の液体が入ったグラスを持つ手もどこか危なっかしい。鉄治だと気が付かないみたいだ。
「行こう」
鉄治が手を伸ばして彼女の腕をとった。
「いーやー!」
芽依が鋭く叫ぶ。そしてふり払った拍子に手からグラスが落ちた。ぱりんという鋭い音。
「おいあんた」
一人がゆらりと立ち上がる。その表情と動きに私はやっぱりなんとなく気持ち悪さを拭えない。最初は酔っているのかな、と思ったのだけど、それにしては陽気さが足りない。高校生男子が酒飲んでいて、こんな静かなはずがない。
一度芽依と出かけた時に、帰り、芽依の家に立ち寄ったことが会った。二年前くらいだったかな。その時たまたま鉄治の友達がいて、何人かで酒盛りをしていた。
……すげえ、バカな生き物を見たと思った。
なんで脱ぐのかわからない。必然性にかける。
とにかくあまりのバカトークに付き合ってられず、芽依と二人とっとと逃げ出したが、その一件で高校生男子ってバカ、という固定概念が定着してしまった。あとで、それは当時鉄治の通う高校の生徒会の連中だと聞いて、あまりのバカ加減に大丈夫かその高校と思ったものだ。それでも奴らは楽しそうだったけど、なんだか今目の前にいるのは。
私は彼らのテーブルを見て、そして気が付いた。
小さな紙の包み。煙草かと思ったけど、ただ紙を丸めたに等しいそれは。
「なんかキめてる……」
私は呟いたあと自分の奥歯がぎりっと鳴ったのを知った。
お前ら芽依にまでヤバイ薬つかってんじゃないだろーなー!
私はそう言って飛びかかろうとした。しかしその行動にでるまでもなく事態は急展開だ。
バキっていう小気味いい音のあと、盛大な破壊音がした。鉄治を見て因縁をふっかけようとしていた少年が殴り飛ばされてテーブルに上に落ちたからだ。テーブルは急な重みに耐えかねて足を折る。
「てめぇ!」
ほかの連中ももたもたとした動きで立ち上がった。
「おい、お前こんなことして」
鉄治の拳は相手の腹に鋭く叩き込まれる、もう一人も容易く床に沈められた。
「熊井さん、って喧嘩強いですねえ」
背後でのほほんと圭之進が呟いた。そうだな、一つくらい、喧嘩が弱いとか歌が下手とか弱点があってもいいのにな。
後ろで女の客が悲鳴をあげる。
「芽依、帰ろう。ここ芽依のいる居場所じゃないよ」
「ほっといて」
芽依は鉄治をねめつけた。そこにある敵意にも似た瞳の色に私は少し寒気がした。芽依があんなキツイ顔をするなんて信じられない。しかも自分を心配している相手に向かって。
「私が何をしようが、関係ないのよ!」
関係ないとか迂闊なことを言ったら、なにか別の関係を速攻で作ってしまいそうだ、鉄治の場合。肉親なんていう穏やかな関係じゃなくて、もっと禁忌なやつね。
「関係なくないよ」
鉄治のケンカが強いという噂は本当だったのか……。今まで何回か聞いたことがあったけど、いつものらりくらりで本当のことを聞いたことがない。強そうだなとは思っていたが……無駄に強いに訂正しよう、うん。
しかしそんなことやっている場合でもなかろうよ。芽依を回収すればここにいる意味は無い。
「鉄治!」
私はついに飛び出した。彼が振りあげた拳を両手で掴む。
「なにやってるの」
「いや、だってこいつらが芽依を放さないかな」
「行く気がないっていってるじゃない!……って千代子ちゃん!」
芽依は私を見てようやく完全に目を覚ましたみたいだった。
「ええっ、そのかっこ……っていうかお兄ちゃんなんで女装なの!」
「大人の事情だから」
息のあった曖昧な笑顔を私と鉄治は揃って浮かべた。
「ということで長居はできないの」
「いやっ」
話は平行線だ。ただ、この騒ぎを見つけて店員とかがこっちに気がついているとかいうのが、あまりいい変化ではないけど変化。あと鉄治に一撃必殺でやられた人々にも仲間らしきものがまだいて、フロアからこちらに集まりはじめた。
「鉄治」
やばいですよ。こんなところで掴まったら、売り飛ばされちゃうよ!
私のあせりなんて気がつきもせず(気が付いているかもしれないが、完璧スルーだ)鉄治は芽依の肩をつかんでゆさぶった。
「芽依、なんでこんなところにいるんだ」
「道を歩いていたら誘われたの!」
「奴らからへんな薬とかもらったのか」
「貰ってない。お酒のんだだけ」
芽依は身を捩って鉄治の腕をふり払う。
「だいたいお兄ちゃん、私にかまいすぎなのよ!」
芽依は誰でもなく、ただ一人、鉄治にだけ敵意を向けていた。
「変装しないと来られないようなまずい場所ならくることないのに!」
「芽依!」
なぜいつも止めるのが私なのか……。
「芽依、そこまで言っちゃ……だって鉄治は心配して」
「千代子ちゃんだって変だと思わないの?お兄ちゃん。いつも私ばっかり優先して、ねえ私だって、そんなのおかしいって何回も言ったんだよ。千代子ちゃんはのん気だから許しているけど。普通だったらふられちゃうよね?」
なるほど私は普通じゃなかったのか!腑に落ちた!がってんがってんがってん!
「そんなことより早く撤収しないよと。ねえ芽依」
「いや、私は帰らない」
困った。
「芽依」
鉄治は芽依の糾弾のせいか、どこか青ざめていた。
「芽依、話は帰ってからしよう?」
「彼女だっているのに私にべったりでおかしいよ!私に優しくしないでよ!」
芽依は。
芽依は何を考えていたんだろう。
芽依の言葉からはお兄ちゃんが嫌いだというニュアンスは感じ取れなかった。それでもこのいらだちは。
「しょうがないなあ……そうだ、あいつ、来たからには役立ってもらうか」
鉄治は芽依の腕を掴む。そして放り投げるようにして、フロアの一角に突き飛ばした。
「きゃっ」
芽依の短い悲鳴はすぐにやんだ。ぼんというぶつかる音。芽依を受け止めたのは圭之進だ。そのまま反射的に彼女の膝の後ろを拾って腕に抱え上げる。
「……ジェイソン……?」
芽依はあっけにとられる。鉄治への怒りが一瞬立ち消えたみたいだ。
「なんで、ここにいるの?」
「一身上の都合です……」
そんな世知辛い理由でシリアルキラー引退とは!でも芽依はそんなおっとりした返事に一瞬の空白の後、薄く笑みを返したのだった。そのままぎゅっと彼の首に抱きつく。
その微笑を見てから、私ははっと気がついた。
もしかして。
芽依はあれが誰か気がついているのか?
そのまま圭之進は芽依を抱え込んで一目散に逃げ出した。
「千代子さん!」
周囲はこっちにケンカ売る気満々の人々ばかりだというのに一瞬油断してしまったのは私だ。気がついた時には誰かに腕をひっぱられていた。
「痛い!」
床に引き倒されそうになって青ざめた。倒れたら多分蹴飛ばされると予想できたから。多分ここは店とかじゃなくて、自然とその手の人達が集まっているたまり場みたいなところなんだろう。いることそのものが問題になるくらい集まっている人達もヤバイ。ここに来てはじめて本気で怖さを感じた。
叩きつけられる痛みを予測していた私だけど、それはしばらく待っても来なかった。とっさに閉じてしまった目を開けると、そこには鉄治がいた。
「鉄治」
相手を殴りつけてその勢いで蹴り飛ばして床に沈めた鉄治は私を見て微笑んだ。わ、私が引き倒されそうになっていたところ見ていたという事実にびっくりだ。芽依しか見えてないはずなのに。
「大丈夫?千代子さん」
なにその無駄な爽やかさ!テニスの試合後かと思ったわい。
その男に代わって鉄治は私の手をつかんだ。
「行くよ」
鉄治にこんな風に手を繋がれるなんて随分久しぶりな事に思えた。そうだ、あの空港以来だ。
あれは全然昔の話じゃないのに随分何もかもが変わってしまったような気がする。
「よし、走ろう、千代子さん」
引きずられるようにして走り出した私は、階段を駆け上がる鉄治の後ろ姿を見つめていた。鉄治は私に対して何か変わったのかなあ。だって私は凄く変わってしまったのに。
あのころ私は鉄治を好きな自分が嫌いだった。
だって無意味だし虚構ばっかりだし、徒労感まみれだし。
今は。
今はちゃんと好きなんだよ。はたから見たら一人で空回っているみたいだろうけど、私はそういう自分でいいって思っている。それはそれでもうケリがついた自分の気持だからいんだけど。
でも鉄治が私をどう思っているか、知りたいなとは思った。




