青年よ、前に進め
2017年2月。霜月透子さん主催「ヒヤゾク企画」参加作品です。
お題は「切」。
今、僕の視界は暗い。
闇に包まれていると云ってもいいほどだ。
そして――
景色と同様、僕の心はどんよりと沈んでいる。そう、海よりも深く。
体も、上手く動かない。
手足は棒のように突っ張り、びりびりと痺れている感じ。
体がふわふわと空中に浮いている――そんな気にもなる。
「ここで立ち止まったら負けだ」
ああ……。待ちに待った、その声。
こんなときに頼りになるのは、やっぱり親友だ。
僕にとって、心強い存在であり続ける、彼。
僕の傍に、常にそっと寄り添ってくれる。
いつも温かい言葉で、僕を励ましてくれる。
「立ち止まっている暇はない。とにかく進もう」
――考えてみれば、僕の人生は、いつだってそうだった。
心が痛むとき。
体も痛むとき。
悩んでいるとき。
つまづいたとき。
いつだって君は、僕の傍に居てくれた。
こうして今日も、君は僕を応援してくれる。
その温かな熱を得た僕の心が、深海の底に沈んだ僕の心が、ふわりと軽くなる。
そう……。
比重の軽くなった気持ちのお陰で、前に進むことができそうだ。
「さあ、進もうよ。迷わず前に進もう」
「……ああ、わかってる。前に進んでみせるよ」
親友の前で、強がってみせる僕。
彼の瞳に、僕はどう映っているのだろうか。
僕のなけなしの笑顔は、彼に届いたのだろうか。
――前に、一歩進む。
「よくぞ、進んだ。それでこそ、キミだ」
「ありがとう。お陰で前に進めたよ」
「いや、ボクの力じゃない。キミの力だ」
「そうかな……。ありがとう」
あくまで僕に寄り添い、励まし続けてくれる、彼。
その優しさが、少しだけ軽くなった僕の心に、翼を生えさせようとしている。
「今、どんな気持ち?」
「心に翼が生えた気分だね」
「わあ、それはすごいや」
「……そうかな。僕ってすごいかな」
「すごいよ。そしてきっと、体にも翼が生える」
「ふーん。そんなものなのかな」
彼の心の躍動が僕の全身に伝わって来る。
僕の気持ちの高揚にシンクロさせ、彼の心も飛び上がる。
体だけでなく、彼の気持ちまでが、僕に近づいたのだ。
僕の鼓動と彼の吐息が、ぴたりと合う。
心とココロ、体とカラダの同期。
今、彼の総てが、僕の総てにリンクした。
――更に、一歩前に。
「もう、僕は大丈夫。一人で進めるよ」
「そうかな? ボクはいつだってキミの傍に居る。いつだって力を貸せるんだ」
「そんなこと云ってくれるのは、君ぐらいさ。ありがとう」
もう迷わない。
僕の気持ちと体が、前へと突き進む。
僕の歩みに合わせて、彼も進む。
彼の鼓動が益々早く、そして益々強くなる。呼吸も早くなっていく。
もちろん、僕のそれもリンクする。
「君に会えて良かったよ」
「そう云ってくれて、うれしいな」
しかし――何故だ。
水素の如き軽くなった心とは裏腹に、足元がぐらぐらとぐらついた。
「おかしいや。足が云うことを聞かないよ」
「もう、キミは翼を持った鳥。そんなものは、必要ないさ」
「そうだね……きっとそうだ。足なんて――要らない」
彼の荒かった呼吸が、すっと静まった。
「そしてこれが――ボクができる最後のことだよ」
言葉と同時に、彼が僕の背中を押す。
そう――文字通り、押した。
そのとき僕の首に加わった、強烈な力。
足元にあるのは、ただの宇宙空間だった。人生の真空だ。
重力を感じさせるものは、何ひとつない。
僕の気持ちが、切れる。
そして――命も切れる。
ゆっくりと綴じていこうとする、僕の両瞼。
僕の人生を映す仄暗いスクリーンの中、彼の口元がぐにゃりと曲がった。
―End―
本当の悪魔は、天使の笑顔とともにやって来る。
……お読みいただき、ありがとうございました。