4話〜迷宮都市ドュラーガ〜
「おい皆、見えてきたぞ、あれが迷宮都市ドゥラーガだ」
馬車に揺られること数時間、する事もなく暇で眠りかけていた意識が、デューゼの声で覚醒する。
気が付けば太陽は頂点を越して少しずつ沈み出し、空は薄っすらと茜色が広がりつつある。
馬車から顔を出して前方を確認すると、薄い茜色に染色された巨大な石壁がデカデカと広がっていた。
「あれが、迷宮都市ドゥラーガ……」
大きな石壁越しに見える、数々の尖塔。ここからでも聞こえてくる人々の喧騒に、立ち昇り茜色に染まっていく白煙。都市の全周を覆っている石壁の長さからかなりの大規模の都市だという事が窺え、俺の記憶にもこれだけ巨大な都市は数えるくらいしかなかった。
ここになら、俺が求めていた『仲間』がいるかもしれない。そう思うと緊張と焦燥が胸の中でぐるぐると渦巻いて、気付かず口内の唾を飲み込んだ。
止まる事なく馬車が進むと次第にドゥラーガの形も大きくなっていき、やがて重厚で巨大な門の前へと差し掛かった。
馬車が十台横に並んでも進めそうな巨大な跳ね橋を進み、これまた巨人族でも出入りするのかと思うような見上げるほどに巨大な門。しかも門の材質はオリハルコン鉄の、しかも高純度のもので作られている。周囲の石壁も白聖石という強力な魔法特性を持つ石材で積み上げられ、外壁だけ見ればただの要塞だ。俺が見てきた中でもかなり堅牢な分類にあたるな。
「これがドゥラーガの街並み……小国の城下町よりもずっと栄えてるじゃねぇか」
しかし外壁を抜けて中に入ってみれば、そこは人がひしめき合っている大市場。果物から野菜にパン、何かの焼き物や揚げ物といった食品に、武器や防具、ポーションなどを売っている出店でごった返していた。
幸い馬車だけが通る道も整備されており人を轢く心配はないが、一度あの人混みの中へ入ったら流されてしまいそうだ。
「ヴェル君、僕たちはこのまま冒険者ギルドに入って話をしてくるけど、君も一緒に来るかい?」
「いや、少しこの街を見て回ってみたい」
こんな賑やかな街を見たなんていつ以来だろうか。過去にもこれほどに栄えている都はいくつかあったが、あの時の俺は余裕がなくてこのような市場を見てさえいなかった。
どうやらこの体になって年相応の好奇心が湧いてきたのか、この街を色々と見て回りたかった。
それに、冒険者ギルドに行く前に少し調べておきたい事がある。
「そうか。申し訳ないけど僕たちはギルドに急がなきゃいけないから、残念だけどここでお別れだね。もし冒険者になりたかったら、この道を真っ直ぐに行った街の中央にある大きな塔が冒険者ギルドになっているから、そこに行けばいいよ」
「わかった。色々と世話になったな」
「こちらこそ。君も仲間と出会えるといいね」
馬車を降り、進んでいくフェルネスたちを見送る。少ししか一緒にいなかったのに、まさか別れるのが寂しいと思うなんて、随分と感傷的になってしまったものだな
しかしいつまでも別れの寂しさに浸っているわけにもいかず、活気と喧騒が溢れる大市場の通りを人混みと一緒に通ってみる。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 頑丈さが自慢のガガジット工房の最新作の盾! 今ならたった92000ゴレット!」
「さあさあ! 甘辛のタレを付けた焼きたてのプリット鷄の焼き串、一本150ゴレットだよ!」
「ロック麦のパンはいらんかね! 日持ちがして型崩れしないから冒険者の食べ物に最適! 一個320ゴレット!」
少しでも商品を売ろうと商魂たくましい売り子の声を聞いていると、どうやら俺の予感は的中していたようだ。
300年という年月のせいか、それともドゥラーガが特別なのか、どうやら流通している通貨がガラッと変わってしまっている。しかも知らない、俺よりも後の時代に流通した通貨だ。
商品の代金を渡している人たちをチラリと盗み見ると、小さいが精巧な彫金の細工が施された硬貨が見えた。
俺がいた時代では金や銀が硬貨の主な材料だったが、どうやらこの時代の硬貨は混ぜ物の金属が材料になっているようだ。
値段と代金として渡している硬貨の種類を見るに、一番小さく金に似た光沢を放つ黄銅製の硬貨が1ゴレット、黄色が強い赤銅色をした青銅製の硬貨が10ゴレット、銀に酷似した光沢を放つ白銅製の硬貨が100ゴレットといった具合か。質を一定に揃えている彫金の技術は凄いが、随分と安物の貨幣が出回っているんだな。
「しかし問題だな。この時代の貨幣なんて持ち合わせていないぞ」
非常に由々しき事態だ。当然ながら後の時代である通貨を持っていない今は無一文の身、これでは今日の食事も寝床にさえ事欠いてしまう。
金目になるものは山ほど抱えてはいるが、それを換金してくれる所を探さないと。もし換金所がなかったら今日は野宿か路地裏の上で夜を明かさなければならない。
武具を幾らか売り払えば……いや、この時代の貨幣価値も分からない今だと安く買い叩かれて終わりだろう。何より勿体無い。
やっぱりここは、安定して金貨や銀貨を数枚換金しよう。地元っぽい人に訊ねれば教えてくれるだろう。
「なあ、一つ訊きたいんだが、貴金属を売ったり換金できる場所を知らないか?」
「おう? それならデカい塔が建っている冒険者ギルドか、それよりも手前にあるデカい屋敷の商業ギルドがあるぞ」
「助かった、礼を言う」
よかった。思いの外簡単に換金所を教えてもらった。どうやら商業ギルドという巨大な組織もあるようだが、どちらにせよ俺も冒険者ギルドに行こうとしていたんだ。気にはなるが、余計な手間は取りたくないから冒険者ギルドに行くとしよう。
「にしても目立つ建物だな冒険者ギルドは」
遠くから見てもその巨大さが分かるが、近付くと余計に大きさを実感してしまう。
蜘蛛の巣状に広がっていく道のその中心、馬の速さ比べでもできそうな程に大きな広場のど真ん中に建っている、近くで見たら全容すら分からないほどのドーム状の建物、その上に数十の階層があるだろうと思われる円形の塔が堂々と存在を主張している。
そして回りにいる人たちも先ほどの大市場とはガラリと人が変わり、見渡す限り武器を持った人々の集団。きっとダンジョンに挑みに来た者たちなのだろう、人数も大市場にいた人たちよりも多い。
少しの期待と不安を抱きながら、俺も彼等に続いて階段をのぼっていく。
入り口の地面には大きな溝が掘られてあり、見上げると大人三人分の厚さの鋼鉄の門。しかも外にあった門よりも硬いオリハルコン鋼で作られた門だ。
外壁を見てまるでどこかの国でも戦争しているかのような防備をしていたが、あれはこのダンジョンから出て来た魔物を外に出さないためのものだったのか。ダンジョンから外に出て来た魔物は生態系を著しく破壊してしまうが、その対策も万全のようだ。
そして改めて冒険者ギルドの中を見渡すと、やはり多くの冒険者たちで賑わっていた。
待合室のような場所では冒険者たちが作戦の立案をしていたり、依頼が張られている大きな掲示板の前では多くの冒険者が内容を吟味しており、大きな酒場もあるようで昼過ぎなのに酒をあおって頬を赤らめている冒険者たちもいる。
そんな騒がしくも賑やかな光景に僅かに心を躍らせながら、手持ちの通貨を両替してもらおうと数十並んでいる受付の一つに向かった。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付にいたのは、ここの職員の制服なのか濃い緑のブラウスの上に黒のベストを着た女性。前髪を切り揃えた栗色の髪を後ろで一本に束ねて、丸縁の眼鏡の奥には淡い緑色の瞳が輝いている。
決して派手とは言えないが、しかし地味でもない、落ち着いて慎みのある女性。といった所だろうか。
「換金をお願いしたいんだが、ここでならできると教えてもらった」
「はい、承っておりますよ。それでは換金したい品物をこの箱の中に置いてください」
さて、まずはどれくらい換金してもらおうか。出そうと思えばいくらでも出せるんだが、それで大騒ぎになって余計な疑いや注目をされたくない。
ここは銀貨三枚を渡して、どれくらいで換金してくれるか見てみる事にしよう。
「それでは品物を確認しますね。こちらの硬貨が…………」
「おい、ずっと黙ってどうしたんだ?」
もしかして、なにか重大な失態でもしてしまったのか? 俺が置いた銀貨を見た瞬間、女性は表情一つ動かさずに固まってしまった。
少しの間沈黙が続くと、女性は探るような目つきで俺に問いかけてきた。
「一つお尋ねしますが、お持ちの硬貨はこれで全部ですか?」
「あ、ああ、道中で拾ったそれしかない」
本当は銀貨も金貨も山ほど持っているが、正直に言うと何か大問題に発展しそうだから嘘で誤魔化そう。
「もしかして、換金できない品だったのか?」
「いえいえ、材質的には換金できますが、この形が少し問題なんです。いいですか、これは覇王が世界を侵略していた約300年前に発行されていた硬貨なんです。いまだ恐怖の記憶が根深い覇王にまつわる品は一種の禁忌で、私はそこまで騒ぎはしませんが、こういう物を見せると過敏に反応して大騒ぎする人達もいるんですよ。中には覇王の力を信奉したり復活を望んでいる危険な思想を持った集団もいるんですから。こういった軽はずみな行動はお姉さん感心しませんよ?」
「そうだったのか、それは悪い事をした」
こう言うのもアレだが、覇王は随分と嫌われてしまっているようだ。まあ仕方ないといえば仕方ないんだが。
それに何故だが俺を信奉している者たちもいるみたいだな。あの時は誰一人として俺に関わろうとしなかったのに、300年後ではまさか俺を信仰の対象にして崇めている連中がいるなんて、時代というのは面白いものだ。まあ関わりたくはないがな。
「わかればよろしい。それでは早速鑑定をしましょう」
「よろしく頼む」
そう言って女性は机の下から秤を取り出すと、目盛り少しいじってから僅かに上がった方の皿に俺の銀貨を乗っけて、もう片方にゴレットと呼ばれている硬貨を乗せて、天秤が吊り合うようにする。何度もやっているのか、その手際は慣れたものだった。
「昔はこれみたく金や銀でできた硬貨が出回っていたみたいですけど、覇王が貴金属や宝石とか集めてからどんどん少なくなっちゃったんですよね。おかげで金や銀も価値が上がって、こんな純銀製の硬貨なんて滅多に出回らなくなったんですよ」
「……すまない」
「何がですか?」
「いいや、なんでもない」
そうだったのか、だからあのような混ぜ物の通貨が出回っていたんだな。だとしたら後の時代の人たちには少し悪い事をしたな。機会を見て俺が持っている貴金属を少しでも世に戻してあげないと。
「……はい、鑑定終了。こちらが換金額の21000ゴレットになります」
そうこうしている内に鑑定が終わったらしく、銀貨を乗せた箱に別の硬貨が乗せられて戻ってきた。
新しく見る21枚の硬貨。金額から察するにこれが1000ゴレット硬貨か。非常に僅かだが、銅に銀が混ぜられており、濃い灰色をしている。
これで少なくとも寝食に困窮する事はないだろう。少し安堵の息をこぼして硬貨を袋の中にしまい込む。
「礼を言う。それとダンジョンにも潜ってみたいんだが、ダンジョンにはどうやって行けるんだ?」
「でしたら一度、冒険者登録を行わないといけませんね。こちらの紙に必要事項を記入してもらいます。もし文字が書けなくても大丈夫ですよ」
手渡されたのは一枚の紙とインクとペンだが、そのどれもが普通の物ではない。
羊皮紙には、軽いものだが一種の魔法契約が施されており、ペンとインクには真実を写し出す開心の魔法がかけられている。嘘を書いてしまえば、開心の魔法によって真実のものに直されてしまうだろう。
文字を書くことができない者への配慮ということだろうが、今回に限っては少し余計な配慮だな。
さて紙に記入しなければならない必須事項は、名前、性別、年齢、種族……本当の事を書いたらマズイ項目が二つほどあるな。
この時代では俺の本当の名が伝わっていないらしいが、それでも本名を書いてしまうのはマズイ。年齢にいたっては、見た目と実年齢が違いすぎて怪しまれる。長命なエルフだと嘘を書けば……駄目だ、それでも種族の項目で引っかかる。
「どうしましたか? もし文字が書けないのであれば、ペンからインクを垂らすだけで書かれていくので大丈夫ですよ」
仕方ない。もっと穏便に済ませたかったが、背に腹はかえられない。ここは少し力ずくで通らせてもらおう。
「……〈マジックコンフュ〉」
ペン先を羊皮紙に触れさせる瞬間、誰にも聞こえない小声で魔法を唱える。
魔力の流れを混乱させ魔法の発動を妨害する、錯乱系の中でも上位に位置する妨害魔法。人に使えばしばらく魔法の一切が使えなくなるが、物言わぬただの紙ならば気にする事もない。
ペンから出される黒い文字は俺の真実の名を写すことなく、記入は何事もなく終わった。
「お名前はヴェル・デインハート、性別は男性に年齢は15歳で種族は人間。はい、記入はこれで終了です。それではヴェルくんには冒険者の証としてこちらをお渡ししますね」
渡されたのは、小さな鉄製のプレートを革の紐で括り付けた首飾り。そして先ほど名前を書いた紙は光の粒子となって鉄のプレートへと吸い込まれていった。何も描かれてなかった鉄のプレートには、魔法の式を表す刻印が彫られている。
「それがヴェルくんの冒険者としての身分証明になり、一番下のアイアンクラスから最上位のアダマンタイトクラスの全部で八つのクラスに分かれています。先ほど書いた情報や、クエストの達成記録やダンジョンの踏破記録など、冒険者としての功績がその首飾りの中に保存されていきます。ヴェルくんが魔力を込めるか血液による認識で他者に見せる事も可能となっています。あと冒険者の情報はこちらでも管理しており、もし紛失された場合も再発行は可能となっていますが、クラス毎に再発行料金が発生してしまうので気を付けてくださいね」
「わかった、色々とありがとうな。えっと……」
「リーナ・シオンです。ギルドの職員で冒険者の方々を色々とサポートしてますので、ヴェルくんも困った事があったらなんでも聞きにきてください」
「それじゃあ早速教えてほしいんだが、どこか『仲間』を見つけるのに良い方法はないか?」
これで俺も冒険者。ダンジョンを『仲間』と共に攻略して、その喜びを分かち合いたい。その為の『仲間』探しをリーナにもお願いしてみよう。
ギルド職員なら『仲間』を見つけるのに何か良い方法を知っているかもしれないし。
「仲間、ですか。たしかにソロでこの覇王迷宮に挑むのは危険なので仲間と一緒に攻略したほうが得策ですね。一時的なパーティを組む人たちもいるにはいますが、やはりどこかのクランに加入してダンジョンに挑むのが一般的でしょうか」
クラン。そういえばフェルネスたちも《旅風の団》というクランを作っていたな。あのように互いを信頼しあって、騒ぎあって笑いあっている人たちはとても眩しかった。
俺も、あの光の中に入ってみたい。あの輪に加わってみたい。あのような『仲間』が欲しい。
「でも冒険者になりたてのヴェルくんを加入させてくれるようなクランは少な……」
「ありがとうリーナ、クランを探してみる」
「あっ、ちょっと待ってヴェルくん!」
そうと決まれば早速クランを探そう。少数のクランもいいが、もっとたくさんの『仲間』が欲しいから大人数のクランにまずはあたってみようか。
もう一度、酒場で笑いあっている冒険者たちを見る。
俺も、あの光景の一員になりたい。共に笑いあって、共に騒ぎあって、『仲間』と一緒になりたい。それがどれだけ幸福で、どれだけ満ち足りた事なのだろうか。俺は希望に胸を膨らませて『仲間』を探しに行くのだった。