第13話「起死回生」
無慈悲に閉じる扉。ノブとなるような突起もなく、ルナは絶望に目の色を無くす。
背後からは無慈悲な機械の駆動音が迫る。
「ッ! ルナ、屈んで目瞑って頭守っとけ!」
「ふえ、あぅ」
「早く!」
「はひっ!」
混乱して正気を失う彼女に声を荒げる。ルナは半ば反射的に身を屈めた。
俺は彼女の胸ポケットから飛び出し、同時に幻翅を展開させる。七色の翅を震わせ、彼女を飛び越える。
ルナの背後に迫るのは、鋼鉄の大蛇のようなアームだった。金属の甲殻に覆われ、鋭く尖った刃の並ぶ顎を大きく開き、猛烈な勢いで迫っている。それが三つ。どれか一つを抑えても、残りの二つに砕かれる。止めるならば、一度に三つ全てを相手にしなければ。
脳の血管が伸縮し、異常な程の興奮の中、俺は冷静に思考を巡らせる。三つの蛇が到達するまで、二秒もない。あらゆる可能性を分岐させ、生存本能を励起する。
煌々と天井からは光が降り注ぎ、影は少ない。だが――
「これだけ在れば十分だ」
縮こまったルナの前に立ちはだかり、両手を掲げる。助手ならば、助手らしく、主人を守らねばならない。
「『絶影の蝕嵐』!」
内に秘めた魔力の全てを出し切る程の大魔法。それは俺のすぐ正面で極小さな点となって現れる。
異常な魔力は異常な力場を生み出し、空間を歪める。小さな小さな点は周囲をねじ切り、内に取り込む。ぐにゃりと、全てが折れ曲がる。
一瞬にしてその効果範囲は拡大し、迫り来る三頭の大蛇は軌道を強引に変えられる。抗おうとしても抗えるものではない。ましてや猛烈な勢いを付けて近づく者など、為す術もなく取り込まれる。
「ルナ、何か防御系の魔法はないか。できるだけ強力なヤツ!」
「ふえ? あ、えっと、『四重の鉄壁』!」
空気すらも吸収し、黒点は収束を続ける。轟々と鳴り響く暴風に耐えながら、俺は後ろのルナに声を掛ける。彼女は多少落ち着きを取り戻し、すぐに魔法を展開する。
床を突く錬金杖を中心に、灰色の壁が四重になって俺たちを取り囲む。
壁がドーム状にせり上がり、完璧に俺たちを包囲したのを確認して、俺は最後の仕上げをした。
「爆ぜろ!」
指を打ち鳴らす。
それを合図に、収束を続けていた黒点は活動を止め――
「耳塞いどけよ」
「んっ!」
一瞬後、部屋全体を揺らす爆音が弾ける。
バリバリと激しい破砕音が鳴り響く。地面が揺れ、ルナが悲鳴を上げる。鉄壁に亀裂が走り、外側から剥落していくのが感じ取れる。
全てを飲み込んだ種が、一気に萌芽した音だ。黒い嵐は影すら飲み込み、破壊衝動に身を任せる。憤怒すらぬるい暴力の嵐が一瞬にして地下遺跡を駆け巡る。
こんな地下で使うのは生き埋めの可能性すらあって愚の骨頂と言うべき行いだが、今ばかりは仕方がない。他にあの鉄蛇を止める手段がなかった。
「……終わった、の?」
ぎゅっと両手で耳を塞いでいたルナが、恐る恐る顔を上げる。最後の四枚目の壁はどうにか耐えてくれたらしく、周囲の状況は分からない。
「とりあえず、助かったかな」
幻翅を展開するほどの魔力も残っていない。
俺がふらふらと地面に落下すると、慌ててルナが両手で受け止めてくれた。
「ちょ、クロ、大丈夫なの!?」
「はは、魔力を九割ほど持ってかれただけだ。ちょっと寝れば……」
心配そうに青い瞳がのぞき込む。
俺は全身が鉛になったような倦怠感に耐えきれず、ゆっくりと瞼を閉じ――
「……!?」
ようとして、突如怒濤の勢いで流れ込む膨大な魔力に堪らず目を覚ます。
「ななな!?」
「絶対に、死なせないんだから!」
見ればルナが瞳に大粒の涙を浮かべて、バカげた量の魔力を放出している。乾いたスポンジみたいな俺は、それを存分に浴びて、一気に魔力が回復する。
「おいおいおいおい何やってるんだ!?」
「何って魔力譲渡よ。お前は魔力でできてる妖精なんだから、魔力が枯渇したら死んじゃうでしょ」
「九割持ってかれたって言っただろ! ちゃんと身体を構成する分はある!」
「うるさい! 身重の奴は黙って治療を受けなさい」
「身重の意味知って言ってるのか!!」
すっかり回復してしまった俺は慌てて立ち上がり、幻翅を展開してルナと目線を合わせる。
彼女は元気に滞空する俺を見て、硬直する。そうして、ふわっと柔らかな笑みを浮かべたかと思うとまたも大粒の涙をこぼし、驚く程俊敏な動きで俺を捕まえた。
「わぷっ!?」
「良かったよぉ。死んじゃったかと思ったよぉ!」
彼女は俺を胸元に押し付けて滂沱の涙を流す。
俺はと言えばぎゅうぎゅうと押し付けられ、圧死の危機に瀕していた。さっきよりよっぽど本能がレッドアラートを鳴らしている。
「し、死ぬ……」
「死んじゃダメ! 少なくとも私よりは生きるのよ」
「おま、自分不死身だって……」
どこかのスイッチが逝かれたのか、ルナは妙なテンションだ。
その後も泣いたり笑ったりと壊れた人形のようなことを繰り返し、平静を取り戻したのは、たっぷり数十分の時が経た後のことだった。
「し、死ぬかと思った……」
「ごめんなさい、つい……」
ついで殺されてたまるか。
「まあとりあえずあの罠はぶち壊したわけだが」
「あ、そういえばまだ確認してなかったね」
そう言ってルナがトンと杖を突く。灰色の壁は砂のように崩れ落ち、周囲の状況が露わになる。
「……うわぁ」
「なんだよ。ちゃんと五体満足で生き残れたんだからいいだろ」
粉々に粉砕され、少し前の光景が嘘のように見るも無惨な景色が広がる室内に、ルナが思わず絶句する。多少オーバーキルが過ぎるが、命には変えられない。
「こんな威力の魔法、魔術師が三人くらい集まらないと発動できないわよ」
「人間は魔法が下手だからなぁ」
「そんなレベルじゃないと思うんだけどなぁ」
力が抜けたのか、立ち上がることもせず、ルナは呆気にとられて周囲を眺める。
「立てるか?」
「ちょっとだけ落ち着かせて」
俺はルナの肩に乗って、翅を畳む。
うん。多少どころじゃなくやりすぎた気がする。
「これ、調査できると思うか?」
「とりあえずこの部屋は無理でしょうね。他にも部屋があるんなら希望はあるけど、崩落する可能性があるから中々大変かも」
「だよなぁ」
もしここに学者がいたなら、俺は殺されていたかも知れない。
古代文明の事はよく分からないが、貴重な史料が消え去ったのは事実だ。
「あっ! クレイは?」
「ほんとだ。無事かしら」
ルナが懐から探知計を取りだして確認する。
「無事よ! 行ってみましょう」
歓喜の声を上げて、彼女は壁を伝いながら立ち上がる。
瓦礫と化した床を乗り越え、反応のする方へ向かう。すり鉢状に地面が抉れている為、彼女は登るのに苦労していた。
「むぅ、足を掛けたら崩れちゃうわ!」
「そればっかりは申し訳ない」
まるで蟻地獄だと憤慨するルナに、俺はパタパタと滞空しながら謝った。
そんな時、ぼふん! と土を押し上げて何かが現れる。
すわ敵機かと身構える俺たちの目の前に出てきたのは、土埃で薄汚れてはいるが、細い人型の白いゴーレムだ。
「クレイ!」
「無事だったのね!」
地面が抉れたことで、下の部屋と繋がったらしい。クレイはこちらを認めると、腰下の土を掻き出して全身を現す。痛んでいる様子も目立った傷もなく、あちらも無事なようだった。
クレイは目を潤ませるルナの元へと歩み寄り、肩を貸す。
そうして、俺たちは無事再会できた喜びを分かち合うのだった。




