5-2
話を聞き終わって、鉄治はため息を付いた。
芽依のSNSの友人……ていうか恋愛感情の相手、バニラ。
で、私が芽依の代わりに彼に出会うまでの顛末。
---までは鉄治が、
バニラと今日会ったこと。
そしてバニラが考えていそうなこと。
---までは芽依の追求によって明かされました。
ていうか、喋らされたのは私だけど。熊井邸になんて帰ってくるんじゃなかった。
私と芽依が並び、向いには鉄治が座ったリビングのソファ。ものすごい取調室だった。どうなの?早くカツどん持ってきてください。これってアメリカじゃ良い警官と悪い警官って言うんだっけ?
「そう、バニラは千代子ちゃんのことを好きなのね」
ぽつり、と呟いた芽依の一言が、この話の一番問題なところだ。
まったくもって大問題。
「す、好きって言っても、そもそも、芽依が一生懸命バニラの話を聞いていたから、彼は千代子のことを気に入ったのであって、私を好きというのとは違うんだよ」
「でも会って嫌な人だったら、好きになんてならないし」
芽依はうつむく。自分の感情を決めかねたようなその顔に、私はものすごく罪悪感を抱く。芽依も私を責めてきたりしないのは、自分も悪いところがあるということをわかっているからだと思う。
でも、こうなることを私も予測するべきだった……って
できるかー!
なんだそのエスパー。私のことを誰が好きになるかなんて、そんなもの予測できたら苦労しないわい。だったら私だって鉄治なんかじゃなくて、自分に好き好き光線出してくれる人を選ぶ。ああもう、ちょっと腹が立ちますよ。
「私……」
芽依は私を声に出しては罵らない。でも彼女自身も困惑している。ただうつむいて、うつむくその首筋が私を責める。
「芽依が悪いね」
私がごまかすと、ばりばりつっこんできて追求してきた以外は特に自分の感想なんていわなかった鉄治が、さらりと言った。
……ものすごく意外な発言を。
「て、鉄治?」
私は唖然として彼を見た。芽依も大きく目を見開いて顔を上げる。
意外だ。
鉄治が芽依を責めるなんて。
「芽依、千代子さんに謝らないと」
「う、うん。でも」
「厳しいことを言うけれど、そもそも芽依が嘘をつかなければ良かったよね。嘘は仕方ないとしても、どこかで謝罪して訂正をする機会はあったはず」
「……うん」
「芽依の言うことを聞いたから、千代子さんは、好きでもない相手とキスすることになったんだよ?芽依も今、予想外のことになって傷ついているかもしれないけど、千代子さんももっと傷ついている」
「て、鉄治、あの、そこまでいかなくても、私はそんなに傷ついているわけじゃ。まあ犬に噛まれたと思って」
ごめん、ごめん圭之進。犬呼ばわりしてすまん。犬は犬でも超お高い血統書付きコーギーくらいには思っているから許せ。
「千代子さんだけの問題じゃない」
私の発言をふさぐようにして鉄治は強い言葉を発する。みつめた彼の顔は、うっすら紅潮していて、なにかやりきれない憤りを隠していた。
「千代子さんは僕の恋人だし、それは僕としてもとても許せない」
げ、幻聴?
私はマジマジと鉄治を見つめてしまった。確かに今日は暑い。すでに猛暑と言って差し支えない。しかし鉄治よ、家の中で熱射病はないぞ。
千代子さんは僕の恋人、はともかく、私が別の男にキスされたことをこんなに怒るなんてありなのか?鉄治だったら、「ふーんそう。で、今日の夕飯なんだけど」くらいでスルーすると思っていたのに。
「芽依はまず、千代子さんに謝るべきだ」
言い方は穏やかだけど、反論を許さない強さがあった。
「て、鉄治、ほんと私気にしてないから、あの」
「ごめんなさい、千代子ちゃん」
消え入りそうに言って芽依は私に頭を下げた。私はあわあわと首を芽依に向けたり鉄治に向けたりと大忙しだ。
「いや、芽依、気にしないで!だって私が上手く立ち回れなかったせいだし」
「そんな風に言わなくても大丈夫、千代子ちゃんはいつも優しいけど、でもあまり優しくされると、私、困っちゃうんだ」
芽依の吸い込まれそうな大きな瞳。それは少しだけ潤んでいた。けれどそこに私に対する糾弾は見受けられない。さすが鉄治の反論を許さない発言のあとだけある。でもそれじゃあなんだか芽依がかわいそうすぎて、私も胸がいたい。
「ごめんね、ちょっと一人にさせて、私、これからのこと少し反省するから。しばらくバニラには返事しないで考える。本当だよ」
カタリと音をさせてローテーブルに置かれたのは芽依の携帯電話だった。
「夕飯にはおりてくるから、心配しないで。でもちょっと自分が恥ずかしい」
そう微笑んで芽依は部屋を出て行った。ドアの閉まる音に、私は彼女を追うべきか迷う。その足音が静かに階段を上っていくにつれ、やっぱりいたたまれなくなった私はソファから立ちあがった。
「私やっぱり芽依のところに」
「行かなくていいよ」
鉄治は言い切る。
「だって心配だし」
「芽依も自分で考えた方がいいんだ。千代子さんが行くと、芽依は千代子さんにまた甘えるだろう。どちらにしても、芽依がそのバニラと上手くいくということは考えにくい、だったら自分の失恋くらい、自分で噛み締めないと」
鉄治は鉄治で、何か思うことがあったのか、と私は彼を少し見直した。鉄治だったら速攻私を糾弾して、芽依を甘えさせると思ったのに。
「鉄治」
なんでそんなに私に優しいの、と聞こうとした私だが、その言葉があまりに直接すぎて、心の中で悩む。ただ、その逡巡に救われた。
「自分で噛み締めて反省させた上で、僕が甘えさせる」
は?
鉄治の言葉に私は意味わからないままその言葉を反芻する。
「あ、あま?」
「この場ですぐ慰めてあげたかったけど、ほんと心を鬼にして、一回突き放した。ああもう、自分で自分が許せない。でも仕方ない、これも、芽依の気持ちを僕に向けさせるには仕方ない試練だ」
「すみません、何言ってるんだかさっぱりわかりません」
「どうしたの、千代子さん。いつも僕の気持ちは僕以上にわかっているくせに」
お前の仲間みたいに言われるととても不本意に感じる。リトルグレイに『君は僕の星のプリンセスなんだよ』といわれたみたいな不快感だ。
「芽依はまだ混乱しているから、自分のしでかしたことが良くわかってない。これでちょっとわかってきたときには反省するし、自分が失恋したことも身に沁みるはずだよね。どうせ優しくするならそのタイミングの方が望ましい」
「ちょ……」
ほれた相手にもその策略か!どこまで優秀な恋愛軍師なんだ。いいから鉄治、とりあえず恋愛の駆け引きの本を書け。私が買うから。
「僕が後で芽依の部屋に行って、きつく言い過ぎたって謝る。千代子さんは、芽依に謝らなくていいからね」
「私を恋人だって強調したのは」
「そうじゃないと、僕が怒る理由がないじゃないか」
「本心としてはどうなの?」
「……何が?」
本気でなんだかわかっていない顔で、無邪気に鉄治は聞き返してくる。この夏、最高にムカつく顔だ。
「あ、あの、私がバニラにキスされたことについては」
「あー」
鉄治はうなずいた。そして声を潜めて言った。
「千代子さんは、バニラのことはどう思っているの?」
「どうって」
なんか、アロマとか仔猫ちゃんとか綺麗なスイーツとか……ああ、凄い癒されアイテム。
「もしそんなに不愉快じゃない相手なら、もうちょっと関係切らないでいてほしいんだよね」
「それはなぜ?」
「芽依がバニラに未練があるようなら、バシッとバニラを誘惑して欲しい」
誘惑、の擬音がバシッと言うのは、果たしていかがなものか。
「誘惑?!」
「まあ僕はバニラを敵だとは思っていないんだけど、それでも万が一と言うことがあるからね。芽依が諦めなかったら千代子さんをおとりに使うしかないから。ほら、彼が誰に片思いしようとも、それは個人の自由だからね。婚約者のいる千代子さんに片思いなのは不毛だけど、それが彼の選んだ相手なら、しかたないよねー」
「バニラと芽依がうっかり上手くいかないようにするための保険、ですか」
「うん」
本格的に、鉄治の血の色が何色か知りたくなってきた。
「私がバニラとうまくいっちゃったら、芽依が泣くんじゃない?」
「その時は僕が慰めるし。あ、でも千代子さんが本気でバニラとくっついたら困るなあ。僕と結婚する予定だし。まあ適当なところで撤収してみて。それとも千代子さん、本気でバニラを好きになりそう?」
「いや、その予定はとくには……」
「じゃ、よろしく」
これほどまでに身勝手な人間がいようか。
唖然として私は鉄治をまじまじと眺めてしまう。さすがの私も怒るよ?
「鉄治、あんたは一応名目上とはいえ、彼女である私がキスされたことについては、なんの感慨もないわけ?」
「感慨なんてもっちゃったら千代子さんのほうが困るだろう?」
はあ?
義理でもいいから感慨くらい持て。日本人だろうお前。お中元とか大事な義理なんだぞ。
大体鉄治自身の私への無関心を私のせいにするな。
いろいろ言いたいことはあったけど、それでも私はいつものように、言う面倒くささより、言わない楽さを選んでしまうのだ。
「そうね」
結局そんな曖昧な返事しかできなかった。




