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第一話「夢の中のあの娘」

如月風子きさらぎふうこさん」


 炎天学園3年4組如月風子の名前を呼ぶのは、顔の無い女の子だった。暗くて見えなかっただけだったかもしれない。

 パッツンの前髪は純朴さを漂わせ、中学から一人でボロアパート暮らしをしている風子には無い気位きぐらいの高さを持っていた。


 風子と同じ学校の制服を着ており、その髪の長さからして、風子のライバルである三條さんじょうエリリカにどことなく似ていたが、仕草からして別人である事は風子にも明らかだった。


 風子がその少女を注視していると、その女の子は少し恥ずかしそうに口を開いた。


「ずっと言いたかったんです」


 たどたどしい感じが、風子に多大な不安とちょっぴりの期待を与えた。

 が、次の一言は風子も予想だにしない一撃となって風子を驚かせた。


「あなた、大嫌い」



                *




「本当に私じゃないのね?」

「違うってば」


 風子は新学期の朝をライバルであり腐れ縁でもある三條エリリカと共に歩いていた。

 エリリカは紺のブレザーに赤のチェックのスカートと、お嬢様らしくきっちりと校則を守っていたが、風子は始業式があるにもかかわらず、紺でふち取られた体操服で登校していた。


「え?しかも女の子から?」


 エリリカは告白された相手が女子である事に驚きを示した。


「そーなんだよ」


 内容が「大嫌い」とは言え、女の子から告白されたという事実に、苦い顔をするエリリカ。


「一応確認しとくけど、あなた……女よね?」

「そこを疑う!?」


 風子は怒った後、ありったけのセクシーさを振り絞ってセクシーポーズを決めた。


「どこからどう見ても女の子でしょ?」


 エリリカは風子の細い体を見て、溜息をついた。


「はぁ……悪いけど、どこを強調したいのかサッパリだわ。

 とにかく!気にしてもしょうがないわよ。夢は現実とは関係ないんだから」

「うん……」


 二人が校門を抜け、校舎に入ると途端に風子の心にスイッチが入った。

 漫画の影響か、学園は風子にとって、バトルの象徴だったからである。

 それに加えて、高校生活最後の一年という事が風子に大きな希望を与えた。 


「エリリカ!レスリング勝負だ!」

「冗談言わないで。始業式前にできるわけないでしょう。それに今日は下に履いてないのよ」

「下に履いてない!?」


 風子の大声に生徒達が振り返る。

 エリリカは慌てて風子の口を塞いだ。


「スパッツの事よ!」

「でもさ、始業式の後はすぐ練習なんだから履いてないわけないでしょ?」

「履いてないったら履いてないの!じゃあね!」


 長い髪をひとなでして、早歩きで去ろうとするエリリカ。だが風子はそんなエリリカを呼び止めた。


「逃げるのかセレブ!」


 すると、エリリカの足がピタリと止まった。


「誰がセレブじゃあ!」


 振り向きざま、エリリカは一瞬にして制服を脱ぎ去り、瞬く間にレスリング姿になった。

 

「着てるじゃん!」

「当たり前よ、いついかなる時でもレスリングの心を忘れた事は無いわ!」


 そう言うと、エリリカは両手をついて屈み、腰を上に上げた。


「勝負よ!」


 その獣のような姿勢に風子は呆れ顔をして言った。


「分かったから、猛牛のモノマネはやめてよ」

「クラウチングよこれは!」


 エリリカの得意技であるショルダータックルはいつもクラウチングの姿勢から放たれる。


「私のショルダータックルはわずか0.5秒で最高速度に達するアスリート顔負けの瞬発力なんだから!このショルダータックルを真正面から受けた日には全身の骨という骨が悲鳴を上げ」

「いいから早くかかってきなよ、牛さん」

「モー!説明の途中だったのに!」


 エリリカがショルダータックルを繰り出した瞬間、生徒たちが大声で感嘆の声を上げた。



 オォー!!!!



「(ギャラリーね。あまり目立ちたくはないんだけど)」


 エリリカのショルダータックルが風子に当たると思った瞬間、風子はその場から消えたかのように、一瞬でエリリカの真横に立って別の方向を指差していた。


「あっちにギャラリーが出来てるよ」


 ギャラリーは風子達を見る為にできたのではなかった。

 それを知ったエリリカは地面に向かって思いっきりこけた。そしてヨロヨロと立ち上がったかと思うと、ギャラリーの方に目を向けた。

 するとギャラリーの奥、中央からこちらに向かって歩いてくる、ひときわ異彩を放った女生徒の姿が見えた。


 女生徒はそのギャラリーを割るように中央を歩いて風子たちの方に向かってきた。

 ギャラリーは次々にその女生徒に声をかける。


「月原さん、小説家デビューおめでとう!」

「ありがとう」


 月原と呼ばれた女生徒は、黒く長い髪を揺らしながら、早歩きでギャラリーから遠ざかろうとしていた。

 一方、レスリング対決がもはや日常茶飯事になりすぎて、見向きもされなくなった風子とエリリカは二人して遠くから彼女を眺めていた。


「月原読子さん、小説の新人賞取ったみたいよ。確か新学期から風子と同じクラスじゃない?」

「へぇ、そうなんだ」


 風子は両手を後頭部で組み、呑気に月原と呼ばれる女生徒を何気なく見た。


「そういえば、あの子夢に出てきた女の子にそっくりだよ、ハハハ…………はっ!?」


 風子は、自分の何気ない発言に驚愕した。


「あの子だ!!」

「ええっ!?」


 風子は思い切り目を見開いて月原読子の方を見た。


「あの子だよ!あの子が私に逆告白してきたんだ!」

「まさか、予知夢!?」


 慌てる風子たちをよそに、その女の子はどんどん風子の方に近づいてくる。

 風子はドギマギして気が気でなくなってしまった。

 ガラスのような声は真っ先に風子めがけてやってきた。


「如月風子さん」

「はい!?」


 ガラスの声は風子の胸に突き刺さらんばかりの繊細さと鋭さだった。

 風子はそれに耐えかねて、思わず自分から先に動いてしまった。


「嫌われるような事してすみませんでしたぁ!」

「はぇ!?」


 月原は急に風子が土下座をした事に慌てふためいてしまった。

 

「如月さん!ど、土下座なんてやめて!」

「お許しが出るまでは……」


 風子は正座をしたまま、口と目をムッと閉じて廊下に座り込んでいた。

 ギャラリーはますます、月原と風子の周りに集まってきた。

 途端、男の怒鳴り声が聞こえてきた。


「こらぁ!始業式前に何やっとるんだ!」


 声の主は風子のクラスの担任になる藤田沢ふじたざわだった。

 蜘蛛の子を散らすように退散する生徒たちをよそに、藤田沢は体操服で正座をしている風子に近づいてきた。風子は藤田沢が嫌いらしく、プイと横を向いた。


「如月ぃ!始業式の日に何だその格好はぁ!?」

「運動に適した服装」

「んな事ぁ、分かっとる!」


 風子は不服そうに、指を差しながらエリリカの方を見た。


「服装を言うならエリリカだって……あれ!?」


 風子がエリリカの方を見ると、エリリカはすでに制服に着替えて風子の方を見ながらピースサインをしている所だった。

 結局、風子は藤田沢にこっぴどく叱られ、始業式の出席を禁じられてしまった。



  *



 風子はエリリカと一緒に校舎の階段を降りながら話していた。


「あーあ。結局この服じゃ始業式出られないのかぁ」

「当たり前でしょ」


 体操服で始業式に出るつもりだった風子に呆れた表情を見せるエリリカ。


「屋上でも登ろうかな」


 そう言って風子はまた後頭部で手を組みながら、呑気に校舎の外に出た。


「ちょっと、屋上なら階段を登らないとダメでしょ?」


 が、エリリカの言葉も聞かず、風子は校舎の外から屋上を見上げた。


「よし、じゃあ登るか」

「外から!?」

「そうだよ。だって中から登ってもどうせ鍵かかってるんだもん。

 大丈夫だよ。これだけ強い『風』があったら、成功するような気がする」


 ビックリするエリリカをよそに、風子はレンガ造りの花壇を蹴って、屋上に向かい外壁を登り始めた。




  *




 風子を遮ったのは、ネズミ返しのようにドンと突き出した屋上のでっぱりだった。ここを登るには後ろに向かってジャンプしながら、屋上の縁に捕まらなければならない。


 風子は緊張した面持ちで自分の周囲に『風』を集めた。

 

 風は体操服をめいっぱいはためかせ、渦を巻きながら風子にまとわりついた。

 そして風子がめいっぱい曲げた膝を伸ばすと、そのまま人間離れした勢いで空に向かって跳躍した。


 風子はとっさに指の先を屋上の縁に引っ掛けた。

 そして風子が身を乗り上げようとした次の瞬間、風子は何者かに後ろに引っ張られた。


「わっ!!」


 風は風子を鳥だと勘違いし、大空に誘おうとしたのである。

 風子は空に向けて、なんなく校舎から引き剥がされてしまった。


 風子はこの時、死を覚悟した。

 

 ……が、何者かが地面に落ちようとする風子の手をつかんだ。

 風子は思わず叫んだ。


「ギャー!幽霊!」


 それはトレーニングパンツを履いた男だった。


「誰が幽霊だコラ」

「……トレパン!」


 トレパンと呼ばれた男、彼は風子の恩師である。


「屋上には鍵かかってるから、誰もいないと思って……」

「それで幽霊か。全く……お前、俺がいなかったら死んでたぞ!わかってるのか!」


 屋上に引き上げられた風子は、ションボリした顔で腕を後ろに回していた。

 トレパンは落ち込む風子の様子を見て、ヤレヤレといった風に風子を諭した。


「反省しているようだから許してやるが、もう二度とこんな真似はするなよ」


 すると、落ち込んだ風子はボソリとつぶやいた。


「……私が一番乗りだと思ったのになぁ」

「落ち込んでたのはそこかよ!」 


 風子は一番乗りでなかった事に悔しさを表していただけだった。


 風子が伏せていた顔を上げると、トレパンのTシャツに「志」という文字が書かれているのを見つけた。そして左手には何か布切れのようなものを持っている。


「左手に何持ってるの?トレパン」

「これか?これはさっきまで着ていたTシャツだ」


 そう言うとトレパンはTシャツを広げた。そこには達筆な文字で『怠』と書かれていた。

 風子が驚きの声を上げる。


「それは……『なまけ』Tシャツ!本気で怠けたい時にしか着ない、トレパンとっておきのTシャツじゃん!」

「そうだ。これを着ている間は一切ポジティブな事はしないという覚悟のTシャツだ。人間、ONとOFFの切り替えは重要だからな。

 ……だがこれももう必要ない。これから必要なのは『こころざし』だ!」


 そう言ってトレパンは古いTシャツを屋上から投げ捨てて言った。


「風子。最後の一年、悔いの残らないようにな」



                  *



――始業式も終わった放課後。風子は掲示板にある思想文芸部の貼り紙を見ていた。


<<思想文学とは、誰もが持っている生き方の根本的な定義を、より多くの人に広める為の文学です。思想文学足り得るかの判断はその小説の根本にある規制概念を洗い出す読み手によって為されます。文学になる以前の文学と言ってもいいでしょう。


 既成概念を破壊し、乗り越えていくという、現在の文学の目指すスタイルとそれほど大きな違いはありません。しかしその間口をもっと広くし、偉い人の思想を研究するだけでなく、書く事によって思想を表現する力を伸ばすようにしたいと思ったのが、創設のきっかけです。

 

 本人さえ知り得ない根本的な思想を皆で推敲し、より良い表現を持って自分の個性を発揮した文が書けるように手助けしていく、文学から派生した新しいジャンルです。私はこれを短編や詩とは違う意味を込めて思想文学と名付け、ゆくゆくは一人の人間の思想がもっと容易に、自由に表現できるようになる事を望んでいます。

                      思想文芸部部長 月原読子>>

 

「ふーん、何かよく分からないけどすごいなー」


 風子は掲示板で思想文芸部の部室を確認し、実際に見に行ってみる事にした。


 思想文芸部は一階の中庭沿いのなかなか便利な場所にあった。思想文芸部の中は部室と呼ぶにはあまりにも事務的で、パイプイスとテーブルが置かれているだけの殺風景な部屋だった。


 風子は耳をドアに当てて中の声を聞いた。

 中では月原読子が思想文芸部についての説明をしている所だった。


「では思想とは何かについて説明します。

 人間は誰もが思想と呼ばれる『色』を持っています。多くの人はそれが言語体系で構成されていますが、中には絵的な人もいます。それらの思想は通常、表面にはなかなか現れてきてくれません。それでも誰もが毎日自分の思想と触れ合っています。それが『夢』です。


 夢は人の思想を色濃く反映しており、慎重に分析する事によって、自分の感情の変化を知る事ができます。予知夢のような例外もありますが。一般的に人は夢によってお告げを受け、その疑似体験によって、日々精神に磨きをかけているのです。


 つまり思想とは『成熟した精神の表れ』なのです。表されていないものはただの精神でしかありません。知覚化、現象化して初めて思想と成り得るのです」


(そうか、そういう事だったのか)

 

 風子は難解な説明から何かを直感したようだった。


「……拙い説明ですが、伝わりましたでしょうか?」


 すると、風子は耳をそばだてていたドアの取っ手を握り、思いっきり横に引いた。


「伝わりましたー!!!」


 一同はシーンとして風子の方を見た。

 風子は周りの目も気にせずに、月原読子に近づいた。


 読子と風子はお互いを見つめ合った。

 風子は迷いなく読子を見つめて、言った。


「君に話しかけられた時、私は嫌われる事を恐れてた。

 夢の中で君に嫌われたのは、私自身の心の問題だったんだ。君と仲良くなりたいのは他でもない、私自身だと今初めて気づいたよ。告白すべきは私の方だったんだよ!」


 すると、月原読子は瞬時に風子の精神の状況を理解したのか、目に涙を浮かべながら風子を見つめた。


「如月さん……」


 読子にはすでに風子の夢の中の体験までありありと洞察したのである。

 そしておもいっきり頭を倒して風子に謝罪を表明した。


「夢の中の私が失礼しましたぁ!」

「ええぇ!?」


 読子の意外な返答に驚く風子。

 読子は自己紹介を交えながら、自分がいかに風子と仲良くなりたかったかを語り始めた。


「私は人の思想を見たり、感じたりするのが得意で、それを小説にしたんです」

「なるほど、それが評価されてデビューしたんだね」


 読子はこくりと頷いた。


「如月さんからはとても暖かくて強いオーラを感じます。それに憧れて前から友達になりたいと思っていたんです。

 如月さんの傍にいるだけで心がこう、なんか高揚して自分が抑えられなくなるような……」


 その時、目を閉じた読子の鼻から鼻血がツーと垂れた。


「月原さん!鼻血出てるよ!」


 風子の指摘に、読子は顔を真っ赤にし、袖で顔を隠したかと思うと、ゴシゴシと鼻血を拭きはじめた。


「ごめん、全然気づかへんかった!べ、別に変な事考えてたわけとちゃうで!?あっ!鼻血袖で拭いてもた!」





――こうして風子と読子は友人同士となった。



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