第86話「ソリエント村」
ティゼッタ領までもう少しというあたり、最後の補給ポイントのソリエントという村にたどり着いた。
小さな川が村の傍を流れている。あいかわらず森に近いのはどうしてだろうか。
「冬になると森に獲物を採りにいくこともあるからね。森から離れすぎない位置に村があるのよ」
村にたどり着く前にシーナさんに聞くとそう教えてくれた。なるほど、今の時期だと畑も雪に埋もれることがあるからなあ。雪の森での狩りも危ない気がするが、手に入る食料が多いほうがいいのかな。
ソリエント村はティゼッタに近いだけあって、けっこう大きな村だ。木材をふんだんに利用した家屋、ところどころに見える雪かきの後など、北欧の風景のように感じる。道を走り回る子たちが雪合戦をしていたりするのも風情がある。
村は商隊が逗留することも考えられたつくりになっており、馬やマルフをとめておく屋根つきの場所がそれなりにあった。アルドラは雪がふりこまないところで丸くなって休息している。クーちゃんも寒いらしく、アルドラのあたたかい毛の中にもぐりこんで引きこもることに決めたようだった。
しょうがないので俺とミトナで村を見物することにする。
村の中央は大きな道となっており、宿屋も多い。ティゼッタに向かう補給が、この村が潤う要素のひとつなのだろう。雑貨屋も多く、ティゼッタ特産品も多く売られている。
俺とミトナは雑貨屋の軒先に並べられている商品を物色していた。人差し指と親指で挟めるくらいの小さな小瓶の中に赤茶色やら緑色の何かが詰まっており、中には何か結晶のようなものが沈殿しているのが見える。
「なんだこの瓶詰め……」
「お、そこの異国の商人さん、見てってよ! ティゼッタ領特産の蜂蜜だよ!」
いちおう商人に見られるんだな、この格好。それでこの小瓶は蜂蜜だったのか。赤茶色はまだわかるが、緑色ってなんだ。腐ってるのか?
ついでに商人らしく見えるように商品のリサーチのふりでもしておこう。
「蜂蜜か。いくらなんだ?」
「一瓶五千シームだよ! 大特価!」
高いッ!
俺は思わず目をむいた。顔を隠す覆面がなければ間抜けな顔をさらしていたことだろう。
五千シームというとスライムの核二十五個分。ご飯にして何食食べられることか。
俺はふとその理由に思い至った。
たしかに蜂蜜というものは高い。しかし、思った以上に高騰している理由として、ベルランテ周辺で甘い調味料が少ないという点がある。
ベルランテでは塩はすぐ手に入る。海が近いので精製しているようなのだ。その反面、砂糖を見たことはない。胡椒よりも希少だ。ベルランテで甘味というと、果物の甘さを活かした食べ物が多かったのだ。
俺は小瓶をもとにもどす。ここで買うのはやめておこう。ティゼッタ領特産なら、首都までいけばもっと安く買うことができるはず。
俺とミトナは雑貨屋を覗いたが、生活用品と旅用の物が中心の商売のようだ。店内に所狭しと置かれた商品たちを見ていると、電気街の商店を思い出す。
「ひとつ疑問なんだけどさ。商人になるのに何か証明書って必要なのか?」
「なくても売り買いはできるよ。大きな街とかだと領主や街の認可が必要。ひどいところだと無認可で商売したから売る物を没収とかいうこともあったらしいよ」
「すごいなそりゃ」
商売をする際には証明書を掲示するものだしなあ。信頼性の証というか。
「ベルランテだと、お店を構える際に証明書が必要で、発行してもらうと定期的に税金を取られる」
「ミトナ……」
「んー?」
「意外に詳しいな」
「意外はよけいだよ」
俺とミトナは雑貨屋を出る。暖かい室内から出ると、じわじわと寒さが侵食してくる。寒いのは苦手じゃなくてよかった。
そのままゆっくりと雪道を歩きながら、酒場の方へと向かっていく。レジェルとシーナさんとの約束で、夜は一緒に食べることになっているのだ。
歩きながら、俺はミトナに先ほどの続きを話し出す。
「でも、外部からきた商人はどうなるんだ。許可証ないけど商売するわけだろ?」
「ん~。どうなるんだろうね」
「それはですな、外部からの商人が店を構えられる商業エリアやバザールがあるのです」
「うおっ!?」
横から急に声をかけてきたのはハスマル氏だった。しっかりとした革製のコートに身を包み、頭にふさふさの毛で出来た円筒形の帽子をかぶっている。にこにことした笑みはいつものとおりだ。
「商業エリアやバザールに入る際にお金が必要なのですよ。そこで領主の側は稼いでいるのです」
「なるほど」
「もちろん、無認可や無許可のお店も当然ありますぞ。そのあたりの店にしかない物や、禁制の品とかがね。そういったお店はもちろん見つかれば」
ハスマル氏はいきなり無表情になると、首を掻っ切るハンドサインをした。
なるほど、怪しいお店はやはり摘発されるのか。
「ところで、どうしてハスマル氏が?」
「私もレジェルさんに誘われましてな。ぜひにと。断れませんなあ。ほっほっほ」
ハスマル氏は俺の背中をばしばし叩くと、先導するように酒場へと入っていった。思わず俺とミトナは顔を見合わせた。
まあ、レジェルが呼んだというのなら俺がとやかく言うことじゃないだろう。ハスマル氏には正体バレバレな気がするしな。
酒場というのはどこも似たようなつくりになっている気がする。
ほのかな明かりが灯り、微妙に薄暗い。頑丈そうなテーブルがいくつも並び、ガタが来てそうな椅子がそこにセットになっている。
俺たちの商隊以外にもどこかの商隊が逗留でもしているのか、見ない顔の冒険者らしき男たちが楽しそうに酒を飲み交わしていた。
俺とミトナは入り口で体や靴についた雪を払う。雪がついたまま入ってしまうと、部屋の暖かさで解けた時に床が水びたしになってしまうからだ。
「お、来たな。こっちだ!」
レジェルの声をした方を見ると、すでに席に着いているレジェルとシーナさんを見つけた。ハスマル氏もにこにことテーブルについている。
俺とミトナはテーブルまで行くと、並んで腰をおろした。すでに注文しってあったのか、すぐに木製ジョッキになみなみと入った泡の立つ飲み物が運ばれてくる。
「ここ名産の蜂蜜麦酒だ! まずは乾杯だな!」
レジェルの音頭で乾杯し、ぐいっとジョッキをあおる。覆面で飲みづらいが、そこは気にしない。
甘みがあるビールだ、これ。苦味と甘みが同居するこの味。喉を通る感触が懐かしい。味はすごく素朴というか、素材の味が濃い気がするが。けっこう好みだ。
ジョッキを半分くらいあけて、一息ついた。
「ってミトナも飲んでるけど大丈夫なのか!?」
「……?」
「いや、年齢とか、そういうの」
「十八だよ? もう成人してから二年経ってる」
ん? あれ、そうか。
元の世界とは成人の基準が違うのか。こちらの世界では十六歳で成人扱いなのか。
お酒は二十歳になってから、という意識が抜けない俺にしては、未成年に見えるミトナがごくごく飲んでいるいるのを見ると微妙な表情になってしまう。
「これ、おいしいね」
熊だから、蜂蜜とか好物なのか……?
ミトナはかなりうれしそうに俺にそう言う。こっちの世界の常識で許されているものを、俺のわがままで止めることはできないよな。
どんどん運ばれてくる料理がテーブルを埋めていく。
鹿肉をつかったソテーや、森で採れるキノコをつかった炒め物。変わったものだとでっかい蟹の足のようなものもでてきた。油であげてあるらしく、そのままバリバリいくらしい。振られた塩も利いていてスナック感覚でバリバリいけてしまう。
なぜか手を出さないシーナさんに、ミトナが不思議そうな顔をした。
「シーナさん、食べないの?」
「あ、私はパス」
「レジェル、これ何の脚なんだ? 川カニ?」
「お、うまいだろ? それ、ヴェスパの脚だ」
「何だヴェスパって」
「ほっほっほ。ティゼッタのあたりでよく出る魔物です」
魔物だったら時間の空いた時に狩りにいくのもいいな。
「どんな形してるんです?」
俺の問いかけに、重い声でシーナさんがぼそりと答えた。
「…………蜂よ。でっかいやつ」
俺はぴたりと動きを止めると、持っていた脚をまじまじと見つめた。言われてみれば、蟹ではなく、虫の脚にも見えなくはない。しかし、このサイズの脚を持つとなると、その蜂は体長一メートルくらいになるんだが。
俺はソリエント村の特産を思い出した。まさか、蜂蜜ってこの巨大蜂の蜂蜜なんじゃないか。なんだか正解な気がしてきた。
一通りお腹に収めると、幸せな気分になってくる。ミトナはさらに注文した蜂蜜麦酒をちびちびと飲んでいる。何杯目だ、それ。
ハスマル氏もここの味に満足がいったようで、いつも以上に満面の笑みで食後のお茶を飲んでいた。
しかし、レジェルの目的は何だ?
気になるのはこの食事会の意味だ。レジェルとシーナさんだけなら、知り合いとご飯を食べるという意味の付き合いだろう。だが、ここにハスマル氏がいるのは何故だ。
俺はレジェルをまっすぐに見つめると、口を開いた。
「そろそろ今日のこの食事会の目的を聞かせてもらいたいな」




