10話〜少し、歩み寄って〜
「はーいみんなお待たせ〜」
「待ってました!」
竃から出てきたエプロン姿のメトに、アイナは両手を上げて喜びの声をあげた。
メトの両手には芳醇な小麦の香りのする焼きたてのパンと、表面から熱い油がプツプツと踊っている鶏肉があり、それらが所狭しとテーブルの上へと置かれた。
他にもテーブルにはコーンを煮込んだ黄金色のスープに、青々と彩ったみずみずしいサラダが置かれ、昨日とは比べようもない程の豪勢な食卓となっていた。
ダンジョンに挑み無事に探索を終えた俺たちは、魔石を換金したお金でちょっとだけ贅沢をする事に決めた。まともにできなかった俺への歓迎会を、改めてするという意味もあるのだとか。
アイナたちにとっては本当に久し振りの食事という事もあって、まるで誕生日を前にした子供のようにアイナは今か今かと楽しみにしていた。
「それじゃあご飯も出来上がった事だし、改めてヴェルくんの加入をお祝いして……いただきます! はぐはぐ!」
「あ、リーダーズルい! あむあむ!」
その光景は、さながら飢えた動物のようであった。
開幕スタートダッシュを決めたアイナは近くにあった皿を引き寄せて貪るように頬張り、メトもアイナよりは大人しいが我先にと食べ物を口に入れていく。
……結果、俺の手元に残ったのはパンと僅かなサラダのみ。肉の一切れくらいは残してくれてもいいだろう。
「うっ、うぅ……美味い、お肉が美味しいよぉ」
「お肉って、こんな味がしたんだねリーダー……」
……まあ、涙を流しながら喜んでいるから、言わないでおこう。パンとサラダだけでも、昨日よりはだいぶマシだ。それに俺にとっては食べ物よりも、誰かと一緒に食べるという事が大切だ。
二人が幸せそうに食べている顔を見ているだけで満足、それだけでこの食事が何倍も美味く感じられる。本当に不思議な事だ。
「……ヴェルくんは、今日のこと訊かないんだね」
「んあ?」
楽しく和気藹々としていた空気が、神妙なものへと変わる。あまりに突然の事だったので変な声が出て、食べようとパンの上に乗せたサラダが皿に落ちてしまった。
「あんな騒ぎになっちゃって、普通はナズリックや《剣の森》と何があったのか訊くと思うんだけど、ヴェルくんは知りたくないの?」
「……知りたくない、と言えば嘘になる。けどあいつらの事を訊いたとして、アイナたちは教えてくれるのか?」
「うん、あまり話したい事じゃないけど、巻き込んじゃったヴェルくんには隠したくないから」
「じゃあ訊かない。アイナたちが話したくないなら、無理に話さなくてもいい。俺だって隠し事があるし、アイナたちも深く訊こうとしなかったろ?」
「うん。色々と不思議なヴェルくんだけど、いつか自分から話してくれるまで待とうって」
「俺も同じだ。こちらから訊く事はないし、アイナたちが話したいと思ったら打ち明けてくれ。どんな事だろうと、俺は受け入れるから」
ナズリックを見て浮かべた、アイナたちの怯えの色。それが良くないものだという事は俺でも分かる。
アイナたちにとって、ナズリックや《剣の森》は一種の禁忌、トラウマとでも言えばいい存在なのだろう。俺が覇王という存在であり、それを他者に知られたくないのと同じだ。
ならば俺は何も訊かない。彼女たちに辛い思いをさせたくない。アイナたちにとっての安らぎでいたい。
「……ありがと、ヴェルくん。私たちも、ヴェルくんが抱えてる秘密を、ヴェルくんから打ち明けられるまで待ってるから」
「……そう、だな。心の整理がついたら、アイナたちに話そうと思う」
俺の秘密、か。覇王だと知ったら、彼女たちはどんな反応をするのだろうか?
恐れて、拒絶して、俺の前からいなくなってしまうのだろうか?
いや、彼女たちなら笑って受け入れてくれるはず。そう思いつつも心のどこかで、彼女たちが恐れの表情と共に去ってしまう光景を想像してしまう。拒絶されるなんて、そんなのは慣れてしまった筈なのに、彼女たちに拒絶されてしまうのが酷く怖い。
多分、今度こそ耐えられない。彼女たちがいなくなってしまったらきっと全てを諦めて、今度こそ俺に残っていた最後の何かが壊れてしまい、俺は『俺』である事を放棄してしまうだろう。
そうなれば後に残るのは生ける屍か、世の全てを怨む魔王か、どちらにせよ録でもない存在へと変性するだろうな。
「そうだ。それとこれ、ヴェルくんに返そうと思うんだ」
だいぶ空の皿が増えてきた食卓の上に、アイナたちは今朝俺があげた武器と防具を乗せた。
……俺とした事がなんて大変な事を。二人ともこんな装備じゃ満足していないじゃないか。
「ごめんな二人とも、こんな弱い装備なんて渡されても迷惑だったよな。 今からもっと強いのを取り出すから」
「ヴェルくんストップストップ! とりあえずその不思議マントから手を離して。なんか金ピカな武器がひょっこり出てるから」
む、てっきりもっと強い装備が欲しいのかと思ったが、どうやら違うようだ。ひとまず取り出そうとしていた“金剛杵”をしまう。
「じゃあなんでそれを俺に返すんだ? 山を消したり天を裂けるような派手なものじゃないけど、使いやすさと性能は文句ないはずだぞ」
「山を消すって……じゃなくて、たしかにヴェルくんから貰った武器は凄いよ。多分、ドゥラーガでもこれ以上の武器を探すのが難しいと思う。けどね、それでどんなに強い相手を倒せたとしても、それは私たちの力じゃない。戦うならちゃんとした私たちの力で、ヴェルくんと一緒に冒険したいんだ。だからこの武器は、ヴェルくんに返そうと思う。私たちが使うにはまだ早いから」
……やっぱり、俺は勘違いをしていたようだ。
装備が強ければ、それで充分だと思っていた。けどそれは同時に、彼女たちの力を見ていないということ。俺の考えは、誰と一緒に戦っても同じだと軽んじるものだった。
馬鹿みたいに浮かれていたがその実、俺は彼女たちと一緒に戦ってはいない。俺は何一つ、アイナとメトを見ていなかった。
「……すまないな二人とも、どうやら俺は要らない世話を焼いていたみたいだ」
「そんな事ないよ。私たちを守ろうって、私たちを大事にしようとするヴェルくんの想いは伝わったから。それに私たちもごめんね。きっとこれから先も、ヴェルくんにいっぱい迷惑かけちゃうと思うから」
「そんな、二人を迷惑だなんて思うわけないだろ。寧ろ俺の方が二人に迷惑をかけているんじゃないかって」
「ううん、ヴェルくんが私たちのクランに入ってくれただけで、私たちは大満足だよ。ねえメト?」
「うん、こうやって賑やかにご飯も食べられるし」
……ああ、なんて得難い光景だろうか。俺の正体を知らないとはいえ、それでもこんな得体の知れない人間を信頼してくれるなんて。こんなにも居心地が良いと思ったのは初めてだ。
「……やっぱりこのクランで、二人と一緒にいれて良かった」
自然と、そんな言葉が口からこぼれた。意識せず発した言葉だったが、それを聞いたアイスとメトは面食らった表情をしていた。
「あはは……ヴェルくんて、笑うとそんな顔するんだ」
「木漏れ日のような穏やかな笑顔だね。ちょっと、見惚れちゃった」
そっと、指で口元をなぞる。すると口の端が、僅かにだが上がっていた。
そうか、これが笑顔か。俺は笑っているのか。あまりにも久々すぎて、少し口周りの筋肉が痛い。
「感情を顔に出さないなぁて思っていたけど、ヴェルくんてちゃんと笑えるんだね。さっきの笑顔も凄く良かったし、もっと表情を出せばいいと思うよ」
「表情、か。あまりに出さなすぎて、どうやって出すのか忘れてしまったな」
「んぅ〜、それじゃぁ……えい!」
「もが」
イスを俺の隣に寄せてきたアイナは、何を思ったがのかいきなり俺の頰を掴んで引っ張ってきた。
ぐにぐにと頰はアイナの思うままに変形していき、意図せずして俺の口からは奇妙な声が漏れてしまう。
「ひゃ、ひゃにひゅるんらあいな」
「ヴェルくんがもっと笑えるように、マッサージしてるの。ほらほら、だんだんと表情がほぐれてくるでしょ?」
「おひ、これひゃめひがくへない……」
「僕も僕も〜!」
「もにゃ」
お、おのれ、なぜかメトも参加してきて、俺の顔を餅みたいに勝手にこねくり回してくる。これじゃ満足に飯も食えないじゃないか。
「ほまへもかめひょ、ふひゃりしてやへろ」
「あ、ヴェルくんってば結構モチモチしてるんだね」
「ホントだ。焼きたてのパンみたい」
「ほの……へい!」
「ふにゃ」
「はにゃ」
面白そうに俺の顔をいじる二人に対抗して、俺もアイナとメトの頬を掴んでぐにぐにしてやる。
二人は俺と同じように変な声を出しながら、俺の手によって顔を面白おかしく変形させていく。
メトの方が少し柔らかいな。
それに対抗するように二人も俺を摘む指の力を強め、お互いに顔が変な形の百面相となっていく。
「……ぷっ、あっはっはっは!」
「あー、面白かったぁ」
お互いに相手の顔をイジる奇妙な食卓。それがしばらく続いていると、アイナたちは満足したのか手を離して盛大に大笑いした。それはもうたいそう面白そうに、目の端から涙が溢れてくるくらいに。
「まったく、ひどいじゃないか二人とも。見ろ、頬が赤くなっちゃったじゃないか」
「ごめんねヴェルくん。つい面白くって」
「でも、ヴェルくんも楽しかったでしょ? こういうのは嫌だった?」
嫌だったか。アイナに問いかけられたが、もちろん嫌じゃなかった。
こうやって皆で食卓を囲んで、こうやってふざけあって、こうやって笑いあう。おそらくは俺が最も欲していた光景の一部。とても、とても胸の方から暖かくものが溢れてくる。多分これがきっと、『嬉しい』という感情なのだろう。俺が今まで望んでも、手に入れる事が出来なかった感情の一部。
「……嫌じゃ、なかった。多分、凄く楽しいと思った」
きっと、今の俺は笑っているのだろう。口の端が上がっているのが自分でもわかる。
そうかこれが、笑顔というものか。胸が暖かいこういう気持ちになったら、俺は笑えるんだ。
アイナもメトも、俺を見て満足気に頷いていた。
「うんうん、その調子。そうやって笑う練習をしていたら、嬉しい時は自然と笑えるようになっていくよ」
「ヴェルくんの笑顔ってとっても素敵だから、これからもそうやって僕たちに笑ってくれると嬉しいかな?」
「ああ、頑張ってみるよ」
この感情、この気持ち、この想いを忘れないように胸に永劫に刻んでおこう。これはきっと、どんな宝石にも勝る俺の宝だ。これ以上のものは俺が収めた財宝には存在しない。
宝物庫へは収めようもないこの気持ちを、胸に大切にしまい込みながら、俺たちは再び賑やかな食卓を囲むのであった。