第89話「ルマルの店」
俺とミトナはこげ茶色をした扉の前で立ち尽くしていた。
「マコト君、本当にココ?」
「いや、ハスマルさんの話だと、ここなんだけどな」
俺は手元のメモを見ながらもう一度確認する。うん、間違ってはいない。
ハスマルさんが宿泊のあてとして紹介してくれた住所には、宿屋ではなく一軒のお店があったのだ。イメージとしては町の小さなパン屋さんといったところだろうか。窓から見える室内には、雑貨が多く並んでいる。多くは日用品のようだ。
宿を見つけていない俺たちに、是非にとハスマル氏が紹介してくれたのはさきほどのことだった。ここなら滞在の心配はいらないと言われただけに、なんだかガッカリの気分だ。まさかハスマル氏は宿屋が潰れて違う店になったことを知らなかったとか。
「どう見ても宿屋じゃないよな?」
「うん……」
俺とミトナが困った顔で店を眺めていると、その扉が開いて中から店員さんが出てきた。さわやかな笑顔の好青年だ。ちょっと太めな体型と、にこにことした笑顔ですごく人がよさそうに見える。
「何か当店に御用でしょうか。よろしければ中で見ていっていただいてもいいんですよ?」
「あ、見に来たってわけじゃないんだが……」
店員さんはおや、と言った表情で俺たちを見ていたが、やがてぽんと手を打った。何かに気づいたかのような得心の笑みを浮かべる。
「もしかして、アキンド氏とミトナ氏でございますか?」
「ん。そうだよ」
「……あ、俺か。」
「やはり! お待ちしていました。話は中で。さあさ、どうぞどうぞ」
店員さんは確認すると深々とお辞儀をすると、店内に入るよう勧める。どういうことかわからない俺とミトナは顔を見合わせるばかりだった。しかし、こうしていてもしょうがない。とりあえずお邪魔することにした。
店員さんは俺たちを店内に招き入れると、店の札を閉店に入れ替える。
壁際に設えた暖炉が赤々と燃え、室内を暖めている。俺は店内の暖かさにほっとする。
店内はやはりこじんまりとした雑貨屋という風情だった。壁に備え付けの棚、室内の中央にある陳列机には、センス良く商品が置かれている。店の奥に続く扉と、居住区であろう二階に続く階段が見えた。
「自己紹介が遅れてすみません。ぼくはルマルと言います。一応この店舗の店長をしております」
ルマルは俺たちを店の奥に案内しながら告げた。ぱっと見俺より若く見える。下手をするとミトナと同じくらいの年齢に見えるけど、それだとかなり若くして店長ということになるな。親から受け継いだ店、とかそのあたりだろうか。
扉をくぐると応接間になっていた。質の良いテーブルと椅子、壁際にはソファなどがそろえられている。奥はキッチンになっているようだ。普段は食事などもここで取り、必要があれば取引相手との会議などにも使うのだろう。
ルマルは俺たちに椅子を勧めると、お茶の用意を始めた。俺とミトナは荷物を置くと椅子に腰を下ろした。懐から窮屈そうにしていたクーちゃんが這い出てくると、床に丸くなって後ろ足で耳を掻いた。
ルマルは何かのお茶らしきポットとカップを人数分持って戻ってくる。
「ハスマル様から連絡を受けております。ちょっと手狭ですが、ティゼッタ滞在の間はアキンド殿の店舗としてお使いください」
「ちょ、ちょっと待って」
いきなりの事態に俺の頭がついていかない。
どうぞ、と目の前に置かれたお茶が湯気を立ち上らせていた。俺とミトナの前にお茶をおくと、続いて自分の前にもお茶を用意した。
ルマルはにこにこと笑顔のまま続ける。
「ええ、事情は『全て』存じ上げております。私は夜には自宅に戻りますので、誰かを巻き込むということもありますまい」
つまり、俺が変装している理由も全て知っているということか。
俺は何も言えず口をパクパクとするだけだった。ミトナのほうは驚いているのかいないのかいつもの眠そうな顔のまま変わりはない。
「この店舗でしたら情報が入り次第すぐにお伝えすることができますしね」
要約すると、商人アキンドの店舗としてここを使っていいということだろうか。ハスマル氏、豪気すぎるだろう。だが、誰も巻き込まないという点ではとても助かる。これまで襲撃がなかったことを考えると変装も効果があったと見るべきだろうが、できるだけ配慮しておくにこしたことはない。
「俺たちが商品を盗んだりしたらどうするつもりなんだ」
「そんなことはなさらないでしょう? まあ、もしそうなりましたら――――」
ルマルの表情の雰囲気が変わる。笑顔は笑顔だが、背筋がひやりとする圧力が込められているものに。
「――腕の一本くらいはいただきます」
「ごめんなさい」
「冗談ですよ。対価は後でいただければ店舗内のものは自由にしていただいてかまいません」
冗談に聞こえなかったよ。意外とこいつ怖い奴なのか?
ルマルから感じていたプレッシャーが霧散する。まあ、ここまでしてもらっているのなら大丈夫だろう。俺はそう判断してつけていたターバンと覆面を取る。久しぶりに素顔をさらす。やっぱり顔を隠したままというのは精神的に窮屈なものだ。
「そうだ。ボッツの居場所を調べてもらうついでに、できたら俺のニセモノについて調べてくれたら助かるんだが、できます?」
「ニセモノ、ですか?」
俺はソリエントで出会った俺のニセモノのことについて話した。酔いつぶれて覚えていなかったのか、ミトナまでびっくりしていたことには驚いた。だまされないようにしないと、とか小さく呟いているが本物知ってるんだから、だまされるわけないだろう。
俺の話を聞いて、なぜかルマルが悪意のある笑みになる。
「それは好都合ですね」
「へ? ニセモノが?」
「そうです。今アキンド殿は暗殺者に狙われているわけでしょう?」
「まあ、そうだな」
「そのニセモノが自然に囮になってくれることでしょう」
「顔でわかったりしないの?」
ルマルの言葉に、ミトナが不思議そう表情で訊ねた。
「情報では顔はわかりません。こちらが調査する間くらいは囮になってくれるでしょう。いっそやられてもらって暗殺依頼完了してもらったほうが早いかもしれません」
黒い。黒いわこの子。笑顔ってこんなに人を不安にさせるもんだったっけ。
ルマルがお茶に口をつけたのを見て、俺もお茶を飲む。おいしい。温かいお茶が身体をあたためる。
あたたまるのはお茶だけでない、付いて来てくれたミトナ、初めてあったにも関わらずここまでしてくれるハスマル氏、そのハスマル氏に頼んでくれたレジェル。多くの人の優しさが胸にしみる。
俺は自然と頭を下げていた。
「……ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず。もし何かしてくださるというのでしたら、闘技大会で優勝して店を宣伝していただくとか」
「無理だろ」
「冗談ですよ」
この人が言うと冗談に聞こえないのは何故だろうか。
ルマルは部屋やキッチンの使い方を簡単に伝えると、そのまま店舗から去っていった。一階は店舗スペースと応接間、倉庫。二階は寝泊りできる部屋が四部屋ある。俺とミトナで一部屋ずつ使わせてもらうことにした。
締め切った室内で、俺は胡坐を組んで座っていた。異国服も革防具も脱ぎ、下着のみの姿だ。クーちゃんは寒いからかすでにベッドの中で丸まって寝ている。先ほどまで魔術ゴーレムの核をアクセサリのように紐で改造する作業をしていたが、とりあえずひと段落ついた。緊急時にはマナ貯蔵庫としての役目も果たすこの核、できるかぎり身につけられるようにしておいたほうがいいと考えたからだ。核が意外に大きいため、アクセサリにしてはちょっとでっかい鎖鉄球のような感じがしている。まあ、いいだろう。
俺は考えを断ち切ると、深い息を吐いた。
目の前まで持ち上げた手は、黒い炎のごとく揺らめいている。<やみのかいな>を起動した俺の腕だ。腕を振りぬくと同時に伸ばす。一瞬で部屋の端まで到達すると、俺の意思に応じてすぐに元の長さに戻る。壁や天井など狙った場所に触れ、元に戻す動作を繰り返す。
<いてつくかけら>+<「氷」初級>で生み出した氷塊を空中に浮かべ、それをターゲットに両腕、尻尾で掴む練習。集中力が切れるまで一時間もなかっただろう。俺は疲労感に逆らわず、そのまま身体を倒して仰向けに寝転がった。
実体と非実体の中間点にあるような、この世のものとは思えない俺の腕を俺は目を細めて凝視する。あきらかに人間の腕じゃない。
最近俺はラーニングに対して無意識に及び腰になっていた。その理由がようやく見えてきていた。
<マナ基点増設>をした際に、頭から角が生えた時から薄々感じていた。ラーニングは俺にとって良い悪いに関わらず触れた魔術的な事象をラーニングする。
このままいけば、ラーニングを繰り返して、何か、取り返しのつかないことになってしまうんじゃないだろうか。
「悩むだけ、無駄か……」
この世界で生きていくために、力があるにこしたことはない。
だが――――。
身体がぶるりと震えた。動かなくなったことで身体が冷え、寒気を感じたのだろう。
「……寝よ」
俺は汗を拭くと、寝巻きに着替えてベッドにもぐりこんだ。布団の中で丸まって寝ているクーちゃんが湯たんぽのように温かいのが救いだった。




