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10話 二章 美少女と昼飯と部活について 下

 拓斗の口から立ち上げる部活動案が出されたあと、理樹は放課後になって、この学校の部活動の規律はかなりゆるいのではないだろうか、と遠い目をした。


 今、理樹の目の前には、帰りのホームルームを終えた担任の杉原から、一枚の紙を手渡された拓斗が自信たっぷりの様子で立っていた。見せつけるようにこちらへ突き出した手には、『部活申請書』の文字が印字された書類用紙がある。


「本日、無事に部活動として許可を頂き、明日には使える部室が決まります!」

「…………」


 理樹は、校長印などが押されたその申請書に、自分の名前の一筆の他、九条名字の印鑑が押されてあることに気付いていた。


「俺の名前がしっかり入ってるな……。というか、押した覚えのない印鑑まであるんだが」

「細かいことは気にするなって。お前のおっさん臭い達筆を真似てみたけど、案外そっくりに仕上がったと思うんだ」

「そこで威張るなよ」


 既に部活動に向かった生徒もいて、教室内に残っていたクラスメイトは三割程度だった。部活が出来たらいつか休憩所に使わせてくれ、と言っていた木島も、今日はバンドの集まりがあるからと飛ぶように帰っていた。


「そういや、沙羅ちゃんは調理部に入ったらしいぞ」


 席について帰り支度を再開した拓斗が、ふと思い出したようにそう言った。


「今日、全然来ないなぁと思ってたらさ、申請書出しに行った時に一組のやつらがそう話してるのを聞いた」

「ふうん」


 彼女がどこで何をしていようが、こちらとしては特に興味はない。今日は平和だと感じていた理樹は、拓斗の話しを聞きながら上の空で相槌を打った。


 調理部か……。


 彼女がスムーズに調理出来るイメージは、微塵にも湧いてこない。


 ジャムを付けて食べる味のないスコーンを甘く作りたいのだ、といって挑戦した時は、未知の物体を作り出して「なんでぇぇえええ!?」と泣いていた。ひどく不味かった。

 何味になるんだろうな、と思いながら食べていたら、食べさせるために作ったはずのそれを、今度は「食べないで」と慌てたように言ってまた泣いた。相変わらず、よく分からない女だなと思いながら全部食べたものだ。



 そう思い返したところで、理樹はふと、自分が前世の方の彼女を思い起こしていたと気付いた。



 あの世界の貴族令嬢とは、そもそも教育の仕方や習慣も違うのだ。だから自分が知る『サラ』と違って、この世界の『沙羅』は包丁くらいは握れるのだろう。


 馬鹿なことを考えた、と、理樹は皮肉気に口角を薄ら引き上げた。


 その時、慌ただしい足音が近づいてきて、一人の生徒が既視感を覚える見事なスライディングを決めて教室の前で足を止めた。そのまま入口から顔を覗かせたのは、本日も男子の制服が似合っている青崎レイだった。


 レイは何故か、ショックでも受けたようにその瞳を若干潤ませていた。しかし、その表情は相変わらず大変なご立腹である。


「九条理樹! お前のせいで、沙羅ちゃんが調理部に入った! おかげで風紀の見回りまでの短いお喋りの時間も、ごっそり部活動に持っていかれたじゃないか!」

「濡れ衣だ。俺は関係ないだろうに」


 なんだその件かよと思って、理樹は間髪入れずそう返した。


 すると、彼女もまた相変わらずこちらの話を聞かない様子で、深刻そうに片手を顔にあてて俯いた。


「沙羅ちゃんは、お前の弁当を作れるようになりたいんだと――……くッ、なんて羨ましいんだ!」

「………………」


 作ってもらう関係になる予定は、微塵にもない。


 そもそも、まさかそんな目的があっての入部だったとは思ってもいなかったから、もはやなんと返していいのか分からないでいた。ただ、横顔に感じる、拓斗から向けられるニヤニヤとした視線については「ウザイな」と、理樹は冷静な表情で青筋を立てた。


「愛されてるねぇ」

「ぶっ殺すぞ」


 なぜそうなるんだ、桜羽沙羅。

 というか、どこで手作り弁当なんて発想に飛んだ?



 理樹は浅く息をつきながら、片手で髪を後ろへとかき上げた。


 一度冷静になって考え直してみると、拓斗が部を結成したタイミングもあって、沙羅の調理部への入部は悪くないのかもしれない。



 こちらも、拓斗の部活動に付き合って放課後残ることになるのだ。その間、彼女が部室に突入してくることがないことを思えば、沙羅が調理部に所属してくれたのは良い傾向のような気もした。


             ※※※


 しかし、拓斗の申請した『読書兼相談部』の許可が下りた翌日、理樹は部活動について、当の彼女に少し面倒な突撃の仕方をされることとなった。


「九条君ッ、佐々島君と二人っきりの親密度濃厚な部活だと聞きました!」

「二人という部員数に間違いはないが、認識に大きな食い違いがあるようだな」


 それは、二時間目の歴史の授業が終わった直後のことだった。若干涙目の沙羅が、教室の扉を勢いよく開いてそう言ってきたのだ。


 歴史の担当教師は、先日に風紀委部員である青崎レイが突入してきた時と同じく、一組の担任である鈴木だ。気の弱そうな顔をした彼は、壇上からそちらへと目を向けて、今にも死にそうな乾いた笑みを浮かべた。


「君もなのか、桜羽……」


 諦めたような声で呟いた一瞬後、沙羅の後ろにレイが現れ「僕も来たぞ!」と手を挙げた。

 それを見た鈴木は、眩暈を覚えたかのように額を押さえてこう言葉を続けた。


「桜羽、青崎、お願いだから教室に戻ろう。君たち、次は確か音楽室に移動のはずだろう?」

「担任の癖に、僕らの事に口を挟まないで頂きたい!」

「この前も言ったけど、君たちの担任だから言うんだよ」


 そう告げる鈴木が泣く様子を、五組の生徒たちが無言のまま励ますような眼差しを向けた。


 とはいえ五組の彼らとしては、一学年で今一番噂になっている沙羅の恋の行方に注目を置いている。鈴木からすぐに観察対象者を変えると、教室に入ってきた沙羅を見守るように視線で追いかけた。


「彼女、こっちに来るぜ。なんだか面白いことになってるなぁ」

「ぶっ飛ばすぞ拓斗」


 理樹は、前の席の親友に即答した。


 教室の出入り口に残ったレイが、扉をギリギリと握り締めながら、こちらに嫉妬百%の視線を送っていた。しかし、どこかハラハラした様子で待機しているところを見ると、沙羅の突拍子もない行動目的については知らないのだろう。


 クラスメイトの誰も動こうとはしないし、勿論、女子生徒は沙羅の味方である。

 胃を押さえてとうとう壇上に突っ伏した教師の鈴木はあてにならないので、ここは自分が動くしかない。


 彼女にはお帰り頂く。そう決意を固めて、理樹は立ち上がった。


 一瞬、生徒たちが「おぉ、九条子が立ったぞッ」「沙羅ちゃん、どうする気かしら……」と好奇心と期待が混じった小さきざわめきを起こした。拓斗が、すぐそばまで来た沙羅をわくわくした目で見守る。


 瞳を潤ませた沙羅は、やはり怒っているという顔にはあまり見えなかった。理樹は、なぜか二人きりというキーワードに過剰反応しているらしい彼女の誤解を解くつもりで、先に口を開こうとした。


 しかし、沙羅が拳を握り締めて「九条君!」と泣きそうな顔で怒った声を上げる方が早かった。

 入室時の冷静でなかった様子を思い返した理樹は、高校デビューから今日までの経験上を振り返り、なんだか嫌な予感を覚えた。


 すると、こちらを可愛らしく睨み上げていた沙羅が、まるで今にも泣きそうな様子で瞳を潤ませて、更に体温を上げて火照った顔で怒ったようにこう主張してきた。


「羨ましすぎますッ。こうなったら恥ずかしいのを覚悟で、九条君をぎゅっとします!」

「なんでそうなるんだよ」


 理樹は、つい反射的にツッコミを入れていた。


 むしろ恥ずかしいならやるな、と指摘しようとした矢先、沙羅がこちらに向かって手を伸ばしてきた。勢い良く向かってくる様子から、本気で抱き締めてくるつもりなのだと察した瞬間、理樹は反射的に全力回避の勢いで彼女から離れていた。


 余裕のない顔で沙羅と距離をあけた理樹を見て、拓斗を含むクラスメイトたちが目を丸くした。一瞬で逃げられてしまった沙羅が、宙を掴んだ手に遅れて気付いて「あれ?」と小さな声を上げる。


 数秒ほど、教室に戸惑うような沈黙が漂った。


「え、なに。お前、本気で桜羽さんが嫌なのか……?」


 近くの席にいた木島が、ぽかんと口を空けたままそう呟いた。


 なぜならその反応はまるで、女性に触れられない男のものかと思うほどに必死な印象もあったからだ。屋上で沙羅を片腕に抱えていたのを目撃していたから、拓斗も意外だと言わんばかりの表情を浮かべていた。


 沙羅が、掴み損ねた手を宙に伸ばした姿勢のまま、ゆっくりとこちらを見た。理樹はその様子を目に留めて、ぐらりと脳が揺れるのを感じて一瞬呼吸を止めた。


 ドレスを着た前世の彼女が、目の前の光景に重なった。


 胸にぐっと込み上げた過去の情景を、彼は全力で押し戻した。


 だから嫌だったのだ。理樹はそう思いながら、全力で回避した自分の行動を振り返った。教室に広がる沈黙に気付いて、しまったな、と苦い表情を浮かべた時――



「…………考えたら、年齢イコール彼女無しだもんな。抱擁はレベルが高いのか」



 静まり返った教室で、拓斗が自分なりの回答を導き出し、相変わらず自分ペースでそう呟いて辺りに満ちた沈黙を破った。


 男子生徒たちが、失念していたとばかりに顔を見合わせた。彼らが「思えば確かに」「あいつもモテない組のはずだよな?」と口にすると、女子生徒たちも遅れて察した様子で、それならばどこか腑に落ちる、というような顔を沙羅へと戻した。


 しばしきょとんとしていた沙羅が、問うように拓斗を見た。


「ということは、もし私がぎゅっとしたら…………?」

「沙羅ちゃんが初めて抱擁してきた相手、ってことになるんじゃね?」


 そう答えた拓斗が、途端に面白いことを思い付いたと言わんばかりに瞳を輝かせて、「いいかい沙羅ちゃんッ」と意気揚々と人差し指を彼女につきつけた。


「つまり『ぎゅっとする』が成功したら、君は理樹のファースト・ハグを獲得したことになるわけだ!」

「私ッ、頑張ります!」


 おい拓斗、余計なことを言うな。お前、マジでシメんぞ。


 理樹は、仲良くハイタッチをする拓斗と沙羅の盛り上がりを、冷え切った眼差しで見やった。沙羅の元気な宣言を聞いて、教室の入り口で待機していたレイが、扉に手を添えたまま崩れ落ちた。


「そんなッ……ぎゅっとされるのは僕の特権だったのに!」


 レイはギリギリと歯を鳴らして、「おのれ九条理樹」と口の中で低く呟いた。



 壇上で突っ伏していた教師の鈴木が、「…………青春、してるんだねぇ……。僕は恋愛もまだなんだけど」と呟いてひっそり泣いた。

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