15話 三章 その武道派生徒会長は 上
衝撃的な朝の正門の光景があったとはいえ、午前中の授業は平和的に何事もなく終わり、昼休みを迎えた。
担当教師が出て行き、それぞれが食堂や弁当を売っている購買に移動しようと動き出した時、教師と入れ違うように教室入口に現れた一人の生徒に気付いた木島が「ぶほっ」と咽た。
その声を聞いてそちらへ目を向けた生徒たちが、途端に「え」と表情を固まらせて口をつぐんだ。遠目から見ている分には構わないが、本人を前にすると威圧感と警戒心が呼び起こされる、と言わんばかりの顔をする。
ちょうど財布をポケットに入れたところだった理樹は、同じようにそちらへと目を向けてすぐ、一時間目の休憩時間を思い返して口角をげんなりと引き攣らせた。理樹に続いて立ち上がった拓斗が「ひゅー」と、吹けもしない口笛の真似事をする。
「ここに『九条理樹』という生徒がいるでしょう。ちょっとよろしいかしら」
教室入口に立った女子生徒が、にこりともせずそう言って、長い髪を払い腰に手をあてた。
彼女の微かに顰められた美貌は、冷やかにも受け取れ剣呑さが感じられる。それは昨日の帰りに助けてしまった女子生徒であり、数時間前に八人の他校生を叩きのめしたうえ、山のようにぞんざいに積み上げていた例の武道派生徒会長だった。
「……………………」
正直に言っていいのなら、嫌だ、と即答してしまいたいシチュエーションだ。
黙ったまま見つめていると、クラスメイトたちが、一体どうなるのだろう見守る様子で、ゆっくりとこちらを振り返った。
その視線の先を追った例の女子生徒が「そこにいたの」と言い、微塵の迷いもなく手足を動かせて教室に入ってきて、理樹の前に立った。
「初めまして。私は三学生の宮鷹静よ、生徒会長をやっているわ」
あれだけ嵐のように強烈な武道派でありながら、大人しい響きのある『静』という名前であるのも、なんだか印象的だ。
確かに黙っていれば、どこぞのお嬢様らしさも漂う。しかし先程の行動を見た後だと、愛想のない態度や表情は気位の高そうなお嬢様気質というより、容赦ない女子版番長だと言われたほうがしっくりくる。むしろ、そっちの方が違和感がない。
目の前に立った生徒会長の宮應静は、校内で普段から見掛けている少女たちよりも背丈が高かった。こうして改めて近くから見下ろしてみると、顰め面でも美しい、という表現が浮かぶ。
「昨日はどうもありがとう」
思わずじっと見つめてしまうと、宮應がそれに対して特に意見するわけでもなく、淡々とそう言った。
その言葉には、前世の社交界でよく見掛けたような静かな怒気などは感じられなかった。どうやら彼女の無愛想な顔は、自分と同じ地顔に近いもののようだと理樹は察した。
ただ一言の感謝を伝えるためだけに、わざわざ来たのだろうか?
かなり気の強そうな女性なので、今後は邪魔しないでと言うつもりなのだろうかと思案しながら、理樹は「はぁ。それはどうも」と返事をした。
すると、それを聞き届けた宮應が「それで、どうかしら」と言葉を続けた。
「困っている人にすぐ手を差し伸べられる人も少ないと、私は思うのよ。あなた、生徒会に入らない?」
「は……?」
突拍子もない提案すぎて、思わず呆気に取られた。
返答を待つように仁王立ちポーズを取った彼女の後ろに見えるクラスメイトたちが、身振り手振りジェスチャーで『まずいぞ』と伝えてくる。
理樹は「ああ、これは失礼しました」と、一旦前世の頃のようにスマートに謝った。しかしいくらなんでも無理なものは無理だな、という結論に変わりはない。提案を持って来たにしては相手の態度も随分上から目線であったので、こちらも隠すことなく顰め面で返すことにした。
「興味ないですね。というか、ちょっと手助けしただけですし、それで生徒会の話を持って来られても困ります」
たったあれだけの出来事で生徒会へ誘うというのも、どうかと思うのだが。
考えながら、理樹は更に顔を顰めてみせた。そちらについては一歩も譲らん、とばかりに上級生に対する礼儀もなく顎を引き上げる彼を見て、そばにいる拓斗が「おいおい、このまま喧嘩でもする気か? さすがのお前も負けるんじゃね?」と小さな声で言った。
たかがこれくらいの要求が通らなかっただけで、力技に持っていくような人間が生徒会長をやるわけがないだろう。短絡的で野蛮残念で救いようがない人間というのは、目を見れはだいたい分かるものだ。
すると、こちらを見ていた宮應の頬に朱が差した。
それを目に留めた拓斗が、「おや?」と首を傾げた。木島を含むクラスメイトたちが、どうしたのだろうと見守る中、それを正面から見ていた理樹は「は……?」と再び惚けた声をこぼしてしまった。
おい待て、まさか。
理樹がそう心の中で独白する暇もなく、唐突に宮應が、先程までの冷静沈着な表情を一変させて、真っ赤な顔でこう怒鳴った。
「そッ、そそそそんなのただのきっかけ作りだってことくらい、察しなさいよ!」
彼女は誰の目から見ても分かるほど、冷静さをぶっ飛ばして切れていた。
恥ずかしさのメーターを勝手に振り切らせたその生徒会長は、もはや凶暴女子というよりは、恥ずかしくてたまらないのに叫ばずにはいられない様子で、一気に言葉をまくしたてた。
「ちょっと女の子らしい扱いをされたからって、漫画のシチュエーションみたいなんて思ってトキメいたわけじゃないわよ! タメ口で話す攻めの年下男子にキュンとした、とかではなくて気になっているからお話しとかしてみたいなぁ、なんて思ってしまっただけであって、そのへんは勘違いしないでよねッ」
「………………」
ちょっと助け出した出来事で安易に惚れた、というものではないらしいと知れたのは、安心するべき点ではある。
しかし、その際になぜか、そういった恋愛シチュエーションにこっそり人一倍の憧れを抱いていた女子である、と自ら告白までした生徒会長を前にして、理樹は返す言葉が浮かばなかった。
反応に困る暴露宣言を聞いて、教室中が戸惑いと困惑に満ちた嫌な沈黙に包まれた。恥ずかしくて死にそうだという顔で言葉をまくしたてた宮應が、荒くなった呼吸を肩を上下させながら整える中、拓斗だけが気楽そうな表情を浮かべていた。
「ははは、外見のクールさを裏切る表情豊かなツンデレっぷり。沙羅ちゃんとは違った意味で可愛いタイプだなぁ~」
拓斗は、本人を目の前に呑気にそう感想を口にした。
理樹はそれを隣で聞きながら、後で覚えてろよ、とぶっ飛ばすことを決めた。すると宮應が、まだ熱とパニック状態が収まらない様子で「九条理樹!」と叫んだ。
「三学年の教室は、ここから二階分も離れているのよ!? だから生徒会に入るか番号を交換して、まずは私と交流を図りなさいッ」
「困ります、お断りします。そして『気になっている』というのはあなたの勘違いだと思いますので、即刻、大人しく速やかにお帰りください」
理樹は距離感を与える敬語口調で即答して、その個人的な要求をバッサリ切り捨てた。前世の経験からすると、こういう勘違いタイプは少し考える時間を与えれば、自分で気付いて熱も冷めるだろう。
その時、沙羅が男装の風紀委部員のレイと共に、教室に顔を覗かせた。
二人が登場した瞬間、そちらを振り返ったクラスメイトたちが、ピシリと音を立てて固まった。
まるで密会か三角関係の鉢合わせ、または不倫現場か色事の修羅場を見られたような空気になっているのを見て、理樹はゆっくりと眉を顰めた。
そもそも沙羅とは付き合ってはいないし、付き合う予定だってない。
お前ら揃って見事に固まっているが、一体何が言いたいんだ?




