9-1
繁華街の裏道。壁にはスプレーによるラクガキが無数に描かれているような通りだった。
芽依の行き場を追って私達がたどりついたのはそんな場所。ここかなあ、と鉄治が言ったのは、書きなぐったようなアルファベットで店名が書かれた店だった。地下に入り口があるようだけどそこに向かう薄汚れた階段からはすでに店のものらしき音楽が漏れ出ている。その音量からすれば、店内は話も出来ないくらいうるさいだろうな。
クラブかバーか。
どんな店かはわからないけど、ここに芽依がいるとはとても思えないくらいだ。
そして車を近くに止めて店の前に立ったのは。
さらりとしたロングヘア、細身のスーツ姿の美女。
学生帽を目深にかぶった制服姿の男子学生。
そして、ジェイソン。ジェイソン・ボーヒーズ。13日の金曜日、キャンプ場で頭悪そうなカップルにあれやこれやしちゃう古典的シリアルキラーの人だ。
「よし、突入」
「なにがよし、だ!」
私はうまれてはじめて鉄治に裏手でつっこみを入れた。
「そうですよ!なんで俺だけこんななんですか!」
「圭之進、そういう問題じゃない」
どいつもこいつも!
頭に血を上らせた私に、長い髪の毛を耳にかけて、鉄治は微笑んだ。どこで覚えたか知らないが、完璧な化粧の美女。雰囲気としては一流商社取締役のキレ者女性秘書といった雰囲気だ。鉄治の中学時代の制服を借りた私の帽子をぽんと叩く。
「だって、そのままこの店に出入りして、顔を覚えられたら大変ですもの。いらぬ恨みは買いたくないでしょう?」
母親のスーツを勝手に拝借した鉄治はこともなげだ。
「言葉遣いが怖いよー」
「怖いって失礼だなあ。姫宮ジェイソンも頑張って」
「お、俺は怖い映画は苦手なので、ジェイソンさんの性格とかよく存じ上げないのですけどー」
圭之進は、芽依の部屋で発見したジェイソンのマスクを勝手に借りてきた。なんでこんなもの芽依が持っているのかと思うけど、まあきっと…。
私は芽依の部屋のフィギュアとかビデオラックを思い出してかなり背中が冷えさせた。もしあの周辺で幼児殺害とか起きたら、芽依が疑われかねないラインナップだった。
「姫宮さんには、別に何も期待していないから。なんなら車で待ってていて」
「いやです、俺も行きますよ」
なんだか私と鉄治のテンパリ加減をみて、圭之進も責任を感じてしまったらしい。結局店まで着いていくとか言い出して、鉄治が投げやりにジェイソンのマスクを与えたのだった。
「じゃ、そんなわけで」
つーか、この三人じゃ目立ちすぎやしないかね。
「ねえなんでそんなに女装慣れしているの?アイテムも充実で」
階段を降りながら私は尋ねた。
「まあ男子校だからその手の余興は結構あってね。なにせ僕はこの美貌だろう?何かといえば僕だったわけだ。で、連中もやればやるほど僕が怖いくらいの美人に化けるんで段々エスカレートしてさ。僕の高校はわりと金持ちの子息がいたからくだらないことにも金かけていたしね。この品はその時の名残」
「も、もしかしてくせになったりしてる?」
「まさか」
鉄治はそういった後に、なにやらニヤリと笑った。
「でも千代子さんとこの状態の僕なら、百合っぽくていいね」
階段で足を止めた鉄治がその指を私の顎にかけた。
「お姉さんがいじめてあげる」
「シャレになってねーよ!」
私の後ろで圭之進が怯えてるだろーが!
「だいたい、こんな場所に美人秘書と学生とジェイソンが楽しく一緒にいるということがおかしいとは思わないのか!学生とジェイソンはともかく、美人秘書はどう考えたって違和感ありまくりだろうが!」
「千代子さん…学生とジェイソンも十分変です」
わあわあ口論しながらしめっぽい階段を下りきったところで、こちらが開ける前にドアが開いた。出てきたのは、またガラのわるそーな、若いのが一人。二十歳くらいかな。少し酔っ払っているようだった。そのとろんとした目は、我々一団の一番前にいた鉄治を見て、間違いなく見とれた。
「失礼」
完全に無視し鉄治はすり抜けようとするけど、その美貌はやはり彼にとって気になるものとなってしまったらしい。鉄治の手首を掴んだ。
「ねえお姉さん、こんなところでどうしたの」
にぃっと彼は笑う。
「ここに用がありそうな感じじゃないけど」
「ごめんなさい、急いでいるの」
鉄治の声は小声だ、確かに声は気をつけないと地の低い声が出てしまいやすい。
「誰か探しているの?ねえそんなことよりも」
しつこく言葉をかさねた彼の視界にどうやら我々は写っていないようである。これ見えてないのってスゴイね。彼は鉄治の顔を深く覗き込む。何のかんの言ってずうずうしくその髪の毛まで掴んだのだった。思ったよりあらわになった鉄治の顔に、彼は動きをとめた。
「あれ…お前、なんかどこかで…」
「しつこい」
鉄治の声は刃の鋭さを持っていた。軽く右手が動いて肘鉄が、超ピンポイントで彼のみぞおちに叩き込まれる。
小さく息を吸い込む音を立てて、彼は床に転がった。目を回してしまったらしくそのまま起き上がらない。
「ひどい、鉄治」
「なんで」
「なんの罪もない酔っ払いを!」
ごめんごめん、とまったくごめんと思っていない顔で、鉄治はその不運な少年を通路のダンボールの影に押し込んだ。したたかに殴られていたけど、ちゃんと生きているんだよね?
「でも以前騒ぎのときに、この人あったことあるんだ。どうも向こうも思い出しそうだったから。思い出されて仲間とか呼ばれるとちょっと面倒な事になりそうだ」
「殺してないよね!?」
「大丈夫だよ。僕が、こんな計画もなく、ただすれ違いざまに人をやったりするわけないだろう。後片付けの用意くらい最初にするよ」
計画性があればいいのか、うん、いいんだろな!
鉄治はようやく扉を開けた。
薄暗い照明の中から鼓膜に叩きつけてくるようなねが聞こえた。私も眉をひそめる。中では思ったより大勢人がいて、フロア一杯踊っていた。倉庫みたいな無雑作なそこには、床に直置きで古びたソファが置いてある。そこには座っている人々もいたけど。なんというか、教育上よろしくないというか…。
けっこう濃い感じにみなさんスキンシップを取られておられます。
鉄治を先頭に私達は人の波を割っていく。混雑した中でも鉄治の足取りは重くならない、こういう密集の中も歩くのは慣れているみたいだ。
いまさらだが、なんで鉄治はこんなところに通っていたんだ。酒飲みたいならこんな落ち着かない場所でなくてもと思うし。ほんと謎な奴だな…。
と、肩を叩かれた。振り返ると圭之進がなんか言っている。しかしジェイソンいてもみんなお構い無しだ。ほんと、トランス同然で自分の世界だなあ。ちょっと常軌を逸しているくらいな。
「なに?」
私は圭之進に返事をしたけど、それさえ届いていないみたいだった。圭之進はマスクしているし、もっと声がでないかな。
それに気が付いた圭之進は、マスクをはずした。そして一度ため息を付く。少し汗ばんだ顔で笑った。私の手をつかんで引き寄せる。困ったな、立ち止まっていては鉄治を見失ってしまう。
「何?」
圭之進の口がはっきりと動く、でも声は聞こえない。
不思議な気持ちになる距離だ。
困ったなあ。何が言いたいんだろう。
突然、圭之進は私の手を強く引いた。ぎゅっと引き寄せられて、まるで抱きしめられているみたいに彼は近い。
「圭之進!」
鉄治に見られたら困るじゃんか!と私はそれを突っぱねる。それを圭之進は否定も非難もしなかったけど、見上げた顔は寂しそうだった。彼がいま何を思っているかはわからない。
いや、嘘だ。
圭之進は私がやっぱり鉄治を好きでいることに気が付いているんだろう。そして圭之進は私を好きなままで。
熊井の家にすっとんできたのだって、私のことを思ってだ。
それだけ思ってくれているのになあ。どうして私は鉄治を選んでしまうんだろう。どう考えても外道なのに。
私を好きかどうかも怪しいけれど、それでも鉄治がちょっと触れただけで私は嬉しい。圭之進といれば落ち着くし安心するけど、それは恋として私が求めているものではなかった。
圭之進は最後にもう一度何かを言った。
聞き取れない事はもどかしい。でも聞き取れなくてよかったのかもしれない。
私が聞こえないことで圭之進は諦めたらしい。マスクをかぶりなおすと、私の手をとる。振り返るとその先には鉄治の姿はなかった。慌てて人ごみのなか彼の姿を探す。圭之進をひっぱって進むけど、なかなか前に進めない。
突然その人ごみが抜けた。勢いあまってよろけた先には、ちょっと余裕にあるスペースがあって、ソファが置かれていた。
一足早く人の輪をくぐりぬけた鉄治がまっすぐ向かう。
そこに、芽依がいた。
 




