7-3
「な、なんなのあんた」
数日後うちに来た木崎さんは、リビングで死んでいる私をみつけてくれた。圭之進は仕事しているが私はソファの上で転がっている。
「もう人生に疲れました」
「私なんて毎日だ」
……大人ってしんどい!
「で、なにか愉快なことあったの?どうしてもというなら聞いてあげるわよ」
木崎さんは私の向かいのソファに座った。おお相変わらずの上から目線。
「いたいけな高校生に冷たい」
「やかましいわ。他人が自分に興味を持ってるなんて思うな。だいたい高校生の相談なんて聞く価値ゼロ。聞いてやるのは圭之進が絡んでいたら困るからなだけ」
爽快なほどの自己中心的な態度だ。
でもその無関係ッぷりがちょっとありがたい。
「じ、実は」
私は一生懸命考えながら話す。
「AはBを好きなんですけど、BはCを好きなんですよね、でも絶対CはBに恋愛感情は抱かない……で」
「紛らわしい!」
プライバシー保護のため全て仮名、にしていたのに!個人情報保護法!
「あれなんでしょ。圭之進はあんたを好き、あんたは別の男が好きなんでしょ。でもそいつはそいつであんたなんてどうでもよくて誰か別の奴が好き。はい、終了。おめえの好きな男を選べ!」
「もう選んでます。でもあいつは私のことなんて好きじゃなくてただ利用しているだけなんだー、くーやーしー!」
「うざい。もう帰る」
「わあ、まって木崎さん!」
私はソファから飛び上がって彼女のスカートを掴む。
「だってもー誰にも相談できないんですよう。私が好きな男が好きな子は私の親友だし」
「親友はなんだ、あんたの好きな奴の気持ちに気がついて振り向いたりはしないの?」
「それはない」
そもそも兄だし、あなたの弟さんを好きだし。いいやこれは伏せておこう。
「悔しいなら捨てればいいじゃん」
「でも気になる!」
「じゃあもう尽くして尽くして尽くしまくれ」
「もうやってる!」
「じゃあもう諦めろ、無理筋案件だわ」
歯に衣着せぬ御意見ありがとうございます。でもそれ番組だったらピー音なりそうなくらいぶっちゃけてます。
「お願いです、大人として私にはまったく想像できないような目からウロコ的ナイス意見を下さい!」
「えっ、大人に期待しすぎ」
ぺしっと私の手をふり払って木崎さんはバッグをつかんだ。くそう。その背中に向かって私は恨めしく言う。
「そんな冷たい態度だったら、圭之進を誘惑してやる……。あんなこととかこんなこととかされちゃって、そしたら警察に駆け込んでやる……大ニュースにしてやんぞー!」
「このガキ……うちの看板作家に何しやがるつもりだ」
あ、あれ、純粋な肉親への心配は……?
木崎さんは私の首根っこを掴んでソファに投げた。それを仁王立ちになって見下ろして言う。
「圭之進の手、わりとあっさり治ったじゃない」
へ?なんで今その話?
「あんたがここに居る理由って、もう圭之進を理由にはできないんだからね」
……大人って言うこときつー。
私は痛いところを突かれて黙った。
最初ここに来たときは圭之進が手を怪我したからそのサポートって言っていた。でもいまはもうそれも治ってしまっている理由はあまりない。私がここにいるのは、私が何かから逃げたいからだけ。
「圭之進には悪いことをしてます……」
「まあそれはどうでもいいけど」
どうでもいいんですか!?
「でも、私、どうしたらいいのかって……」
「全てはこれにかかっている、自分に聞け」
「な、何をですか」
「あんたは自分がどうしたいんだ」
「自分だけの問題じゃないんです。こんがらがって……」
「紐がどれほど絡もうが、あんたが持てる紐は自分の分の一本だけよ。思い上がるな」
木崎さんは強い言葉で言った。
「だって」
「自分がどうしたいかもわからなかったら紐を抜くこともできないと思うのよ」
た、確かに反論もできない……。
「私はいったいどうしたら」
「しるか」
一番の問題はなんなんだ。
ええと、鉄治がムカつく。
じゃあなんてムカつくのかって言われたら、好きだっていう気持ちを知られていた上、いいように使われていたから。もうそれなら止めておけばいいじゃんか。
それなら芽依も千代子ちゃんの好きに知ればいいって言うんだから、もっとまともで優しい圭之進と付き合えばいいじゃん。圭之進なら気楽だし。木崎さんも口は悪いがなんかいい人っぽい。ちゃんと付き合ってます、と言えば(主に私が十八歳になるまでの半年間の隠蔽について)応援してくれそうだ。
それでいいはずなのに。
よくない。
よくないのは。
五年目にして気がついた。
私は鉄治が私をどう思っているのか知らない。今まで怖くて聞けなかったから。「いや別に友達だから」っていう答えでもいいからどうしても聞きたい。
「あ、ああーそうか。悔しいのはそれなんだ」
ずっとあいつが私への態度をはっきりさせなかったことがもっとも悔しいのか。
「で、どんな結論を思いついたの」
木崎さんが黙り込んでしまった私に聞く。
「私はやっぱりその人が私をどう思っているのか知りたい」
「好きなの?」
「なんとそれが今はわからなくなっているんです。でも向こうの返事で決められる」
鉄治がもし、一番好きなのは千代子さんって言ってくれたら、私はやっぱり鉄治を好きだって思ってしまう。
鉄治がもし、一番好きなのは芽依で千代子さんは友達って言ったら、それでも鉄治を好きでいてしまうだろうな。
鉄治がごまかしたとしたら、私は今度こそ鉄治を思いきれるような気がする。
「他力本願こそが我が道か」
木崎さんは理解不能と言う顔で肩をすくめた。
「良くわからないが、まあ頑張りなさい」
頑張らせます。
私はうなずいた。と、廊下の奥でドアの開く音がして、精彩のない足音がやってきた。
「き、木崎さん、途中までできました……」
「ようし、見せて」
圭之進は完徹の勲章とでも言うべき目の下にクマを作って現れた。それでも私をみると、にこっと笑う。
「千代子さん、今日は御飯どこか食べに行きましょう」
「そんな余裕があるか」
木崎さんがじろっとにらむ。確かにこの段階でここまでせっぱつまった状況では先が思いやられる。
でもこれから圭之進はしばらく修羅場というやつに突入するってことだよね。それなら私はここにいないほうがいいのかなあ。
かといって熊井邸には戻りたくないし、家も母親がうるさいし、そうなると寮かな。
よれよれの圭之進と木崎さんが打ち合わせを終えて、そろそろ来てもらうアシスタントさんたちに連絡をとって、なんとなく落ち着いたときには夕方になっていた。
木崎さんがさっそうと帰っていく。
「いつからアシスタントさん来るの?」
「三日後からです。それまでにある程度下書きと主線やっておかないと。あ、でもまた別の連載の締め切りもあるんだっけ……」
眠そうな顔で、圭之進は言った。
「始める前に少し寝れば。御飯は適当に考えてあげるよ。起きたら食べれば」
「あー、でも忙しくなると千代子さんと話も出来なくなるから」
「いや、私は勝手にやっているから大丈夫。それにさ、私も圭之進の邪魔になるといけないから寮にでも戻ろうと思っているのだけど」
「ええ?」
圭之進が急に声を裏返らせる。まったく予想していませんでした見たいな顔だ。
「な、なんで?」
「なんでって……仕事の邪魔じゃない」
「そんなことないです。別に仕事場で千代子さんがわあわあ騒ぐとも思えません」
「んー、それでもさー、寝る時間とか違えばうっとおしいでしょう?」
「いえ全然」
すげえな恋の病。
「それはそう思い込んでいるだけだよ」
「だって、熊井さんのところに行くんでしょう?」
はい?
私は圭之進の言葉にあっけに取られる。
「なんで?」
「そうじゃないんですか?」
「帰るんだったらそもそもあの時コンビニで鉄治と一緒に帰ってたよ?」
「だって千代子さん強情っぽいから、あの時は素直にいえなくて帰れなかったけど、考え直したんじゃないんですか?」
「なんで!」
「なんでもへったくれもないですよ。千代子さん、あの人のこと好きじゃないですか、ものすごく。婚約者とかそんな理由はまったく抜きで」
圭之進はなにをあたりまえのこととばかりだ。
指摘されたことも驚きだが、圭之進がそれに気がついたことがもっと驚きだった。
「なんでわかるのだ……」
「あのですねー、千代子さん」
圭之進はため息みたいに言った。
「あなた、俺をバカにしすぎです」




