6-5
「あ、千代子ちゃん」
私が熊井の家のとんずらこいて一週間目だった。学校で、芽依と会った。
芽依は部活の友人と歩いていたけれど、彼女達と離れて私のほうにやってきた。校内はさすがに人が少ない。
「芽依、元気?楽しくやってる?」
「うん。でも、まったく心霊現象に会えなくて肩透かし。夏休みの学校っていったら宝庫だと思ったんだけどなあ……」
まさか、その首から提げているデジカメは、高校最後のひと時を映し出すためではなく、『アレら』を撮影するためではあるまいな……?
相変わらずの文句付けようのない美少女っぷりで芽依は微笑む。
「でも、千代子ちゃん、そろそろ実家から戻ってきてよ。私もいないし、お兄ちゃん寂しく思っていると思うよ?」
「そのことで、話があるんだ」
千代子ちゃん?、と疑問形の芽依を連れて、私は教室に向かった。用のある生徒はみな部活動の場にいるし、補講が終わった今、教室こそが一番静かな場所だった。
「どうしたの、千代子ちゃん」
ああ、もう、言いにくいなあ。
「『サツキ』の処遇について、芽依に相談したくて」
サツキ、その名を聞いて芽依は表情を固くした。
「もう、そのことはいいのに」
「ねえ、芽依はアカウント抹消してすべて済んだと思っているけど、何も終わっていないんだよ、本当は」
「え?」
「圭之進はね、サツキと縁が切れるのが嫌で、私を探し当ててきたの」
「嘘……」
「それに私、鉄治と大喧嘩しているんだ」
「そうなの?」
両方とも芽依はまったく気がついていないみたいだった。大きな目を見開いて、本心から驚いている。
「それに、実家に帰っているわけじゃない」
私達はがらんとした教室の適当な椅子に座った。
どうしようかと考えていた、どうせそう遠くなく、圭之進のうちを私は出て行くと思うんだ。だから現状がのっぴきならないと言っても、その現状すら徐々に変わっていく。だから私が今ここで爆弾発言かましても意味はないのかもしれない。
でも、だ。
なんていうか、私も芽依にいろいろ黙っているのがつらくなってきた。王様の耳はロバの耳だ。でも井戸に向かって言うなんて、私の正確に合わない。どうせ話すなら海に向かって夕日にぶちまけるぐらいの勢いだ!
そして偽善ばりばりだけど、圭之進も鉄治も悪者にはしたくない。なんとかうまく話を私のせいにもっていければ。
「私、今、圭之進のうちにいるよ?」
圭之進、とバニラの名前がすぐに結びつかなかったのだろう。芽依は一瞬きょとんとして、そして顔色を変えた。
「圭之進って」
「芽依には悪いと思ってたけど、私も鉄治に思うことがあってあの家にはしばらく行ってない。圭之進のうちで過ごしてる」
「つ、付き合ってるの、千代子ちゃん」
圭之進の名前を口にすることができなかったのは、芽依の苦痛を物語っているみたいだった。ものすごく胸が痛む。
「付き合っているわけじゃない。そういう心配しているなら安心してほしいけど、別になにがあったってわけじゃない」
「でも、前にバニラは千代子ちゃんにキスしたよね?」
そうなんだよ。それが一番の問題なんだ。
「多分、ね、多分だよ?」
私はいちおう前フリを置いた。
「でも圭之進ってきっと私を好きだと思う……」
ひぃーはずかしー。これで友情とかだったらどうしよう、でも私はそう思っている、間違いないと思う。それが違っていたら、もうほんと私の自意識過剰、お疲れでした!といって穴に埋まりたい。でもそれならそれできっとよかったな。
「……そう、だよね」
芽依はぽつりと呟く。激昂することも無く静かな声。
「キスするくらいだもんね。バニラはそういうこと冗談でする人じゃないって私も思う」
「ねえ、そんなのん気に言っている場合じゃないんだよ。圭之進が好きだったのは最初は間違いなくサツキだったはずなんだよ。だけど、私が現実の存在として現れたことで、圭之進はだんだん好意を私にシフトしてしまったんだってば。本当はこの好意はどう考えても、芽依がうけとるべきものなのに、だよ!」
圭之進が最初から、山本千代子と熊井芽依、二人の女子とであって、それで私を好きになったなら私だってこんなこと言わない。芽依が圭之進を好きでも、私がするべきことは単に圭之進の好意を断ることだけ。でも、これって違うじゃん、圭之進はどこまでも勘違いをし続けるんだ。
「芽依はそれでいいの?」
「……いいも悪いも、私が言うことじゃない、と思う」
私はちょっと予想と違う反応に驚いていた。
千代子ちゃんひどい、私が圭之進を好きな事知っているくせに!って罵ってくれることを望んでいた。それなら私は芽依をたきつける。自分の恋ぐらい自分でなんとかしろよって。でも芽依は私を責める言葉を一つも口にしないのだ。
「芽依、私ね、そう遠くないうちに絶対、明確に、誰が見てもはっきりわかるくらい、きちんと圭之進の好意を断るよ。もう二度とあわないって言うよ。そしたら芽依はどうやって圭之進と会うの?」
「千代子ちゃん」
芽依はまっすぐに私を見ていた。
「どうしてバニラにすぐそう言わないの?」
「……何?」
「すぐ言えばいいじゃん。言えばよかったんじゃない?なんでバニラとの縁をすぐに切らなかったの?」
芽依の言葉は静かだけど、私が予想もしなかったことを芽依は責め始めていた。
「千代子ちゃんも、バニラを好きなんじゃない?」
「……はあ!?」
私はあまりな言葉に次の言葉を失う。でもなんだろう、この心臓のどきどきは。
「そんなわけあるはずないじゃん。だって私は鉄治を好きなんだよ?」
「本当に?」
その言葉はただそれだけで、糾弾だった。
「私、ずっと思っていたんだけど、千代子ちゃんは本当にお兄ちゃんを好きなの?それにお兄ちゃんは千代子ちゃんを本当に好きなの?」
「あ、あたりまえじゃん」
「ずっとなんか変だなって思っていた。私にだって友達がいるし、そのなかには外に彼氏がいる子もいる。そのカップル見ていて気が付いたんだけど、なんだか千代子ちゃんとお兄ちゃんって、仕事の同僚みたいだなって思う」
よく見ているな……いい表現だ。
「二人とも『好き』とかとは違うんじゃないの?」
「違うよ、ちゃんと付き合っているよ」
私は見た目的にはちゃんと力強く、疑いようのない言葉で言えたと思う。でも内心は冷や汗だらだらだ。
仕事の同僚、みたいな雰囲気っていうのはわからんでもない。お互いにいろいろ工場主だし……外ヅラとか、猫のかわとかね……。私はそんなことでは驚かない、驚いたのは、『千代子ちゃん、本当にお兄ちゃんを好きなの?』という芽依の発言。
私は。
「ごめんね、ひどいこと言って」
芽依はそのもともと白い肌をさらに青白くしていった。
「あのね、でも千代子ちゃんに私なんかのことで、遠慮してほしくなかったんだ。千代子ちゃんがバニラを好きなら、それはそれで仕方ないって思ったから」
「なんで」
「……誰かが私のせいで、遠慮するのが嫌なの」
芽依は漠然とそう言う。でもなんだか言葉には妙に実感が伴っていた。芽依は何かを悔いているようだ。
「結局、一番最初に私が千代子ちゃんに身代わりを頼んだのが悪かったんだよね。でもそれをいまさらなんとかしようって言うのは間違っていると思う。本当のことを言って無駄にバニラを傷つけたくないし。でも言わないで私がまた熊井芽依として知り合いなおすっていうのは嘘吐きにもほどがあると思うし」
「そんなことないよ」
諦めが早いよ。
「いいの、だから千代子ちゃんは千代子ちゃんの問題として頑張って。バニラが好きなら私のことは気にしなくていいよ、それに」
芽依はそれこそが一番大事であるかのように穏やかに言った。
「お兄ちゃんのことも、気にしないで」
こんな予定じゃなかった。私が芽依に圭之進のうちにいることを告げたのは、ただ芽依にもちょっと素直になって頑張って欲しかったからだ。こんな達観したような言葉を言わせたかったわけじゃ。
芽依はゆっくり立ち上がった。それに私はついていけない。
「私、友達待たせているからごめんね」
教室を出るときに芽依は振り返って、ほんとうに真剣な顔で言った。
「お兄ちゃんと別れても、バニラとつきあっても、友達でいてね」
それは私のセリフだ。
でも私はそういうことも出来なかった。今まで考えたこともない……ううん。考えたくなかったことを指摘されて焦っていた。
私は、本当に、熊井鉄治を好きなのか?




