2-5
「きっとね、バニラは千代子ちゃんのこと好きだと思うの!」
芽依のその指摘に、私はむさぼり食っていたエクレアを喉に詰まらせた。
たとえばこれが、悲しげな顔とともにだったら、まあ理解は出来るんだけど、芽依は満足そうに見えるほどの笑顔だった。芽依は確かバニラのことを好きだと言っていたはずだが……。
「あ、あのさ、芽依」
「でもよかった。もう会わないなんてことになったら困るもの」
私と芽依が昨日について真摯な反省会を行っているのは、モニカのラウンジだ。エクレアは芽依の奢り。
普通、初対面の女が見知らぬ男とはいえ、人様に蹴りをくれていたら普通はひくのではないかと思う。まことに遺憾であります。
だけど、昨日バニラ……姫宮圭之進はむしろご機嫌だった。
逃げおおせた後、私と芽依は再びお茶に誘われた。私としては、結局サツキ本人である芽依を目の前にし、私をサツキと信じているバニラと話をするわけだから、気疲れするなんてものじゃない。目の荒いサンドペーパーでごりごり神経すり減らされる。
姫宮は私をサツキと思って疑わないらしく、終始、上機嫌に話をしていたが、私は自分がうっかりサツキと矛盾することでも言わないかと不安でならなかった。もう二度とこんなことはするまいと思った。
あれだ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえというが、応援するつもりでも首をつっこむのはよろしくないと言う話だ。現時点で、馬でなくても、オカピくらいには蹴られそうだ。
それなのに芽依は。
「だって、早く千代子ちゃんにはバニラと仲良くなって欲しいし」
「なんで!」
「仲良くなってもらえば、私も千代子ちゃんの友達として会えるから」
ああ、そうか。
芽依もそのくらいのことは思いついていたのか。一度付いてしまった嘘はごまかしがきかなくても、新しい嘘で完全に糊塗してしまえばいいって。しかし化粧直しは塗りたくればいいというものでもないという気がするのだが。
「ごめんね、千代子ちゃん」
芽依はアイスティーのグラスを両手で持ってうつむいていた。
「私の都合で巻き込んで」
「まあ、でも芽依がそのくらいの作戦立てられてよかった」
私は笑ってみせる。
「あれでしょ、私がサツキとしてバニラと仲良くなって、そのつてで芽依はバニラと最初から知り合いなおす。そんでサツキはフェードアウト。そのくらい私だって思っていたことだから大丈夫」
芽依は顔を上げて私を見つめた。そしていつものように嬉しそうに笑うかと思いきや、そっと視線をはずしたのだった。
「もし」
芽依が何か言葉を紡いだけど、私には聞き取れなかった。
「なに?」
「なんでもない。でもごめんね。迷惑かけていることには変わりないもの」
何をおっしゃいますやら。熊井鉄治にかけられている迷惑に比べたら、屁でもないですよ。
「まあ私が芽依の役なんて、設定からしてかなり無理はあると思うんだけど。でも頑張るよ」
可憐で病弱な美少女をであるはずの「サツキ」をバレー部のエースアタッカーの私がやるあたり、キャラ改変にも程があろう。
「うん、ありがとう」
そこで芽依はようやく微笑んだ。
「そしたらね、さっそくなんだけど、お願いがあるんだ。バニラがね、また会いましょうって」
凄い勢いでおねだりだ。しかも可愛い。よーし、パパ頑張っちゃうぞ!じゃなくて。
「なに?」
私はさすがに目をむいた。
「いや、ねえ、芽依、ちょっとまって」
この現代、夫の実家への帰還だって嫁の夫への交渉次第では正月のみ年一回くらいで済むことだってある、いわんや同居。そのように、気疲れする人と会うのは、出来る範囲で努力しましょうと言うのが時代の流れである気がするのだけど、また、さっそく会うの?
「ええとね、今週末」
付き合い始めのラブラブカップルにだって張り合えるくらいの頻度だ!
「なんで、そんなに早いの!」
「バニラから『今日は楽しかったです、またお会いしたいと思います。今週末ならもう少しゆっくり時間がとれそうですがいかがでしょう』って連絡が来たの」
会った女はカフェを飛び出して、がら悪い連中に絡まれて、自分は階段から落ちるなんていう出来事のどこに楽しみがあったというのか。それを問いただすためになら会いたいような気もするが。
「だから今週末」
「芽依はどうするの」
「私はね、残念なんだけど、親戚のうちに行かなければいけないから、千代子ちゃん頑張ってね」
あれは頑張ってどうにかなるという問題なのだろうか……。
「いや……あの……ああ、そうだ!でもほら私は、そんなに頻繁に会うのはまずいよ」
私は無様にいいわけをしてみた。
「だってほら、鉄治さんっていう彼氏がいるわけだし」
「大丈夫」
芽依は今度こそ鮮やかに笑った。
「お兄ちゃんも、親戚のうちにいくからわからないわ」
「わからなければいいという問題では……」
「なんで?」
芽依は優美な微笑を浮かべた。
うわあって叫んで、私はラウンジの椅子から立ち上がりそうになった。い、今、芽依の顔に鉄治がダブった。
外道一直線の熊井鉄治。
その妹なのに、純情可憐な芽依。
私は今までそう認識していたけど、芽依も芽依でもしかしてかなりイイ性格しているのだろうか。
お、同じ釜の飯食ってたんだもん、それはかなりありえる。
そして鉄治は自分の外道っぷりに気がついているけど、芽依は自覚ないのだとしたら、それはある意味よっぽど危険なのは。
「大丈夫、それに千代子ちゃん美人なのに、お兄ちゃん、あまり心配していないもん。ちょっとぐらい違う人の存在を匂わせて心配させたっていいくらいだわ。ね、問題なんかじゃないでしょう?」
私の恋愛と芽依の恋愛を一緒にしちゃだめだ。混ぜるな危険!
「じゃ、そういうことで、お願いね。詳しい時間については、また改めて」
芽依は満面の笑顔で言った。
怖いよう、芽依が怖いよう。
私は学校の礼拝堂でため息を付いていた。モニカの聖乙女と呼ばれる麗しの生徒だけど、本気で信心深い生徒は校内では若干名のようで、いつもここは静かだ。
今まで芽依がおっとりしていたのは、熱心に追いかけるほど執着するほどのものがなかったからかもしれない。鉄治は物心付いたときから、芽依のことを考えていたからそれが強烈に出ただけで。
芽依は本当に姫宮のことが好きなんだなあ。恋なんだなあ。
しかし、恋とはこんな混戦状態であるものだろうか?ノールールだよ。
私ももちろん芽依の友達なので、芽依と姫宮がうまくいってくれればそれに越したことはないと思う。姫宮が本当にまっとうな人間なのかを我が目で確認してみたい気もする。しかしここまで当事者になりたかったわけでは……。
週末一体どうしたらいいのだろうと真剣に悩んでいた私のポケットで、小さな振動が聞こえた。無雑作に出してみると、鉄治からの電話だった。必要最低限の連絡ばかりで、あまり電話もしてこない奴が、こんな週の始めに珍しい。
「はい」
礼拝堂でちょっと行儀が悪いが、他に誰もいないので、私は小さな声で電話に出た。ごめんね忙しいのに、と心にもない定型文を述べる鉄治の声は相変わらず美しい。
「どうしたの、珍しい」
私がいうと鉄治はとっとと用件を切り出した。相変わらず、無味乾燥な扱いを受けているな私。たまには時候の挨拶が次に続いてもいいだろうに。草々。
『ちょっと会って話したいことがあるんだけど』
わかりました、二つ返事でお受けします。
「いいけれど、いつ?」
『平日、夜とか外にでられる?』
鉄治がそんなに焦ってるなんて珍しいなと思いながら、私は予定を考える。ああ、でも。
「ちょっと無理かも、授業終わって十分とかならいいけど、部活もあるし、寮の門限もあるから」
『そこをなんとか、千代子さんは優しいからなんとかしてくれるんじゃないかなー』
「無理」
電話の向こうで鉄治が唸っている。かなり困っているみたいだ。
「ねえ、そんなに慌ててどうしたの?」
『電話やメールじゃ話にくい事なんだけどな』
私を好きだとでも気が付いたか。
しばらくの沈黙のあと、鉄治はぼそぼそとしゃべった。
『なんとなく、芽依に男の影が感じられる』
速攻ばれました。
でも鉄治のそのカンは初めてではない。鉄治は虫のしらせ芽依専用機を持っているのだと思えば驚くに値しない。
でも私も万が一を考えていたから、そう動揺していない返事を返せたはずだ。
「なにかそれっぽい出来事でもあったの?」
『なんとなく』
「そんなこと私、聞いてないけど」
私は自信たっぷりにしらばっくれた。
「私と芽依は友達だし、芽依も好きな人が出来れば私に話をしてくれると思うけど……」
『そう、千代子さん、何も聞いてないんだ』
鉄治は予想が外れたとばかりに拍子抜けしていた。
予測とカン、どっちでもいいからもうちょっと鈍くなってくれないかなあ、と私は向かいで十字架にぶらさがっている神様にちょっと願った。




