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「芽依は今週どうだった?」
鉄治が私と会うのは、鉄治の目が届かない芽依の学校生活をきくためだ。
人はデートと呼ぶが、どちらかというと、動物観察日誌の評価みたいな気がする。鉄治先生は追求が厳しい。
鉄治は芽依を見知らぬ人間にさらすのをひどく嫌がる。芽依が私以外の誰かと一緒に居るとそれが女であろうともあまりいい顔をしないぐらいだ。
だから芽依が全寮制の女子高校に行くといった時、親は反対したが一番賛成したのは鉄治だ。
多分寮生活で女子校なら、誰かと知り合って恋に落ちることもない。そんなに露骨で恥ずかしくないのか、鉄治よ。
「元気だった、貧血を起こすこともないし。部活も頑張っている」
「お兄ちゃんに会いたいっていってなかった?」
「そんなこと言うわけないじゃない」
それは願望だ。
「やっぱり僕は『自慢のお兄ちゃん』で終わるんだなあ」
今更な言葉に私は呆れつつ同情した。
近親相姦であるということは、鉄治に指摘しても糾弾してもしかたない。鉄治自身が一番そんなことわかっているのだ。だから彼も何も出来ない。
鉄治と私が付き合うことを一番喜んだのは芽依だった。
「お兄ちゃんに千代子ちゃんはもったいないけどなー」と彼女は笑いながら祝福した。その嫉妬のなさに私は複雑な気持ちになり、そして鉄治は絶望した。
私は優しいので、ド変態とか行き過ぎたシスコンとか、ぬるい表現をしてやっているが、あいつの考えていることは、なにはともあれ近親相姦だ。聖書にだってやっちゃなんねと書いてあるくらい、外道なことだ。そもそも世界には五十億人越えの人類がいるのに、なんで同胎を選ぶんだ。世界がちいせえぞ、熊井鉄治。英語ぺらぺらなくせに、恋愛観は超ミニマム。
…鉄治は芽依にそれを押し付けたくないのだ。
棘しか生えていない小さな世界に芽依を閉じ込めたくないと、彼の兄としての良心はこれ以上なく願っている。
けれど、一方で芽依を諦めることも適わない。男としての彼は、芽依に対して高潔なままではいられない。
選べないままあいつばかりが、いばらの檻で立ち尽くしている。
本当は、私はその檻から助けたかったんだ。でも私では力及ばなかったのか。だってあいつのいばらをはらうには、私だってトゲに刺さる。それが結構が痛かった。
鉄治は私とつきあうことで、芽依が自分を兄としか思っていないと言うことに気が付かされたのだ。
ざまぁ、と思わなかったといえば嘘になるのだが。でも私だってうんざりする事実と直面させられたからおあいこだ。
鉄治は私を相棒としか思っていない。
私は鉄治を誰よりも理解していると思う。鉄治にだって、もちろん友人はいるけれど、そんなものよりずっと私のほうが彼の苦痛を理解していた。
私自身は時折他校の生徒から、なんか告白されたりもしたのだが。後ろに控えている鉄治のことを思うと、うっかり受けることもできなかった。鉄治も他の女の子から告白されたことはもちろんあっただろうけど、以下略。
芽依は、千代子ちゃんだったらお兄ちゃんじゃなくて、もっといい人いるよー?とそそのかしてもくれたのだが、だってこええんだもん、熊井鉄治。言えないけど。でも芽依は私と鉄治がつきあっていることを本当に喜んでくれていた、
まったくね、芽依がもっと嫌な奴だったら、私も鉄治を見捨てられたのに。
私は、芽依を傷つけたくない。彼女の大事なおにいちゃんを私がふったら、芽依は私を責めたりはしないだろうけど、がっかりする。
芽依は優しいから、私は彼女を傷つけたくない。それだけなんだ。
…ああ、私も鉄治のように息をするごとく嘘がつけたならよかったのに。
嘘だ。そんな友情なんてきれいなもんじゃない。表向きの彼氏でしかない鉄治と別れないのは私の勝手だ。
芽依のせいじゃない、親のせいでもない、鉄治の責任ですらない。
私は身勝手で私を見ない鉄治を嫌いながら、それでも彼を好きなんだ。
なんであんな男を好きなんだろうと思う。そもそも始まりは、彼が私を脅してきたのがきっかけだ。それストックホルム症候群なんじゃなかろうか。
相手にいつ恋心なんで芽生えたというのだろう。あれか、気が付かないうちに増えているカビみたいなものだろうか。なんか発酵しそうだ。
私はもちろん彼に気持ちを伝えたことがない。
でも私が鉄治を好きだと言うことがわかれば、鉄治は絶対何がどうなろうとも私との交際を停止させるだろうと知っている。
もちろんそれはあいつの優しさなんかじゃない。打算だ。
恋をした女の子が御しにくいということを彼は知っている。私が鉄治を好きだと打ち明けたら、まず鉄治が心配するのは暴走した私が芽依に何をしでかすかということ。ニセ彼女から一気に敵認定くらうこと間違いない。
敵と認定したが最後容赦ない。あいつが反撃することによって、ぺんぺん草も生えない状態になっているのを私はなんども見た。
鉄治が極限に優しいのは芽依だけ。
芽依をモノにしただけだったら、とっとと押し倒してしまえばよい。芽依も芽依で優しい奴だから、言い含めようとすれば簡単だと思う。彼女だって鉄治のことは兄としてしか見ていないだけで、好きなことは変わりないのだから、既成事実をつくって丸め込んでしまえばなんとかなったはず。
そうしないのが鉄治の芽依だけに向けられる弱さで優しさだ。
私も言えず、鉄治も言えず。
そして芽依は何も気がつかない。
だから、私は注意深く、鉄治のそばにいる。
私が鉄治を好きだということはけして鉄治本人に気づかれないように。
彼は私をバカだと思っているかも知れないが、私だってそれくらいのことはできる。
早く新しい彼氏を作ってあいつと縁を完膚なきまでに切りたいと思ったのだがなかなか上手くいかない。
だからこの膠着はずっと続くような気がしていた。
「どうしたの、今日はぼんやりして」
車を運転していた鉄治が声を欠けてきた。
「ああ、暑いから」
「そうだね、もう真夏だね」
「もしかして鉄治はもう夏休み」
「一応ね。でもなんだかんだで毎日学校行ってるよ」
鉄治はにこりと笑った。
この間免許取ったばかりだろうというのに鉄治の運転は慣れたものだ。まったく無駄のない動きでギアを変えていく鉄治の手を見ていた。
なんでも器用にこなす鉄治も恋だけはままならないのか。
私がプラタナスになったのは、この膠着に耐え切れなくなってきたからだ。芽依から鉄治がこのSNSをやっていることを聞いて入り込んだのだった。私も書き込むときには男子高校生らしく書かなければいけないが、それはむしろ気を紛らわせた。
私の目的はただ一つだ。
鉄治の本心…まだ聞けていないが。
もしかしたら、本当は鉄治も私を好きだという話をきけるのではないかと思っていた私のおめでたさは、モンドセレクション受賞モノだ。
でもこれしかないと思ったのだ。鉄治はどんなに仲のよい人間でも、ほとんど本心は話さない。かといって他人にはもっと自分の中身を見せない。一体どのバランスならお前は本心を話すのだ!
鉄治にも男の友人がいるが、それもあまり彼の本心は知らないだろうなと思う。そして私もあまりに彼に近すぎて鉄治の相談をうける位置ではない。
けれど新しく仲良くなって、そして顔さえ知らない人間だったら、鉄治も何かを話し始めてくれるのではないかとかと私は願っていたのだ。
それは、まだかなっていないけれど。
だから私はプラタナスが自分だと打ち明けないまま、会話を続ける。
時々、いつか正直に顛末を話さなければ行けないのだろうかと思うときもあるけれど。今はまだプラタナスでいたいと思う。
私は芽依の今週の話をせかされた。運転しながらではあるけれど、鉄治は私と世間話をするときの数十倍の真面目さで話を求めているらしい。
私の前では気取るところがない。しかしそれを許せるほど、私は懐のふかいバーのマダムではないのだ。お前ちょっとは私の話を聞こうとか思わないのか。
私も友達の彼氏の話を聞きながら鉄治のことを思い出したり、宿題しながら鉄治のことを思い出したり、寮で御飯を食べながら鉄治のことを思い出したりと、いろいろうざいこと話せますけど、本当は。
ていうか、こんなにこの外道を好きでどうするのだ自分。
ただでさえ、模範生徒の自分なんていう着ぐるみが重くてあっぷあっぷしているのに、鉄治の前でも「あれ、鉄治いたの?」みたいなクールな態度でいなければいけないなんて、かなり難易度高い猫かぶりだ。
「今日は夕御飯はどうする?」
「鉄治は芽依を迎えに行くんでしょう?だったら私はまっすぐ家に帰るから」
「ありがとう」
いつか言ってくれないかと思う。
いいよ、今日は千代子さんを優先するから。
…なんてな。
その言葉のありえなさに、私は肩をすくめて、少しだけ翳ってきた外を見ていた。