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貧乏くじの姫と嘘つきな王子の寓話  作者: 蒼治
三幕 白鳥の殺伐とした湖
14/50

3-4

 終業式の前日、私は鉄治の家に行くべく用意をしていた。

 すでに、日差しは真夏のもの。エアコンのきいた寮の部屋にいても、暑さは染み入るみたいで、私はがぶがぶミネラルウォーターを飲んでいた。


 水ね。

 なんとかして母親と鉄治のドリームには逆らいたいと思っていたのだけど、あれよあれよと流された。どうにもこうにも大洪水だった。


 鉄治のお母さん……セリカさんもその生きっぷりがパンクでロックでアナーキーな人だ。音楽関係の仕事をしていて実入りもいいし、もちろん子どもは可愛がっている。でも、やっぱりちょっと普通じゃない……と、思う。鉄治と芽依の実の父にあたる人とは死別してしまったらしいけど、そんな悲しさは今は微塵も感じさせない。さばさばしてとてもいい人なのだけど。

 鉄治曰く男の影も耐えないそうだ。


 そんなセリカさんは、私が熊井さんちにお世話になることに関しても、まったく頓着無しだった。

「あ、そー。千代子ちゃんがいてくれれば、うちの兄妹も安心して置いていけるわ。まああの子達は適当にやってくれるだろうし、とくに餌の必要はないから。ほんと私にさっぱり似ないで堅実な兄妹だし」

 妹は妖精だし、兄はどこにだしても恥ずかしくないド変態ですが!?


 でもなあ、鉄治は殺しても死ななそうだし、芽依はその鉄治が死守しているしな。たしかにほっといても死にはしないだろう。セリカさんとしては、肌理細やかな母親の愛情うんぬんとかより、一家の大黒柱として稼ぐことこそ本分と思っているのかもしれない。


「千代子ちゃん」

 芽依がいつもながらのあの笑顔でやって来た。

「私ね、千代子ちゃんに聞いておきたいことがあったの」

「なにー?」

 どこまで荷物も持っていくかで私は考え込んでいた。何か足りないものがあっても、簡単にとりにこれる距離。でも面倒は面倒だから、スーツケースに入るならもって行ったほうがいいのだろうか、このワンピースはどうしようかな。

 水を飲みながら考える。


「あのね、千代子ちゃんはお兄ちゃんとエッチなことしたの?」

 むせた。

 一言抗議した方がよいだろうか。人が飲み食いしているときに、強烈な事を言うのはやめよと。


「え、え、エッチなことって……」

 しかし、芽依はあの鉄治によく似た綺麗な顔で、私をじっと見ている、わあ、透き通る泉のようなその目に吸い込まれそうだ。でもどちらかというと私のこの現状は泥沼にどっぷり腰までつかっている感じかなー。

「だって、千代子ちゃん。お兄ちゃんと付き合ってもう五年になるでしょう?」

 そういうのはだな、お互いを知って、将来を誓い合ってこそのものなんだ!

 って私、これ以上無いくらい鉄治の本性は知っているし、婚約までしているではないか。


「お兄ちゃんに何も言われないの?」

「言われるって……」

 いや、とくにご報告するようなことはありません。

「と、とくには」

 言われてみれば私と鉄治はものすごく健全だ。健全すぎて不健全ってやつかもしれない。だって手だってろくに繋いでない。キスなんてシャングリラかと思う遠さだ。でもそれって今まで深く考えなかったけどおかしくない?

 大体よくよく考えてみれば、この間まで、俗にやりたいさかりという男子高校生だったのだ。それなのに、会えばいつだって涼しい顔して、そんなことにはまるで興味なさそうだった。


 気が付いてはならないことに気が付いてしまった。

 

 もしかして、私、鉄治に女としてさえ見られていないのか……!?

 私は愕然という言葉がそのままぴったりの顔で、芽依を見てしまった。鉄治はどうして私に手を出さないんだろう。本命に手を出せないのはそれはそれとしても、だったら別のでもいいやと思いはしないのだろうか。

 あ、あの、私それなりに美人の評価は受けていて、胸もそこそこはあります。ちょっと身長高いのが難といえば難ですが、鉄治も身長はあるので問題ないかと思うのです。


 なんであいつ手をださないの!?

 なんだその高僧っぷりは。来世は仏か。ふざけんな。


「どうしたの、千代子ちゃん」

「あ、いえ、あの、お構いなく」

 私は衝撃に次の言葉が見つからない。

「そっか……」

 でも芽依は芽依でその返事に困っているようだ。

「で、でもなんでいきなりそんなことを」

「だって、千代子ちゃんとお兄ちゃんがそういう関係なら、もしかして私が家にいるのって邪魔かなあって思って」

「は?」

「だって、二人でいちゃいちゃしたくない?」


 いちゃいちゃ。

 もしくはラブラブ。

 すごいな、私にとっては『一等前後賞合わせて七億円』と同じくらい遠い話だ。


「い、いや、芽依。そんなんじゃなくて」

「だって千代子ちゃんとお兄ちゃん、結婚するくらいな勢いなんでしょう?この間、そう言う話になったってきいた」

「どこから!」

「お母さん」

 ……セリカさん……もうちょっと具体化するまで黙っていて欲しかった。

「だったら、私がいたら邪魔かなあって思って。私ね、別に寮に残ってもいいんだ。だって部活も結構あるし」

「いや、芽依がいないなら、私は熊井さんちにはいかないから!」

「なんで」

「え、なんでって」


 芽依はまったく想定していない。自分の兄に惚れられているなんてこと。

 まあ普通はそうだろうな。兄の恋人が自分のうちにくるのは、実は兄は妹である自分を好きで、恋人はその暴走を止めるためにくるなんて。

 それが出来たらもの凄いイマジネーションだ。ジョンもびっくり。


「あのね、でも千代子ちゃんは私を気にしないでね」

 芽依はけろりとして言う。なんだろう、別に自分が邪魔者であることを悲しんでいるというわけでもなく……なんとなく楽しんでいるような。そうか、芽依は鉄治を独占したいという感情がまったくないのか。

 見事なまでの鉄治の片思い……。


「私、見てみぬふりくらいできるから」

「まって、それはなんだかされたくない、嬉しくない!」

「夏休み間に進展するといいね」

「そんなに急いでどこに行く……」

「でもさ、五年も付き合って全然そういうことないって、ちょっと変だと思う。お兄ちゃん、何かメンタル面で問題があって出来ないとかそういうのなのかな」

「まて、芽依」

 鉄治が聞いたらさすがにショックを受ける発言の連続だ。好きな相手に「あの人それが不自由らしいよ」なんて言われたくないだろう。


「私ね、お兄ちゃんにはもっと自由にして欲しいんだ。千代子ちゃんにも」

 芽依はふっと寂しそうに笑った。

「お兄ちゃん、私に気を使っているから」

「……芽依?」

「私、体が弱かったからお兄ちゃんは私にかかりっきりだ。お母さんは仕事で忙しかったから、私のこと気にしてくれるのはお兄ちゃんだけだったの。だからお兄ちゃんは今でも私に凄く気を使っているでしょう。そんなのいやなんだ。千代子ちゃんと付き合うようになって、お兄ちゃん、少し楽しそうになったと思うの。だからお兄ちゃんには千代子ちゃんと幸せになってほしい」


 芽依は、鉄治の恋心など気がつくこともなく、でも血のつながった家族としてこれ以上ないくらいの信頼と愛情を向けているんだなあ。

 私には鉄治の感情は純粋な恋心として見えないこともないけれど、芽依のその家族愛を思うとやっぱりそれは不純なものに見えてくる。ただのシスコンだったらまだよかったのに。肉欲なんて薄そうなのに、ただ一つ向かう先が違うだけで、世間からみれば外道の局地になっちゃうんだなあ。一生懸命葛藤しているんだから、味方してあげたいような気分になる私の基準がおかしいことは知ってるんだけど。


「それに千代子ちゃんも。ねえ千代子ちゃん、まだお兄ちゃんになんか遠慮しているっていうか……自然体じゃないよね」

「そうかな」

「お兄ちゃんと話すときだけ、言葉遣いが丁寧だし。もうちょっと打ち解けてもいいのになって」

「え、えっとそれは私の性格だし」


 芽依の本心が痛い。

 芽依は友人として私をほんとに心配していると言うのに。

 友人とか家族とか、いろんなものに本当は裏切られている芽依に、私は果てしない後ろめたさを感じる。

 でもそれに正直になることのほうが、きっともっと裏切りなんだと思う。私達、本当にどうしたらいいんだろう。鉄治はどうしたいんだろうか。

 鉄治もはっきりさせりゃあいいのにな、と思う私もよい解決策なんて絶対提示できない。


 芽依は真剣にいった。

「千代子ちゃん、お兄ちゃんのこと好き?」

「好きだよ」

 これだけは嘘じゃなくて言えてよかった。芽依との会話のことごとくが嘘で息苦しかったけど、私のこの気持ちだけは嘘ではない。

 鉄治がどれほど嘘だと思っていようとも。


 芽依は少しだけ安堵の表情を浮かべた。

「頑張ってね、千代子ちゃん」

 うんってうなづきかけて私は思う。一体芽依は私の何を心配しているのかと。

「あ、あのね、もし千代子ちゃんが言いにくいなら、私がお兄ちゃんにそれとなくいってもいいよ?」

「何を?」

「お兄ちゃん、近所の総合病院の泌尿器科は、腕がいいみたいだよって」

 かの美貌の青年、熊井鉄治をシモネタに出来るのは、あんたくらいだよ、芽依……。


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