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25話 四章 たった一人の最愛は 上

 廊下で逃げるように走り去られてから、なぜか理樹は、沙羅に避けられるようになった。

 登校中に鉢合わせすると、彼女は走れもしない癖にレイの手を掴んで逃走し、移動教室の際に顔を見掛けたと思ったら逃げられる。


 あらから一週間、もうずっとこの調子が続いていた。一部の生徒の中で、桜羽沙羅がとうとう九条理樹に愛想を尽かしたのでは、という噂も広がり始めていた。


 その話は理樹も耳にした。平穏なのはいいことだ。おかげでレイが五組の教室に飛び込んでくることもなくなったし、授業後の休み時間に少し眠れたりする。最高じゃないか、と思った。


「なぁ、親友よ。お前は沙羅ちゃんが気にならないのか?」

「別に。そもそも、俺は告白を断っているんだが?」


 帰りのホームルームを終えてすぐ、鞄に荷物を詰めていた拓斗が、前の席からこちらを振り返ってそう言った。


 なぜそんな質問をしてくるんだと小さく睨み付けると、「あ~っと……まぁ、そうだったよな」と何か言いたそうな顔で帰り支度の作業に戻る。しかし、その後頭部が疑問を示して左へと傾いたのが見えた。


「う~ん、俺としてはなんにも進展がない、とも思えないんだけどなぁ……」

「何ぶつぶつ言ってんだ」

「お前の鋼のような顔面筋が突破出来ないところが、俺は実に悩ましいんだ」

「意味分からん」


 理樹は帰り支度を済ませた拓斗と共に、荷物を詰めた鞄を持って教室を出た。向かう先は、既に通い慣れてしまった『読書兼相談部』の部室である。


 校舎の部室側へと足を進めて、一学年の教室から一番近い階段を上がって図書室の前を通過した。文系の部室棟が授業教室と反対側に位置しているというのは少々面倒だが、おかげで人の出入りも少なく静かだという利点はある。


「職員室側からであれば、階段のぼればすぐなんだけどな」


 思わず小さく息を吐いて呟けば、隣でそれを聞いていた拓斗が「確かに」と相槌を打った。


「帰るときは向こうの階段降りれば、校舎裏口扉から外に出られるもんなぁ」

「かといって、一階からその階段に向かおうとすると、若干遠い」

「おっさん臭い意見だが、まさにその通りだぜ」


 文系の部活生のほとんどは、二階の図書室前を通過し、外の景色が眺められる短い渡り廊下を歩き、そして音楽室や化学室などがある校舎の教室から反対側へと行くルートを取っていた。部活動が始まってから、理樹と拓斗も放課後になるたび利用している。


 渡り廊下に踏み込んだところで、拓斗が横目にこちらを見た。


「部室と反対側の方に進めば、調理室方向に行けるぜ?」

「しつこいぞ拓斗、そのまま渡り廊下から外にダイブするか」


 理樹は、正面を見据えたままそう言った。ついでとばかりに、指をゴキリと鳴らしてやる。


「……親友よ、その横顔、マジだな。お前に持ち上げられて放り投げられる光景が容易に想像出来て嫌だ。確か中学校の時も、よく上級生を投げてたもんな…………――というかさ、なんでそうバカ力なわけ? 鍛えてんの?」

「俺は運動部に所属した経験はない。ただのテコの原理だ」

「マジかよ。今度から頭いい奴は怒らせないようにするわ」


 渡り廊下を通り終えて、部室のある廊下右手へと進んだ。最初にある教室は将棋部で、既に四人の男子生徒が集まっている様子が窓から見えたが、それ以降は備品室などで部室としては使われておらず、寂しく静まり返っていた。


 また新しく文系の部活動が出来ることがあれば、近くの部屋が使われるのだろう。部活動顧問教師の欄に、責任者として名前を書いてくれた担任の杉原が、去年までは天文部と漫画研究会があったのだと教えてくれた。生徒の卒業と共になくなってしまったのだという。



 扉の上に『読書兼相談部』という手書きの文字が見えてきた時、職員室側の位置している階段から一人の女子生徒が現れた。


 気付いた拓斗が、まるで驚かさないようにという配慮からか、ピタリと足を止めた。理樹も、相手が桜羽沙羅だと気付いてそっと歩みを止めていた。



 沙羅は制服の上から、質素なベージュのエプロンを着ていた。髪は、後ろでゆるくリボンで留められている。調理部のちょっとしたおつかいでも買って出ていたのか、その足取りは楽しげで軽い。


 こちらへと少し進んできた沙羅が、顔を上げて目が合った途端、ハッとした様子でまたしても慌てて踵を返した。しかし、そのまま階段へと引き返した彼女が、急ぎ方向転換しようとして失敗し、足をもつれさせるのが見えた。


 沙羅の身体がぐらりと揺れて、そのまま階段側へと傾いた。

 拓斗がギョッとしたように「沙羅ちゃん!」と警戒した声を上げた時、理樹は持っていた鞄を放り出して既に走り出していた。


 全力で廊下を駆けた。舌打ちする時間さえなかった。


 階段階下に投げ出される沙羅の身体に向かって、間に合え、と理樹は飛び込む勢いで手を伸ばした。彼女の腹に腕を回してしっかりキャッチし、自身の身体を支えるため残る片方の手で階段の手摺りを掴んだ。


 直後、支える腕に落下する彼女の重みがガクンとかかり、それに引っ張られる自分の体重まで加わって、落ちないよう手摺りを掴んでいる腕の筋肉がギシリと軋んだ。二人分の人間の体重を支えながら、その痛みに顔を歪め歯を食いしばって耐えた。

 二人分の体重を支える手摺りを掴む手に力を込め、片腕で抱きとめた彼女を、力任せに廊下側へと引き戻す。


 理樹は脇に沙羅を抱え持ったまま、遅れて拓斗が駆けてくる足音を聞きながら「間一髪だったな……」と小さく息を吐いた。危険が去ったのに静かなのが気になって、一言も発しない彼女の方を確認してみると放心状態だった。


 触れている腕からドクドクと脈打つ彼女の早い鼓動が伝わってきて、驚きすぎたらしいと分かった。

 理樹としても驚かされたのは事実だ。

 思わずもう一度息を吐きながら、残った方の手で髪をかき上げた。


「あのな。頼むから致命的な『おっちょこちょい』だけは、やめてくれ」


 吐息交じりに口にした理樹は、両手で沙羅の脇を抱え持ってゆっくり慎重に床に降ろした。彼女がすぐに自分の足で立てるのか判断できず、ひとまずは軽く支えたまま様子をみることにした。


 髪を留めていたリボンが、今にも外れてしまいそうになっている。戸惑うように両足を床についたところで、彼女がこちらをようやく見つめ返してくれた。


 その大きな瞳が、収まり出した驚きと変わるように、安堵を覚えた様子で潤い度を増した。沙羅は口を少し開閉させたものの声はなく、びっくりしすぎました、とその表情で語る。


 前世での長い付き合いからそれを察した理樹は、「俺だって驚いた」と答えた。少し腰を屈めて腕で支えた彼女を覗きこんだ姿勢のまま、こう続けた。


「俺を避けてくれるのは問題ないが、こうも要注意人物みたいな反応をされて、お前が怪我でもしたら困るんだが」


 彼女はかなり運動音痴なのだ。もし本当に階段から落ちたり、段差でつまずいて派手に転倒してしまったら……と考えると肝が冷える。女の身で打ちどころが悪かったら大変だから、やめてくれと言いたい。


 遅れてやってきた拓斗は、二人の無事を確認してから、少し離れたところで足を止めて様子を見守っていた。

 理樹は少しずつ手から力を抜いて、沙羅が自分で立てるようだと分かったところで、彼女から手を離した。


「……………だって、私ばかりがいつも、ドキドキさせられているの……」


 今だってそうよ、と沙羅が俯いてそう呟いた。


 話が見えず、訝って顔を顰めたら、沈黙の返答を聞いた彼女が顔を上げた。

 その表情は今にも泣き出しそうになっていて、理樹は軽々しく質問の言葉をかけることが出来なくなった。


「こんな風に優しくされたら、余計に意識してしまいます。ドキドキして、いろんな想いがぐるぐるして、うまく話すことも出来ないのがつらくて。……なのにこうして顔を合わせたら、また私だけが勝手にドキドキしてる」


 どうしていいのか分からない、混乱しているのだというように、沙羅は揺れる瞳で言葉を続けた。


「向けられる眼差しが柔らかいだなんて感じて、思い返したら余計に意識しちゃってダメなんです。普通にお話し出来なくなったら、もっと胸が苦しくなって、この一週間あなたのことばかり考えて」


 理樹は固く唇を閉ざしたまま、正面の沙羅を見下ろしていた。何も言えなかった。

 本来であれば告白を続けさせるのではなく、運動場で風紀委員長の西園寺が口にしていたように、理樹は即刻止められる言葉を選んで告白を断っていただろう。


 その相手が、彼女でなければ。



「……どうして、私を好きになってくれないんですか?」



 いつもの元気の良さを潜め、沙羅がひっそりとそう呟いて、じわりと涙腺を緩ませた。

 涙がこぼれ落ちる直前、彼女は堪えるようにきゅっと唇に力を入れたかと思うと、こちらの横を通過してのろのろと走って行ってしまった。

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