第21話「太陽の少女」
声のした方へと目を凝らす。影妖精の夜目を以てしても見通せないほどの濃密な闇。恐らくは、只の影ではないだろう。
「誰か居るのか? もし邪魔をしたようなら謝る」
とりあえず、敵意がないことを主張する。
できる限り声を張り上げ、相手へと届く様に祈る。
「……邪魔というわけではないわ」
果たして俺の願いが通じたのか、影から声が帰ってくる。呆れた様な、諦めきったような、冷えた声だ。この世全てについて諦めた、光のない声。
俺は、その声にどこか親近感を覚えた。
「俺の名前はクロ。遺跡を探索していて、ここに辿り着いた」
「……クロ。そう、いつの間にか、ここは遺跡になっていたのね」
分厚い闇を隔てて言葉を交わす。
相手の姿も分からないが、音だけは透き通って聞こえた。
「お前の名前は?」
「……ないわ。ずっと前に無くしたままよ」
「そうか……」
力の無い言葉。
やはり、他人事では無さそうだ。
俺は一つの確信を持って問いを投げた。
「お前は、何妖精だ?」
言葉は無くとも、彼女が驚いているのが分かった。
姿は見えなくとも、その華奢な肩が跳ねるのが見えるようだった。
「言い忘れてたな。俺はクロ。……影妖精だ」
「影、妖精……」
改めて自己紹介。
闇の向こう側の彼女は、俺の言葉を噛みしめるように反芻する。そうして、少しの間を空けて、決意の籠もった、張りのある声を響かせる。
「私は、今は名前が無い。私は名無しの、光妖精よ」
「なっ!?」
今度は俺が驚く番だった。
彼女の放った言葉は、爆弾のように俺の心を揺るがす。光妖精は、俺たち妖精族の中でも頭一つ飛び抜けた存在感を示す種族だ。炎も水も、風も、光の下に万物はある。闇でさえ、光が無ければ個を保つことはできない。
全てを包み込む根底の種族。それが光妖精だ。
「光妖精とは、また驚いたな」
「笑って頂戴。光妖精が間抜けにも人間達の罠に捕らえられてしまったのだから」
絶句する俺に、彼女は自嘲気味に言った。
なるほど、それならばこれほどに濃密で奇特な闇についても納得ができる。
影が光無い場所では生きられないように、光もまた影無い場所では生きられない。言わば表裏一体の関係にある。しかし、完璧な影というものは、完全な無と同義でもある。光すら塗りつぶす闇の中において、光は無意味だ。
「この闇の絡繰りについては知らないが、コレのせいで閉じ込められてるんだろう?」
「ええ。光を飲み込む完璧な闇。皮肉なことに、これは私から吸い出した魔力を糧に作られている」
どこか憶えのある言葉だった。妖精はやはり、魔力タンクとして求められるのか。
「なあ、そこから出たいか?」
「……出られるものならね」
諦めきった声で、彼女は答える。
ならばと俺は応える。
「そっちがどんな状況かは知らないが、できるだけ安全になるように防御しておけよ」
「え? 今なんて――」
身を屈め、全身に力を込める。身体を収縮させ、限界まで引き絞る。幻翅を展開し、目を見開く。
目指すのは闇の先。まだ見ぬ少女の声の在る所。
戸惑う声を無視し、俺はにやりと笑みを浮かべていた。
「吶喊!」
極限まで抑えられたバネの様に、解放された鳥のように、手を離された矢のように。俺は一直線に闇に向けて飛び出す。
彼女と俺とを隔てるものが闇ならば、どんなものでも俺にとってはただの闇だ。
魔力を両手に集め、術式を展開する。
「開け!」
爪の伸びた鋭利な指先が闇を捕らえる。
氷のように冷えたそれに両手を突き刺し、大きく広げる。
バキバキと薄い何かが剥落する音が聞こえる。
「な、何をしているの!?」
闇の向こうから、戸惑う声が聞こえる。
「俺は影妖精だぞ。これくらいの暗闇、すぐに退けられる」
「いくら私でもそんなの聞いたこと無いわよ!? あなた、ほんとに影妖精――」
闇を掴み、引き裂き、奥へと潜る。
少女の声を頼りに、少しずつ進んでいく。
「ッ! 危ないっ!」
「!?」
後方から風切り音が聞こえた。
反射的に片腕を向けて防御術式を展開する。
「防衛機構が生きてるのか!?」
魔方陣を食い破らんと回転しながら迫るのは、鋼鉄の鏃を付けた太い矢だ。人が射ることのできるようなものではない。もっと巨大な、バリスタなどで射出するものだ。
「き、気をつけて」
「分かった。ありがとう」
幾分近くなった向こう側からほっとした声が聞こえた。
どうやら、向こう側からはある程度こちらが見えているらしい。その割には俺の姿は見えていなかったみたいだが……。
「あなたが黒いからだと思うわ。闇と同化してよく見えなかったの」
「ナチュラルに心を読むんじゃ無い」
ともあれ矢を下に捨てて、俺は闇を裂く。バリベリと景気よく進めている最中にも幾度となく襲撃はある。しかしそれは、彼女の警戒によって全て瀬戸際で防ぐことができた。
「ん、ほんのり明るいな」
「ここまで来たらこっちからでもあなたの顔が分かるわ」
もう少しで辿り着く。
闇が微かに和らいでいた。
俺は力を振り絞り、爪を突き立てる。薄い膜を突き破った感覚は、終端を知らせる。
両腕を突き刺し、左右に押し広げる。
柔らかな光が溢れ出し、俺は目を細めた。
「……まさか、本当にここまで来る人がいたなんて」
白い輝きの中から、驚く声が聞こえた。
「あー、うん。俺も他人事じゃないからな」
パチパチと目を瞬かせて応える。夜目が利く分、中々明るい場所には慣れない。
俺の様子に気が付いたのか、不意に両手を握られる。温かい、春の陽気のような温もりが伝わる。
「ありがとう。改めて、感謝するわ」
次第に目が慣れる。
そこは、鳥かごのような狭い場所だった。鉄の格子で囲われ、彼女は鎖で繋がれていた。
太陽の様な金髪を腰まで流し、オレンジ色の瞳が輝いている。
彼女は俺の手を握り、花のような笑みを浮かべた。
 




