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貧乏くじの姫と嘘つきな王子の寓話  作者: 蒼治
八幕 蛙の王子様の血の色
38/50

8-3

「でも!」

 私は鉄治を不自由な手で押し返しながら言った。


「でも、鉄治はちゃんと芽依を好きでいたじゃない。奪うこともなく、ずっと待ち続けて居たでしょう?そういう気持ちをわかってるんでしょう?」

「だからね、それは芽依が芽依だからじゃなくて、芽依が妹だから、だったんじゃないかって気がついたんだ」

「は?」

「絶対手を出せない相手だから、好きだったんじゃないかって。ありがたいことに僕は性格的にはものすごくモラリストだ。親は大事にしなければいけないし、妹に手を出してはいけない」


 闇の中でも、私が青ざめたのが分かってしまっただろうか。だめだ、鉄治。それを認めてしまってはいけない。だってそしたらあんたの五年間って。

「唯一報われないからこそ、唯一好きだと思いこめた相手なんだなあって」

 芽依に対して、鉄治は絶対手を出せない。片思いなら、自分が本当の意味で人を好きになることがないのでは、という絶対的な不安と向き合わなくて済む。永遠の曖昧さに安住していられる。


「結局、僕は自分に対して一番嘘をついていたんだ」

 鉄治の手が私のシャツの裾を割った。

 今鉄治が私を押し倒しているのだって、鉄治が「やっぱり千代子さんが一番好きだったんだ!」って解脱したわけじゃない。彼が自分でも言っているように、とりあえず、自分のものだと思っていたものが他人に取られるのはとても不愉快、程度の認識だ。

 それで、芽依を好きな自分も否定してしまった。


 もう鉄治、今は何も信じるものがないからのこの暴挙。


 まったくアホか。子どもと変わらん。

 でももっとアホなのは私で、まあ鉄治相手なら、別にこの際最後までいってもいいかと日和ってしまっている。本当は私のことなんて好きじゃないのにー!と泣くにはもうなんか今更すぎて馬鹿馬鹿しい。

 それにそもそも私は鉄治を好きなわけであるし。


 鉄治は闇の中私の体をまさぐっていた。まだ雨に濡れて重みを含んでいる制服のスカートの裾から手が入り込んできて、腿に触れた。冷たかった分だけ鉄治の手が熱い。

 その温度で、私はいきなり怖くなってきた。

 そういえば、鉄治は誰かとこういうことしたことがあるんだろうか。今までずっと芽依が一番で、かといって彼女に手をだせるわけでもなく。一番手を出しやすい私には触れることさえ今日がはじめてくらいだ。


 でも大学じゃあ、もてているっぽいしなあ。芽依が何かのときに大学に行ったら、鉄治の周りに女の子が結構いたって言っていたし。

 工学系の大学で、男女比7:3だって言っていたからそれってすげえことじゃないのかなと思う。需要と供給のバランスを崩す要因だ。インフレとか大丈夫か。

 それはともかく…鉄治はなんかどうでもいい相手を選んで適当に手を出すような人ではないと思う。それが芽依に対するある意味、誠実な変態道だと思っているっぽいもんな。


 じゃあ、今、手を出されている私の意味は?

 芽依の代わり、というのでもなさそうだし。しかし『もしかして私のことを好きなのか』と勘違いするには私はやさぐれすぎている。

 ああ、怖いなあ。

 いやそれよりも、鉄治とそういうことする自分という存在がわからなくなってきた。自我崩壊の危機と言ってもいい。だって相手はあの鉄治だぜ?


 素朴に確認したい。

 それって標準的なものであるのか。

 一秒間に二百回鞭を振るえるとか、舐めただけでどこのメーカーのろうそくかわかるとか、五秒で亀甲縛りができるとか、そう言う特殊なスキルがない私ですけど大丈夫ですかね!?まったく素人さんですけど。


 ああ、駄目だ、私ほんとに怖いんだ、こんなくだらないことで頭いっぱいなんだもん。


 鉄治は私を女として見たことはないと思う。でも私のほうも今まで鉄治をあまり男としてみたことなかったのかも。だってこんな生き物他に見たことないし。

 だから急にこんなことになってテンパリ最高潮。

 どう考えても嬉しがってちゃいけのにちょっと嬉しい。が、その数億倍悲しい。そしていまだかつてないこの恐怖。

 別に嫌じゃないんだ。怖いだけで。


 でもその怖さを言うことはなんだか気が引けた。ていうか、なぜか鉄治に弱さをさらすのはものすごく悔しい。「はじめてだから優しくしてね」とか可愛くいっちゃう自分ってどうだ。ああそれは私ではありませんね、人違いです。

 まあそんなわけで嫌ではない。鉄治が私を好きじゃないというのは私にとっては今更なことなんだ。

 でも好きってなんだろうな。

 鉄治が思うほど、純粋に誰かを好きでいるひとなんているのだろうか。


 打算とか惰性とか自己都合とか、そう言うものがまったく入り込む余地のない恋愛なんてあるのかな。それって童話のなかくらいにしか存在しないんじゃないの?あいつら靴のサイズで恋したり、死人にキスしたりするような変人ぞろいだけど、ピュアと言えないこともないかもしれん。常識的には…さ、奪わずにはいられない一般的な恋が現実になんて存在しないんじゃないかと思うんだ。


 鉄治はものすごく性格捻じ曲がっているけど、その彼が求めるものの純粋さに、私は切ないような気持ちになる。

 鉄治が恋とはこうあるべきだと願う気持ちは、何かの結晶のように綺麗な気がする。だからこそそんなものありえない。

 ありえないのに願う彼は。


「なんで嫌がらないの」

 ぽつりと鉄治が言う。

 私は一つため息ついて、それから微笑んだ。多分見えていないだろうけど。


「私はあんたを好きだって、言ってるっつーの」

 ご存知じゃありませんか?と言ってみたかったけど、ちょっと嫌味すぎるかな。鉄治はふと身を深く倒して私に口付ける。

 私は押し返すのももうやめた。それがかえって彼には不思議だったらしい。

「だからさ、嫌なら嫌がってくれれば」

「そしたらやめるんかい」

「いや、余計燃えるかも」

「ふざけんな」

 その時、私の頬に何かが落ちた。その正体がわかって私は息を飲む。それはこわばりとなって鉄治に伝わったみたいだ。

「千代子さん」

 闇は相変わらず深い。雨の音で彼の声だってときどき聞こえなくなりそうだ。


「嫌なんだろ?」

「嫌だったら全力で突き飛ばしてる。できることなら蹴りも入れてる。嫌じゃないんだよ」

「嫌がらないなんておかしいだろう」

「私もそう思うよ」


 何でだろうなあ。なんで私、拒む気にならないのだろう。

 鉄治が求めているものが、あまりに綺麗すぎるからかな。そんな綺麗なものを求めること事態が、彼の間違いなんじゃないかと思う。でもそんなことで駄目出ししていいものか。人様の変態道につっこみいれるなんてちょっと不遜じゃねえ?とか思う。でもそれ言えるのって私だけなんだよなあ。

 でも鉄治がかわいそうだから、なんていったら、一体どんな外道な仕返しが待っているのかちょっと想像付かない。まず手始めに、人に言えない自分の恥ずかしい話百選とか、そのくらいは追求されそうだ。


「私が鉄治にして上がられることがこれぐらいだってことが理由かな」

 ちょっと綺麗すぎるけど、間違ってない。

「…何?」

「まあ搾取されまくっていて、今更言うのも恩に着せるみたいだけど、私は鉄治が幸せならいいなとずっと思っていた」

 よいしょと私は身じろぎして、両手をひっぱりだした。手首を鉄治の首の裏に回す。そのままひっぱると、鉄治は私の目の前まで頭を落としてきた。


「だから、鉄治が泣いているのを見るのは私も悲しい」

 私の頬は涙で湿っているけど、それは私が流したものではない。上にいる鉄治から落ちてきたものだ。

 なんなんだよ、鉄治。泣きたいのはどっちかっていうと私のほうなんだよ。ずっと片思いでないがしろにされて、どう考えても私だろう。

 大体鉄治が泣くなんておかしい。超理性の人で、そういう感情的なぶれをあまり見せたことがないから。


 でも鉄治も何かに対してどうにもならないいらだちを感じているんだろうな。自分を冷徹に分析することも得意な鉄治なのにそれが出来ないほど、奥底にしまいこまれた何かがあるんだろうと思う。

「…泣いてないよ」

 鉄治は低く言った。

 そうかいそうかい、どこまで可愛げのねえ男だな。

「それならそれでもいいけど」

 でももう一回、私の頬でパタ、という小さな水の音がした。かすかだったけどそれは確かに鉄治の耳にも入ったようだ。


「…別に泣いてないから」

 …。

 …やべえ!今ちょっと私、鉄治に萌えた!

 そうだよね、鉄治だってやせ我慢とかすることあるだろうけど、今まではそれがやせ我慢だとも気が付かせなかった。でも今、まちがいなくこれやせ我慢!なにこの可愛い生き物。見たい!早く電気付けこのやろー!


「千代子さんは嫌な人だよ」

「類は友を呼ぶって言葉、知ってる?」

 ふっふっふ、やだちょっと奥さん、今、私、鉄治をからかっているじゃありません?

 私、鉄治のこと、好きだなあ。

 自然にそんな気持ちがわきあがってきた。ああ、なんか、今なら私にもできるかも。

「そういえば、ちゃんと言ってなかったけど」

 頑張らなくても、今なら大丈夫。

「私、鉄治のこと好きだよ」

 ほら、素直に言えた。

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