7-2
とんずらだ、と脊髄反射で思ったのに、手を捕まえられて私は逃げられなくなっていた。
そのまま鉄治は横のコンビニの駐車場に私をひっぱっていく。うわー、地面に転がって、いきたくないー!って駄々っ子したい。
「て、鉄治」
「あ……空港の……」
横で圭之進が小さく呟く。その圭之進に鉄治は、傷一つない完璧な笑顔を向けた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
なんか圭之進が一回り小さくなった?
「はじめまして、熊井と申します。僕の恋人……婚約者がお世話になってます」
時速百八十キロ超えの直球ストレートの威力だ。圭之進がどんどん小さくなっていくー!
「あ、あの、はい。お世話様です。姫宮、といいます」
「そうですか、大変親切にしてもらっていると伺ってます」
余裕ぶっこいている鉄治は空いている方の手を爽やかに差し出した。なんか救いを求める様な目で私を見た後、圭之進はおそるおそる鉄治と握手をする。大丈夫だ、さすがに手に毒は塗っていないはず。
「あ、あの」
おろおろと圭之進が何かを言いかけたのを遮って、鉄治はまくし立てた。
「すこしばかりお世話になりすぎましたね、すみません。あまりお世話になるのもご迷惑でしょうから、そろそろおいとました方がいいかなと思って、迎えに来たんです」
「あ……」
「姫宮さんも、こんな若い子が家に居たら、いろいろ大変でしょうし」
もう見えなくなっちゃうんじゃないかと思うくらい、圭之進は身を小さくしていた。
あー、なんかわかった。圭之進は鉄治みたいなタイプは苦手だ。好悪とか関係なく、とにかく苦手なんだと思う。
その目を引くほど端正な顔、そしてなにより自信満々で強引な態度。こういった有無を言わせない相手は圭之進にとってはきっと昔のいじめっ子あたりを思い出してものすごくトラウマになったりしているんじゃないかな。
しかも鉄治は口も達者だ。そして圭之進が自ら認める学歴コンプレックス、野生の動物が一瞬で勝てない相手と悟るように、圭之進は鉄治を苦手と判定した。
それにしたって小さくなりすぎだ、圭之進!
「なので、これで連れて帰ります、荷物はまた後日」
うがあ!
私は渾身の力を振り絞って鉄治の手をはらった。
「か、勝手なこと言わないで!」
私はじんとする手のしびれを我慢して鉄治をにらんだ。
だめだ、今、圭之進はわずか数回の言葉を交わしただけでHPがゼロだ。もうここは私が頑張るしかない。どうしてエリクサーを用意しておかなかったんだろう私のバカ。
「鉄治が私のやっていることに口を出す理由はないんだから」
「理由は言ったじゃないか。婚約者だろう」
「そもそもそれは!」
鉄治はにやっと笑う、『そもそも』とは一体なんだというのかというような意味深な笑い。
まてよ……わけがわからん。
だって鉄治は私が鉄治を好きじゃないと思っていたから話に乗ってきたんだ。私が鉄治を好きだと知った今、そんな何しでかすかわからない私みたいな存在を、自分自身や芽依の近くに置いておくのは不安でならないだろうと思うのだけど。
なんで連れ戻しにまで来ているんだ。
「だって、鉄治、私にもう用はないはずでしょう?」
「残務処理だってあるんだから」
……なんだよそれ……引継ぎマニュアルなんてねえよ……。
「とにかく、いきなり言いたいことを言って、僕にコーヒーかけて終わりなんて許さない」
「コーヒーのことなら謝るわよ!」
心無い謝罪だったらまかせてくれ!
「だから一度ちゃんと話したほうがいいんじゃないかと僕は言ってるんだ」
「話すことはありません」
べー、だ。
「あの、もし千代子さんが嫌がっているなら……」
圭之進が全ての力を使い果たしたような顔で言う。やめろお前はもう立ち上がるなあ、と言いたい。
「い、嫌がっているものを無理に連れ戻さなくても」
「いいえ、世間体ってものがありますから。常識的に女子高校生があなたのところにいるのが認められると思いますか?」
鉄治の言い方は鋭く変わり始めている。ヤバイ、本気出し始めているんじゃないだろうな。鉄治が本気出して圭之進をいたぶったら、圭之進なんてまさになぶり殺しだよ。だめだ、圭之進逆らうな。
見た目はグリズリーでも性格はある意味深窓の姫君な圭之進と、道行く女に……時には男も含めて七割くらいから凝視される美貌、でも中身は獰猛(人食い!)の鉄治。
だめだ、やはり肝心なときは中身だ。
見た目では鉄治の罵倒に絶対圭之進は勝てない。父とキャッチボールを始めたばかりの小1が、大リーガーを三振させようとするに近い無理加減。
「君には関係ない事です。そもそも」
「か、関係ありますよ」
なんだか知らないが圭之進はがんばっちゃっている。一体どうしたことなんだ。だめだ、もう肩が持たない、誰かピッチャー交代。
うろたえている私をよそに、圭之進は意を決したように言った。
「関係あります。だって俺は千代子さんが好きなんですから!」
鉄治はおろか、わたしはおろか、店の前で掃き掃除をしていたバイトの女の子まで固まるほどの、必死な圭之進の言葉だった。
「あ、あのね、圭之進。そういうことはこんな公衆の面前で堂々と言うことではなくてですね」
バイトの女の子がゆっくりと掃除道具を手にして店に入っていく。入った瞬間、キャーとかいう奇声が聞こえた。振り返れないが、ものすごい勢いでガラス窓に張り付いているに違いない。私だって他人事だったらそうする。ていうか友達に携帯で実況中継しかねない。
「千代子さん、を、好き?」
鉄治は一瞬微妙な顔をした。
なんと表現したらよいか……、あれだけ、圭之進が私を好きなら、とかいう前提でいろいろ話をしていたにもかかわらず、そんな事実を初めて突きつけられたような顔。
「……好きなんだ」
「はい、大好きなんです」
一瞬遅れた鉄治の返事と、バカのようにストレートな圭之進の断定。
そして超絶置き去りな私。
「圭之進は関係ないから!」
私は二人に向かって言った。
「私が私の事情として、鉄治とはいっしょに居たくないと思っただけよ」
「千代子さんうるさい」
二人そろって私に文句かよ!私こそが当事者だー!
「姫宮さん」
鉄治はゆっくりと笑顔を取り戻した。
「姫宮さんは千代子さんの何が好きなの」
「は?」
いきなりそんなことを言われて圭之進はあっけにとられていた。
「僕は五年前から千代子さんを知っている。君は千代子さんの何を知っている」
そりゃーあんたは私を良く知ってるけど。私があんたを好きな事も知っているけど、でも無視していたくせに偉そうな……!
「俺は、千代子さんは、すごく優しいって知って……」
「それはサツキだよね」
ざあっと血の気が引いた。
鉄治はまさか、私がサツキでない事を告げようとしているのだろうか。それだけはまだ言えないというのに。どうしよう、どうにかして話をそらせないか。早く、コンビニ新商品について口をはさまなければー!
「サツキさんも千代子さんも一緒です」
「君にとってはそうなんだね。ねえでも、ネットで知り合った人が、全て自分のことを話すと思う?」
なんなんだよー、言うならもう早く言ってくれ。この緊張感に耐えられなくなってきた。……いいやだめだ、ここまで着いた嘘なんだから、私じゃなくて絶対芽依に始末をつけさせる。どうしよう、とりあえず鉄治を黙らせるにはどうしたらいいんだ。
「だからなんですか」
圭之進は意外なほど強気で返した。
「それを言うなら、婚約者だって相手の全てを聞かせてもらえると思ってるんですか」
「……なに?」
猫ぱんち?
予想外に、思ったよりそれは鉄治にダメージを与えたみたいだ。鉄治が珍しく言葉に詰まって圭之進を見ている。
「千代子さんが帰ると言うなら俺は別に止めません。でも熊井さんにも千代子さんをむりやり連れ帰る権利はないでしょう」
鉄治は私に視線を移した。
「千代子さんは残りたいの?」
「と、とりあえず帰りたくない」
ケツの穴がちいせえと言われようが、私はまだ鉄治を許してないのだ。
「そう」
鉄治は一瞬考えたようだ。
「わかった。とりあえず今日は帰るよ」
マジか。
私、五年付き合って鉄治を退かせたのって初めてだよ。
鉄治はにこりとしたまま頭を下げて私達に背を向けた。そのまま自分の車に乗って去ってしまう。あまりのあっさり感に拍子抜けだ。
鉄治が何を考えているのか心底わからなくなってきた。
芽依に何か言われでもしたのだろうか。だって鉄治は私にもう用事はないはずで。このまま嘘吐きの恋人としてまだやる気なんだろうか。だけどそれは鉄治にはメリットないよなあ。だって今まで鉄治が私の気持ちに気がついていたことを言わなかったのは、指摘によってそれが表面化して、私が開き直って妙な事しでかすのを避けるためだっただろうに。
それをいうなら、なんで鉄治は『鉄治を好きだという私の気持ち』を知っていることをバラしてきたんだろう。黙っていた方が扱いやすかったはずなのに。
わかんない奴だなあ……・もうつきあいきれねーよ。
でも。
……なんだろう、私の心の底にあるこのもの寂しさは。
「帰ろうか、圭之進」
私はなんかかすれる声で言った。
「え、アイス買わないんですか?」
…………店員どころか客まで我々を見物している店に入る度胸があるお前に乾杯だ。




