第87.5話「魔術師の出張」
階下からフェイを呼ぶ声がする。その声は階段を上がりきると、おもむろにフェイの部屋の扉を開けた。そこにたっていたのはフェイの母親マルクル・ティモットだった。
「フェイ! 聞いているのか?」
「うるさいわねぇ……。聞きたくなくても聞こえているわよ」
全体的に落ち着いた色合いの家具でその部屋はまとめられていた。
ブラウンのベッドに、焦げ茶色のミニデスク。カーテンやベッドカバーなどは少し明るめの黄色のものを使っている。窓際の出窓には動物を模したぬいぐるみが並んでいた。
そのベッドに、顔面を埋めるようにうつ伏せに倒れている少女がいた。フェイだ。ここはフェイの自室である。
フェイはさっきまでときおり思い出したかのように身体をビクンビクンと跳ねさせていた。
彼女を襲っているのは謎の呪いでも電撃でもない、後悔というなの胸を内側から炙る炎だった。
今は母親を前にして、その動きは止まっていたが。
「明日から私はティゼッタに向けて出発する。しばらくの出張になるので適当にご飯を食べて生き残れ」
「ティゼッタ……」
「何だ? フェイが代わりにいってくれるのか?」
マルクルがおどけたように言う。もちろんフェイが断るのをわかった上での冗談だ。
マルクルの出張。ティゼッタの祭りで行われる闘技大会のコメンテーターの仕事である。魔術師ギルドの中で魔術に明るい人物が、使われた魔術の名前や効果をわかりやすく説明するのだ。
人前に出るのが面倒くさいフェイは、もちろんコメンテーターなどやる気はない。ひらひらと手だけふって、否定の意思を示す。
「魔術師ギルドの業務についてはライラとレイラに任せてある。あまり、羽目をはずしすぎるなよ?」
それだけ言うと、準備があるのかマルクルは去っていった。フェイはちらりと閉じられた扉を見た。
ティゼッタという街の名前には、聞き覚えがある。フェイは、はぁと深い息を吐き出した。
「なぁにが『あ、いや。やっぱ、フェイにも仕事があるだろ。俺のために無理はさせられない』よ!」
がばっと顔を起こすと、フェイは呻くように声を絞りだした。
いつもはふたつくくりにしてさげているお下げは解かれており、長い髪が幽霊もかくやというほど乱れている。
しばらく前からフェイは百面相をしながらバタバタするという行為を繰り返していた。
付いていくとハッキリ言い切れなかった自分にもやもやしているのだ。
しばらく枕相手に拳を繰り出していたフェイだが、たたき続けるというのは意外に疲れる行為だ。やがて一息つくと枕を抱え込んだままベッドの上であぐらをかく。
「まあ、でも、ついていく理由もないのよね……」
そもそも、何でついて行きたいかと言うと、マコトのことが気になっているからだ。
そうたどり着いた自分の思考に、フェイの顔が真っ赤に染まった。
違う、そういうつもりじゃない。たぶん。
「そ、そうよ! 気になるっていうのは、あいつの特殊な天恵が珍しいからよ!」
さも今思いついたかのようにフェイは口に出した。誰がどう見ても信じてもらえない表情をしていたが、幸いここはフェイの自室、それゆえ突っ込む人は誰もいなかった。
フェイは床で足を投げ出して座ってる魔術ゴーレムと目があった気がした。二足歩行で自律行動する魔術ゴーレムだが、さすがに会話までは出来ない。だが、見られていたと思うと、恥ずかしさがこみ上げてくる。
「ええい、見るなぁ!」
ぼすっ、と魔術ゴーレムにフェイが投げた枕が命中した。ゴーレムはぐらり、と身体を傾がせると、ぽてんと横倒しに倒れた。
マコトがティゼッタに向けて出発した翌日である。
もともとフェイは仕事に対して熱心な方ではない。魔術師ギルドに籍があり、ギルド職員として働く資格は持っているが、だいたい魔術の鍛錬か研究をしていたため、あまり窓口業務などの仕事をしていなかったのだ。
窓口業務の仕事を頻繁に入れるようになったのはここ最近のことだ。窓口であれば、魔術師ギルドに来る人間をすぐに見つけることができるからだ。
魔術師ギルドを寄り合い所のように集まってくるやつらを除くと、ギルドカウンターに用があって来る人間は少ない。最近ではとある異色の魔術師くらいなのだ。時おり来る魔術師がいても、フェイが相手をすることはほとんどない。窓口は二つあり、ショーンに強制的に任せてしまうのだ。
今日は窓口に出る気もなく、家でだらだらと過ごしている。
「このままじゃ腐るわ。街にでも行こっかな……」
フェイは呟いて窓の外を見る。外は寒いだろうが、少しは気分転換になるだろうか。
ベルランテの街も、冬支度に入っている。
海が凍るほどの気温にはならないため、冬でも港は開いている。そのため、この季節でも賑わいは変わらない。むしろ、寒い方がいろいろなものの保存が利き、貿易船が増えるくらいだ。
大型の貿易船ともなれば技能魔術師を雇うことで保冷効果を持たせたりするだろうが、どの交易商もがそれほどのお金を持っているわけではないのだ。
攻撃するための魔術があるとするならば、もちろん生活のための魔術も存在する。飲み水を創り出したり、保冷のための氷を創り出したりするのだ。大国であれば<魔術「土」>を利用した地盤整理すら可能とする。
ただ、攻撃用の魔術とは系統が違うため、極められるのはどちらかになってしまうのが難点だった。
「うー、寒いわ……」
フェイは両の手をこすり合わせ、なんとか手に温かさを取り戻そうとする。ちらりと自分に追随する魔術ゴーレムを見るが、その球系ボディは冷たいのはすでに確かめていた。
「マコトはいないわけよね。ミトナのところに遊びに行こうかな」
フェイは行き先を決めると、寒さから逃れるように足を速めた。
大熊屋はベルランテ中央の円形広場から少し外れたところにある。最近はお客さんが増えてきたのか、繁盛している様子が見て取れる。
店の中から出てきたお客さんとすれ違うようにして、フェイは大熊屋の店内に入った。
中では熊獣人のウルススと鼬獣人のマカゲが何事か話しているようだった。
マカゲがあれから大熊屋の居候のようになっていた。刀を打つかたわら、武器の知識を活かして店員のようなこともやっているらしい。同じ獣人でもあり、息が合ったのか、ウルススも楽しんでいるようだった。
そのおかげか、最近はミトナが家の手伝いをせずとも済み、一緒に遊びに行く時間が増えたのだが。
そのマカゲがフェイに気付き、冬でも暖かそうな毛皮の手をあげた。
「おや、フェイ殿」
「お、魔術師のお嬢ちゃんじゃな。どうしたんじゃ?」
「ミトナに会いに来たのよ」
フェイはあたりを見回しながら行った。感覚の鋭いミトナのことである、居るのならフェイの足音や声などを聞いてそろそろ出てくるころなのだが、今日は姿を見せない。
「おお。ミトナならボウズにくっついてティゼッタに行っとるが、どうしたんじゃ?」
「……え?」
――――ずるい。
フェイの胸中に浮かんだのは、そんな言葉だった。
何が、とか細かいところにフェイの理性が追いつく前に、思考が暴走していく。
(何で? 私は置いていかれたのよね? ミトナはつれていったのに? あれだけ面倒見てやったのにどうして置いていかれるわけ?)
ぐるぐる回る思考を続けるうちに、フェイの顔がどんどん険しくなっていく。
「フェ、フェイ殿……?」
「……何よ」
「な、何か怒っていないか?」
「怒ってないわよ。全然。全く。これっぽっちもね」
フェイは笑顔を作った。これ以上ないくらいにっこりと笑ったつもりだったが、何故かマカゲは一歩引いた。
「わ、わし、何か悪いこと言ったかのう?」
「わ、わからん。しかし、触らぬ神に何とやらだ――!」
ちょうどお客さんが来たので、ウルススがカウンターの陰に隠れるように縮こまる。ちょうどいいとばかりに、マカゲがそ知らぬ顔で工房の方へ歩こうとしたその背中に、外よりなお冷たい極低音の声がかかった。
「――ちょっといいかしら」
蛇に睨まれた蛙のごとく、マカゲの動きが止まる。背中側に振り向くことすらできず、滝のような汗を流す。何も悪いことをしていないのに、何故自分がこんな目に、と背中が語っていた。
「マカゲ、アンタ暇よね」
「い、や、拙者、刀を打つという」
「――――暇よね?」
「暇です」
「よかった。ちょっと護衛をお願いしたいの。少しばかり遠出をしたいものだから」
マカゲはやわらかいフェイの声を聞いて、ほっとしながら振り向いた。その身が麻痺のごとく固まる。
そこには、顔は笑っているが、目は一切笑っていないフェイの顔があった。
「お願いできるわよね?」
死ぬ。殺される。そんな思いがマカゲの胸中に渦巻いた。マカゲには、頷くしか残されていなかった。
「……とりあえず、お母さんに言って代わりに出張に行きたいって言わないとね」
フェイは誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
マカゲと出発の算段をしつつ、フェイの頭の中では計画が組みあがっていた。




