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夕星  作者: 矢玉
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禁煙


 『夕星』は、狭い。

 元はただの民家で、そこを改造したものだというから造りが店舗向けではないのだ。それでも、窓や配置などで広く見せている。……テーブル席四つにカウンターという、余裕をもった座席数も無関係ではない。

 ただ、座席数や料理人に比べると広めの厨房については……

 「逆よりいいかな」

 ……若干失敗と思っているような口調で。

 営業時間は昼くらいから日付の変わる前まで。ということで、お酒も出せば酔っ払いも来る。ほとんどが馴染みのお客さんで、詩乃より店のことに詳しかったりする。ので、そういうお客さんばかりなら問題はほとんどないのだが………

 酒を出す。となれば、なぜかセットになって、こういう注文をしてくるお客さんがいる。

 「灰皿、くれる?」

 言いながら、すでにタバコを咥えて火を点けている。

 『夕星』は、狭い店である。分煙など出来ず、また店長の権限により完全禁煙で。

 「すみません。店内は禁煙でして…」

 「ないの?じゃあ空き缶とかでいいよ」

 ──そーゆう問題じゃあなくて…。

 営業スマイルを保ったまま、どう言ったらいいものかと考える。まさか“禁煙”という言葉の意味を知らないわけでもあるまい。かといって、それを確かめるような角の立つ言い方をしては接客として失格だろう。もっとやんわりと……と。

 悩んでいる間にも、そのお客さんはぷはー…と煙を吐き出す。

 「…けほっ」

 タバコは、嫌いではない。いや、吸ったことはないけど。つまり、好きとか嫌いとか言えるほど知らない。父は以前吸っていたような記憶があるが、もう止めているらしいし。

 ──けど、この匂いはちょっと……

 口元を押さえようとして……そんな態度も失礼かな、と思って我慢する。

 詩乃のバイト終了時刻も近付いた九時近く。お客さんは会社帰りと思われる人ばかりで、この人もそうなのだけど。

 一人で入ってきて、入口近くのテーブル席に座り、ビールとギョーザと灰皿をご注文。

 お店を間違えてるんじゃないか、と思う。

 ともあれ、禁煙である以上、タバコを止めさせない限り注文を受けることも出来ない。

 ──『おタバコはご遠慮ください』、これでいこう。

 どこかで耳にしたことのあるようなフレーズ。これなら問題ないだろう。

 「お客様、おタバコは…──

 目の前に、長身の影が現れた。

 「禁煙の文字が見えませんでしたか?それとも……」

 咥えてたタバコを布巾で掴んで奪って。東は、それでも一応は営業スマイルを張りつかせていた。

 「“禁煙”の意味が、わかりませんでしたか?」

 でも、目は笑ってない。あと、こめかみがぴくぴくしてる。

 怒るのが苦手で、実際優しい(というか、抜けた)雰囲気を常にまとってる東だが……詩乃は、初めて彼に“迫力”を感じた。

 「…なんだよ。タバコくらいいいだろ」

 ──あっ、だめ…。

 思わずお客さんに目でうったえる。素直に謝れば、まだ食事の出来る望みはあったのに。

 「では……」

 東の片眉が、ぴくりと動いた。軽く呼吸を整えると……──

 「タバコくらい他所で吸ってきてはいかがでしょうかここは食事を提供する場所ですのでお客様には合わないかと存じます無駄にしてしまったタバコの代わりにこれをお納めくださいではご来店、ありがとうございました」

 男の胸ポケットに白くて長いなにかを入れると、頭も下げずに直立不動。笑顔のままでプレッシャーを与え続ける。

 ……これで居続けられる客、というのも少ないと思う。

 東と、その横でどうしていいかわからない詩乃とを一瞥、舌うちをひとつして、

 「二度と来ねえよ」

 そんなセリフを残して、お客様はお帰りになられた。

 「申し訳ありません、お騒がせしました」

 と、店内のお客様に、これは頭をしっかりさげる東………に倣って、詩乃も頭を下げる。

 「詩乃ちゃん、空気清浄機」

 「あ、はい」

 言い残して厨房へと戻る東。途中、レジ裏にあるゴミ箱にタバコを包んだ布巾を容赦なく放り込んでいく。

 レジ近くに一台、カウンター席の奥に一台、それぞれ空気清浄機があって、常にスイッチは入っているのだけれど。急速稼動のボタンを押すものの、それで消えてくのはタバコの匂いだけ。なんだか重い空気は消えるわけもないだろうと、ちらっ…と他のお客さんの様子をうかがうのだけれど。

 ──あれ?意外と……

 変わらずに食事を続けていたりして。

 ──もしかして、初めてじゃない……?

 やって来るお客さんはほとんどが馴染みで。詩乃より店のことに詳しかったりする。そのお客さん達が平然としているということは………過去にも似たような事があったのだろうか。

 それでも一応、そろりそろりと様子をうかがいながら仕事を続ける。

 「詩乃ちゃん」

 「はい…!」

 思わず身構えてしまったものの、

 「あがっていいよ」

 そう言う東は、若干不機嫌そうなものの誤差範囲内で。

 「えと…じゃあ、テーブル片付けたら…」

 「うん。ありがとう」

 あまりいつもと変わらない……ような、そう表現してもまぁ許されるんじゃないかというくらいで。

 お客さんだって、文句を言ったりするような人もいないし……

 「お会計、お願いします」

 「あ、はい」

 雰囲気悪いから早く店を出たい……なんていう感じでもない。

 「ありがとうございましたー」

 これは、横居さんに確かめてみなければ。


 というわけで翌日。

 店にやってきた横居にさっそく……というわけにはいかず。

 話をするタイミングは、お客さんと注文が減ってくるまで待たねばならなかった。

 「横居さん」

 お酒の注文が増えて、全体の注文自体は減ってくる。今日は横居もいるので詩乃のやる事は減り……そろそろ帰っていいと言われるだろう頃。

 東はテーブル席のお客につかまって、なにやらガイヘキがどーのと話をしているし。チャンスだろう。戸棚の調味料をチェックしていた横居に声をかけた。

 「あの、実は昨日……」

 かくかくしかじかと、顛末をオブラートにくるんで説明する。が、

 「あぁ、またやったの?」

 説明の途中で、すべてを察したようで。そしてやはり初めてではないようで。

 「“また”……って、どれくらいですか?」

 「そうねぇ…。最近は減ったけど、オープンの頃は月に二、三回あったかしら」

 「…………」

 それで、よく何年もお店がもったものだと思ったり。

 とはいえ、最近は減ったという事だろうし、東も昨日はたまたま虫の居所が悪いとかの要因が重なったとかで………

 「今年は、一月以来かしらね。タバコを吸うお客さんなんて、もう滅多に来ないから」

 ………東が変わったのではなく、お客さんの方が変わったようで。

 「なにか、タバコにイヤな思い出でもあるんですか?」

 昨日の態度は、そうとしか思えないものがあった。

 「本人に聞いてみたら?」

 「…え?」

 ちょっと聞きづらい。だから横居に聞いてるのだが……

 「紀一っちゃ~ん!」

 止める間もなく呼んでしまった。

 厨房に戻ってきた東は、困ったような笑みを浮かべていた。

 「いやぁ、助かったよ。あの人、話が長くて」

 ……とても、昨日タバコ一本でお客を追い返した人とは思えないのだけど。

 「聞いたわよ。昨日、またやったんでしょ?」

 「あ。いやぁ、だって、禁煙って書いてあるし」

 間違ったことはしていないよ、というわりになぜか申し訳なさそうにしている。これもまた、昨日の態度とはまったく別で。

 「それで、詩乃ちゃんが聞きたいことがあるんだって」

 いきなり話をふられた。その流れで聞いてくれてもいいのに、と思わないでもない。

 「あ、ごめんね?おどろいたでしょ」

 「まぁ…はい。」

 そこは素直にうなずいておいた。

 お客さんが慣れているらしいというのは聞いたので、聞きたいのはやはり……

 「あの、タバコ、嫌いなんですか?」

 さすがに『イヤな思い出でもあるんですか?』とは聞けない。

 「う~ん…、タバコそのものが嫌いなわけじゃなくてね。ウチって料理を提供するでしょ?料理の要素ってなんだと思う?」

 「え、え?」

 いきなり聞かれてもわからない。ただ……

 「味……と、見た目ですか?」

 この二つは、詩乃が失敗したものだ。

 家で食事を用意するようになった頃。なんとか苦労して作り上げたオムライスは、やたらしょっぱいご飯の上に焦げた卵焼きを乗せたもので………父親は何も言わずに食べたが、弟が泣きだすほど不評だった。プチトラウマである。

 その時知った……というか、“思い知った”のが見た目。そして食べるのだから当然味付け。

 「うん、基本はその二つだよね。中華だと音とかも言うけど……常にかかわるもので、味にも関係あるものって、なんだと思う?」

 音も見た目も持続しない。味も、口に入れるまではわからない。となれば……

 「匂い、ですか」

 この店には、空気清浄機が二台もある。それに、タバコ最大の特徴はその匂いだ。

 「健康への影響とかは置いといたとしても、あの強い匂いは料理の邪魔になる。というか、僕自身の経験なんだけど、近くでタバコを吸われてる時に食べる料理って、タバコの匂いしかしないんだよ」

 まして、味というのは匂いを伴った感覚で。

 それをまったく別のものの匂いを嗅ぎながら食べるのでは、皿をひっくり返して提供するようなものだ。

 「最近は柔軟剤とかも香りの強いのが増えて……ホントはあれもイヤなんだけどね。そこまでは言えないし」

 ドキリとする。値段を比べて、安ければ構わず使ってしまいそうだ。

 ──におい…かぁ。

 料理屋で働く以上、そういったところにも気を使わなくてはいけないらしい。洗濯はちゃんとしているし(幸い、安売りしていた洗剤は香りを強調したものではなかった)、お風呂だって……

 ──シャンプーとか、平気かな。

 自分の匂いというのは自分で気付かないとも言う。今ここで確かめるわけにもいかないけど。

 「注文した料理をどう食べようと、ある程度はその人の勝手だけど………他人の料理まで邪魔するのは、ちょっとね。だから詩乃ちゃんも、タバコ吸う人がいたら遠慮なんかしなくていいから」

 いやいや、あれはちょっとマネできない。

 同意を求めるように横居へと視線を向けると……

 「何事も、経験よ」

 なんて親指を立ててウィンク。

 こうなると、願うのはもう喫煙者が来ないことだ。

 「あの、そういえばタバコの代わりになにか渡してましたけど」

 東が店以外では吸っている、とも考えにくい。というか、それならタバコを渡してそうだし……あの時ちらりと見えたのは、もっと細くて長いものだった。

 「あぁ。詩乃ちゃんも、いる?」

 そう言って、戸棚の引き出しを開け………そこは知ってる。コーヒーなどを注文された時、一緒に出すものが入ってる。

 「……しゅがー、すてぃっく……」

 白くて細くて長くて………タバコよりは健康的、だろうか。

 手のひらに乗せられたシュガースティックを見て、果たして自分がこれをタバコの代わりとして渡す日がくるだろうか?と考えてみる。

 ──ない。

 断言して。タバコを吸おうとしてる人がいたら、先手を打ってやんわり断るようにしよう、と決める。吸い始めたらビシリと止めなきゃいけないし、もたもたしてたら………と、ここでまた、疑問が湧く。

 「あ。そういえば、厨房に居たのによくわかりましたね?」

 厨房からテーブル席の方はよく見えない。レジ付近なら見えるのだが、あの時、東のいる位置からお客が見えたとは思えない。

 「あぁ、匂いだよ」

 厨房には換気扇があり、空気はそちらへと流れる。とはいえ、調理もしているわけで。様々な匂いの中察知したのは、それだけ敏感という事だろうか。

 ──やっぱり、ヤな思い出でもあるのかも……。

 とか、思ってしまう。

 なんにせよ、喫煙を止められずもたもたしてたら東が現れてしまうわけで。

 ……あの空気。『塩まいとくれ』とでも言われそうな雰囲気。お客さんは良くても、詩乃が良くない。ご遠慮願いたい空気だ。

 「横居さんは、どうやって止めます?タバコ」

 こそっと聞いてみる。言外に、東のようなマネをしたことがあるのか?を含めて。

 「一言言ってすぐ止めてくれればいいんだけどねぇ…。結局実力行使に出たこともあるわよ。なんだかんだで効果的なのよ」

 ジツリョクコーシ……。

 もう一度、自分が東のマネするところを想像してみて………

 「あ。もうあがっていーよ。おつかれさま」

 「あの、」

 「?」

 いつもどおりお土産など用意してくれる東に、

 「お願いがあります」

 力いっぱい頼んで。

 店内禁煙の文字を大きくしてもらった。


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