6-2
「ゆ、夕飯なに食べます?」
「そうめん」
言い切って私は立ち上がった。ていうか、私が自信を持って提供できるのはそれぐらいしかない。
「それがですね」
キッチンの扉を開けた私は、圭之進に話しかけられるより先に小さくうめいて立ち止まった。
そこは雑然とした混沌だった。
主たるゴミは、コンビニやケータリングとおぼしきものの空き容器。あまり生ゴミっぽいものがないため、そんなに不潔と言う感じもしないが、衛生的とはとても言い難い。
「け、圭之進」
「俺、料理苦手で」
「それ以前に片付けも難有りだ」
私は振り返ってにらみつけた。圭之進がその巨体をちぢ込ませる。
「とりあえず、片付けよう、これじゃお湯を沸かすのだって一苦労だ」
私はゴミ袋を探して、キッチンを整頓し始めた。
「あ、あの、外に食べに行けば」
「どっちにしてもこのままにしておくわけにはいかないでしょうが」
私に怒鳴られて、圭之進も手伝い始めた。ゴミ袋がどんどん一杯になっていく。
必要な会話がふと途切れたとき圭之進が言った。
「あの、千代子さんの婚約者ってものすごく綺麗な顔の人だったりします?」
私にとっては唐突な問いだったけど、圭之進はずっと舌の上でそれを転がしていたんだろうと思われる言葉だった。
「…うん」
あれ、どこで見られたんだっけ、と思ったがそういえば空港で見られていたことを思い出した。あれだってそんなに前の話じゃないのに、あまりにもいろいろありすぎて随分前に感じる。
「前に、空港で見かけたんです」
私は手を休めて曖昧に笑ってみせた。
「そう。すごく綺麗な顔でしょう?」
「ええ、でも、すごく」
そこで圭之進はふと言葉をきった。
「なんでもないです。でも千代子さんは、あの人を好きなんですね」
「まあね」
こんなになっても嫌いだあの野郎と言い切れない自分に腹を立てながら私は応えた。
「千代子さん、今更ですけど高校生ですよね。なんでそんなに早々婚約者なんているんですか。あっ、お金持ちだからそうなのか」
「いや、山本家にはちょっと事情があって」
結婚しない女ばかりなのだ、とはさすがに言いにくい。しかしその微妙な言葉を圭之進は盛大に誤解したようだ。
「も、もしかして借金のカタとか?よくありますよね、そういう政略結婚!『そちらの借金を肩代わりするかわりにお嬢さんをよこせ』とか。大体そう言う相手は強面で冷血の財閥後継者なんですよね、あるいはヤクザとか。で、お嬢さんは泣く泣く嫁ぐんです」
…さすが少女マンガ家だけあって、壮絶なまでの妄想力だ。いまどきはやらないのではなかろうかその設定。まあ王道だけど。
そして山本家にも熊井家にも、残念ながらも、そんな派手派手しい展開はありません。
別に、といいかけた私に圭之進が、力強く言った。
「でも本当は凄く純愛で、お嬢さんのことを好きなんですよ」
「ねえよ」
私は即座に言い切った。
「そ、そうですか?」
「そうですよ、圭之進」
もう期待しないもん、鉄治が私を好きにならないか、なんて。
私はゴミ袋の口をとじた。大体すっきりしたかなあ。そして話を変える。
「圭之進はお姉さんとは仲がいいの?」
「普通です。お姉さん、といよりは、とにかく編集の人っていう感じだし。結構姉には苦労かけたと思うんですよね、だから結婚して子どももいて、大変そうだけど、幸せになってくれてよかったなあと思います」
「姉弟だけだもんね」
そう答えながら、私はふと熊井家のことを考えていた。
あの家も、早くに父親がいなくなって、芽依は芽依で病気がちだったし、鉄治は気苦労があったんだろうな。母親は稼ぐのに必死だったって前に鉄治から聞いたことがある。
複雑な家庭事情なのは同じなのに、この性格の差は一体なんなのだろうか。鉄治が家族を守る側で、圭之進は守られる側だというのが大きいのだろうか。さもなきゃもう伝統文化か食べるものの差だな。
「大体片付きましたね」
「結構時間がかかったね。もう八時だよ」
自分の言葉に私は飛び上がって驚いた。
夜!
ていうか、芽依と鉄治をあのうちに二人にしていいのか私!大失態!
「まずい」
私はキッチンを飛び出して、自分の鞄のところに走った。驚く圭之進を尻目に、慌てて携帯電話を出す。ひえー、着信履歴が一つもないのがむしろ不安だ。
私はとりあえず、芽依の携帯電話に電話をかけた。
どうしよう、なにかしらあって、今取り込み中だったら!
『あ、千代子ちゃん?』
おっとりとした声が聞こえて、私はソファの上に座り込んでしまった。
「ご、ごめん芽依、言い忘れていたんだけど」
『あ、お兄ちゃんから聞いたよー』
芽依は何も不安のなさそうな声で言う。
『千代子ちゃん、ちょっと実家に帰るって。だから私も今日は寮に泊まっていくことにしたの。部活の友達も何人か泊まるっていうから』
「あ、そうなんだ」
私は鉄治の身のこなしのよさに唖然とした。
私が今日は戻らないことを見越して、芽依を寮に足止めするなど、さすが不毛な恋愛暦が長いだけのことはある。物事を停滞させる腕前はハンパない。
芽依は部活の友人と話が途中らしく、電話の向こうでは高い声の笑い声が聞こえていた。深く聞かれなかったのを幸い、私はそのまま電話を切った。
「とりあえず、よかった」
…よかった、じゃないよ。私。どこまでお人よしなんだ。
もう関係ないって決意したんだから、芽依と鉄治がどうなろうとも私の知ったことではないのだ。なんでこんな心配を。
「どうかしたんですか」
「なにも」
私は電話をバッグに放り投げて入れた。
本当は鉄治のところにも電話をしなければならないのだろうが。
知らんがな。
大体、飛び出した婚約者が連絡一つもよこしていないのに、自分からは電話一つしてこないとはなにごとじゃ!
よけい怒りが重なる。
「実はですね、千代子さん」
こっそり憤っている私に、圭之進はおそるおそる声をかけてきた。
「俺、料理が苦手なんです」
「案ずるな」
私はうなづく。
「私もだから」
二人でもそもそと明らかに茹で時間がおかしいそうめんを食べた。
すごく麺がふなふなだ。
そしてオンリーそうめん。ネギも無い。
「やっぱりさあ、茹ですぎだよね」
「なんか生焼けみたいで心配だったんですよ」
「生煮えの間違いじゃない」
「言い直しても現状は変わりません」
そんな会話をしながら私達はそれを食べていた。しかし、先ほどから圭之進の様子がだんだんおかしくなってきている。
とりあえず目の焦点があってない。落ち着き無く部屋のあちこちを見回しているのだ。なんだろう、見つかってヤバイものでもあるのだろうか。
ロリコン写真集とかだったらちょっと嫌だな。あれは犯罪だ。
「圭之進?」
「はい、なんでもないです」
特に何も聞いていないうちからその返事とは。
「その巨体が不審な様子だと、それだけでこっちも落ち着かない。何か心配ごとであるのならとっとと白状…告白してくれたほうがありがたいんだけど」
「いいえ、すごく何でもないんです」
すごく何でもありそうだ。やはりプレーンそうめんに不満なんだろうか。しかし、素材の味を楽しむと思えばよいではないか。
「だめだ、やっぱり気になる」
つまんだだけで千切れるそうめんに私が手を焼いていた時、圭之進はようやく口にした。
「千代子さん、さっきの話の続きなんですけど」
「なんの話?」
話してもそうめんの不味さは変わる予定はない。
「千代子さん、本当にその婚約者の方を好きなんですね」
違うよ、と言い切りたかった。少なくとも今は違うはずだ。
でも、それを否定する言葉はどうしても私の口から出てこない。これって未練なのかなあ。
私が憂鬱そうに黙ると、圭之進は静かに言った。
「それでね、俺はやっぱり千代子さんを好きなんです」
そんな大事な事は、茹ですぎそうめん食べながら言っていいことではないと思うのだが!
「あ、あのっ、私は」
何を言いたいのか自分でもわからないまま、口走った私を圭之進は押しとどめるように微笑んだ。
「別に今返事はいりません」
そして続けて言うのだ。
「俺は、いろいろ整理が付くまで待ちます」
 




