炒飯
ざぁー…という一定の音。
リズムを刻む雨だれ。
水たまりを裂く車の音が、時折混じる。
まだ陽のある時間なのに、外は暗い。
梅雨の真っただ中。そして第一次夕食時の真っただ中。
「……だれも来ませんね…」
床を拭き終わったモップにもたれて、詩乃は思わずつぶやいた。
いつもなら二、三人程度はいる時間帯で。こうまでお客が少ない………いないというのは珍しい。
「この雨だからねぇ…」
厨房にいるものの、東もヒマそうで。
一応、いつお客が来てもいいようにしておかなければならないので、あまり大したことはできない。だからってグラスを磨くなんて、食堂然としたこの店では不似合いだ。
……いや、グラスを磨くこと自体はいいんだけど。そーゆうのは洒落たバーなどでベストとシャツでするもので、頭にタオルを巻いてやるのではカッコが付かない。
「詩乃ちゃん、どうする?」
「?なにがですか?」
「あがってもらってもかまわなそうなんだけど……」
時計を見る。まだ七時前。今日やったことといえば、テーブルの掃除、学生の接客、床掃除………
まぁ早く帰れるのは、それはそれでかまわないのだが。それこそこの雨の中やって来たにしては、働いた感がない。せめて何か……と思うものの、時給で雇われている身としては、無駄に居座っても損をさせるだけだし。
「…そうですね。帰って夕食の支度でもします」
弟はほっといても自炊するが、父はそうはいかない。今日も『夕星』からのお土産を待っているだろうし。
「おぉ!それだ!」
「……はい?」
ぽんっと手を叩き、東が提案したのは、
「ウチで夕食、作っていきなよ」
「………はい?」
ふたたび首をかしげる。
「だから。ウチのメニューを詩乃ちゃんが作ってテイクアウトして、夕食にしちゃいなよ。作り方、教えるから」
詩乃は作り方を教えてもらえ、東は詩乃が作り方を覚えてくれればいずれ……という一石二鳥。しかも自分用となれば、多少失敗したところで問題ない。
「ね?バイト時間ってことでいいから」
ということは、研修業務である。お仕事、かつ夕食の支度がここで済む。さらに言うなら、お客に対するリスクがないので気楽だし。
「お願いします」
断る理由はなかった。
なににつけても、料理というのは時間がかかる。
そんな中で、ご飯なぞ残っていれば比較的簡単に出来るのがチャーハンである。具とご飯を炒めるだけ。
シンプルなれどパラッと作るにはコツのいるチャーハン。
『夕星』のチャーハンはドーム状に盛ったりはしていないが、その分ご飯の分離具合はよくわかる。刻んだチャーシューに長ネギにんにく、そして卵だけ。調味料は塩と胡椒、酒と醤油……それだけなのに、胃袋に詰め込みたくなるような味で。
教えてもらえるというのならば、家でも応用しやすそうなチャーハンを、ゼヒ。
過去、いくどとなく作ってきた味付けご飯の塊と、詩乃は今日、決別する………予定。
「材料は先に切って、ご飯は少し温めておくといいよ」
ニンニクを刻み、長ネギを輪切りに……
「四つに切ってからね。歯ごたえも火の通りも違うから」
「はい」
言われてみれば、この店で目にするチャーハンの長ネギは輪ではない。
縦に半分。そしてもう半分。そして二~三ミリの幅で切る。
続いてチャーシューを……
「長ネギの大きさくらいのつもりでね」
具の大きさを、ご飯粒の大きさを基準に考えるのだそうだ。そんなこと、思いもしなかった。
「それじゃ、フライパンを……こっちでやってみようか」
中華鍋ではなく、加工のされたフライパン。それを、業務用ではなく家庭用コンロに乗せる。
「こっちで出来るんですか?」
チャーハンと言えば火力。強火で、中華鍋で、さっさと作らねばならないというイメージがある。
「問題ないよ。ご飯の量に気をつければ」
「………私、アレも出来ませんよ?」
鍋を振るジェスチャー。
いわゆる“あおる”という動作。空中に放り投げて水分を飛ばすとか言われているが………
「まぁ、なんとかなるよ。火加減に気を付ければ」
「………」
若干の不安は残るけど……なにもお店と同じじゃなくてもかまわないのだ。近付いたもの、マシなものを家庭で作れるのであれば。
気合を入れて、火を点ける。
「ウチのチャーハンの特徴は、これかな」
そういって東が出したのは、ガラスの瓶。中には油………ネギ油である。
長ネギの青い部分を低温で煮た、その油。それをフライパンに……──
「あまり多くなくていいよ。摂り過ぎはよくないからね」
そんな理由で減らして、ちゃんと出来るのだろうか?
ともあれ、言われたとおりに………大さじ一杯ぐらい?
油の温度が低いうちにニンニクを入れる。そのまま香りを出してから、強火にして煙が出るくらいに…──
「卵、入れて」
煙が出るくらいに熱してはいけないらしい。
じゅっ、という音すらややおとなしいうちに溶いた卵を入れる。その上にご飯を放り込む。
「混ぜて」
固まったご飯をほぐすように。というか、固まったご飯がほぐれるまで。
「かたまり、つぶしてね」
と言っても、実際にご飯粒を潰してはべちゃべちゃになるので。
カツカツと、ご飯の塊を叩いていく。途中、東によって火が弱められた。強めの中火だろうか。
「熱けりゃいいってものじゃないからね」
ご飯がつぶれてしまうそうな。
ともあれ、中華専門店ならしっかりとチャーハンが出来上がるくらいの時間炒めてから……
「じゃ、弱火にして、味付け」
火が強いまま鍋から手を離す必要もないわけで。
弱火にして、塩をひとつまみ…──
「ご飯に直接かけるとかたよるから」
ご飯を寄せて、なにもないところに塩をひとつまみ。それもヘラでばらばらにしてからご飯と混ぜる。
胡椒はパラパラと振れるので問題なし。しっかりと混ぜてから、
「で、味見。どう?」
渡されたスプーンで少しすくって食べてみる。
「……薄いです」
結構塩を入れたつもりだったのに。
「うん。適量、っていうのは結構な量だよ。その人の摂取量とか気にして作れればいいんだけどね。とりあえず、もうひとつまみくらい入れてごらん」
強火のままだったら、こんなのんびりしていられなかっただろう。
もうひとつまみ、塩を入れて、混ぜて、再びの味見。
「あ、いい感じ」
「お店用だともう少し入れるけどね。香りが変わるんだけど……わかった?」
「………」
首を横に振る。
胡椒ならともかく、塩で香りが変わるんだろうか?
「ま、慣れればわかるよ。あとは具を入れて……」
チャーシュー、長ネギを入れて再びの強火。
「長ネギの香りがしてきたら醤油」
これはわかる。火が通り、透き通り始めた長ネギから香りが立つ。
ご飯を寄せて、鍋に直接醤油をひとサジ。全体になじませたところで再びご飯を寄せて、今度は日本酒をひとサジ。今度はぐっと温度が下がるので、それが戻ったくらいで……
「はい、出来あがり」
ぱちん、と火を消す。
放っておけばまだ熱い鍋からどんどん加熱されるので、さっさと皿に移してしまう。
「熱いうちのがおいしいからね。食べて行きなよ」
「はい」
冷蔵庫から自前のペットボトルを出して、カウンター席へと回る。
実は、さっさと食べてみたくてしょうがない。だって………
─ぽろっ…─
スプーンですくったご飯粒が、ほぐれて落ちるのだ。ネギと、そしてほのかなニンニクの香りが胃を刺激するし、味見したときの甘みはいまだ口に残ってるし、薄く色づいたご飯は早く食えと急かしているようだし………
「いただきます」
一口。
「………」
二口。飲みこんでないけどかまわない。三口。
甘い。香ばしい。そして少ししょっぱい。
噛むというより飲み込むようにして頬張っていく。
あぁ、お行儀悪いなぁと思うけど、おいしいのだから仕方ない。
「……ごちそうさま。」
正直物足りないくらいで。もう一杯くらいは食べられそう。
「おそまつさま…って、僕が言うのもヘンか。ご飯……というか、一度に作る量をお店で売ってるのと同じ一人前くらいに。しっかりとご飯がほぐれるまで炒めることを気を付ければ、あとは火加減の経験で上手く出来るようになるよ。家にご飯、ある?」
うなずく。
毎朝多めに炊いてしまって、冷ましてから夜の分にと冷蔵庫へしまってある。
「じゃあ、忘れないうちに挑戦してみて」
今日のお土産はチャーシューと長ネギで。
これが家で出来るようになるというのなら、それはもう挑戦せねば。そしていつか……
「はい。がんばります」
いつか、家族に自発的に『おいしい』と言わせてやる。