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第2話「辺境の地アレシュギア」

 パチパチと爆ぜる焚き火をぼんやりと眺める。

 時折手近な小枝を放り込んでみるが、俺の持てるサイズではなんの足しにもならないだろう。

 すぐとなりでは、ルナが外套にくるまって小さく寝息を立てている。

 ふと東の空を見てみれば、長い夜の終わりが見え始めていた。


「錬金術師の助手、か……」


 昨夜の出来事を思い出す。

 地下遺跡に捕らわれていた俺を救い出した錬金術師のルナ。彼女は俺に名前を与え、掟に従い俺は彼女の要求を受け入れた。妖精の掟に逆らうことはできないし、するつもりもさらさらないから、今のところそれに不満はない。


「しかし、俺にできることなんて言っても、倉庫番くらいだな」


 人間と妖精では背丈が圧倒的に違う。

 俺が人間サイズのフラスコを揺らしたりバーナーを操作するのは現実的ではないだろう。

 となれば、ルナが助手として俺に期待することは、俺の持つ能力の方と考えるのが自然だ。


「けど、魔力を随分消耗してるからサイズも小さくなってそうだなぁ」


 そもそもまだ扉を開くだけの魔力も回復していない。

 異常な速度で元に戻っているのは何となく実感しているが、それでも全体から考えれば微々たる物だ。

 最大値まで容量を戻すには最低でももう二、三日は必要だろう。

 そんな事に思考を巡らせながら炎の揺らめきを見ていると、ルナの身体がもぞもぞと揺れ動く。


「んぅ……。おはよぉ……」

「おはよう。よく寝てたな」


 くしくしと寝ぼけ眼を擦りながら、のっそりとルナが起きあがる。

 透き通った銀色の髪は毛先がぴょんと跳ねている。数時間前の凛々しい表情はなりを潜め、なんとも間抜けな顔である。


「クロは早いね」

「妖精は寝る必要がないからな」

「おぉー。それは便利」


 妖精は魔力があれば生きていける。そして、魔力は大気中にも多少の濃淡はあれど普遍的に存在しているものだ。そのため、妖精は睡眠や食事を取らずとも生きていけるのだ。


「まあ、寝ようと思って寝れない訳じゃないけどな。今回は不寝番だ」

「あ、ほんとだ。ごめんね。起こしてくれて良かったのに」

「俺はルナの助手なんだろ? ならできることなら全力で手伝うさ」

「うふふ。優秀な助手で私はうれしいわ」


 ルナはによによと柔らかく表情を崩し、指先で俺の頭を小突く。


「それで、森で一夜を明かした訳だがこれからどうするんだ?」

「ひとまず森を出るわ。そしたらそこに人を待たせてるから、そこからさらに移動よ」


 そこまで話して、ふとルナは思い出したようにこちらを振り向く。


「そういえば、高いところは大丈夫?」

「うん? まあ、別に高所恐怖症って訳じゃないが……」


 質問の真意が捕らえられず、俺は首を傾げながらも頷く。

 伊達に背丈の何倍もの高さのあるルナの肩に座れる訳じゃない。

 だから俺は、そのときの彼女の満面の笑みの意味に気が付かなかった。



「――ぅぉぉおおおおおおおおおおおおおお!?」


 ビュウビュウと冷たい風が頬をかすめる。血管の先まで凍り付きそうな極寒だ。

 緑の大地は遙か下方に広がり、雲が間を漂っている。


「しっかり掴まってなさい! 振り落とされたら拾いに行けないわよ!」


 上の方から暴風に紛れてルナの高揚した声が聞こえる。

 毛皮の帽子の中に銀髪を纏めてゴーグルを装着した彼女は、革のベルトをぎゅっと握っている。


「グルゥアッ!」


 俺が命の危機を感じていると、前方で勇ましい咆哮が響く。


「はっはー! お客さん、こいつの調子も良いみたいだ。予定よりも早く着くかもな!」


 俺たちの前の鞍に跨がり、手綱を握った男がうれしそうに言う。

 彼の前からにゅっと伸びるのは紫色の堅い鱗に覆われた長い首だ。その先端には鋭い牙の並んだ口を轡で封じられたトカゲ頭が、金色の瞳を爛々と輝かせている。

 そいつは大空を飛翔するのがよほど楽しいのか、バサバサと皮翼を上下させる。そのたびに視界がぐらぐらと揺れて、俺は心臓が縮むのを感じた。


「おいルナ! こんなの聞いてないぞ!」

「ちゃんと事前に聞いておいたじゃない、高いところは大丈夫? って」

「誰が竜に乗って移動するなんて考えるか!!」

「グルゥッアア!!」


 俺の絶叫に合わせるように、トカゲ頭が咆哮をあげる。

 高度数千メートル。雲すら見下ろす天空を、俺は竜に乗って駆けていた。


「飛竜便、クロの時代にはなかった?」

「竜は人間なんかが飼い慣らせる種族じゃない筈だったんだがな!」


 ルナのコートの胸ポケットに収まって、俺は唇をとがらせる。

 ビュウビュウと耳元で騒ぐ風切り音のせいで、声を張り上げないと会話もできない。

 俺がまだ長い拘束に捕らわれる以前。数百年前の人間は魔獣に怯えて暮らしていた。竜といえば、そんな人間たちの天敵の筆頭でさえあった筈だ。


「そこの妖精さんは随分寝坊助みたいだな! 人間は百年前には竜を従え、その上に乗って空を飛んでた。俺の祖父さんは初期の竜乗りだったのさ!」


 先頭で竜を操る男が誇らしげに言う。

 彼は代々竜に跨がってきた一族で、この竜は先代からの付き合いらしかった。


「ま、流石に龍は無理だがね」

「りゅう? 別の種類の竜もいるのか?」

「別の言葉で言えばドラゴンとワイバーンだ。俺たちが乗るのはワイバーン。俺たちが喰われるのがドラゴンさ」

「物騒な分類だな!」


 あっけらかんと言い放つ竜乗りの男に思わず声をあげる。

 ルナはそんな俺たちを見てくすくすと笑いを堪えていた。


「何が可笑しいんだよ」

「いやぁ、楽しそうだなって思って」


 ルナの言葉の意味が分からず俺は首を傾げる。


「数百年眠ってたんだったら、色々世情も変わってるでしょう? きっと目に見えるもの全部、新鮮に写るんだろうなって」


 彼女の言葉に、俺ははっとする。

 空の青さも、草原の緑も変わりはしない。しかし確かに変わっているものも多い。そう思って目を開けば、確かに全てが鮮やかに見える。


「昔とはファッションも変わったりしてる?」


 外套の裾をパタパタと揺らしながらルナが言う。


「確かに変わってる。もっと分厚くてごつごつしてて、襟元がバサバサしてる奴が多かった」


 俺の答えに、なぜかルナは誇らしげに鼻を鳴らした。

 首もとから膝下まですっぽりと覆う彼女の外套は、何か魔獣の革でできているらしい。使い込まれた良品だというのが、素人目にも分かる。

 ずいぶんとお気に入りの一品なんだろう。

 変わったと言えば彼女や竜乗りの付けているゴーグルも、随分と質の良い物に見える。細かな金具や薄いレンズを見るに、技術力もきっと俺の時代よりずっと良くなっているんだろう。


「ほら、お客さん。見えてきたぜ」


 竜乗りがルナに声を掛ける。

 ふと下を眺めてみれば、灰色の長く伸びる山脈を飛び越えている最中だった。

 麓に鬱蒼と広がる森を越えて、竜は猛然と進む。

 竜乗りの指さす先には、広い平原があった。


「あれがアレシュギアね!」


 ルナが頬を上気させて歓声をあげる。

 どうやら俺たちの目的地は、そのアレシュギアという名前のついた広い荒野らしい。

 木も疎らな、だだっぴろい土地だ。中央に山脈から流れ込む大きな湖があって、そこから細い川が一本流れ出している。人が暮らしている様子はないし、魔獣が棲んでいる気配もない。

 竜乗りはルナの指示で、その湖の畔に竜を着地させた。


「つ、つかれた……」

「クロは私の胸に入ってただけじゃないの」


 ルナが地面に足を付き、ようやく身体が安定する。

 彼女も長い空の旅は少し堪えたようで、軽く身体を動かしていた。


「それじゃ、確かに届けたからな」

「ええ。ありがとう。あ、トランク降ろすのも手伝ってくれる?」


 竜に餌をやっていた竜乗りと一緒に、彼女は大きなトランクを降ろす。それは焚き火の側にも置いていた彼女の全財産だという。

 二本の太いベルトで厳重な封をされた重たそうなトランクである。


「じゃあまた、予定通り行けば一月後に来るよ」


 そう言って、竜乗りはまた竜の背に跨がると手綱を振るう。

 竜が翼を大きくはためかせ、強い風を孕む。

 砂煙が収まった頃には、彼らの影は遠い上空にまで舞い上がっていた。


「ばいばーい!」


 それに向かって両手を振って、ルナは見送る。

 彼らが遠い山脈の尾根に消えたところで、彼女はようやく一息ついた。


「それで、どうしてまたこんな何にもないところに来たんだ?」


 彼女が落ち着いたのを見て、胸につっかえていた疑問を口に出す。


「あれ? 言ってなかったけ?」

「言われてないわっ! 森を抜けたらすぐに胸ポケットにねじ込まれて、気が付いたら空の上だぞ。聞く余裕もなかった」

「えへへ、ごめんごめん」


 俺の声に、ルナは舌を出して頭をかいた。

 彼女は俺を胸ポケットから取り出して地面に降ろすと、おもむろに外套の胸元に手を入れる。


「ん、しょ、っと」


 そうして取り出したのは、銀鎖のペンダントだ。

 青い石が填められて、そこに金の五芒星が刻まれている。

 彼女は表の面を俺に見せるように持って、にっと笑顔を浮かべる。


「それは?」

「改めて自己紹介。私は錬金術師。ライデン王国国家錬金局所属一級錬金術師のルナ・エンペドクレスよ」

「国家……?」


 長ったらしい役職名に俺は呆然と口を開く。

 よく分からないが、それなりの役職なんだろう。


「今回は王命によりここ、アレシュギア地方の開拓指揮を任されたわ」

「つまり……?」

「今日から、私たちでここを開拓して人の住める土地にするのよ」


 どんと胸を張って言い切るルナ。

 その言葉の意味を理解するのに、俺は短くない時間を要した。

 周囲に広がるのは建物ひとつない殺風景な荒野。

 立っているのは俺とルナただ二人。


「ここを、二人で?」

「そう。頑張るわよ!」


 気炎万丈なルナと対照的に、俺はきゅっと心臓が縮まるのを感じた。

 そうして、広い荒野に二人ぼっちで、俺たちの辺境開拓が始まった。


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