第19話「森の恵み」
「そっち行ったぞ!」
「分かってるわ!」
落ち葉を蹴り上げ逃げる兎を、低空飛行で追いかける。木々の間を駆け抜け、ジグザグに進む茶色い獣は、流石野生といったすばしこさだ。追跡するのがやっとで、魔法を展開する余裕もない。
しかし、両耳を伏せて逃げる兎の目の前の地面が、突如としてせり上がる。巨大な土壁はコの字となって兎を囲み退路を断つ。
「『黒き槍』!」
そうなれば、あとは赤子の手をひねるようなものだ。落ち着いて狙いを定め、黒槍を発射する。一直線にそれは兎の喉元を貫き、そのまま土壁に突き刺さる。
「よし、完璧だな」
苦しむ時間さえ与えない。一瞬の絶命だ。
「どうクロ? あ、獲れたわね」
俺が槍を引き抜き消していると、茂みからルナが現れる。外套の肩に木の葉を載せて、嬉しそうに兎を見やる。
「ああ。とりあえず今日はこれくらいでいいだろ」
「そうね。あんまり多すぎても腐らせるだけだし」
ルナは頷き、早速兎の耳を掴んで持ち上げる。
アレシュギアの森は前人未踏の地。それだけに現地の動物たちも人間に対する警戒心が薄く、案外順調に狩りを進めることができた。
俺たちが連れ立って向かったのは、森の中で見つけた小さな沢だ。そこには内蔵を抜いた猪が一匹と、兎が三匹、腐らないように冷やされていた。
「結構獲れるものねぇ」
獲ったばかりの兎の腹を割き、内蔵を取り出しながらルナが言う。
「ま、こんなに順調にいくのは最初のうちだけだろ。そのうち皆警戒して見つけるのも難しくなる」
「だよね。開拓団が増員されることになったら、狩人も雇わないといけないわね」
沢の水が赤く濁る。
時間的にも、収穫的にも、このあたりが頃合いだろう。
「こいつの血抜きが終わったら帰ろうか」
「そうね。そしたら明日は干し肉作りかしら」
腕が鳴るわね、とルナは張り切って言う。
アレシュギアで獲れた、初めての食材だ。大切に扱わなければならない。
「拠点の地下に保存庫でも作ればよかったな」
「完全に失念してたわ……。でも後から手を加えるのは中々大変なのよねぇ」
打って変わって、彼女は憂鬱そうに項垂れる。
錬金術で建物を建てる際、更地に新築するのと、既存の建物を増築するのとでは勝手が違うらしい。穴を掘るくらいなら俺の魔法を使えば簡単にできるんだが……。
「さ、血抜きしてる間に色々探索しましょ。香草なんかも集めたいわ」
縄で兎を木に繋ぎ、沢に沈めたルナが立ち上がって言う。
確かに何か香草の類いがないと、肉をそのままというのは些か味気ない。幸い、彼女が狩りの途中でいくつか目星は付けていたらしく、俺は外套のポケットに収まって荷物持ちに徹することにした。
「うんうん。流石は手つかずの森ね。貴重なハーブがこんなに一杯!」
木の根元や、日の光が差し込む広場、茂みなど、様々な所に多種多様な植物が繁茂している。ぱっと見ただけではどれも同じ緑色の葉っぱだが、よくよくじっくりと目を凝らしてみれば、それら全てが微妙に違っているのがよく分かる。
ルナは職業柄、そういうものには詳しいらしく、それら全ての名前を悉く言い当てていった。俺も一応、妖精の端くれとして植物など自然の物には詳しいが、知っているのは妖精の間でのみ通じる名前だけだ。
「ん~、大量大量。これだけあればポーションもいくつか作れるわねぇ」
「ポーション、魔法薬か。そんなのもを作るんだな」
「ま、錬金術師だからね。とは言っても専業の魔法薬剤師には負けるわ」
あくまで浅く広く、様々なことに対応できるのが錬金術の長所だ。一つのことを極めた専門職には勝てないが、その汎用性は魅力である。
「普通の開拓団なら、ただの錬金術師が団長になるようなことないのよ。大抵はオールマイティに活躍できる器用貧乏。ちょっとした雑用係ってところね」
「それがここじゃあ出世したもんだな」
「ま、状況が状況だからね。王国との道ができて、人がやって来るようになったら、すぐにでも隠居してやるんだから」
隠居するような性質には全くもって見えないが、彼女は笑い飛ばすように言う。
ああは言っているが、それでも彼女の暮らしていたライデン王国は錬金術の盛んな国らしい。ということは錬金術師はかなり重宝がられているのだろう。実際、ルナは貴族らしいし。
「うん。今日はこれくらい採れたら十分かな。また足りなくなったら来ましょ」
摘んだ葉を持ってきた紙袋に小分けしながら、ルナは満足そうに完爾として笑う。俺は彼女からそれを受け取ると、幻影空間の中に放り込んだ。
彼女の気も済んだところで、沢に戻り、十分に落ち着いた獲物も全て幻影空間の中に収納する。
「しっかし、妖精の魔法って便利ね。クロがいれば手ぶらで歩けるわ」
「そりゃどーも。ここは魔力が豊かだから、俺も自由に魔法が使えていいよ」
感心するルナに適当に返事をする。
言ったとおり、この森は魔力に溢れていた。それは手つかずの自然が残っていることに由来するのだろう。もしかすると、妖精がいたりするのかもしれないな。
「さ、十分収穫もあったし、拠点に帰りましょっか」
「ああ。帰って飯にしよう」
「あら、クロはご飯食べなくても良いんでしょう?」
「狩りをしたからにはちゃんと食べる。感謝を持って食べるべきだ」
「それもそうね。それじゃ、お姉さんがうーんと手によりを掛けて美味しいご馳走作ってあげるわね!」
そう言って、ルナはぐっと両腕を天に伸ばす。
森を出ると、太陽がオレンジ色に大地を染め始めていた。




