90.5話「想い」
命の対価はいかほどか。
――――それが頭から離れない。
ティゼッタの街を、払暁の光が照らし出していく。
夜半に雪が降れば、朝の光を反射させて美しい光景が見ることができる。昨日は雪が降らなかったため、路面も空気も乾いたものとなっていた。
静けさを強要するような冷たい空気の中、ミトナは目を覚ました。
かかっていた掛け布団を押しのけながら上半身を起こす。
「むぅ……」
ミトナはいまいち覚醒しきれない頭であたりを見回した。緊急事態でもないかぎり、こういった曖昧な時間をミトナは好んだ。眠るのは好きだ。特に寒い時期におなかいっぱい食べて寝るのが好きだ。
それを繰り返しているうちに、横にではなく縦に伸びてしまったのは誤算だったが。男の人というのは、自分より背が高いかどうかを気にすると聞いたことがあるが。
「起きよう……」
散漫になりはじめた思考を放棄して、ミトナはベッドから這い出ることにした。
冬竜祭前日の朝である。やるべきことがある。
ミトナは寝巻きを脱ぐと、着替えを始めた。
ミトナは最近マコトの様子がおかしいことに気付いていた。
一緒に鍛錬をしているときも、冒険者の依頼を受けて共に行動しているときも。何かを悩んでいるというか、迷っているというか。
それとなく聞くような話術はミトナになかったし、マコトに曖昧な笑みをされるとどうも踏み込みにくかった。
マコトが遠出するとミトナが聞いたのはそんな時だ。マコトはもともと旅の冒険者だ。ふらりとベルランテにやってきた。つまり、いつふらりといなくなるかわからない人でもあった。
いなくなられては、命を助けてもらったお礼も出来ない。だから、ミトナはついていって役に立つことでお礼をすることに決めたのだ。
ミトナは着替えを済ませると部屋を出た。マコトに声をかけようと思ったが、部屋の中から寝息を聞き取って、やめておくことにした。
「おや、ミトナさん、おはようございます」
「ん。おはよう」
階下ではすでにルマルが何やら作業をしていた。武器屋の娘であるミトナにはわかる。手元のチェックリストをもとに在庫と売れ筋の確認をしているのだ。
「お早いですね」
「今日は自由市の申請に行きたいから」
「なるほど」
ルマルは納得したように何度も頷いた。
ミトナはティゼッタの街にツヴォルフガーデンで手に入れた武器と、大熊屋で打った武器とを持ってきている。これを自由市で売り、何かいいものがあれば仕入れてくることが、ウルススに言われた旅を許可する条件だった。
自分ひとりで接客、販売、目利きなどをすることで、経験を積めということだろう。
「おひとりですか?」
「ん。マコト君、まだ寝てるから。ちょっと疲れてるようだから、ゆっくりさせてあげたい」
「わかりました。起きましたらお伝えしておきましょう」
「ありがとう」
ミトナはルマルにお礼を述べる。耐寒マントを羽織ると、ベルをならしてルマルの店から出た。
澄んだ空気が街を満たしている。耳をぴくぴくとさせながら音を聞いてみると、朝食を用意する音など、街がおき出した音を拾うことができた。
ミトナは帽子をかぶろうかと思ったが、やめておくことにする。
看板で見た自由市の場所を思い出しながら、ミトナは明け方の街を歩き出した。
ティゼッタは霊峰コォールのすぐそばにある山岳都市だ。そのため採りきれないほどの木材を活かした林業を中心としている。寒い季節が来ると雪に閉ざされてしまうこともあるため、その状態でもできるような様々な産業に研究していたりする。巨大蜂を利用した蜂蜜産業や、芋虫型の魔物の繭から採れる糸を使った布作りなどだ。
だが、良い部分ばかりでもない。雪に閉ざされる季節になると、霊峰コォールより食べる物がなくなった魔物が降りてくることがあるのだ。この魔物をほうっておくと、霊峰コォールの裾野に広がる大農園地帯に被害を与える。そのため、魔物を塞き止める番人の役目もあるのだ。
ミトナは商業エリアにて自由市の登録を済ませた。受け取った木版を鞄にしまう。木版は割り子札になっており、きちんと登録した商人かどうかがわかるのだ。出店料が最初に少しかかるだけで、あとは税がかからず売り買いができるのだ。
ベルランテの街の商店でも、市庁に納めるべき税金がかかっているために少し値段が上がるのだ。その税金がないとなれば、多少値引いても商人に儲けが出る。この自由市では値段の安い掘り出し物が見つかりやすいというわけだ。
大きな露店ともなれば、前日の今日のうちからすでに店の準備をしているところが多くある。ところによっては屋台のような移動式店舗を持ってきている猛者もいるくらいだ。
ミトナは陳列の様子や品物の様子を眺めながら商業エリアを歩いていく。
ベルランテは港町ゆえに多くの人種が歩く街だが、ティゼッタも同じくらい色んな種族にあふれている。
自由市によって多くの商人やそれに随従する冒険者、護衛者などが街に入ることになるからだ。ハスマルのように品のいい商人もいれば、当然質の悪い人間が出てくる。
「だから、謝ったでしょ!」
「そんな言い方でいいと思ってンのかぁ? 嬢ちゃん達よォ」
こういったトラブルも起きるというわけだ。
ミトナは声がしたほうを見る。そこには防寒コートの上から軽鎧を着込んだ人間二人、犬の獣人一人の冒険者集団が、侍女姿の二人の娘を囲んでいるところだった。果物や野菜が入った籠を持った黒髪の侍女をかばうように、猫獣人の侍女が殺気立った表情をして前に立っている。
「アルマ! 悪いのはこいつらなんだから!」
「マオ、いいの。ぶつかったのはわたし。どうすればいいの?」
「こっちの嬢ちゃんはよくわかってンじゃねえか。そうだなあ、俺らんところ急に人数が増えちまってなァ。ちっと世話焼いてくれるだけでいいンだよ」
「ぎゃははは。世話って何の世話だよ。お前ちっちぇえやつが好きだからなぁ」
「んじゃあオレはこっちのかわいこちゃんに面倒みてもらおうかなぁ」
下卑た笑いをしながら、手を伸ばす冒険者。そこにミトナは声をかけた。
「……何してるの?」
「ンだぁ!? ――――っ!?」
冒険者は邪魔されたいらつきを隠さずに振り向いたが、ミトナの姿を見てうっと息を詰めた。自分たちより背の高い半獣人が、バトルハンマーを片手にぶら下げて立っていたらそうなるだろう。
しかもその眠そうな目は何を考えているのかわからない。
冒険者達は一瞬目配せをすると、腰の剣を抜き放とうとした。だが、ミトナがバトルハンマーを振るう方がはるかに早い。負担にならない程度に一瞬だけ<獣化>を使う。高速で振るわれたハンマーの先端が、剣を抜こうとした冒険者の眼前でピタリと静止した。
一瞬遅れて風圧がその顔を叩いた。
「う、うォあッ!?」
情けない叫び声をあげて尻餅をつく仲間を見て、しらけたように舌打ちする犬獣人の冒険者。
「チッ、いくぞ」
ミトナとやりあうことで怪我する危険性を感じたのか、ぺっと唾を吐き捨てると背を向けて去っていく。
「いらんちょっかい出しやがって」
「ウッセェな」
「クソ、なんだよあのデカ女」
離れていきながらもかわされる不毛なやり取りをミトナの鋭敏な耳は捉えていた。
ミトナは心の中でため息をついた。
ベルランテも多くの冒険者が集まるため、この程度のやりとりには慣れている。
「あ、ありがとうございます!」
「ん。いい。大丈夫だった?」
「はい!」
猫獣人の侍女がうるんだ視線でミトナにお礼を述べる。となりで黒髪の侍女がぺこりと頭を下げた。
たいしたことをしたつもりはない。ミトナはその場を離れようとして、その言葉を耳に捉えた。
「チッ、戻るか」
「何で急にあんなに護衛の人数増やしたんだろうな、――――ボッツさんはよォ」
ミトナの動きが止まる。その名前を聞いた瞬間から、聴覚に全神経を集中させる。その名前は、さきほど撃退した三人組の冒険者達の口から出ていた。
自分がマコトのためにできることは何か。
今このチャンスを逃すことはできない。
ミトナは三人組を見失わないように集中しながら、後を追いかけはじめた。
だが、ミトナは聞き取ることと追跡に集中しすぎて、ミトナを追いかける二人の侍女に気付くことができなかった。




