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夕星  作者: 矢玉
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肉じゃが


 「ありゃ。」

 冷蔵庫を開けた東が、奇妙な声を上げた。

 週の真ん中水曜日。詩乃にとってはバイト終わりの近付く……しかし『夕星』にとっては酒へと注文が移る中間地点、そんな時間だった。

 「どうかしましたか?」

 ちょうどレジを終え、注文も落ち着いている。そろそろ洗い物などを片付けておこうかとしていたところ。

 「いや、お酒が。買い忘れたみたい」

 取り出した瓶には、まだ半分くらいあるように見えた。注文はもっぱらビールやチューハイばかりだが、日本酒を頼む人もいる。

 「足りませんか?」

 「今日は大丈夫だと思うけど。料理にも使うからね。詩乃ちゃん、悪いけど明日来る時に買って来てもらえる?」

 以前、買い物を頼まれた時は戸惑いもあったものだが………今はもう、メーカーの指定は?とか、値段にかかわらず明日ですか?とか、幅を持った対応が出来るようになった。

 が、今回の注文は、余裕戸惑い以前の問題で。

 「未成年ですから、お酒はちょっと……」

 レジで確認されるご時世である。自分で飲むわけではないが、そう説明したって買えないだろう。

 「そっか。今はダメなんだ」

 問題なかったのは昭和……せめて平成一桁までだと思うけど。

 「料理酒でしたら大丈夫ですけど…」

 料理に使う、というのならそっちは急ぎだろう。料理酒ならば歳に関係なく買えるはずだし。

 「詩乃ちゃん…」

 気軽に言った言葉に、ぱたん、と冷蔵庫を閉めて。

 「は…い」

 東は重々しく言い返した。

 「僕はね、飲んでおいしくないお酒は使いたくないんだ」

 「……………はぁ、」

 酒など飲んだことはない。あたりまえだが。

 家にある酒の役割は、父の晩酌以外には料理用で。父は自分で好みのものを買ってきているし、詩乃が料理に使うのは………料理に使うのだから、なんて思って“料理酒”を使ってるのだけれど………

 「なにか、違いがあるんですか?」

 「ある!……たしか」

 「“たしか”…」

 「たしか、塩とか調味料が入ってるはず。日本酒だって、“純米”って付かなきゃ醸造アルコールが入ってたりするけどね。少なくとも、ウチでは純米酒を料理にも使ってるよ。完全に僕の好みだけどね」

 こだわり、らしい。

 飲み比べも出来ず、純米酒が良いとなっても買う事の出来ない詩乃にはわからない。だが東がこだわるくらいだし、どう違うのか、気にはなる。

 「料理酒って、どんな味なんですか?」

 「マズい」

 「えぇ!?」

 即答。しかも言い切った。

 「そもそも飲むように作られていないからね。というか、わざとじゃないかな」

 飲むものではないから未成年でも買える、ということか。

 「料理っていうのは、基本足し算だからね。調味料だって味見しとくんだよ。で、おいしいものにおいしいものを重ねていく」

 ──一理ある……のかなぁ?

 酒飲みの言い訳のようにも聞こえるけど。というか、酒の飲めない詩乃はどうしたらいいのだろう?

 「…味見しちゃえば?」

 「だめですって」

 実際には、生では食べられないものもある。加熱することで味も変わるし、そのままではおいしくないものも、何かと合わせることでおいしくなることだってある。

 必要なのは、『これをこうしたらこういう味になる』という経験で。そう考えれば、当たって砕けてきた詩乃の料理だって無駄ではなかったはずで…………

 「……味って、計算できるものですか?」

 でも、ふとそんなことを聞いてしまった。

 塩を入れればしょっぱくなる。砂糖を入れれば甘くなる。それはわかる。でも、それらをどう足せばいいのか。なにが足りなくて思うような味にならないのか。それがわからない。

 「ん~…、むずかしいことを聞くね」

 足し算だ、なんて言ったのに。それなら計算だってできるはず、と思うのだけど。

 しばし首をひねった東は、

 「じゃあ明日……じゃだめか。土曜日、肉じゃが作ってみよう」

 「??」

 それが、答えなのだろうか?


 土曜日。

 それは開店前から手伝える日で。最近では下ごしらえなんかもちょびっと手伝わせてもらえるようになってはいたけど。

 ──…肉じゃが……。

 ジャガイモと肉を煮た料理。都市伝説によれば、これを上手に作れる女はモテるという料理。それとは関係なく、詩乃も作ってみた事はある。なんというか……薄めた醤油の味だった。

 さすがに、今はそんなことはない。『肉じゃがの素』なるものが売っていて、少々割高になってしまうが安定した味になるし、手軽で、反省を強いられるかのようにおいしくない肉じゃがを自分で食べ続ける必要もない。

 ……ともあれ。今日教えてもらうことで、『肉じゃがの素』に頼らなくて済むようになるかもしれない。

 『味は計算できるか?』の答えより、そちらの方を期待して。詩乃は『夕星』へと入った。

 で──

 「面取りって、なんかもったいない気がしない?」

 「しますけど…。あれって、見た目がキレイになるからですよね?」

 「煮崩れしにくくなるらしいよ。ウチじゃやらないけどね。お行儀悪いけど、崩れたジャガイモも入った汁をご飯にかけて食べるのが好き、って人もいるし」

 ジャガイモ、人参をピーラーで皮をむいて。ジャガイモは一口……よりかは大きめに切って水に漬ける。人参は……

 「なんか縮むんだよね。それも気持ち大きめで」

 切って……

 「火の通りがちょっと遅いから。軽くレンジ」

 数十秒だけレンジにかけておく。

 溶けてしまうというので、玉葱も大きめに切って。豚の切り落とし、ちょっと安いヤツなどを用意。

 ニンニク、生姜少々を細切りにして。材料はこれで全部。

 「まず肉を炒めようか。表面の色が変わればいいよ」

 鍋に油を入れて温める。温度が低いうちにニンニク、生姜を投入。跳ねる頃に肉を入れて強火に。

 言われた通り、表面の色が変わったら……

 「先にちょっと味付けしとくと、味が染みた風になるよ」

 塩少々。隠し味程度のコショウ。それに醤油少々、酒を足して。

 「玉葱を入れて、バラバラにならないようにちょっとだけ炒めて」

 出汁を入れ、ジャガイモ、人参も入れる。よく『ひたひたになるくらいに水を入れる』とか言うけれど……

 「そこまでやるとジャガイモが崩れちゃうかなぁ。肩までぐらいでいいよ」

 肉や野菜の“肩”ってどこだろう?

 まぁ八分九分が漬かるくらいにして。そして沸騰させてアクを取ったところで火を弱め……

 「味見、してみて」

 「……」

 肉に付けたものと、出汁程度である。野菜の甘み、というのも出てるかもしれないが………。

 半信半疑で、小皿に取って一口。

 「…………」

 口元を押さえる。崩れそうになる表情を、必死にこらえた。

 これは………

 「おいしくないでしょ?」

 「…………はい。」

 わかってて味見させたのか。

 薄い塩けと、ほのかな甘み。出汁の味もするものの、それらは全体に薄くて。お吸い物の素を五倍希釈したような、まずくはないけどおいしくない味がした。

 「そこから味を足してくんだよ。経験……というか、勘でやってしまうけど……まず醤油から入れようか」

 「?“さしすせそ”じゃないんですか?」

 それくらいは知っている。砂糖、塩、酢、醤油、味噌の順で入れるのだ。

 「分子構造的に味が染みやすいとか、風味が飛びやすいとかあるんだろうね、それ。でも味付けしたあとある程度煮込むし、今回は大丈夫」

 まぁそういうのなら……。

 醤油を、おたまにかるく一杯。作る量が多いと、これでも足りないくらいだろうけど……

 「じゃ、もう一回味見してみようか?」

 ……東がニヤニヤしてる。これは………

 「………」

 「うん。少しのがいいよ」

 目でたずねると、肯定されてしまった。が、味見はしなくてはいけないらしい。

 これも経験……と、少しだけ舐めるような味見。

 「……………。」

 薄めた醤油の味だ。テンションの下がる味。

 「これを、おいしくなるように醤油を基本に入れていくと失敗するんだ。……っていう、経験があってね」

 苦笑いする東。彼にも失敗の歴史というのはあるらしい。というか、同じ道をたどったことがあったのか。

 「醤油は色で見てくといいよ。煮詰めるから、薄めにね」

 指示を仰ぎながら、醤油を足していく。うすい茶色に染まって、出来あがりの色としては薄いけど、これでいいらしい。

 「味見、してみて」

 三度の味見。色からして、おいしそうではあるような………

 「…………。」

 おいしくありませんでした。

 考えてみれば出汁と醤油だけ。まぁまずくはないけど、味は薄いし、煮込んだところで“肉じゃが”としてはちょっと………。少なくとも、お店で出すレベルではない。

 「じゃ、みりんと酒を入れようか。今度はアルコールを飛ばしてから味見ね」

 酒、みりんを入れる。分量は東の言う通りに。……お酒が多い気がするのは、東の好みなのだろうか?

 しばし待て………そして味見。

 たしかに味が加わった。なんというか、まろやかというかふくらみがあるというか……。みりんの甘みもあり、これなら食べられる。が、それでもおいしいというほどではない。

 「足りないのは、塩。あと砂糖。どれくらい足せばいいと思う?」

 塩味は、はっきりとあった方がいいと思う。塩の入れ物に入っているスプーン(小さじ1くらいらしい)に、しっかりと一杯盛ってみる。

 「多いかな。その半分くらいで様子をみて。砂糖も入れるしね」

 今度は砂糖。あまり甘いと、ご飯のおかずとしてはくどくないだろうか。これもまた、砂糖の入れ物に入ってるスプーン(同じく小さじ1くらい)に、今度は半分ほどすくってみる。

 「少ないかな。山盛りで一杯入れていいよ」

 ……どうやら、思ってるより塩は少なめ、砂糖は多めらしい。

 味見を、今度は東もしてみて……

 「もう少し濃くなると考えて。味のバランスは好みだけど、詩乃ちゃんはこれでいいと思う?」

 「…………」

 その聞き方は、なんだが不安になるけれど。

 詩乃自身の好みで言うならば、もう少し塩味が欲しい。それに……こう、コクというか………

 「塩と……もう少し、なにか欲しい気がするんですけど…」

 「じゃあ醤油だけ足して。詩乃ちゃん、しょっぱい方が好み?」

 そう……なのだろうか。

 もしかして、醤油味のおせんべいをかじりながら本を読み返すのが数少ない趣味であることが関係しているのかもしれない。

 ともあれ、醤油を…──

 「少しでいいよ」

 少しだけ足す。そして味見。

 ぐっと理想に近づいた。というか、これまで作った肉じゃがのどれよりもおいしい。この時点で、だ。

 「どうですか?」

 詩乃としては満足なのだけど。

 「………」

 味見した東は、砂糖を……スプーンを使わず、ほんのひとつまみ。お酒も少し足す。

 「……どう?」

 今度は東が聞いてくる。

 「…………おいしいです」

 ほんの少しだというのに。目の前で見ていた、足したのは砂糖と酒が少しだけ。なのに違う。

 この“足し算”が、プロの技なんだろう。

 「経験だよ。詩乃ちゃんも、そのうち出来るようになってるから」

 東はそう言ってくれるけど。

 こぽこぽいう行平鍋を見ながら、悔しい……というのは違うと思うけど。そもそも技術も経験も差がありまくるわけで。お店を持つプロと、家でなんとかやってるだけの詩乃とは比べられないのが当たり前で。

 それでも、なにか特別なことをしているわけでもない、自分にも出来るようなことでこうも差がつくと、くやしい、と思ってしまう。東に対してではなく、今までの自分の“しなかったこと”に対して。

 「あとは煮汁が半分くらいになるまで煮ればいいよ。時々、崩れないように混ぜてね」

 詩乃の胸の内などよそに、東は指示をして店の準備へと戻っていく。材料を切り、大きな鍋へと………

 「………」

 肉じゃがの鍋に目を戻す。

 大きい方だが、それは一般家庭と比べればの話。決して業務用レベルのものではないし、事実、普段の肉じゃがはもっと大きな鍋で作っていた。

 ということは………

 「あの…。これ………」

 「ん?」

 「………」

 言葉がみつからない。

 自分のためにわざわざ時間を割いてくれただろうこと。つきっきりでレクチャーまでしてくれて。

 感謝を告げるべき………なのだが。口から出たのは別の言葉だった。

 「…これ……お店に出すんですか?」

 持ち帰る……にしても、一般家庭には大きいサイズ。

 「大丈夫。ちゃんと説明して、常連さんにしか出さないから」

 つまり、お店に出す、ということか。

 そりゃあ、おいしく出来たと思うし、東に見張っていてもらってもいたけど。それでも“商品”としてお客さんに出されるとなると、緊張する。

 おいしい、と言われなくてもいい。せめて『夕星』の看板に傷が付くようなことにはなりませんように………


 「おいしいよ。いやぁ、女の子の“手作り肉じゃが”が食べられるなんて、嬉しいな」

 「…………」

 詩乃が作った肉じゃがを『ちゃんと説明して常連さんに出す』ということは、常連さんには説明して勧めたりしなければいけないということで。横居がいなければ、接客は詩乃の仕事であるからして、詩乃自身が『私が作らせてもらったんですが、いかがでしょうか?』とか言わなければならなくて。

 そんな、やたら恥ずかしいマネをしなければならない最初の相手は、いつぞやカレーの誤注文をしてしまった三田さんであった。

 で、即注文を頂いた。

 “おいしい”と言ってくれるのはうれしいのだけれど……セリフの後半を聞くに、入れたつもりのない調味料の方に感動しているようでもあり、ちょっと複雑。素直に味の感想として受け入れていいものか、疑問が残る。

 「……いや、ホントよ?」

 「あ、いえ。ありがとうございます」

 顔に出ていただろうか。

 「ほら、ここの料理って全部紀一っちゃんが作ってるじゃん?当たり前だけど、味の方向性ってのが似たり寄ったりなんだよね。店のカラーっていえばその通りで、それでいいんだけどさ。たまに少し違う方向の味付けで食べたくなるっていうか……別の店に行けばいいんだろうけど、ここらヘンに他の店ってないし」

 意外としっかり評価している。

 「作り方は同じでしょ?味付けが違うってだけで、おいしいし。食べてみた?」

 「いえ…、味見はしましたけど」

 三田の前に置かれた小鉢に目を向ける。大きめのジャガイモは……品種のせいだろうか……それほど煮崩れてはいない。箸で割られた断面は表面からうっすらと染まっていて、白さすら感じる中ほどからはゆっくりと立ち上る湯気。少し色を落とした人参は甘そうで、やわらかそうな玉葱はほんのり飴色。炒めた時に味を付けた肉はさらに煮汁にひたり、噛めばうまみがあふれるだろう。

 ─ごくり…─

 ノドが鳴る。食べてみたい。うっかりすればお腹すらなってしまいそう。

 「そうか。それじゃあ、あ~ん…」

 箸に乗ったジャガイモが差しだされて。

 思わず口を開けて……──

 「三田さん」

 東の声に、ハッと我に返る。口も閉じて……よだれとか、たらしてなかっただろうか。というか、今なにを………

 「なんだよ紀一っちゃん、いいとこだったのに…」

 「………」

 三田の文句は、視線で撃墜された。

 はっと我に返り、耳がかゆいほどに熱くなる詩乃。東が声をかけなければ何をしていたかと思うと………

 「シ、シツレイします!」

 慌てて厨房へと戻り、仕事の続きを……

 ─くぅ~…─

 「……、、」

 意味はないとわかりつつお腹を押さえる。

 今日は、帰るまでの時間が長く感じられそうだった。


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