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13話 二章 手作りクッキー騒動

「今日の三時間目と四時間目の授業で、一組と二組の女子は、合同の調理実習でクッキーを焼くらしい」


 体育の授業後、教室で着替え終わったクラスメイトの男子たちが、どこか緊張した面持ちで真剣に見つめ合っている。そんな真面目な静けさが漂う中で、彼らの気持ちを代表するようにそう言ったのは、木島だった。


 だからなんだ、と理樹は机に頬杖をついたままそう思った。さっさと着替えて漫画を読んでいた拓斗も、口に入れたポッキーをもごもごさせながら、その様子を眺めている。


「桜羽ちゃんは、九条のために調理部にも入った」

「つまり、じょじょにその腕を上げているに違いない」

「そして、今回のクッキーイベント……」


 なぜかそこで、彼らがゴクリと唾を呑み、深刻そうな表情を揃ってこちらに向けてきた。

 理樹は、問うように顔を顰めてみせた。すると途端に、木島が「ちくしょーッモテる奴なんて滅びればいい!」と涙目で言ってきたので、ひとまずは「モテてねぇわ」と間髪入れず返してやった。


「しかもなんだ、クッキーイベントって?」

「親友よ、家庭科の調理実習と言えば、女子が気になる男子に作ったものをあげるというイベントが発生するってのは定番だ」

「拓斗。お前、漫画の読みすぎなんじゃないか?」


 理樹は、推理するポーズで顎に指を添える拓斗に半眼を向けた。


 その様子を見ていた男子生徒の一人が、「いや本当なんだって九条」と言った。


「そういう手作りイベントは実在する!」

「昼休み前っていう絶妙なタイミングの実習授業だからな」

「一組は全員、桜羽さんの恋を応援しているらしいから、もしかしたら応援者付きで来るかもしれないぞ」

「ウチのクラスの女子が、桜羽さんにアドバイスするっつってたから、絶対こっちに来ると思うぜ?」


 またウチのクラスの女子かよ。


 面倒だと答える代わりに、理樹はガリガリと頭をかいて椅子に座り直した。中学時代にそのようなイベントは見たことはないし、調理実習で作ったものをその場で食べきらず、わざわざ教室まで持ってくるというのもイメージがない。


「でも待てよ、桜羽さんのことだから『一人に渡すなんて……』ってはじめ躊躇しそうな気がしないか?」


 ふと、一人のクラスメイトがそう呟いた。

 木島がガバリと振り返り、その男子生徒が「なんだよ?」と見つめ返す中、真顔のままゆっくりと親指を立てた。


「その可能性、採用」

「木島、顔から表情がごっそり抜け落ちてるぜ。その顔は女子にゃアウトだ」

「なるほど、躊躇した彼女に、気を利かせた五組の女子が『それなら桜羽さんのは多めに残して――』とかだったら最高だな」

「そうなると、つまり俺らにもおこぼれはある」


 少年たちは、互いの健闘を称え合うかのように頷き合った。そして、普段は嫉妬だったり納得いかんとばかりに文句を言っている顔に、ここぞとばかりに爽やかな笑みを浮かべてこちらを向くと「九条、ナイスだ」と言った。


 何がナイスなのか全く分からないし、こういう時だけいいように解釈するのはどうかと思う。


 彼らは「とにかく俺らは知らぬ振りでいくぞ」と決めて話し合いを終了した。そして、女子生徒が戻ってくると何食わぬ顔――というよりは、普段より少し格好付けた涼しげな表情で、次の授業の教科書などを用意し始めた。


 その様子を見ていて拓斗が、「ははは」とこっそり笑った。


「なぁ理樹、あれって返ってバレバレな感じじゃね?」

「…………本人たちは完璧にやってるつもりなんだろ」


 感情が隠しきれなさすぎて違和感が凄まじい。もう放っておけばいい、と理樹は投げやりに片手を振って呟いた。


             ※※※


 理樹は四時間目の授業を受けている時、一組と二組の女子生徒が調理実習をしていることをキレイに忘れていた。倫理担当のベテラン男性教員、沢田(さわだ)の、五十代という深く落ち着いた声色に眠気を誘われた。


 ようやく終業を告げる鐘が鳴り響いて、沢田が少ない教材を抱えて教室を出て行った。

 普段ならすぐに席を立って廊下に飛び出して行く男子生徒たちや、それぞれのグループで動く女子メンバーが、雑談しながら珍しく教室内に留まる。女子の視線がチラチラと教室の開けられた出入り口に向けられて、それから理樹を盗み見る。


 その様子を拓斗が横目に留めて、呑気な顔で一つ頷いた。


「これは、確実に来るな」

「何が」


 教科書をしまうのもワンテンポ遅れていた理樹は、欠伸を噛み締めながらそう尋ねた。

 その時、廊下側から、少数の女子生徒の華やいだ話し声が聞こえて近づいてきた。教科書を引き出しにしまったタイミングでそちらへと目を向けた理樹は、教室の入り口に現れた沙羅の姿に気付いて、先程の『クッキーイベント』の話題を思い出した。


 どこか緊張しつつも照れた様子で頬を染める沙羅の両脇には、同じように色のついた袋を抱えた見知らぬ女子生徒が二人いた。鼻先に甘い匂いが掠めて、それが焼き上がって間もない菓子独特のものだと分かった。


 同じ方向を見ていた拓斗が、こっそりこう言ってきた。


「調理実習で作ったクッキーって、チョコチップ味もあんのかな?」

「…………お前、楽しそうだな」


 というか、単にココアパウダーを混ぜたチョコ味の可能性は考えないのか?


 理樹は、前世の頃に料理経験が豊富にあったこともあり、興味があって幼い頃から母に料理を教えてもらっていた。中学生だった頃までに菓子作りも一通りやっていたので、漂う甘い匂いの中に含まれるチョコ風味の匂いには覚えがある。


 五組のクラスメイトが応援心と期待感を込めて見守る中を、「室礼します」と明るく言って入ってきた友人たちと共に、沙羅が進んできた。


 途中でその少女たちに「頑張って」と背中を押され、彼女たちを教室の中央に残して一人でこちらの目の前に立つ。その沙羅の大きな瞳は潤っていて、明るくも見える茶色がより映えて見えた。


 しばし目を合わせていると、彼女がちょっと緊張した様子で、ふっくらとした血色の良い唇をきゅっとして、両腕で大事そうに抱えた桃色の袋をチラリと見下ろした。その際に、ほんのりと赤くなった頬に、ブラウンよりの色をした髪がさらりとかかった。


 その時、机の下から、拓斗が足で軽くつついてきた。


「お前さ、真顔をちょっと変えるか、先に何か声をかけてやったほうがいいんじゃね?」


 他にどういう顔をしろと? 


 そう答えるように、理樹は横目に拓斗を見やって小さく眉を顰めた。そもそも、彼女を期待させるような態度を取るつもりはない。


 視線をそのまま戻してみたら、沙羅の後ろに見える女子生徒たちが声を出さないまま、「眉間の皺ッ」とジェスチャーで注意してきた。男子生徒たちも、身振り手振りで「せめて顰め面はやめてあげて」「なんて無愛想なんだお前はッ」と全員が沙羅を気遣うよう指摘してくる。


 教室に俺の味方がいない。


 というか男子、お前らなんでそうやって彼女の味方をするんだ、俺の状況が我慢ならないとか言ってなかったか特に木島。


 顰め面のまま視線を沙羅へと戻した際、彼女も前世と名前が同じであることを、なんとなく思い返してしまった。この世界とは違う横文字綴りの『サラ』が、『沙羅』になっただけだ。

 同じ顔、同じ髪、そして空色の瞳の色だけが違っている。



 菓子なんて作れない女だった。前世で生きていた世界にもクッキーは存在していたが、彼女は挑戦するたび未知の物体を作り出していた。子供が離乳期を過ぎたら食べさせてあげたいのに、とよく泣いて、夫のほうがお菓子作りが上手だなんて……と項垂れていた。


 いつだったか、二人目の子供が乗馬を始めた頃に、こちらが作ってやったクッキーをかごにつめて、大きな木がある丘にピクニックに行ったことを思い出した。



 二人の子供たちが走り回っている様子を、芝生の上に楽に腰を下ろして眺めた。お腹は平気なの、と彼女が尋ねてきて、どうしてと尋ね返したら「だって、あなた昨日私が作った物を、また全部食べてしまったんですもの……」と瞳を潤ませていた。


 とても食べれたものじゃなかった。いつもそうだ。彼女は料理に関しては妙な才能を発揮し、優秀に立ち回る執事さえ絶句させる一品を作った。奥さま頼みますからどうか、という彼の言葉をよく聞いた。

 彼女の菓子を一口齧った料理長と使用人の一部が、今にも転げ回りたそうな動きをどうにか堪えている様子は面白かった。旦那様は表情筋がないのか、舌がおかしくいらっしゃるのでは、と言われて、いつも通り「不味い」と答えながら食べた。


「九条君、調理実習でクッキーを焼いたの」


 そんな声が聞こえて、ふっと意識が現実に引き戻された。理樹は一呼吸置いた後に「そうか」と相槌を打ち、瞬きと共に前世の情景を胸の奥に仕舞った。


 すると、沙羅が袋の口部分を開けた菓子袋を両手でこちらに突き出して、勢いよく九十度のお辞儀をしてこう告げてきた。


「よければ食べてください!」


 気のせいか、いつもの元気いっぱいの自信がその声にないように感じた。微かに震えている指先は、前世でもよく見た緊張感まで伝えてくる。


 差し出された袋から覗くクッキーは、プレーンタイプだった。形は少々歪だが焦げてはいないし、一見してクッキーと分かる菓子に仕上がっていたのが意外だった。グループの女の子と作ったからなのか、日本人として生まれた『沙羅』が料理未経験者でないのかは分からない。


 理樹は無言のまま、その中から一つ取り出して口に放り込んでみた。こちらを見ていた拓斗が「もう少し指で持っていてやろうぜ」と言い、周りの男子生徒が「もらったことを噛みしめるでもなく観察もろくにせず口に入れたぞ、あいつ」と呟く。

 クッキーはサクサクとした食感があり、噛むごとに口の中に菓子らしい甘さが広がった。普通にクッキーとして食べれるという予想を裏切る美味さに、理樹は内心ちょっと驚いてしまった。


「普通に食えるな」


 思ったままの感想をこぼすと、沙羅が「ありがとうございます」と言った。しかし、彼女は喜びや嬉しさといった表情は控えめで、何やら物言いたげにして申し訳なさそうに佇んでいる。


 理樹はその様子が少し気になったものの、腹が減っていたこともあって、もう一枚食べておくかと次のクッキーへ手を伸ばした。それを口に放り込んだタイミングで、沙羅が「実は」と静かに言葉を切り出した。



「ランダムで味が偏ってます」



 二枚目のクッキーは恐ろしいほど激不味だった。真顔のまま一瞬硬直してしまった理樹は、もはやなんの味かも分析不可能なクッキー食感の刺激物の咀嚼をひとまずは再開し、静かに己の中の疑問を思った。


 同じ生地から型を抜いているというのに、どうしてランダムに天国と地獄の温度差の菓子が、同時に生まれるんだろうか?


「理樹の真顔に、これほどまで味を語らせるとは……」


 拓斗が、三年の付き合いがある親友の横顔からクッキーの味について察し、そう呟いた。

 同じように理樹の様子を見守っていたクラスの女子生徒が、沙羅の付添い人である二人の少女に目を向ける。彼女たちが「食べられないことは、多分ないとは思うのだけれど」と答えながらぎこちなく視線をそらし、沙羅が静々と佇んだまま「ごめんなさい」と言った。


 周りの男子生徒たちが、顔面に大きな変化も出さず二枚目のクッキーを食べた理樹に、勇者だと言わんばかりの健闘を称える目を向けた後、沙羅が持つクッキーが入った袋へと視線を戻してゴクリと息を呑んだ。


 当たりを引けば天国だが、外れを引いても、ある意味へたをすると舌と胃が天国に逝ってしまうかもしれない。彼らの眼差しはそう語っていた。


 沙羅が無言で二枚目のクッキーを食べきった理樹へ、チラリと上目を向けた。


「あの、九条君、大丈夫……?」

「食感に変わりはないが、不味い」


 理樹は間髪入れず、そして躊躇なくそう答えた。

 拓斗を除く周りの男子生徒たちが一斉に「九条ぉぉおおおおお!」と、叫んだ勢いで立ち上がった。


「ポーカーフェイスでやり過ごすかと思いきやストレートに答えるのかよ!」

「見損なったぞッ」


 女子生徒も小さな声で「見直しかけたのに、やっぱり九条も空気を読まない男子よね」「女の子への気遣いがまるでなってないわ」と小さな声で非難する。


 瞳を潤ませた沙羅が「うぅ、ごめんね」と言って、自身が持つクッキーが入っている袋を見下ろした。


「上手く焼けたのに、どうしてか味が全部違っちゃっていて」

「三枚目は食える味だが。この四枚目は、また激不味だな」

「うぅぅっ、ほんとに、ごめんなさ…………」

「なら食うんじゃねぇよ九条ぉぉぉおおおおおおおおおおお!」


 小さく肩を震わせて今にも泣きそうに言葉を詰まらせる沙羅を見て、木島を筆頭に男たちが額に青筋を立てた。


「これは俺の運を全てかけるしかないッ」

「桜羽さんの手作りクッキーを無駄にするものかッ」

「俺は当たりを引くまで食べるぞ!」


 まるで戦地に赴く兵士のような覚悟を見せてそう意気込むクラスメイトたちを見て、理樹は冷静に「そもそも、なんでそこに覚悟と結束を全力投球するんだ」とツッコミを入れた。

 しかし、彼らは理樹の冷静な指摘も聞かず、揃って挙手し、沙羅にこう告げた。


「桜羽さんッ、俺らもそのクッキーを食べたいです!」


 沙羅について来た二人の女子生徒たちが、「実はこっちの袋もそうなのよね」と、苦笑気味に自分たちが抱えている小袋を示した。



 沙羅たち三人からクッキーの入った袋を受け取った五組は、彼女たちの昼休みを邪魔しないよう昼食に行っておいでと見送った後、完食を目指して『クッキーを食べる会』を始めた。



 もれなく全員が『天国なクッキー』と『地獄のクッキー』を味わった。


 途中で半分のクラスメイトが「ごめん」「ちょっと急用を思い出した」と口を押さえて逃げ出した。拓斗も外れのクッキーを引いた瞬間に「あ、これ俺に無理なやつだわ」と、笑顔のまま珍しく表情を引き攣らせて食べる手を止めた。


 教室に残った半分のクラスメイトたちが廊下の外に声がもれないよう、あまりの不味さに震えながら床に転がったり、机に突っ伏したりと堪えている中、変わりなく食べ続けているのは理樹だけだった。


 拓斗や木島を含む一同が、そんな理樹へゆっくりと目を向けた。


「……やべぇ、あいつが食べてるのを見ると、普通のクッキーにしか見えねぇ」

「ちょっと味音痴なところがあるのかしら……?」

「だったら相当やばいだろ。つか、あいつ表情筋が固すぎるんじゃね?」

「昼飯代わりに食たべるって言ってたけど、本当に全部食べちゃいそうね…………」


 すると、床に転がっていた木島が、目尻に涙を浮かべたまま理樹の方へ顔を向けてこう言った。


「…………『あいつ本当は桜羽さん好きなんじゃね?』ってうっかり勘違いしそうなくらいの勇者に見えるんだけど」

「うーん、俺としてはそういう恋愛的なのは感じないんだよなぁ……。なぁ親友よ、もしかして外れのクッキーがほとんど残ってないとか?」


 拓斗は、それなら食べたいという期待を込めて、そう尋ねた。


 理樹はそこでようやく、こちらに向けられている彼らへと視線を返した。手に持っている袋へと目を落とすと、また一枚を取り出して口に放り込んでから、その愛想のない真顔を彼らへと戻した。


「ほぼ、不味い。なんの味かも分からん」

「マジかよ。なんてクールフェイスなんだ」


 拓斗と理樹のやりとりを聞いたクラスメイトたちは、愛や恋という理由ではないらしいと解釈したところで、ダメージを受けた舌や胃を癒すべく、それぞれが財布や弁当を持って移動を始めた。

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