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第92話「アゴール・イクス・アルサーロン」

 ボッツの顔面の中央に拳がめり込む。そのまま盛大にボッツは吹っ飛んだ。よし。満足感と爽快感が俺を満たすのを感じる。

 革とはいえガントレットだ。まさか頭蓋骨陥没で即死か。しょうがないな、自業自得だ。

 だが、俺の期待は外れ、ふらふらしながらも身体を起こすボッツ。鼻血が出ているがその程度らしい。どうやら<浮遊(フローティング)>のせいで威力自体が軽くなっているのか。


「よし。もう一発だな」

「ま、待て!」


 もう一発いった。

 ぶぎゅる、とかいう謎の音と同時にボッツの顔が傾ぐ。胸倉を掴むと、もう一発。


 「わ、若ァ!」


 駆け出そうとした取り巻きAの足に、影の尻尾を巻きつけて転倒させる。取り巻きBは俺の目線だけで動きを止めた。

 庭にいる護衛たちがここに来るにしても、もう少し時間がかかるだろう。それまでに目的を果たさなければならない。ボッツをぶち殺すという……違うな、暗殺依頼の撤回だったっけ?


「ボッツ、俺が何しにきたかわかるか?」

「……暗殺ギルドの件か……!?」

「わかっているなら話は早い。依頼を取り下げろ」

「そんなことができるわけが……!」


 俺はボッツの胸倉を掴んだまま笑顔で拳を持ち上げた。その俺に向かって、取り巻きBが青くなりながら叫ぶ。


「若を離してくれ! 我々で何とかする! だから!」

「いや、依頼主はコイツだろ? 安全が確約されるまでぐっすり寝ることもできないだろうが」

「わかってるのか! こんなことをしてただですむと思ってるのか!?」

「じゃあ、おとなしく殺されておけっていうわけだ」


 俺の視線を受けて、取り巻きAが一歩下がる。

 そうだ、今の俺には力がある。元の世界にもない、状況を覆す力が。

 面倒だな、ボッツも、こいつらも、暗殺ギルドのやつらも、みんな――――。



「殺してしまった方が、楽じゃないかな?」



 いつの間に。

 俺はばっと顔をあげた。何かに帰結しそうになった思考を無理矢理中断して、声の出所を探す。

 バルコニーから部屋に入る戸口の前に、それは立っていた。

 濃い緑のフードマント。ここからなら見える。白い髪に、作ったような笑顔を張りつけたような表情。思ったより若い。こいつはさっきまで下に居たはず。

 今の状況がわかっているのか、ボッツのことを何も気にした様子もなく歩いてくる。親しげに両の手を広げたままで。


「どうして殺してしまわないのか、不思議だなあ。そうするつもりじゃないのかい?」


 緑の青年の言葉は、ひどくざらりとした手触りだった。不純物が混ざった砂に手を突っ込んでいるような不快感。心と身体の反応がちぐはぐだ。身体じゃない、魂が拒否をする感覚。

 なんなんだ、コイツ。


「た、助け……!」

「ええ、わかっていますよ。助かりたいんですね」


 ボッツがにわかに元気付く。緑の青年に手をのばし、枯れた声で助けを求める。

 俺は緑の青年の後ろに居る人影に気付いた。俺に向かって差し向けられている指先に、魔法陣があらわれるのが見える。


「くっ……!」

「――炎の舌(フレイムタン)


 俺はボッツの襟首を掴んだままバックステップで距離をとると、そのままバルコニーから身体を躍らせる。

 直後、火炎放射器のような炎が頭上を通り過ぎていく。俺は落下速度を<浮遊>で軽減されている。怪我もなく降り立った。ボッツは途中で屋敷のでっぱりで肩を強打したようだったが、どうでもいい。


「貴様……っ!」

「何者じゃ、お前さんは……」


 地面に降り立つと、残っていた冒険者が俺の方を向く。二刀の冒険者と灰色の魔術師が俺を警戒した位置につけていた。厳しい視線で俺を観察している。一足一刀の距離ではないが、二刀の冒険者は両の短剣を構えたままだ。俺の魔術を警戒しているんだろう。

 これまでの魔術の余波か前庭はボロボロの状態になっていた。特に炎の壁を出したあたりは、熱にやられて石像や石畳が溶けている。護衛の冒険者が何人も倒れており、呻き声を上げていた。


「ぐうぅ……!」


 俺の足元でボッツが苦しげな声を出した。腕の一本くらいは折れたかもしれない。

 とりあえず、こいつにはきちんと動いてもらわないことには、安心できない。それをどう確約させるか、という話だ。



「――――何だこの有様は!?」


 渋い中年の声が響いたのは、そんな時だった。

 顔を上げると、屋敷の門の前に馬車が停まっているのが見えた。そこから降りてきたのだろう執事服の男が怒りの表情で前庭と屋敷を見渡している。その目が俺と、俺がだらんとぶら下げているボッツに留まる。

 驚愕に目を剥く執事。


「そ、それはボッツ様ではないのか!?」


「どうした?」

「アゴール様! 弟君が……!」


 馬車から続いて降りてきたのは、身長二メートルを超える大男だった。年は四十代あたりだろうか、整えられた口ひげ、どことなく顔立ちはボッツに似ているが、冷厳な雰囲気は似ても似つかない。執事さんの言葉が本当なら、ボッツの兄ということになる。

 その身に纏う貴族服は似合っていない。筋骨隆々としているのだ。その服を下から押し上げる鋼のような筋肉が、軍人か何か戦闘に携わる人物であることを物語っていた。腰には一本の長剣を刷いている。


「どうしたの?」

「いえ、エリザベータ様。何でもありません。少々馬車でお待ちいだきますようお願いします」


 馬車の中から、かすかに鈴を転がすような女性の声が聞こえた。その人物に声をかけると、ボッツの兄アゴールはゆっくりと敷地内へと足を踏み入れた。

 その表情は冷静なまま、怒っているのか焦っているのか、判別がつかない。


「そこの賊! ボッツ様を放せ! 今なら五体満足の状態で葬ってやる」

「いや、生きるために来たのに殺されてどうするんだよ。それに、もともとボッツのせいだぞ」


 俺はため息を吐くと眉をしかめてそう言った。執事が疑わしい顔をする。

 執事とは話にならない。俺は貴族服の男性に向かって口を開く。


「お前、ボッツの兄貴か?」

「貴様ァ! 何という言葉遣いをッ!!」


 ううん。執事に話してるんじゃないんだけどな。

 執事が血管が切れそうなほどの勢いで叫ぶ。ボッツのお兄さんって結構偉い人なのか? まあ、見た感じ雰囲気はそんな感じだし、着てる服の生地も高そうだけど。


「良い。ひとつ聞こう。貴様、魔物か? 半獣人か?」

「……人間だ。たぶんな」

「ふむ。ならばどうして我が屋敷を襲撃する?」

「暗殺ギルドへの依頼を取り下げさせるためだ。こいつが――」


 俺はボッツの襟首を持ち上げて、身体が見えるようにする。もしアゴールが攻撃してくるのなら、盾にできるようにだ。ボッツの兄貴というだけでその評価は低い。謎の思考回路で襲われる可能性がある。


「――俺を殺そうとするんでな」


 アゴールはそれを聞くと、あごに手を当てて思案しているようだった。執事は全く信じていないようで、呆れたような顔で俺を見ている。


「ボッツよ。今の話は本当か?」

「アゴール様! こんな賊の言うことを信じるのでございますか!?」

「我が弟が急にティゼッタに来たかと思えば、急に護衛を雇いだす。何かやらかしてきたと思っておったよ」


 アゴールがボッツに向ける視線が厳しくなる。

 うわあ、あれ魔物レベルに怖いんだけど。捕まえているボッツの身体がガタガタ震え始める。こいつ、事情を話さず匿ってもらってたのかよ。


「しかしですな! 証拠もなく……!」

「――暗殺依頼に確たる証拠などは残りませんよ」

「誰だッ!?」


 なおも食い下がる執事さんに、馬車の陰から声が掛かった。そこから顔を出したのは小太りの好青年ルマルだ。よく見るとその後ろにミトナとコクヨウの姿も見える。

 ルマルはひとつ頭を下げると一歩前に出て執事さんと相対する。ボッツのお兄さんも眼力を送り込んでいるが、髪の毛一筋たりともひるむ様子はない。

 

「暗殺ギルドへの依頼があったというのは本当です。それは私、ハスマル・アデスタの三男、ルマル・アデスタが父の名にかけて保証します」


 ルマルは表情を変えることなく、宣誓するように右手を挙げて言い放った。 ルマル、ナイスタイミング! これ以上ないアシストだ!

 執事の顔が引きつる。ルマルは俺と目があうと、目で合図を送ってきた。

 ルマルってハスマル氏の息子だったんだな。そして、ここで名前が出てくるほど高い影響力を持つハスマル氏ってホント何者だ。

 アゴールがさらに踏み出しながら、地の底から響くような声を出す。


「ベルランテの騎士団での勤務はどうした。先遣隊の一員としての成果を挙げたのではないのか?」

「…………」

「先遣隊の一員だったのは確かだけどな。途中で俺を殺そうとして失敗して逃げ出したぞ?」


「やはり自分で蒔いた種か。それに、暗殺ギルドだと? そのような手を使うなど、聖王家に連なるアルサーロン家の為すことかッ!!」


 もはや<咆哮>と言っていいほどの裂帛の声がボッツの身体を叱咤する。ビクン、とボッツが大きく震えた。

 アゴールはボッツから視線を外すと、俺を見る。眼力強いよお兄さん。怖い。


「それで、貴様はどうするつもりだ? もし暗殺依頼が撤回されぬとしたら?」


 俺は答える代わりに極大の魔法陣を空中に描きだす。直径十メートルにも至る魔法陣は、中級レベルの魔法陣を超えてあまりあるものだ。


「この魔術で敷地まるごと消滅してもらう。何に手を出しているのか、身を以って知ってもらおうか」


 俺はできるだけ不敵な笑みを浮かべ、そう言い放った。

 もちろんハッタリだ。魔法陣はベルランテのスラム街の時と同じように<ゆらぐひかり>で創り出したもの。割れても何の効力もない。だが、魔法は魔法陣なしに発動する。いきなり空中に出てきた魔法陣なら、騙すこともできるはずだ。

 現に二刀の冒険者も灰色の魔術師も悲壮な顔をしてさがっている。執事とボッツは青い顔を白くして口を開けたままだ。顔色が変わらないのはアゴールくらいなものだ。

 アゴールは前庭の様子を見て、倒れている護衛の冒険者を見ると、最後に俺に視線を戻す。

 俺とアゴールはにらみ合う。息が詰まる時間が過ぎた。 


「わかった。その依頼、我が名にかけて撤回させよう」

「その言葉、忘れるなよ。これ以上俺に手を出すようなら、必ず行くからな」


 俺は何でもなかったかのように、魔法陣を消した。ついでにずっと起動状態だった<マナ基点増設>と<やみのかいな>を解除する。

 ボッツだけじゃなく、アゴールの言葉を引き出せたのは心強い。聖王家に連なるというほどだから、影響力はあるはずだ。

 俺は内心で安堵の息を吐いた。

 俺は掴んでいるボッツを見た。もう一発くらい殴っておきたかったが、アゴールの前ではそれもできないな。しょうがなく、引きずってアゴールに引き渡すことにする。

 その様子を見て、あわてて執事が走り出て、ボッツを受け取った。

 アゴールの横をすり抜ける時に一瞬緊張したが、何事もなく通り抜けることができた。


 気になることを思い出して、俺はちらりとバルコニーを振り返る。そこには緑の青年も、俺に魔術を放ったもう一人の姿も見ることはできなかった。

 でも、あの魔術師、どっかで見たことがあるような……。


「マコト君!」


 ミトナが俺を呼ぶ声に、俺は正面に向き直った。もとはといえばミトナが乗り込んだと聞いてここまで来たわけなんだが。何か事情があって俺の方が先に着いたのか。まあ、無事でよかった。

 ルマルはにこにこと俺を出迎えてくれた。ミトナが駆け寄ってくる。心配そうな顔に、悪かったという気持ちが生まれてくる。


「無茶して……!」

「いや、俺のほうこそミトナが乗り込んだって聞いたんだが?」

「ん。本当は乗り込むつもりだったけど、ちょっと二人を追い返してたら時間かかって……」


 二人って誰だ……?

 ルマルとコクヨウのほうを見るが、そちらの表情からは何も読み取ることはできなかった。


「まあ、なんだ。ひとつカタがついたよ」

「ん……。よかった」


 俺はほほをかきながら、そう言った。

 ミトナの笑顔は、俺の心を癒していった。

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