4-2
「で、さっきの男は何?」
鉄治のうちに帰ってくると、さっそく鉄治はソファにふんぞり返って私の追及を始めた。まあまあ、麦茶くらい出したまえよ。
「め、芽依は?」
「お花」
この暑い中おけいこ事とは偉い。しかしできればそんなもの行かず、私のフォローをしてほしかった。
「あいつをつけていたんだろう?」
「さあ、なんのことかしら」
しかしこの状況となってしまった今、私に出来ることは一つ。全力を持ってしらばっくれるということだ。おっしゃ、メダル狙っていきますよ。
「なんであんなところにいたのかな?」
「母の用事で」
「僕、学校からつけていたけど、千代子さんどこもよらなかったよね」
おまえ、なんで私にストーキング……!そういうのは芽依にやれ。しかし、人の目というのは見たいものしか映さないって思ったけど、私自身もそうだったというのは反省点だ。
「朝……というか最近様子がおかしかったから、学校の前で張っていたんだ。そうしたら千代子さん、家とは逆方向の電車にのったから」
「ちょっと用事があったのよ。これから済まそうと思っていたら、鉄治に声をかけられたのよ」
まあいいわ、用事はまた今度済ますから、と続けて私はにっこりと笑った。てめえこれ以上食い下がってくんなよ、という意味で。
「でもあいつをつけていたんじゃないの?」
「鉄治じゃないもの。私に人をつける趣味があるなんて思われたら心外だわ」
ひゅー、いい戦いしているぞ、私。やっぱりハッタリって大事だなあ。
鉄治はしばらく無言で私を見ていた。ちっ、だんまりか、やりづらいな。
「暑いわね。アイスコーヒーでも飲みましょうか」
「なんで圭之進って名前を知っていたんだ?」
背を向けた私に鉄治は言い放った。
はーい、そういう隠し玉を最後まで持っているのは卑怯だと思います。
目はいいと思ったが耳までいいのか。それで性格だけは悪いなんて、将来うっとおしい老人になりそうだ、鉄治め。
しかし、私にも、猫かぶりとしての意地とプライドがある。(なんの役に立つかは知らないが)
「『圭之進』?」
私は振り返った。
「誰それ」
「千代子さん、道であの男に叫んだだろう?」
「ねえ、さっきからあの男、って誰のことなの?私はずっと一人だったし、他に人がいたかどうかも覚えていないのよ」
私は余裕で鉄治の横に近寄った。
もしかしたら、もうとっととゲロったほうが、私としては楽なんじゃないかと思う。そうしたらきっとカツどんも出るだろう、田舎のおっかあも来て、(お前って子は!)って叱ってくれるだろう。そもそも圭之進の存在は私の問題ではない。芽依、そして鉄治の問題なだけだ。
鉄治がそれに対してどう思おうと、圭之進がどんな目にあおうとも、それは私の問題じゃない。うるせーアタイの知ったことか!といってとんずら可だ。
でも、芽依と約束したから。
圭之進のことはお兄ちゃんには黙っていようねと二人で決めたんだから、その約束は守らなければならん。
「ねえそれってもしかして嫉妬とかなの?本当は私を好きだった、なんて言ったら笑うわよ?」
「まさか」
鉄治はすっと私から目をそらした。
「暑いといらいらするものね。アイスコーヒー、飲みましょう?」
勝った!あの鉄治に目をそらさせた!
でもダメージ9999。
本当は私を好きだった、なんて言ったら笑う、か。自分で自分の気持ちを貶めてしまったようだ。
笑えるのはずっと嘘つきの私なのに。
キッチンでアイスコーヒーをグラスにいれて私は戻る。鉄治の向かいのソファに座ろうとすると、なぜか鉄治は手招きした。
「……?」
「となりとなり」
なんじゃ、と私は鉄治の横に座った。
「芽依がさ、時々言うんだ」
「なんて」
ひょいと鉄治は私の肩に手を回した。おや珍しい。
「お兄ちゃんと千代子ちゃんって本当につきあっているの?なんてさ」
「やだ、疑われているの?演技力が落ちたんじゃない?」
「だって、千代子さんの協力だって必要だろう?」
「まるで私が大根役者みたいな言い方じゃない」
常時、世界猫かぶりランキング百位以内に席を置いているこの私に対してなんたる言い草。
「そうは言わないけど、やっぱり気持ちが入っていないとダメなのかなあって思うんだよね」
「仕方ないでしょう」
お前が私を特別に好きではない事を、なぜ私のせいにする。
「千代子ちゃん、いるー?」
芽依の可愛らしい声がして、玄関の扉が開いた。パタパタと廊下を歩く軽い音。
「あ、芽依が帰ってき」
横の鉄治の方をむいたとたん、ものすごく間近にある彼の顔に気が付いた。すごい、こんな至近距離で見ても、ものすごく綺麗だ。多分光学顕微鏡でみたって細胞の一つ一つが別格な美しさに違いない。ミトコンドリアなんてボッティチェリのビーナスみたいなんだぜ。
なんて思っていた私には、思い込みがあったのだ。
鉄治が私に迫ることなんてないだろうという。
がしっと後頭部をつかまれて、は?と思っている間に、鉄治は私の顔ぎりぎりまで顔を近づけていた。頬に鉄治の指が触れる。
「千代子ちゃん、おいしいアイス買ってきた!」
なんて言ってリビングのドアを開けた芽依の固まる気配がした。背後なので気配だけだ。
「……あー、ごめん!」
そして一瞬の静寂の後、芽依の笑いまじりの謝罪が聞こえた。とっさに鉄治を突き飛ばして私は振り返る。
そこで美少女らしからぬにやにや笑いを浮かべている芽依を見つけた。
「ごめんねえ、邪魔しちゃって……えへへ。アイスは冷凍庫にしまっておくね、一段落したら後で皆で食べよー」
「ま、待って芽依、これにはわけが」
「そうだね、ラブラブだもんね」
それは『わけ』でいいのか!
芽依はバタンとリビングのドアを閉めるとキッチンの方に向かった。冷蔵庫の開け閉めの音がした後二階へ上る足音がする。
「てーつーじー!」
私が睨み付けると、鉄治は眉根にしわを寄せた。
「怒るとブスになるよ」
「誰が怒らせているの!なにをする!」
「いや、普通のキス、のまね」
「それがどうしてと聞いているの!」
「いや、付き合っているんだから、少しくらいそれらしいことをしないとって」
「合意を取れ!」
武士たるもの、己の名を名乗り、意気を挙げてから戦にいどむものじゃろう!
「大体、やつあたりじゃない!」
「あ、わかる?だって千代子さん、ずっとしらばっくれているよね。ムカつく」
「私は嘘なんて付いてない!」
嘘付いているってばれているんだろうけど、しかし、ますます譲れなくなってきた。
「ていうか、へこむ」
「何?」
へこみたいのは私だ、という叫びをとりあえず保留にして私は鉄治を見た。
「ちょっとはさ『がーん、大好きなお兄ちゃんが他の女をキスなんて……なんか許せない』みたいな反応があるかと思ったんだよね」
鉄治よ。
お前の血の色は何色だ。
私は若干明確になりつつある殺意を押さえつつ拳を握り締めた。
「なんか芽依、すごく喜んでたよな」
知らないとはいえ、あんたのことを好きな女子をつかって本命の気持ちを探るような真似をしたんだぞ。万死に値する所業だ。しかも実際キスするならまだしも、ふりか!
しかし、ここで、きれたら。
いままで隠してきた苦労が水の泡。
ものすごい勢いでストレスがたまっていくのを感じますよ?
「し」
私はなんとか言葉をひねり出した。
「しかたないじゃない。芽依は普通の妹なんだから」
「そうか、そうなんだなあ……」
普通に事実にそこまでへこんでも不毛なだけじゃないか、鉄治。
「まあでも、お兄ちゃん不潔とか言われないだけマシじゃないかな……」
怒りにも似たやりきれない思いはかなりまだくすぶっている。日本は火山大国だというそのままに。でも本気でへこんでいる鉄治に拳を向けてぼっこぼこにするのは、まあやってもいいんだけど、自分のためにできない。それやったら終わりだし。
私は、まだ少し感触が残る鉄治の指を思い出す。
なんかもともと体温低そうな冷ややかな顔だちなんだけど、それは熱さを持っていた。人形みたいに綺麗だけど、それでも人間なんだなと思う温度。
人間離れした外道なことをするかと思えば、くだらないことで、へこみきって。
結局それは彼のわがままにすぎないんだけど、私はそれを拒絶できない。生ぬるい温度なのは私だ。
鉄治が私にこんなに近づくなんてまれな話なのに、こんなろくでもないもので。けれど、それに対して怒ることも上手くできなかった。
ほんと最低だった。




