第四話「虫けらの哀しみ」
強い人は弱い人をいじめる。
弱い人はもっと弱い人をいじめる。
それより弱い人はそれよりもっと弱い人をいじめる。
いじめる人のいない最も弱い人は虫けらをいじめる。
じゃあ虫けらは?
赤ちゃんは弱くても可愛いから守られる
赤ちゃんは弱くても可愛いから愛される
じゃあ虫けらは?
ゴミ子……何で生きてるん?
ゴミ子……ゴミ子の癖にえらそうや
ゴミ子……ゴミ子……
読子……
「読子!!」
母親の声で目が覚める。
「いつまで寝てるの!早く行かんと間に合わんで!」
(なんや、夢か……)
朝ごはんも食べず、考え事をしながらトボトボと通学路を俯きながら、読子は歩いていた。
(おかしいな。もうあんな夢見ぃひんと思っとったのに)
読子が教室に入ると、風子はいつもどおりそこに居て、それを見るだけで読子は安心した。
読子の存在に気づいて挨拶をする風子。
「おは読子ちゃん!」
「おはよう、風子ちゃん」
(声も戻ったし、友達もできた。せやのに何やろう……今日は憂鬱やな)
読子が机の中に手を入れると、中に何かが入っている事に気づいた。それは無地の封筒に入った手紙だった。
読子は憂鬱はこれのせいだ、と直感した。
これまでも何回か同じ手紙が入っていた事があったので、内容は読むまでも無かった。確認の為に開いてみるといつもと同じ、赤いボールペンで上から下まで「死ね」と書かれた文字で埋め尽くされた手紙だった。
(こんなん、何も伝わってこんわ。こんな綺麗に並んだ文字の羅列は理性的な人間の証拠や。けどこれのせいで憂鬱なんやとしたら伝わっとるって事やろか……)
読子が小説家デビューをし、文芸部をやめて新しく文芸部に代わる部を設立した事を根に持った者の仕業、と読子は推測するが、犯人など探す気もなかった。
ふと読子が風子の方を見ると、風子は野薔薇と楽しそうに話していた。
(ああ、仲良くなれたんや、良かった。これで私なんておらんでもええやん。もう私なんて用済みなんやろな。牛乳拭いた雑巾みたいにゴミ箱にポイされて終わりや。
ああ、なんでやろ。こういう思考は捨て去ったはずやのに、また湧いてきてる……)
窓の外から遠くを眺めて思考を整理しようとする読子。しかし思考はとどまる事なく読子の頭の中を駆け巡った。
(新しい能力に目覚めて調子乗ってただけやったんかなぁ。能力使ったって周りの人間の汚いオーラが見えるだけやもんな。
能力のおかげでもうビクビクする事はなくなったけど、人の悪い気持ちが伝わってきて憂鬱になるのは変わらへん。
闇闇闇。この世は闇や)
頭がおかしくなりそうなほどの憂鬱が読子の脳を支配したかと思うと、読子の目が怪しい光を灯し始めた。
読子は人間を覆っている思念体(読子はアスターと読んでいる)を見る事ができる特殊な視界、思念体視野を視線の先に展開させた。
読子の視界にラムネ色の視界が広がる。そこで白く映るのは生物。黒いのは霊。他の全ての色は思想となって見える。
その中に一人、猫背気味の背中に何重にも重なったどす黒い複数の黒い影を背負っているクラスメイトがいるのを確認した。
「今日もや。蕪木君……何であんなに背負うとるんやろう」
クラスメイトの蕪木凶介。『今日介』だったのを自分で役所に提出して凶介に変えたほどの変わり者である。男子にしては長めの髪を中央で分け、できるだけ他人の視界に入らないように(或いは他人を自分の視界に入らないように)しているようだった。
読子からの視線を感じたのか、凶介はジッと読子の方を睨むと、自分の席を立ち上がり、ずかずかと読子の所にやってきて一冊の文庫本を叩きつけた。それは回し読みされていたらしい読子の小説だった。
「月原読子、お前の小説くっそつまんねぇな。何が愛だよ、恋だよ。バカじゃねーの?」
読子はビジョンモードなので、言葉は聞こえても何も反応しない。ただ相手の害意だけが薄っすらと感じられる。
「おい、聞いてんのか」
読子は至って冷静だった。
(何で私はこういう人にばっかり目を付けられるんやろう。中学の時からそうや。)
「おい!」
今度の声は風子と野薔薇だった。
野薔薇はキっと凶介を睨んだ。凶介は不機嫌そうな顔をして、自分の席に帰っていった。
「大丈夫!?読子ちゃん!」
「ええんよ、風子ちゃんに木下さん。私の事は放っといて」
「でも読子ちゃん、もしまだいじめられてるんだったら私達が……」
詰め寄る風子に、それを抑える野薔薇。
「風子、本人がいいって言ってるんだからいいだろ」
「でも……」
「ええねん、風子ちゃん、私の問題は私だけで解決したいねん」
(……せやないと虫けらのままやから)
読子は凶介の方を見た。
(私は知ってる。蕪木君もいじめられっ子である事。ただ私よりちょっと強いから私の所に来ただけ。拠り所のない蕪木君の言葉は、多くの人と同じ「誰か構って」という心の声。
その心の声が意地悪になって外に出てきただけの事や。私にはよう分かる。だから私は蕪木君を憎んでないし、手紙もちゃう人やと分かってる。
だからって私に何ができるんやろう。私かってただの子供やのに……)
*
「てやああああああ!!」
エリリカのショルダータックルが風子を捉える。
しかしヒラリとかわす風子。エリリカは始業式に戦いそびれた分もこめて全力のショルダータックルをかましたが、それは不発に終わった。
ゴォン!
ゴミ捨て用のコンテナに激突するエリリカ。
これまでも何度もぶつかっているせいでコンテナはベコベコにひしゃげている。
「相変わらずワンパターンだねエリリカは」
「相手にプレッシャーをかけるにはこれくらいでいいのよ!」
コンテナから離れて再び構えに入る二人。
今度は風子の方が物凄いスピードで突進した。
「アクセルチャーーーージ!」
風子の細い体がエリリカの体にぶつかる。
真正面から風子を受け止めたエリリカだが、砂埃を上げながら2メートルもの距離を動かされた。それでも風子のタックルを止めたエリリカは、密着した姿勢のまま地面に風子を投げつけた。これではまるで大相撲である。
二人の勝負は先に投げた方の勝利となる短いものだった。
「今日は私の勝ちね」
「くそぉ、いけると思ったのに……」
「タックルで私に勝とうなんて10年早いわ」
その二人を、恋する乙女のように手を組んで見つめていたのは読子だった。
読子は少し興奮したように近寄ってきた。
「い、今二人抱き合ってへんかった?」
「え?レスリングなんていつもこんな感じだよ」
震え出した読子は大袈裟に感動の声を上げた。
「こ、これは紛れも無く身体を使った対話や!ボディ・ダイアローグや!」
興奮する読子。完全にスイッチが入っている。
近寄ってくるエリリカもじっくりと品定めする読子。
「ああ、三條さんの思想もなんて澄み切ってるんやろう。見せかけだけやない上品なオーラが見える!」
そう言って読子はモジモジして身体をくねらせはじめた。
「読子ちゃん、今度はなんか変な動きになってるよ!」
「ああ、あかんねん。私触れたオーラに影響されてしまう体質やねん。だから風子ちゃんのオーラに触れた時、いつもハイになってるやろ?」
「これまで興奮してたのはそういう事だったんだ」
「三條さんの場合はなんかエレガントな気分になってまうわ。例えるならライ麦パンのサンドイッチとオマール海老のビスクが置かれた赤い屋根のお屋敷にある窓際のテーブルで優雅な昼食を憧れの男性と一緒に楽しんでる感じや」
「どんな感じよ!」
身体をくねらせながら頬に手を当てる読子。
疑わしい顔をする風子。
「そうかな~。エリリカは意外と男っぽい所も多いよ?」
「余計な事は言わんでいい!」
「あかん、これ以上二人の近くにおったら鼻血出るわ。じゃあまた明日学校でな!」
そう言って足早に駆けていった。
「不思議な子ですわね」
「ね、面白いでしょ?何か守ってあげたくなるんだよね」
「でもちょっと無理してるような感じもするわね」
そこへ野薔薇が、読子と入れ替わるようにしてやってきた。
「なんだ?今月原が走っていったけど」
「あ、野薔薇!私と握手したんだからエリリカとも握手しなよ!」
無邪気に駆け寄っていく風子。
「何で握手を強要するんだよ。日本はいつからこんなにインターナショナルになったんだ?」
「そうじゃなくてさ、この学園では友達になる人には握手する決まりがあるんだよ」
「ふーん」
そう言って手を差し出した。エリリカはそれに応じる。
「ま、嘘だけどね」
風子はそう言ってニヤニヤした。
「お前なぁ!」
「アッハッハ!」
「随分仲良しになったのね、二人」
エリリカが昨日の野薔薇との様子の違いに驚いた。
野薔薇は自分が丸くなったと思われるのが嫌なようで、急に不機嫌そうな顔に変わった。
「ねぇ、野薔薇も私と一緒にトレーニングするでしょ?」
「しねぇよ。馴れ合いは嫌いだって言っただろ」
「えー、一緒にした方が早く強くなれるよ?」
しかし野薔薇は首を横に振った。
「試合だけはいつでも応じてやる。次に戦う時までに強くなっとけよ風子」
そう言ってポケットに手を入れて歩き去っていった。
「あなた、戦ったの?野薔薇さんと」
「うん。負けたけどね!」
「強いのね、野薔薇さんって……」
「でもまあ、あんな感じだから部には入らないだろうね」
「そうね。でも仲間は多い方がいいわ。やっと役者が揃ってきたって感じね」
「役者?」
「ええ、まあね……実は聖ハレルヤ学院の顔馴染みとも週に一回合同練習をする事になったのよ。風子にも紹介したいから明日レスリング部に来てくれる?」
風子は野薔薇に次いで、また新しい人間と知り合える事に胸を踊らせた。読子が『志一つで仲間が集まってくる』と言っていた事が、言葉の上ではなく風子の身にも実感できるようになってきた。